国名 フィンランド共和国                        
英語 Republic of Finland  
首都 ヘルシンキ  
独立年 -  
主要言語 フィンランド語、スウェーデン語  
面積 (千Km2) 338  
人口 (百万人) 5.4  
通貨単位 ユーロ  
宗教 福音ルーテル教(国教)、正教会(国教)  
主要産業 紙・パルプ等木材関連、金属・機械  
     
         
ヘルシンキ大聖堂(Helsinki Cathedral)

フィンランドの首都ヘルシンキは、フィンランド湾に臨む港湾都市。
1550年、スウェーデン王グスタフ1世により建設され、淡色の花崗岩による広い街路、公園、庭園が巧みに配置され、「北方の白い市」と呼ばれている。

ヘルシンキ大聖堂は、白亜の外壁と緑色のドームのコントラストが美しい大聖堂である。

ドイツ人建築家のカール・ルートヴィッヒ・エンゲルが設計し、1852年に竣工した。
当初はニコライ教会とよばれていたが、1959年に大聖堂が正式名称になった。現在も福音ルーテル派の総本山として機能している。
  



地理

北はノルウェー、東はロシア、北西はスウェーデンに接し、
南西はボスニア湾、南はフィンランド湾に面する。

国土の 3分の1は北極圏に属し、また 4分の3は森林に覆われている。

中部から北東部にかけて標高を増し、ハルティ山(Halti 1324m)が最高峰。
南部には湖沼が多い。


北極圏は冬が長く、気温は-30℃まで下がる。
夏は 5~7月と短いが、気温は 27℃まで上昇する。

南部はバルト海により温かい空気が保たれ、同緯度のシベリアや
グリーンランドより気温が高い。

年間降水量は南部で 600mm、その約 3分の1は雪。


植生はマツ、モミの針葉樹林帯が支配的で、これにシラカバ、ハンノキなどが加わる。
南端部ではカシなどを含む混交林となり、北部ではツンドラに変わる。

クマなど大形の野生動物は減少したが、オオジカは都市の近郊にもなお数多い。


産業は工業が発展し、森林資源をいかした製紙や木材加工が盛ん。

公用語はフィンランド語とスウェーデン語で、ほかにサーミ語を話す
少数のサーミ人が北部に住む。

一院制の国会と大統領をもつ。1995年ヨーロッパ連合 EUに加盟。



歴史
BC700年 フィン人がフィンランド西南部に定住
1114年 スウェーデン王による「十字軍」が始まり、キリスト教化すると共に、スウェーデンの支配を受ける
1809年 スウェーデン、フィンランドをロシアへ割譲
1917年 ロシアより独立、フィンランド共和国成立
1939年-1940年 対ソ戦争(スターリンの領土割譲を拒否したため始まった戦争。敗北し、領土の一部を失ったが独立は守り抜いた)
1948年 フィンランド・ソ連友好協力相互援助条約締結
1955年 国連加盟







北欧史

スカンディナビア半島は、紀元前1万年頃まで氷床に覆われていた。

氷河期が終わり、最初の人類の痕跡は紀元前8000年頃とされている。

氷が溶けてスカンディナビアの海岸線が現れると、ドイツ北部の森林から
野生のトナカイが氷河に向かって北上し、それを追ってトナカイ漁師たちが
この地にやって来たのである。


サーミ人(Sami)は、スカンディナビア半島に最初に移住した民族である。
彼らの話す言語(サーミ語 Finno-Samic)から、原住地はウラル山脈と推定される。

