国名 デンマーク王国                      
英語 Kingdom of Denmark  
首都 コペンハーゲン  
独立年 -  
主要言語 デンマーク語  
面積 (千Km2) 43  
人口 (百万人) 5.6  
通貨単位 デンマーク・クローネ  
宗教 福音ルーテル派(国教)  
主要産業 流通・運輸、製造、不動産  
         


ニュータウン(New Town)

都市の過密化への対策として、国王クリスチャン5世によって1670年代、郊外に建設された。
コペンハーゲンでいちばん賑わいがあり、飲食店やアンティークショップなどのカラフルな建物が軒を連ねている。
また埠頭となる運河があり、ヨットや観光船が行き来している。



地理

ユトランド半島北部と、スカゲラク海峡とバルト海の間に浮かぶフュン島、
シェラン島、ロラン島、ボンホルム島および周辺の島々からなる国。

ほかに大西洋上のフェロー諸島、グリーンランドを領有する。

一院制の立憲君主制。公用語のデンマーク語はほかの北欧諸語とともに
ゲルマン語派の北ゲルマン群(ノルド諸語)を形成。

国民の 8割はルター派プロテスタント信者。


国土は氷河に削られ、なだらかな平原と丘陵からなり、最高点でも標高 200mに達しない。

ユトランド半島西海岸は偏西風の影響を受け、曇天や小雨の日が多く、
夏は冷涼(7月平均 16℃)であるが、冬は比較的温暖(1月平均 0℃)。

東海岸地方は西海岸地方より寒暖の差が激しい。


かつては農業と酪農が産業の主体であったが、1870年代に入って工業がおこり、
第2次世界大戦後に急速に発展、1960年には工業生産が農業生産を追い抜くにいたった。

食品、医薬品、金属、輸送機器をはじめ、衣類、木製品、家具、電気器具などを生産する。

主要貿易相手国は、ドイツ、スウェーデン、オランダなど。
21世紀に入って、産業の中心はサービス部門に移っている。

1973年ヨーロッパ共同体 EC(ヨーロッパ連合 EU)に加盟。

小国ながら古い歴史と高い文化教育水準を誇り、優れた科学者、文化人が多数輩出。
福祉制度、医療制度も全世界に知られる。

北大西洋条約機構 NATO原加盟国



歴史
375年 デーン人(Danes)がユトランド半島に移住
804年 デーン人が、ユトランド半島にデンマーク王国を建国
911年 デーン人の首長ロロ(Rollo)に率いられた一派が北フランスに進出。ノルマンディー公国を建国
1016年 デーン人のクヌート1世(Cnut the Great)がイングランドを征服してデーン朝を建国
1028年 ノルウェー王国を併合。北海帝国(North Sea Empire)の成立
1066年 デーン人のウィリアム1世(William I)が、イングランドにノルマン朝創始。(ノルマン・コンクェスト Norman Conquest)
1380年 アイスランドとグリーンランドを領有する
1397年 カルマル同盟(Kalmar Union)の結成。デンマーク連合王国の成立
1429年 海峡税の導入年
1429年 ハンザ・デンマーク戦争(Dano-Hanseatic War ~1435)年
1435年 ヴォーディンボー条約(Peace of Vordingborg)ハンザ同盟の海峡税免除年
1523年 カルマル同盟が解消となる7年
1618年 三十年戦争。デンマークはプロテスタントを支援。ハプスブルク家に敗北
1815年 ノルウェーをスウェーデンに割譲。デンマーク連合王国解消。デンマーク王国
1849年 憲法発布、二院制議会の設置
1864年 デンマーク戦争で、シュレスヴィヒ・ホルシュタインを失う
1944年 アイスランド共和国独立
1945年 第二次世界大戦終了によりドイツの占領から解放
1949年 NATO加盟(原加盟国)
1953年 憲法改正、一院制議会へ
1973年 EC加盟
1979年 グリーンランド自治領へ



