国名 ブルガリア共和国                        
英語 Republic of Bulgaria  
首都 ソフィア  
独立年 -  
主要言語 ブルガリア語  
面積 (千Km2) 111  
人口 (百万人) 7.3  
通貨単位 レフ  
宗教 ブルガリア正教、回教  
  カトリック、新教等   
主要産業 農業(穀物・酪農)  
  工業(化学・石油化学、食品加工)       
         
         
ツァレヴェッツの丘(Tsarevets hill)

ソフィアから東北へ240キロ、ヴェリコ・タルノヴォ(Veliko Tarnovo)は第二次ブルガリア帝国(1187-1393年)の首都として栄えた都市。
旧市街のメインストリートの先で行き着くのがこのツァレヴェッツの丘である。

帝国時代には、この丘全体が宮殿だったが、オスマン帝国の猛攻によって全て瓦礫の山と化してしまった。
現在は城の一部が復元され、旧市街を眺める観光スポットのひとつとなっている。
   
         



地理

国土の3分の2は、標高500メートル以下の地域で、
山地は国土の約3分の1を占める。

中央に東西に延びるバルカン山脈が、ブルガリアを南北2地域に分けている。

平原はこの山脈の北のドナウ平原(国土の4分の1)と、南のトラキア平原がある。

南西部から南部にかけては、リラ山脈、ピリン山脈、ロドピ山脈などの連なる
山岳地帯で、バルカン半島の最高峰ムサラ山(2925メートル)がある。

国土面積に比して多いといわれる川は、ドナウ川をはじめ、イスクル川、ストルマ川、
マリツァ川、ヤントラ川などで、水力発電、灌漑用水などに利用されている。

気候は弱い大陸性気候に属し、年平均気温は12℃である。
森林面積は国土の約30%で、その4分の3はカシ、ブナの広葉樹である。


ブルガリアは、第二次世界大戦前は農業国であったが、戦後は一連の5ヵ年計画に
よって工業化が進み、機械、金属、化学、繊維など各種の工業が発展した。

農業も集団化、機械化のもとで、コムギを中心とした穀物、タバコ、ヒマワリなど
の工芸作物、ブドウなどの果物の栽培、牧畜が行なわれた。

1990年以降国営企業の民営化、集団農場の私有化が進められている。
輸出は工業製品が80%近くを占めたが、主要相手国であったソ連の崩壊後は低迷している。






歴史

BC1000年頃、バルカン半島の南東、ドナウ川南岸地方に農耕牧畜民族
トラキア人(Thracians)が居住していた。

BC512年、アケメネス朝ペルシアに征服されるが、ペルシア戦争でペルシアが敗退すると、
BC480年、トラキア人の部族オドリュサイ族(Odrysian)のテレス
(Teres I 在位BC480~BC430)がオドリュサイ王国(Odrysian kingdom)を建国。

ギリシアの影響を受け、独自の高度な文化を築いた。


BC342、マケドニアに征服されて衰退するが、BC323年、アレクサンドロス大王の死後、
マケドニアが衰退すると、BC320年、セウテス3世(Seuthes III 在位BC341~BC300)が勢力を持ち、
セウトポリス(Seuthopolis 現在のブルガリア中央部)を建都し繁栄を誇った。

46年にローマ帝国に征服され、オドリュサイ王国は滅亡、トラキアはローマ属州となった。

395年、ローマ帝国の分裂後、トラキアは東ローマ帝国の支配下となった。

400年以降、トラキアに移動してきたのが南スラブ人であり、600年以降には、
この地域の多くはスラブ人の居住地域となっていった。



670年、遊牧民族ブルガール人が、中央アジアからドナウ川をわたって侵入し、
東ローマ帝国と戦い、681年、ブルガリア帝国を建国した。

(このブルガール人とスラブ人が混ざり合い、現在のブルガリア人になっていったと考えられる)


1018年、ブルガリア帝国は再び東ローマ帝国に征服されるが、
1187年再建され、その後領土を拡大して最盛期を迎えた。


1393年、オスマン帝国の来襲を受け、ブルガリアはオスマン帝国の支配下に置かれた。

1878年、露土戦争でオスマン帝国が敗北すると、自治権を獲得し、ブルガリア公国が誕生。


1908年、オスマン帝国内で、立憲制を要望する青年トルコ党による
クーデターが発生。(青年トルコ革命)

これを機に、ブルガリアは念願の完全独立を果たし、ブルガリア王国が成立した。

1946年、王政を廃止し、ブルガリア人民共和国が成立。
1990年、ブルガリア共和国に国名改称。




BC342年  アンティゴノス朝マケドニアがブルガリア地域(トラキア)を支配
64年  ローマ属州としてローマ帝国の支配下になる
681年  遊牧民族ブルガール人(Bulgar)が侵入し、第一次ブルガリア帝国を建設 (~1018年) 
1018年  東ローマ帝国に征服される 
1187年 第二次ブルガリア帝国成立(~1393年)
1393年 オスマン帝国による占領(~1878年)
1877年  ロシア・トルコ(露土)戦争 
1878年 サン・ステファノ条約。オスマン帝国内の自治領(ブルガリア公国
1908年  青年トルコ革命。ブルガリア独立宣言。ブルガリア王国成立 
1912年  第一次バルカン戦争でオスマン帝国と戦い領土を拡張 
1913年  第二次バルカン戦争に敗れてセルビア、ルーマニア、ギリシア、オスマン帝国に領土を奪われる 
1915年  第一次世界大戦では同盟国陣営に加わって参戦
1919年  ブルガリアは敗戦国となり、ヌイイ条約で領土を大幅に減少させた 
1941年  第二次世界大戦では枢軸国の一員として参戦 
1946年 王政廃止。王政を廃止し、ブルガリア人民共和国が成立。社会主義国へ
1946年 パリ講和条約。コミンフォルム・コメコン・ワルシャワ条約機構参加
1990年 ブルガリア共和国に国名改称
2004年 NATO加盟
2007年 EU加盟






バラ祭り

首都ソフィアから車で3時間、ブルガリアのほぼ中心に位置する都市カザンラク(Kazanlak)

ここは「バラの谷」と呼ばれ、ローズオイル生産の世界的中心地として知られる。
高級ブランドの香水に使用されるバラのうち7~8割はブルガリア産のバラである。

見渡す限りのバラ畑で、手摘みで採取するのは途方もない労力と時間が要るという。

しかも、3.5トンの花びらから、たった1kgのローズオイルしか作れないというから、
少々値段が高くなるのも無理はないのかもしれない。

6月の収穫期に開催されるバラ祭には、毎年数万人の観光客で賑わい、色とりどりの
衣装を着た民族舞踊や歌が披露され、一年に一度の盛り上がりを見せている。


またカザンラク市には、世界で唯一と言われるバラの博物館がある。
バラとローズオイルに関わる展示品が1万点以上も並べられている。

エッセンシャルオイルやクリーム、バラの花がデザインされた布製品や入れ物など、
多くのバラ関連商品も販売されている。ちょっとしたお土産にもおすすめだ。