国名 ブルガリア共和国
英語 Republic of Bulgaria
首都 ソフィア
独立年 -
主要言語 ブルガリア語
面積 (千Km2) 111
人口 (百万人) 7.3
通貨単位 レフ
宗教 大多数はブルガリア正教(ギリシャ正教等が属する東方教会の一派)。
他に回教徒、少数のカトリック教徒、新教徒等
主要産業 農業(穀物・酪農)、工業(化学・石油化学、食品加工)
歴史
BC4世紀-BC2世紀  アンティゴノス朝マケドニアがブルガリア地域を支配
7世紀  アジア系ブルガール人(Bulgar)が侵入し、先住民の南スラブ人を支配 
681年 南スラブ人と同化して、第一次ブルガリア帝国を建設 (~1018年)
1018年  ビザンツ帝国に征服される 
1187年 第二次ブルガリア帝国成立(~1396年)
1393年 オスマン帝国による占領(~1878年)
1877年  ロシア・トルコ(露土)戦争 
1878年 サン・ステファノ条約。オスマン帝国内の自治領(大ブルガリア公国)
1878年  ベルリン会議。ブルガリアの領土縮小 
1908年  青年トルコ革命。ブルガリア独立宣言。ブルガリア王国 
1912年  第一次バルカン戦争でオスマン帝国と戦い領土を拡張 
1913年  第二次バルカン戦争に敗れてセルビア、ルーマニア、ギリシア、オスマン帝国に領土を奪われる 
1915年  第一次世界大戦では同盟国陣営に加わって参戦
1919年  ブルガリアは敗戦国となり、ヌイイ条約で領土を大幅に減少させた 
1941年  第二次世界大戦では枢軸国の一員として参戦 
1947年 王政廃止。社会主義国へ
1946年 パリ講和条約。コミンフォルム・コメコン・ワルシャワ条約機構参加
1989年 東欧革命(東欧社会主義圏の消滅)民主化へ
2004年 NATO加盟
2007年 EU加盟





























ツァレヴェッツの丘(Tsarevets hill)
ソフィアから東北へ240キロ、ヴェリコ・タルノヴォ(Veliko Tarnovo)は第二次ブルガリア帝国(1187-1396年)の首都として栄えた都市。
旧市街のメインストリートの先で行き着くのがこのツァレヴェッツの丘である。

帝国時代には、この丘全体が宮殿だったが、オスマン帝国の猛攻によって全て瓦礫の山と化してしまった。
現在は城の一部が復元され、旧市街を眺める観光スポットのひとつとなっている。



ブルガリアはかつてトラキアと呼ばれた地域の一部で、東の黒海を中心にギリシア人の植民市が建設された。

後に領土を拡張したアケメネス朝ベルシアの支配に入り、前4世紀には西のマケドニア王国、そしてアレクサンドロス大王によって征服された。

その後、ローマに支配され、ローマの分裂後は東ローマ帝国に支配されている。
北のダキア、ルーマニアと同じく、この地にはゲルマン人が進出し、西ゴート人の侵入を受けている。

基本的にこの地は、7世紀まで東ローマ(ビサンツ)帝国が支配したものの、スラブ人の侵入に続きブルガール人がやってきて、681年にブルガリア王国を建国した。

スラブ人を支配したプルガール人は圧倒的に数が少なかったために彼らはスラブ化し、ほぼ今のブルガリア人となっている。

9世紀にはブルガリア帝国(第一次)に発展し、ギリシア正教に改宗している。
しかし10世紀にキエフ公国の攻撃を受けて衰退し、1018年にビザンツ皇帝バシレイオス2世によって、第1次ブルガリア帝国は滅亡した。


1187年に、アセン1世がビザンツ帝国より独立して第二次ブルガリア帝国を建国した。
この帝国は1204年に第4回十字軍がコンスタンティノーブルに建国したラテン帝国と対立するが、撃退してその領土を広げている。

しかし、13世紀のモンゴル人の侵攻によって衰退し、1393年にはオスマン帝国に滅ぼされ、約500年以上もその支配下に置かれることになる。

そして1877年のロシア・トルコ(露土)戦争でロシアが勝利すると、1878年のサン・ステファノ条約でブルガリアはオスマン帝国内の自治領(大ブルガリア公国)となり、ロシアの保護下(2年問のロシア軍駐留が確認されている)に置かれることとなった。

この結果、ロシアは影響下にあるブルガリアの領内を通って地中海へ進出できるようになったため、イギリスとオーストリアがこれに反発し、1878年にビスマルクは「誠実な仲買人」と称してベルリン会議を開いた。

そしてブルガリアの領土は北のブルガリア自治領だけとなり、西のマケドニアはオスマン帝国領に、南の東ルメリアは自治州となって縮小されている。
結局、ブルガリアが独立するのは1908年の青年トルコ革命のどさくさで、ブルガリアが独立を宣言してブルガリア王国が成立している。

(青年トルコ革命(Young Turk Revolution 1908年)
1908年にオスマン帝国で起こった政変。
「統一と進歩委員会」メンバーの将校が中心となってマケドニア駐留軍がスルタン・アブデュルハミト2世に反乱を起こし、スルタンに専制政治を放棄させた)

1911年にイタリア・トルコ戦争が起こり、オスマン帝国が敗北すると、1912年にブルガリアはモンテネグロ・ギリシア・セルビアとバルカン同盟を結びオスマン帝国に宣戦して、第一次バルカン戦争を起こしている。

そしてバルカン同盟は勝利し、イスタンブル(コンスタンティノーブル)を除くヨーロッパ領すべてとクレタ島をオスマン帝国から奪った。
しかし今度は獲得した領土配分をめくって、ブルガリアは味方であったバルカン同盟の三国とトルコ、そして隣国ルーマニアと、1913年に第二次バルカン戦争を行って敗北する。

この戦争の結果、ブルガリアはドイツ・オーストリアに接近し、第一次世界大戦では1915年に同盟国側で参戦している。
しかし1918年9月にブルガリアは降伏し、敗戦国となって1919年にヌイイ条約を結んだ。

ブルガリアは戦争中にルーマニアから奪ったドブルジアの返還や、ギリシアやユーゴへの領土の割譲によって大幅に領土を縮小している。
第二次世界大戦では、1941年にブルガリアはハンガリー、ルーマニアとともに枢軸国となった。

そしてドイツにユーコスラビアとギリシアが降伏すると、この両国をブルガリアは占領統治している。

しかしソ連の侵攻によって敗戦国となり、1946年には王政が廃止されて共産党による社会主義国となった。
1947年にパリ講和条約を結び、コミンフォルム・コメコン・ワルシャワ条約機構に参加し、親ソ連の状況が続く。

しかし1989年に起こった東欧革命(東欧社会主義圏の消滅)の波はブルガリアにも波及し、民主化が行われた。
その後は2004年に北大西洋条約機構(NATO)に、2007年にルーマニアとともに欧州連合(EU)に加盟している。


ブルガリアは、第二次世界大戦前は農業国であったが、戦後は一連の5ヵ年計画によって工業化が進み、機械、金属、化学、繊維など各種の工業が発展した。
農業も集団化、機械化のもとで、コムギを中心とした穀物、タバコ、ヒマワリなどの工芸作物、ブドウなどの果物の栽培、牧畜が行なわれた。

1990年以降国営企業の民営化、集団農場の私有化が進められている。
輸出は工業製品が 80%近くを占めたが、主要相手国であったソビエト連邦の崩壊後は低迷している。