804年、デーン人の王ゴドフレド(Gudfred 在位804~810)が、ユトランド半島とその周辺を支配下におき、デンマーク王国を建国した。

911年、デンマーク王国は北欧の強国となり、北フランスを略奪してノルマンディー公国を建国した。

その後、デンマーク王国はクヌート1世(Cnut the Great 在位1018~1035)によって統一され、クヌート1世は、
1016年にイングランドを征服(在位1016~1035)し、
デーン朝を成立させ、1028年にはノルウェーも統一(在位1028~1035)した。
その結果、デンマークからノルウェー、イングランドにまたがる北海帝国が成立している。

10世紀前半にはキリスト教化も進行した。
11世紀末から 14世紀にかけて、内乱と外圧、およびハンザ同盟による経済的支配に悩まされた。

14世紀後半バルデマール4世の頃から強大となり、娘マルグレーテは 1397年、婚姻政策を背景に、
北欧三国によるカルマル同盟を成立させ、ハンザ同盟に対する一大勢力となった。

1523年、スウェーデンがグスタフ1世の指導によって反乱を起し、分離独立した。

16世紀にはルター派の国教会制度を導入し、同世紀末クリスティアン4世のもとで強化された王権は
17世紀後半、フレデリック3世の治下、貴族の勢力を押え、
市民階級の支持を得て絶対王政を確立し、重商主義政策と平和主義政策を維持した。

スウェーデンの独立後も長くノルウェーを支配した。

18世紀後半農民解放、出版の自由、義務教育など啓蒙的専制君主の改革の時代を経て 19世紀中頃、
フランス七月革命の影響もあって立憲君主制に移行した 。

1815年、ノルウェーをスウェーデンに割譲し、1864年には、デンマーク戦争でプロイセン・オーストリアに敗北、
シュレスヴィヒ、ホルシュタイン両国に対する一切の権利を失った。

デンマークに属するシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州(Schleswig・Holstein)は、
北海とバルト海の間の物資輸送の重要な拠点であった。

両国には、ドイツ人が多く居住していた。

デンマーク戦争(1864年)は、ドイツ統一を目指すという名目で、プロイセンと
オーストリアがデンマークに割譲を迫ったことからはじまった。

デンマークは戦争に敗北し、シュレスヴィヒはプロイセン、
ホルシュタインはオーストリアが管理することとなった。

その後、1866年、オーストリアが管轄するホルシュタインに、
プロセイン軍が侵入したことから勃発したのが「普墺戦争」である。


労働組合を基礎とする社会民主党の政権下に第一次世界大戦中は中立を維持したが、
第二次世界大戦中はナチス・ドイツの侵略を受け占領された。

大戦中、ナチス・ドイツに対するレジスタンスが果敢に行われた。
戦後は中立政策の伝統を破って、1949年、北大西洋条約機構に加盟、1973年にはヨーロッパ共同体 (EC) に加盟した。






北欧史

スカンディナビア半島は、紀元前1万年頃まで氷床に覆われていた。

氷河期が終わり、最初の人類の痕跡は紀元前8000年頃とされている。

氷が溶けてスカンディナビアの海岸線が現れると、ドイツ北部の森林から
野生のトナカイが氷河に向かって北上し、それを追ってトナカイ漁師たちが
この地にやって来たのである。


サーミ人(Sami)は、スカンディナビア半島に最初に移住した民族である。
彼らの話す言語(サーミ語 Finno-Samic)から、原住地はウラル山脈と推定される。

