アンナ・マニャーニ(Anna Magnani)

生年月日 : 1908/03/07
出身地 : イタリア/ローマ
没年 : 1973/09/26

15歳で演劇学校へ入学し、多くの作品でウェイトレスや歌手という端役を務める。
1934年、ヌンツィオ・マラソンマ監督の「ソレントの盲女」で映画デビュー。

1945年、ロベルト・ロッセリーニ監督の「無防備都市」で一躍注目される。

「無防備都市」は、1943年9月、ローマがナチスに占領された時から準備が進められ、
翌年6月のローマ解放時に制作を着手。画面の至る所に占領下の緊迫した空気が漲っている。

1955年、ダニエル・マン監督の「バラの刺青」でアカデミー主演女優賞を受賞。
この受賞は、イタリア女優としては初めての快挙だった。




代表作品

      無防備都市(Roma citta aperta)1945年(伊)

ナチス占領下のローマ。抵抗運動の闘士マンフレディは、ナチスの急襲を逃れ、
仲間のフランチェスコのもとに身を寄せる。

フランチェスコは、未亡人ピナ(マニャーニ)と結婚する予定だったが、
仲間と共にナチスに連行され、後を追ったピナは、虫けらの如く銃殺される。

捕らわれた男の後を追って死ぬヒロインは、その行為が抵抗運動と関わりなく、
きわめて本能的であるがゆえに、観る者の胸に迫る。

イングリッド・バーグマンがこの作品を見て感動の余り、何が何でもロッセリーニと
一緒に仕事がしたいと、彼の許に奔った世紀の恋の実話はあまりにも有名である。

(監督)ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini)(出演)アンナ・マニャーニ(Anna Magnani)
       
       
    ベリッシマ(Bellissima)1951年(伊)

ローマの下町に住むマッダレーナ(マニャーニ)は、映画の撮影所で子役を募集していると聞くと、
自分の幼い娘を応募させる。競争率は高いが、娘をなんとしてもオーディションに合格させようと
躍起になるのだった。

娘を映画スターにしようと奔走するイタリアの肝っ玉かあさんの姿がコミカルに描かれる。
1950年代になると、イタリア人の生活も好転し始めるので、本作のようにテーマが明るいものに
なっていった。
まだ貧しい生活だが、陽気で力強い庶民のリアリティを描いて、実にみずみずしい作品となっている。

(監督)ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)(出演)アンナ・マニャーニ(Anna Magnani)
       

ソレントの盲女(The Blind Woman of Sorrento)1934年
金曜日のテレーザ(Teresa Venerdi)1941年
無防備都市(Roma, citta aperta)1945年
アモーレ(L'Amore)1948年
不幸な街角(Molti sogni per le strade)1958年
噴火山の女(Vulcano)1950年
ベリッシマ(Bellissima)1951年
黄金の馬車(The Golden Coach)1952年
われら女性(Siamo Donne)1953年
バラの刺青(The Rose Tattoo)1955年(アカデミー主演女優賞)
野性の息吹き(Wild Is the Wind)1957年(ベルリン国際映画祭主演女優賞 )
街の中の地獄(Nella citta l'inferno)1959年
蛇皮の服を着た男(The Fugitive Kind)1959年
マンマ・ローマ(Mamma Roma)1962年
サンタ・ビットリアの秘密(The Secret of Santa Vittoria)1969年
フェリーニのローマ(Roma)1972年