国名 デンマーク王国
英語 Kingdom of Denmark
首都 コペンハーゲン
独立年 -
主要言語 デンマーク語
面積 (千Km2) 43
人口 (百万人) 5.6
通貨単位 デンマーク・クローネ
宗教 福音ルーテル派(国教)
主要産業 流通・運輸、製造、不動産、ビジネスサービス


歴史
BC4世紀 北ゲルマン系のノルマン人が北欧の地に定着。
8世紀後半 ノルマン人は、海外に通商、略奪、探検で進出し、アイスランド、グリーンランドへと移住。(ヴァイキングの時代)
804年 デーン人が、ユトランド半島にデンマーク王国を建国
911年 首長ロロに率いられた一派が北フランスに進出。ノルマンディー公国を建国
1016年 クヌートがイングランド征服。その後、ノルウェーも支配してデーン朝を建国(北海帝国)
1066年 ノルマンディー公ウィリアム1世、イングランドにノルマン朝創始。(ノルマン・コンクェスト)
1380-1814年 ノルウェーと同君連合形成。デンマーク・ノルウェー王国成立。アイスランドはデンマーク領に
1397年 マルグレーテ1世の下、北欧三国によるカルマル連合成立(~1523年)
1618年 三十年戦争。デンマークはプロテスタントを支援。ハプスブルク家に敗北
1815年 ノルウェーをスウェーデンに割譲。デンマーク・ノルウェー王国解消
1849年 憲法発布、二院制議会の設置
1864年 デンマーク戦争で、シュレスヴィヒ・ホルシュタインを失う
1944年 アイスランド共和国独立
1945年 第二次世界大戦終了によりドイツの占領から解放
1949年 NATO加盟(原加盟国)
1953年 憲法改正、一院制議会へ
1973年 EC加盟
1979年 グリーンランド自治領へ
1992年 国民投票でマーストリヒト条約批准を否決
1993年 再国民投票でマーストリヒト条約批准を可決
2000年 国民投票でユーロ参加を否決


ニュータウン(New Town)
都市の過密化への対策として、国王クリスチャン5世によって1670年代、郊外に建設された。
コペンハーゲンでいちばん賑わいがあり、飲食店やアンティークショップなどのカラフルな建物が軒を連ねている。
また埠頭となる運河があり、ヨットや観光船が行き来している。




804年、デーン人の王ゴドフレド(Gudfred 在位804~810)が、ユトランド半島とその周辺を支配下におき、デンマーク王国を建国した。

911年、デンマーク王国は北欧の強国となり、北フランスを略奪してノルマンディー公国を建国した。

その後、デンマーク王国はクヌート1世(Cnut the Great 在位1018~1035)によって統一され、クヌート1世は、1016年にイングランドを征服(在位1016~1035)し、デーン朝を成立させ、1028年にはノルウェーも統一(在位1028~1035)した。
その結果、デンマークからノルウェー、イングランドにまたがる北海帝国が成立している。

10世紀前半にはキリスト教化も進行した。
11世紀末から 14世紀にかけて、内乱と外圧、およびハンザ同盟による経済的支配に悩まされた。

14世紀後半バルデマール4世の頃から強大となり、娘マルグレーテは 1397年、婚姻政策を背景に、北欧三国によるカルマル同盟を成立させ、ハンザ同盟に対する一大勢力となった。

1523年、スウェーデンがグスタフ1世の指導によって反乱を起し、分離独立した。

16世紀にはルター派の国教会制度を導入し、同世紀末クリスティアン4世のもとで強化された王権は 17世紀後半、フレデリック3世の治下、貴族の勢力を押え、市民階級の支持を得て絶対王政を確立し、重商主義政策と平和主義政策を維持した。

スウェーデンの独立後も長くノルウェーを支配した。

18世紀後半農民解放、出版の自由、義務教育など啓蒙的専制君主の改革の時代を経て 19世紀中頃、フランス七月革命の影響もあって立憲君主制に移行した 。

1815年、ノルウェーをスウェーデンに割譲し、1864年には、デンマーク戦争でプロイセン・オーストリアに敗北、シュレスヴィヒ、ホルシュタイン両国に対する一切の権利を失った。
労働組合を基礎とする社会民主党の政権下に第一次世界大戦中は中立を維持したが、第二次世界大戦中はナチス・ドイツの侵略を受け占領された。

大戦中、ナチス・ドイツに対するレジスタンスが果敢に行われた。
戦後は中立政策の伝統を破って、1949年、北大西洋条約機構に加盟、1973年にはヨーロッパ共同体 (EC) に加盟した。
1993年には国民投票で、ECの統合をさらに進めるマーストリヒト条約を承認した。