寒冷のため、農業や牧畜は不可能であり、主として狩猟とトナカイの遊牧を生活手段とし、
紀元前2000年頃には、スカンディナビア半島北部地域に定住を完了した。


紀元前400年頃、先住民族サーミ人の次に、スカンディナビア半島に流入してきたのは、
ゲルマン系ノルマン人(Norman)である。

ノルマン人たちは、険しい内陸部ではなく、半島沿岸部に定住した。

先住民族のサーミ人たちは、ノルマン人の支配下となり、税金が強制された。
税金は、主としてトナカイやアザラシの毛皮などで支払われた。


ノルマン人たちは漁業で糊口をしのぎ、航海技術を発達させると、やがて交易活動に励むようになる。

交易品は、サーミ人から取り上げた毛皮、そして鯨油や干しダラなどの特産品だった。
行き先は、西ヨーロッパ、ロシア、果ては北アメリカまで遠征した。

彼らは商人として交易活動を主体としていたが、商談が決裂した場合などは、
海賊行為や略奪を行うこともあった。

やがて彼らはバイキング(Viking)と呼ばれるようになった。
当時の遠隔地交易は危険が多く「商人=戦士」でないと、務まらなかったのである。

こうして彼らのバイキング活動により、金品や奴隷、そしてキリスト教が半島にもたらされた。



一方、西ヨーロッパでは、375年、ゲルマン民族の大移動が始まり、
ゲルマン系デーン人(Danes)がユトランド半島に到来する。

このデーン人の侵入により、先住民族であったゲルマン系アングロ・サクソン人
(Anglo-Saxons)は、ドーバー海峡を越え、ブリテン島への移動を余儀なくされた。

さらにブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人により、先住民族であった
ケルト人が西方のアイルランドへ追いやられてしまうのである。

829年、アングロ・サクソン人たちはイングランド王国(Kingdom of England)を建国する。
イングランドとは「アングロ・サクソン人の土地」という意味である。


804年、デーン人は、ユトランド半島を中心にデンマーク王国を建国した。

800年代、北欧はバイキング時代を迎えていた。
デーン人もバイキングとして、主にフランク王国が支配する西ヨーロッパ地域一帯を侵略した。

カール大帝の死去により、王国が分裂し弱体化していた当時のフランク王国は、
バイキングたちの絶好のターゲットとされたのである。


やがて西フランク王シャルル3世(Charles III)は、やっかいなデーン人を手なづけるために、一策を案じた。

911年、デーン人の首長ロロ(Rollo)に対して、主従関係を結ぶことを条件に、セーヌ川の下流のノルマンディーに
領土を与えて定住を許したのである。(ノルマンディー公国の成立)

こうしてノルマンディー公ロロは、フランス内の諸侯となり、形式上、フランス国王の臣下となった。


ロロから6代目の子孫が、ノルマン朝(House of Normandy)を創始したウィリアム1世(William I)である。

1066年、ノルマンディー公国のウィリアム1世は、ブリテン島に侵攻。
歩兵中心のイングランド軍に対し、ノルマン軍は「ノルマン騎士」とよばれる騎士軍が主力部隊だった。

へイスティングスの戦い(Battle of Hastings)で勝利を収めると、ウィリアム1世は、
イングランド国王として即位し、ノルマン朝を開いた。(1066年)

この出来事は、のちにノルマン・コンクェスト(Norman Conquest ノルマン人の征服)と呼ばれている。

ウイリアム1世は、ノルマンディーも領地としたため、フランス国土のなかにイングランド領が生まれることになった。





872年、ノルマン人のハーラル1世(Harald Fairhair)がスカンディナビア半島西南部を統一、
ノルウェー王国を建国した。

この時期、ノルマン人は、積極的に北方へと進出しており、スコットランド周辺の島々に
いくつかの植民地を建設している。


860年には、ノルマン人のバイキングがアイスランドを発見しており、
これ以降アイスランドには、ノルマン人の移住者が続々と入植していった。

その後、985年には、グリーンランドが発見され、ここでもただちに入植がはじまっている。



970年には、スヴェア人(Svear)のエリク6世(Eric the Victorious)がスウェーデン中部の
スヴェアランド地方(Svealand)にスウェーデン王国を建国している。

スヴェア人は、ノルマン人と同じく古ノルド語を言語とするゲルマン民族である。
スヴェア人が、スウェーデンの地に入植した時期については、歴史的資料がなく定かではない。

だが7世紀に作成されたゲルマン叙事詩ベオウルフ(Beowulf)によれば、紀元500年には
スヴェアランド地方に、スウェーデンの最初の国家が建設されていたとされる。