寒冷のため、農業や牧畜は不可能であり、主として狩猟とトナカイの遊牧を生活手段とし、
紀元前2000年頃には、スカンディナビア半島北部地域に定住を完了した。


紀元前400年頃、先住民族サーミ人の次に、スカンディナビア半島に流入してきたのは、
ゲルマン系ノルマン人(Norman)である。

ノルマン人たちは、険しい内陸部ではなく、半島沿岸部に定住した。

先住民族のサーミ人たちは、ノルマン人の支配下となり、税金が強制された。
税金は、主としてトナカイやアザラシの毛皮などで支払われた。


ノルマン人たちは漁業で糊口をしのぎ、航海技術を発達させると、やがて交易活動に励むようになる。

交易品は、サーミ人から取り上げた毛皮、そして鯨油や干しダラなどの特産品だった。
行き先は、西ヨーロッパ、ロシア、果ては北アメリカまで遠征した。

彼らは商人として交易活動を主体としていたが、商談が決裂した場合などは、
海賊行為や略奪を行うこともあった。

やがて彼らはバイキング(Viking)と呼ばれるようになった。
当時の遠隔地交易は危険が多く「商人=戦士」でないと、務まらなかったのである。

こうして彼らのバイキング活動により、金品や奴隷、そしてキリスト教が半島にもたらされた。



一方、西ヨーロッパでは、375年、ゲルマン民族の大移動が始まり、
ゲルマン系デーン人(Danes)がユトランド半島に到来する。

このデーン人の侵入により、先住民族であったゲルマン系アングロ・サクソン人
(Anglo-Saxons)は、ドーバー海峡を越え、ブリテン島への移動を余儀なくされた。

さらにブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人により、先住民族であった
ケルト人が西方のアイルランドへ追いやられてしまうのである。

829年、アングロ・サクソン人たちはイングランド王国(Kingdom of England)を建国する。
イングランドとは「アングロ・サクソン人の土地」という意味である。


804年、デーン人は、ユトランド半島を中心にデンマーク王国を建国した。

800年代、北欧はバイキング時代を迎えていた。
デーン人もバイキングとして、主にフランク王国が支配する西ヨーロッパ地域一帯を侵略した。

カール大帝の死去により、王国が分裂し弱体化していた当時のフランク王国は、
バイキングたちの絶好のターゲットとされたのである。


やがて西フランク王シャルル3世(Charles III)は、やっかいなデーン人を手なづけるために、一策を案じた。

911年、デーン人の首長ロロ(Rollo)に対して、主従関係を結ぶことを条件に、セーヌ川の下流のノルマンディーに
領土を与えて定住を許したのである。(ノルマンディー公国の成立)

こうしてノルマンディー公ロロは、フランス内の諸侯となり、形式上、フランス国王の臣下となった。


ロロから6代目の子孫が、ノルマン朝(House of Normandy)を創始したウィリアム1世(William I)である。

1066年、ノルマンディー公国のウィリアム1世は、ブリテン島に侵攻。
歩兵中心のイングランド軍に対し、ノルマン軍は「ノルマン騎士」とよばれる騎士軍が主力部隊だった。

へイスティングスの戦い(Battle of Hastings)で勝利を収めると、ウィリアム1世は、
イングランド国王として即位し、ノルマン朝を開いた。(1066年)

この出来事は、のちにノルマン・コンクェスト(Norman Conquest ノルマン人の征服)と呼ばれている。

ウイリアム1世は、ノルマンディーも領地としたため、フランス国土のなかにイングランド領が生まれることになった。





872年、ノルマン人のハーラル1世(Harald Fairhair)がスカンディナビア半島西南部を統一、
ノルウェー王国を建国した。

この時期、ノルマン人は、積極的に北方へと進出しており、スコットランド周辺の島々に
いくつかの植民地を建設している。


860年には、ノルマン人のバイキングがアイスランドを発見しており、
これ以降アイスランドには、ノルマン人の移住者が続々と入植していった。

その後、985年には、グリーンランドが発見され、ここでもただちに入植がはじまっている。



970年には、スヴェア人(Svear)のエリク6世(Eric the Victorious)がスウェーデン中部の
スヴェアランド地方(Svealand)にスウェーデン王国を建国している。

スヴェア人は、ノルマン人と同じく古ノルド語を言語とするゲルマン民族である。
スヴェア人が、スウェーデンの地に入植した時期については、歴史的資料がなく定かではない。

だが7世紀に作成されたゲルマン叙事詩ベオウルフ(Beowulf)によれば、紀元500年には
スヴェアランド地方に、スウェーデンの最初の国家が建設されていたとされる。