北欧史

8世紀後半から、スカンディナビア半島やユトランド半島を現住地とするノルマン人(北ゲルマン人)が移動を開始。
第2次ゲルマン民族移動ともいわれるこの移動では船が用いられ、航海術に優れていたノルマン人はヴァイキングとも呼ばれた。

デンマーク地方からイングランドに来襲したノルマン人はデーン人と呼ばれ、このデーン人が8世紀頃、ユトランド半島を中心に「デーン人の国」という意味のデンマーク王国を建国し、10世紀頃にはキリスト教に改宗したといわれる。

9世紀末にはスカンディナビア半島西部にノルウェー王国を、そして10世紀頃にはスカンディナビア半島東部にスウェーデン王国をノルマン人が建国している。
デンマーク王国はクヌート(Cnut the Great)によって統一され、クヌートは1016年にイングランドを征服し、デーン朝を成立させ、ノルウェーも統一した。

その結果、デンマークからノルウェー、イングランドにまたがる北海帝国が成立している。
しかし、クヌートの死後にイングランドではアングロ・サクソン系の国が復活し、ノルウェーも12世紀末には独立を回復している。

キリスト教を受容したスウェーデン王国は、12世紀に北方十字軍の名のもとにフィンランド(住民の大部分はウラル・アルタイ語系のフィン人)に進出して併合している。
しかし、国内では王と貢族の争いが続いて、徐々に弱体化が進んでいった。

ノルウェー王国は13世紀後半に最盛期を迎え、アイスランドを併合してグリーンランドにまでその支配を広げていた。
しかし、ドイツのハンザ商人によって立てられたベルゲン(Bergen)がハンザ同盟の四大商館の一つとなり、ノルウェー海の海産物はハンザ商人によって独占されるようになった。

(ハンザ同盟(Hanseatic League)
13世紀から16世紀にかけて北欧の商業圏を支配した北ドイツの都市同盟。
リューベック・ハンブルクなど北海・バルト海沿岸の諸都市が結成。
商業上の共同利益の保全、海上交通の安全保障、共同防衛などを目的とし、最盛期の14世紀後半には70を超える都市が参加した)


さらに、14世紀末には黒死病の流行もあって、ノルウェー王国は衰退していった。
そのような中、パルト海での貿易を中心に力をもつハンザ同盟に対抗するため、スウェーデンとノルウェーは1397年にデンマーク女王マルクレーテのもとでカルマル同盟を結成し、北欧3園はデンマーク連合王国として同君連合となった。

(カルマル同盟(Kalmar Union)
1397年、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの北欧三国が結成した同盟。
締結場所が現スウェーデンのカルマルであったので「カルマル同盟」と呼ばれる
三国はデンマークのマルグレーテを実質的女王とする同君連合となった。
建前は三国は対等であったが、実体はデンマークを盟主とする)

しかし、ヴァーサ朝を問いたグスタフ1世によって1523年にスウェーデンがデンマークから独立し、カルマル同盟は解消された。
そうして北欧3国はスウェーデン王国とデンマーク・ノルウェー王国に分かれる中、この地域ではドイツで起こった宗教改革の影響でルター派が広がっていった。


北欧3国の中で、デンマーク王国にとってかわるのがスウェーデン王国だった。
1618年にべーメン(ボヘミア)反乱をきっかけとして三十年戦争が起こると、デンマーク国王クリスチャン4世はプロテスタントを支援してこの戦争に参加した。
しかしハブスブルク家側の傭兵隊長ヴァレンシュタイン(Wallenstein)の活躍によって、デンマークは敗北した。

(三十年戦争(Thirty Years' War 1618年-1648年)
神聖ローマ皇帝王フェルディナント2世のプロテスタント圧迫が原因で、ボヘミアのプロテスタント反乱をきっかけに勃発した戦争。
デンマーク、スウェーデン、フランスがプロテスタント側で参戦したため、一躍、国際戦争の様相を呈した。
神聖ローマ帝国内の戦争であった最初の局面ではまだ宗教的対立による戦争という傾向が強かったが、外国勢力が介入してからは、政治的利害のほうが優越し、最終的にはオーストリア、スペインの両ハプスブルク家とフランスのブルボン家の対抗関係を主軸として戦われた。
主な戦場となったドイツは国土が荒廃し、皇帝権の弱化による諸邦の分裂と相まって、著しく近代化が遅れることになった)


このデンマークの敗北に対し、「北方の獅子」と呼ばれたスウェーデン国王クスタフ・アドルフは、バルト海での覇権を求めてデンマークと開戦した。
戦闘はスウェーデン軍が勝利したものの、グスタフは戦死し、和平工作を進めていたヴァレンシュタインも暗殺されてしまう。
この戦争の結果、勝利したスウェーデンは、1648年のウェストファリア条約でパルト海南岸の西ボンメルンとブレーメン大司教領を領有し「パルト帝国」と呼ばれるようになる。
スウェーデンはバルト海での商業権を獲得し、かわりにドイツのハンザ同盟は衰退していくことになる。