ロシア原初年代記によれば、862年、スヴェア人の族長リューリク(Rurik)が、スヴェア人を率いて
バルト海を渡り、ロシア北西部にノブゴロド王国(Novgorod)を建国、これがロシアの起源と伝えられる。

その後、リューリクが亡くなり後継者となったオレグ(Oleg)が、882年にド二エプル川のキエフを占領、
キエフ公国(Kievan Rus)を建国したとされている。

スウェーデン王国は、その後12世紀に北方十字軍の名のもとにフィンランドに進出して併合している。



フィン人(Finns)は、フィンランドの先住民族である。

フィン人の発祥の地は、彼らの話す言語(フィン語 Finno-Ugric)から、
ウラル山脈の南部に広がる平原であると推定されている。

紀元前700年頃、フィン人はフィンランド西南部に移住を完了し、
狩猟と漁業に基づく部族的性格をもった社会を形成していた。

1114年、スウェーデン王エリック9世(Eric IX)は、十字軍の名のもとに
フィンランドに攻め入ると、フィン人の部族を次々と支配下に入れた。

スウェーデンはカトリックを信奉する国家であり、フィンランド侵攻は、
異教徒の制圧を大義名分としていた。しかし実際は勢力拡大が主目的であった。

これ以降フィン人はスウェーデン支配を約600年受けることになった。




一方、デンマーク王国はクヌート1世(Cnut the Great 在位1018~1035)が、
1016年にイングランドを征服し、デーン朝を成立させた。

1028年にはノルウェーも統一(在位1028~1035)した。
その結果、デンマークからノルウェー、イングランドにまたがる北海帝国が成立している。

しかし、クヌートの死後にイングランドではアングロ・サクソン系の国が復活し、
ノルウェーも12世紀末には独立を回復している。



ノルウェー王国は、13世紀後半にグリーンランドにまで支配を広げ最盛期を迎えた。

だが、ドイツのハンザ商人によってベルゲン(Bergen)地方がハンザ同盟(Hanseatic League)の拠点となり、
ノルウェー海の海産物はハンザ商人によって独占されるようになった。

バルト海やノルウェー海は、古くから交易の海だった。
木材や海産物、毛皮などが沿岸の港から積み出され、遠く西ヨーロッパへと運ばれていた。

だが北欧三国が握っていたこれらの交易の主導権は、新たに勃興したハンザ同盟に奪われてしまったのである。




このハンザ同盟に対抗するため、スウェーデンとノルウェーは1397年にデンマーク女王
マルグレーテ(Margaret I)のもとでカルマル同盟(Kalmar Union)を結成した。

北欧三国はデンマーク連合王国として同君連合となった。



1429年、デンマークはハンザ同盟を封じ込めるため、北海からバルト海へ抜ける海峡の通行に課税しようとした。
だがこのことから、ハンザ海軍との間で戦争状態になった。(ハンザ・デンマーク戦争)

この戦争はハンザ海軍が勝利し、無税で海峡航行権を得た。
デンマークは、この戦費を賄うためにノルウェー・スウェーデンに重税を課したため不満が高まった。

1523年、スウェーデンで農民が反乱を起こし、スウェーデン政府はこの機に乗じて
デンマークから独立したため、カルマル同盟は解消されてしまった。

1815年には、デンマーク・ノルウェーの連合も解消されることになる。

グリーンランドとアイスランドについては、連合を通じて獲得したデンマークが
引き続き領有することとなった。



その後、スウェーデンは、デンマークにかわり、バルト海の覇権を握るようになる。
スウェーデンが台頭するきっかけをつくったのは、1618年に発生した三十年戦争だった。