ロシア原初年代記によれば、862年、スヴェア人の族長リューリク(Rurik)が、スヴェア人を率いて
バルト海を渡り、ロシア北西部にノブゴロド王国(Novgorod)を建国、これがロシアの起源と伝えられる。

その後、リューリクが亡くなり後継者となったオレグ(Oleg)が、882年にド二エプル川のキエフを占領、
キエフ公国(Kievan Rus)を建国したとされている。

スウェーデン王国は、その後12世紀に北方十字軍の名のもとにフィンランドに進出して併合している。



フィン人(Finns)は、フィンランドの先住民族である。

フィン人の発祥の地は、彼らの話す言語(フィン語 Finno-Ugric)から、
ウラル山脈の南部に広がる平原であると推定されている。

紀元前700年頃、フィン人はフィンランド西南部に移住を完了し、
狩猟と漁業に基づく部族的性格をもった社会を形成していた。

1114年、スウェーデン王エリック9世(Eric IX)は、十字軍の名のもとに
フィンランドに攻め入ると、フィン人の部族を次々と支配下に入れた。

スウェーデンはカトリックを信奉する国家であり、フィンランド侵攻は、
異教徒の制圧を大義名分としていた。しかし実際は勢力拡大が主目的であった。

これ以降フィン人はスウェーデン支配を約600年受けることになった。




一方、デンマーク王国はクヌート1世(Cnut the Great 在位1018~1035)が、
1016年にイングランドを征服し、デーン朝を成立させた。

1028年にはノルウェーも統一(在位1028~1035)した。
その結果、デンマークからノルウェー、イングランドにまたがる北海帝国が成立している。

しかし、クヌートの死後にイングランドではアングロ・サクソン系の国が復活し、
ノルウェーも12世紀末には独立を回復している。



ノルウェー王国は、13世紀後半にグリーンランドにまで支配を広げ最盛期を迎えた。

だが、ドイツのハンザ商人によってベルゲン(Bergen)地方がハンザ同盟(Hanseatic League)の拠点となり、
ノルウェー海の海産物はハンザ商人によって独占されるようになった。

バルト海やノルウェー海は、古くから交易の海だった。
木材や海産物、毛皮などが沿岸の港から積み出され、遠く西ヨーロッパへと運ばれていた。

だが北欧三国が握っていたこれらの交易の主導権は、新たに勃興したハンザ同盟に奪われてしまったのである。




このハンザ同盟に対抗するため、スウェーデンとノルウェーは1397年にデンマーク女王
マルグレーテ(Margaret I)のもとでカルマル同盟(Kalmar Union)を結成した。

北欧三国はデンマーク連合王国として同君連合となった。



1429年、デンマークはハンザ同盟を封じ込めるため、北海からバルト海へ抜ける海峡の通行に課税しようとした。
だがこのことから、ハンザ海軍との間で戦争状態になった。(ハンザ・デンマーク戦争)

この戦争はハンザ海軍が勝利し、無税で海峡航行権を得た。
デンマークは、この戦費を賄うためにノルウェー・スウェーデンに重税を課したため不満が高まった。

1523年、スウェーデンで農民が反乱を起こし、スウェーデン政府はこの機に乗じて
デンマークから独立したため、カルマル同盟は解消されてしまった。

1815年には、デンマーク・ノルウェーの連合も解消されることになる。

グリーンランドとアイスランドについては、連合を通じて獲得したデンマークが
引き続き領有することとなった。



その後、スウェーデンは、デンマークにかわり、バルト海の覇権を握るようになる。
スウェーデンが台頭するきっかけをつくったのは、1618年に発生した三十年戦争だった。