(ウェストファリア条約(Peace of Westphalia 1648年)
1648年、三十年戦争の講和条約。
①プロテスタントまたカルヴァン派の信仰が認められた。
②ドイツの約300の諸侯が独立。神聖ローマ帝国の実質的解体
③フランスは、ドイツからアルザス地方の大部分とその他の領土を獲得。④スウェーデンは北ドイツのポンメルンその他の領土を獲得。
⑤オランダの独立の承認(オランダ独立戦争の終結)
⑥スイスの独立の承認
なお、フランス(ルイ14世・マザラン)とスペイン間の戦争は継続され、両者の講和は遅れて1659年のピレネー条約で成立した。
ピレネー条約でフランスはアルトワを獲得、ルイ14世とスペイン王フェリペ2世の娘マリー・テレーズの婚姻を取り付けた。
またこの時イギリスはピューリタン革命の最中であったので、この条約には関わっていない)

こうして北欧3国のトップに立ったスウェーデンはバルト海を支配して、デンマーク・ノルウェー王国を脅かした。
ところが、思いもかけないところからスウェーデンはバルト海の覇者の地位を失う。

それは当時、後進国であったロシア、ピョートル1世の登場によるものだった。
バルト海の出口を求めるピョートル1世は、1700年にデンマーク・ポーランドと組んで、北方戦争を起こした。

スウェーデンのカール12世は「北方のアレクサンドロス」と呼ばれ、当初はスウェーデンが戦闘でも圧倒的に有利だった。
しかし1709年のポルタヴァの戦いでスウェーデンは敗北し、ロシアは1712年にパルト海をのぞむペテルブルクを建設して首都としている。
そして1721年のニスタット条約によって、スウェーデンは多くのバルト海沿岸の土地を失った。

(北方戦争(The Northern War 1700-1721年)
バルト海の支配権をめぐって、デンマーク・ポーランドと結んだロシアとスウェーデンとの間で行われた戦争。
当初はスウェーデンが優勢であったが、ポルタヴァの戦い(Battle of Poltava)を転機にピョートル大帝のロシアが勝利をおさめ、1721年のニスタット条約(Treaty of Nystad)でバルト海東岸を獲得、ペテルブルクを建設した)


北方戦争でバルト海の覇権を失ったスウェーデンは、フランス革命が起こるとナポレオンに敗北した。
そして、1807年のティルジット条約でロシアが大陸封鎖令(ベルリン勅令)へ参加する見返りに、ナポレオンはロシアのフィランド領有を認めた。
そのため1809年にスウェーデンはフィンランドをロシアに奪われている。

翌年にナポレオンの元帥であったベルナドット(彼のカール14世ヨハン。これがなんと現在も続くスウェーデンのベルナドット朝となる)が皇太子となっている。
しかし、ヘルナドットは反フランス、反ナポレオンの立場をとっていき、1813年10月のナポレオンを敗北させたライプチヒの戦い(諸国民戦争)での連合国軍の総司令官となり、ナポレオン戦争においてスウェーデンは戦勝国となった。
しかしウィーン会議において、スウェーデンはロシアからフィンランドを奪還することはできなかった。
しかしかわりに、1815年のウィーン議定書ではナポレオン側について敗北国となったデンマークからノルウェーを割譲させ、同君連合としている。

長く続いたデンマーク・ノルウェー王国は解消され、スウェーデン・ノルウェー王国がスカンディナビア半島の統一を進めていくことになる。
デンマークはノルウェーを失ったが、ノルウェー支配を通してグリーンランドやアイスランドなどの領有は続いていた。
また1848年に2月革命の影響で自由主義的憲法を発布し、立憲君主政となっている。

しかし、1864年にユトランド半島の二公国であるシュレスヴィヒ・ホルシュタインをめぐってプロイセン・オーストリアとデンマーク戦争が起こり、デンマークは敗北して両地域を失っている。
1866年に二院制議会となったスウェーデンは、1905年に平和にノルウェーの独立を認め、ノルウェーは立憲王国として独立している。

第一次世界大戦でスウェーデンはノルウェー、デンマークとともに中立を維持した。
そして大戦中に起こった1917年のロシア革命によって、フィンランドが独立と共和政の成立を宣言している。
第二次世界大戦が起こると、スウェーデンは最後まで中立を保ったものの、1940年4月にデンマーク・ノルウェーはドイツに占領された。