当時、北欧三国ではドイツで起こった宗教改革の影響でプロテスタントを信奉する者が増えていた。

三十年戦争は、カトリックとプロテスタントの対立をきっかけに始まった戦乱だったが、
スウェーデンは、プロテスタント支援を名目に参戦した。

この戦争の結果、勝利したスウェーデンは、1648年のウェストファリア条約(Peace of Westphalia)
でバルト海南岸のドイツの領土を獲得した。


スウェーデンは、バルト海を手中に収め、大国への道を歩みはじめた。
かわりにドイツのハンザ同盟は衰退していくことになった。


絶頂期を迎えたスウェーデンは、ほどなくして衰退の時代を迎える。

バルト海交易への参画を熱望していたロシアは、スウェーデンを包囲するため、
ポーランド、デンマークと秘密裏に同盟を結んだのだ。

1700年、同盟諸国とスウェーデンの間で北方戦争(The Northern War 1700-1721年)がはじまった。

この戦争で、スウェーデンは敗北し、多くのバルト海沿岸の土地を失ってしまう。
1809年には、フィンランドをロシアに奪われ、大国の地位から転落してしまった。


フィンランドはその後、長くロシアの支配下にあったが、1917年のロシア革命を機に
フィンランド共和国として独立を達成した。

長らくデンマークの支配下にあったアイスランドは、第二次世界大戦中の1944年に独立を果たした。


1956年、サーミ人の待遇改善を目指す北欧三国のサーミ評議会が設置された。

サーミ人の居住する地域は、北欧三国の領土として分割され、長い間差別や迫害を
受けてきた地域であった。

各国政府は、サーミ人の人権保障実現に向けて積極的に取り組むようになり、
現在では、彼らの最古の先住民族としての立場が十分に尊重されるようになった。



デンマークは戦後、経済成長を遂げ、造船、機械工業を基礎とした先進的工業国となった。

また、コペンハーゲンをはじめ、美しい街並みや自然の景観にすぐれ、年間を通して
数多くの観光客が訪れる屈指の観光大国となっている。

ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧三国も、様々な歴史を歩んできたが、
戦後は、豊かな森林資源を背景にそれぞれ先進工業国に成長している。

また世界に冠たる社会保障制度をもつ福祉国家としても知られるようになった。







クロンボ―城 (Kronborg Castle)


中世の時代、バルト海沿岸は海上交易の拠点であった。

木材や海産物などが沿岸の港から積み出され、遠く西ヨーロッパへと運ばれていた。

商船がバルト海へ向かうには、デンマーク東岸の狭い海峡を通航することになる。

通航する商船は、いったん東岸に停泊してデンマーク王国に通航税を支払っていた。


商船から通航税を厳しく徴収していたのがクロンボ―城である。
通航税を支払わない船には、城の砲台から大砲が浴びせられたという。

この悪名高い通航税をめぐって、この海峡一帯は、幾度も紛争が繰り返された。
しかし、通航税の徴収は約400年間も継続され、1857年、ようやく廃止になった。

この通航税は、当時のデンマーク王国の歳入の実に三分の二を占めていたという。


コペンハーゲンの北約40㎞にある四角形のクロンボ―城は、シェイクスピアの
「ハムレット」の舞台としても有名で、ユネスコの世界遺産に登録されている。

城の中には、デンマーク王や王妃の部屋が当時の調度品とともに公開されている。
中庭では、シェイクスピアの野外劇も披露され、多くの観光客を惹きつけている。

(住所:Kronborg 2C, 3000 Helsingor, Denmark)









妖精ニッセ (Nisse)


デンマークの妖精で農家の守護神とされている。
背丈は小さな子供くらいで、濃紺の服をまとい、長いあごひげをはやしている。

農家の食糧貯蔵庫や納屋を住処にしており、畑仕事や子供たちの面倒を見て、
夜、家の人たちが眠っている間に、災いから守ってくれると信じられている。

クリスマスの時期にはサンタの手伝いをして、子供たちに贈り物を運んだりもする。

そんなニッセの大好物と言われているのが、ミルク粥とバター。
クリスマスイブの夜に、子供たちはこれらを暖炉の近くに置いておく。

これは彼らが、煙突から暖炉を通って家のなかに入ってくるからである。

Carol Rose (Spirits, Fairies, Leprechauns, and Goblins: An Encyclopedia)