国名 アンドラ公国
英語 Principality of Andorra
首都 アンドラ・ラ・ベリャ (Andorra La  Vella)
独立年 1993年
主要言語 カタルーニャ語、スペイン語、ポルトガル語、仏語
面積 (千Km2) 0.5
人口 (百万人) 0.08
通貨単位 ユーロ
宗教 国民の大多数がカトリック
共同元首 フランス大統領及びウルヘル司教 (在スペイン)
宗教
主要産業 牧畜、観光業、サービス業、金融業





聖コロマ教会 (Iglesia de Santa Coloma)

12世紀に建てられたロマネスク様式の教会。素朴な石積みの塔は、一つ一つ人の手で積み上げられたもの。
アンドラ公国最古の教会で、背景の山はピレネー山脈。





地理

フランス・スペイン国境、ピレネー山脈東部の小独立国。
山々に囲まれ、気候は寒冷で厳しく、首都でも 一か月間雪に覆われる。

カタルーニャ系住民が多く、公用語はカタルーニャ語。

主産業はタバコ、コムギ、ライムギ、ジャガイモの栽培と牧羊。
ウマ、ラバ、ウシ、ヤギも飼育。

小量の銀、鉛、鉄鉱石を産出するが、工業は小規模。

国家経済を支えているのは、記念切手収入と、避暑やスキーや登山に
訪れる観光客の観光収入である。





歴史

803年、フランク王国のカール大帝は、イベリア半島からのイスラム勢力を抑えるために、
国境地帯に辺境伯 (国境警備の官職) を設置した。

辺境伯にはゲルマン人のボレル1世 (Borrell I) を任命し、大幅な軍事指揮権を与えた。

820年、ボレル1世が死去すると、フランク王国は、後任の辺境伯 として
スペイン・カタルーニャ州 (Catalunya) のウルヘル司教 (Diocese of Urgell) を指名した。

938年、フランス王国が成立すると、司教との間で辺境伯の所有権争いが起こり、1278年、両者で共同統治することになった。
この年をアンドラ公国の建国の年としている。

1993年、新憲法を制定し、独立国家として認められたが、その後もウルヘル司教とフランス大統領が元首を務めている。


803年  フランス、スペイン国境に辺境伯が設置される 
820年  スペイン・カタルーニャ州 のウルヘル司教が辺境伯に任命される 
938年  フランスとウルヘル司教の共同統治により、アンドラ公国が成立 
1993年 国際連合加盟







ダリの溶ける時計像 (La Noblesse du Temps)

バルセロナから車で三時間、首都アンドラ・ラ・ベリャの広場にある彫刻。

スペイン・カタルーニャ出身の画家ダリが贈った自身の作品である。
ぐにゃっとした時計は、人間を支配する時間の経過を象徴しているという。
重さ1,400kg、高さ4.90m (ブロンズ製)


サルバドール・ダリ (Salvador Dali 1904~1989年)

シュールリアリズム (Surrealism) の画家。スペイン・カタルーニャ出身。
代表作 「溶ける時計」 は、溶けかかったチーズに、インスピレーションを得たという。

偶然にまかせ即興的に描くことで情感を表現するのがシュールリアリズムの特徴である。