当時、北欧三国ではドイツで起こった宗教改革の影響でプロテスタントを信奉する者が増えていた。

三十年戦争は、カトリックとプロテスタントの対立をきっかけに始まった戦乱だったが、
スウェーデンは、プロテスタント支援を名目に参戦した。

この戦争の結果、勝利したスウェーデンは、1648年のウェストファリア条約(Peace of Westphalia)
でバルト海南岸のドイツの領土を獲得した。


スウェーデンは、バルト海を手中に収め、大国への道を歩みはじめた。
かわりにドイツのハンザ同盟は衰退していくことになった。


絶頂期を迎えたスウェーデンは、ほどなくして衰退の時代を迎える。

バルト海交易への参画を熱望していたロシアは、スウェーデンを包囲するため、
ポーランド、デンマークと秘密裏に同盟を結んだのだ。

1700年、同盟諸国とスウェーデンの間で北方戦争(The Northern War 1700-1721年)がはじまった。

この戦争で、スウェーデンは敗北し、多くのバルト海沿岸の土地を失ってしまう。
1809年には、フィンランドをロシアに奪われ、大国の地位から転落してしまった。


フィンランドはその後、長くロシアの支配下にあったが、1917年のロシア革命を機に
フィンランド共和国として独立を達成した。

長らくデンマークの支配下にあったアイスランドは、第二次世界大戦中の1944年に独立を果たした。


1956年、サーミ人の待遇改善を目指す北欧三国のサーミ評議会が設置された。

サーミ人の居住する地域は、北欧三国の領土として分割され、長い間差別や迫害を
受けてきた地域であった。

各国政府は、サーミ人の人権保障実現に向けて積極的に取り組むようになり、
現在では、彼らの最古の先住民族としての立場が十分に尊重されるようになった。



デンマークは戦後、経済成長を遂げ、造船、機械工業を基礎とした先進的工業国となった。

また、コペンハーゲンをはじめ、美しい街並みや自然の景観にすぐれ、年間を通して
数多くの観光客が訪れる屈指の観光大国となっている。

ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧三国も、様々な歴史を歩んできたが、
戦後は、豊かな森林資源を背景にそれぞれ先進工業国に成長している。

また世界に冠たる社会保障制度をもつ福祉国家としても知られるようになった。








サンタクロース村 (Santa Claus Village)

サンタクロースは、一年中忙しい。仕事は、クリスマスの時期だけではない。
なぜなら、毎日世界中の子供たちから届く手紙に囲まれているからだ。

サンタクロースは、ラップランド(Lapland)の山中で、トナカイや妖精たちと暮らしている。
毎日、300km離れたサンタクロース村の郵便局まで、手紙を読みにやってくる。

サンタクロース村は、ロヴァニエミ市(Rovaniemi)にあり、郵便局のほかに、
サンタの事務所やカフェ、贈り物を扱う店などがある。

毎年、世界中から何十万人もの人々が村を訪れ、サンタとおしゃべりしたり、記念撮影している。
なんとサンタは、日本語はもちろん、世界中の言葉を話せるのだ。

サンタと会った後で、オーロラを見ることもできる。
ロヴァニエミ市は、オーロラ観測スポットとしても知られている。


(サンタクロース村へのアクセス)

日本からヘルシンキまで約10時間(直行便)
ヘルシンキからロヴァニエミ市まで約1時間20分。列車だと10~12時間

ロヴァニエミ市からサンタクロース村まで車で約15分


(サンタクロースの住所)

フィンランド北極圏、サンタクロース村郵便局付け

(Santa Claus' Main Post Office Tahtikuja 1, 96930 Arctic Circle FINLAND)







ヘルシンキの夏至祭(Juhannus)

フィンランドの首都ヘルシンキで開催される夏至の祭り。

気候の厳しい北欧にとって、日中の時間が1年で一番長い夏至は、

特別な日とされていて、祝いの祭りが盛大に行われます。


夏至祭は、フィンランド語では「ミッドサマーディ(Juhannus)」と呼ばれ、

キリスト教が広まる前から行われていた真夏のお祭りです。

毎年、6月18日以降最初の金曜日から、土日があわせて連休となります。


メイン会場は、ヘルシンキの中心部から車で15分ほどのセウラサーリ島(Seurasaari)

ダンスやコンサートのほか、夜になると、コッコ(kokko)と呼ばれる魔除けのかがり火が

次々と点火され、幻想的な雰囲気が広がります。