また1939年、フィンランドにはソ連が侵攻してソ連・フィンランド戦争が起こっている。
中立を維持し続けたスウェーデンは、デンマークとノルウェーが北大西洋条約機構(NATO)発足時の原加盟国になるのに対して、NATOに加盟しないなど、武装中立政策を貫いた。
これに対してスウェーデン・デンマーク・ノルウェーの3国は、1960年に発足したヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)の原加盟国となっている。
しかし、デンマークは1973年の拡大ECの際に、イギリス・アイルランドとともにヨーロッパ共同体(EC)に加盟して脱退した。

さらにスウェーデンも1995年のヨーロッパ連合(EU)への加盟によって脱退している。
ヨーロッパ連合(EU)に加盟したデンマーク・スウェーデンだが、2002年より導入された共通貨幣であるユーロを導入していない。

長らくデンマークの支配にあったアイスランドは、第二次世界大戦中に独立を果たしている。

第二次世界大戦が勃発し、あっという間にデンマークがドイツに占領されると、北大西洋におけるドイツに対する戦略重要拠点となるためにアイスランドにはイギリス・アメリカが駐留することとなった。

そのためアイスランドでは国民投票を行って、99%以上の賛成を得て、1944年にアイスランド共和国として独立を果たした。
そして1946年には国際連合にも加盟している。
また北大西洋条約にも加盟し、1980年には世界初の女性大統領フィンボガドッテイル大統領が誕生している。

歴史

ローマ帝国時代、デンマークに居住していたゲルマン諸族が民族移動期に各地に移動すると、スウェーデン南端のスコーネ(Skaneland)の故土から北方ゲルマン人に属するデーン人が移住してシェラン島(Zealand)、ユトラント半島に勢力を伸ばし、イェリング朝(House of Knytlinga)のもとで最初のデーン王国を形成した。

9~11世紀のヴァイキング時代、デーン王国は北欧の強国となり、さらに国王に率いられ北部沿岸イングランド、フランス西岸を略奪してノルマンディー公国を建設した。
10世紀前半にはキリスト教化も進行した。

11世紀末から 14世紀にかけて、内乱と外圧、およびハンザ同盟(Hanseatic League)による経済的支配に悩まされたが、14世紀後半、ヴァルデマー4世(Valdemar IV)の頃から強大となり、娘マルグレーテは 1397年、婚姻政策を背景にカルマル同盟(Kalmar Union)を成立させ、ハンザ同盟に対する一大勢力となった。

(ハンザ同盟は、ドイツを中心とし、北海・バルト海沿岸の商業都市が結成した都市同盟。
カルマル同盟は、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間で締結された同盟である)

1460年にはシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州(Schleswig Holstein)との同君連合を実現したが、1523年、スウェーデンがグスタフ1世(Gustav I)の指導によって反乱を起し、分離独立した。

16世紀にはルーテル派の国教会制度を導入し、同世紀末クリスチャン4世(Christian IV)のもとで強化された王権は 17世紀後半、フレデリク3世(Frederik III)の治下、貴族の勢力を押え、市民階級の支持を得て絶対王政を確立し、重商主義政策と平和主義政策を維持した。
スウェーデンの独立後も長くノルウェーを支配した。

18世紀後半、農民解放、出版の自由、義務教育など啓蒙的専制君主の改革の時代を経て 19世紀中頃、フランス七月革命の影響もあって立憲君主制に移行した。(1849年)

デンマークは、1814年、ノルウェーをスウェーデンに割譲し、1864年にはシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州両国に対する一切の権利を失ったが、農業を近代化し、酪農の協同組合化を通じて経済発展に努力し、ヨーロッパの思想、学芸への寄与も大きかった。

労働組合を基礎とする社会民主党の政権下に第1次世界大戦中は中立を維持したが、第二次世界大戦中はナチス・ドイツの侵略を受け占領された。
大戦中、ナチス・ドイツに対するレジスタンスが果敢に行われた。
戦後は中立政策の伝統を破って、1949年北大西洋条約機構に加盟、1973年にはヨーロッパ共同体 (EC) に加盟した。

1993年には国民投票で、ECの統合をさらに進めるマーストリヒト条約(Maastricht Treaty)を承認した。


デンマークは、かつては農業と酪農が産業の主体であったが、1870年代に入って工業が起こり、第二次世界大戦後に急速に発展、1960年には工業生産が農業生産を追い抜くにいたった。
現在、鉄鋼、金属、ディーゼルエンジン、船舶をはじめ農業用機械、電気器具、化学薬品などを生産し、イギリス、ドイツ、スウェーデン、アメリカ合衆国などへ輸出している。

1973年、ヨーロッパ共同体 ECに加盟。
小国ながら古い歴史と高い文化教育水準を誇り、すぐれた科学者、文化人を多数輩出。福祉制度、国民高等学校制度も全世界に知られている。