グロリア・スワンソン(Gloria Swanson)

生年月日 : 1899/03/27
出身地 : アメリカ/イリノイ州
没年 : 1983/04/04

1914年、短編サイレント映画「魂の歌(The Song of the Soul)」で、エキストラとして映画デビュー。

1919年、セシル・B・デミル監督の社会派映画「男性と女性」に主演。以後「アナトール 1921」
「巨巖の彼方 1922」など、次々とメロドラマのヒロインを演じ、たちまち人気女優となった。

1926年には、名実共にハリウッド第一級のスターとして、週給二万ドルという空前の高給で人々を驚かせた。
だが、1930年以降は、折からトーキーの波に追われて、次第に昔日の人気を失うこととなった。

1950年、ビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」に出演。サイレント時代に活躍し、忘れ去られた
女優という、彼女自身を投影した役で不死鳥の如くカムバックした。




代表作品

      サンセット大通り(SUNSET BLVD.)1950年(米)

売れない脚本家のジョー(ホールデン)は、借金取りに追われ、荒れ果てた邸宅に逃げ込む。
そこには、サイレント時代に一世を風靡した伝説の大女優ノーマ(スワンソン)が住んでいた。

彼女は、かつて映画監督だった夫にかしずかれ、往時の栄光に包まれて暮らしていた。
銀幕へのカムバックを夢見るノーマは、ジョーをお抱えシナリオ・ライターとして雇う。

プールに浮かぶ死体が、過去を回想するという意表を衝く語り口で映画が始まる。
かつて大スターだった女優が、すでにその存在が忘れられた今も、名声と栄光の中で生きていると錯覚している。

この忘却された大女優を、グロリア・スワンソンが実生活を地でゆく迫真の演技でやってのける。さらに彼女の
過去の栄光を支える夫を、かつての名監督、シュトロハイムが演じるという、鬼気迫る内幕物の傑作である。

(監督)ビリー・ワイルダー(BILLY WILDER)(出演)グロリア・スワンソン(GLORIA SWANSON)
ウィリアム・ホールデン(WILLIAM HOLDEN)エリッヒ・フォン・シュトロハイム(ERICH VON STROHEIM)
       

魂の歌(The Song of the Soul)1914年
チャップリンの役者(His New Job)1915年
夫を変へる勿れ(Don't Change Your Husband)1919年
連理の枝(For Better, for Worse)1919年
男性と女性(Male and Female)1919年
何故妻を換へる?(Why Change Your Wife?)1920年
人間苦(Something to Think About)1920年
大事な時(The Great Moment)1921年
アナトール(The Affairs of Anatol)1921年
銃口に立つ女(Under the Lash)1921年
言はぬが花(Don't Tell Everything)1921年
夫の商標(Her Husband's Trademark)1922年
黄金の籠(Her Gilded Cage)1922年
巨巖の彼方(Beyond the Rocks)1922年
白絹の女(The Impossible Mrs. Bellew)1922年
大陸に鳴る女(My American Wife)1922年
放埓娘(Prodigal Daughters)1923年
幸福の扉(Bluebeard's Eighth Wife)1923年
舞姫ザザ(Zaza)1923年
蜂雀(The Humming Bird)1924年
焔の女(A Society Scandal)1924年
嬲られ者(Manhandled)1924年
ありし日のナポレオン(Madame Sans-Gene)1924年
女心(The Coast of Folly)1925年
当り狂言(Stage Struck)1925年
女王蜂(The Untamed Lady)1926年
野薔薇(Five Manners)1926年
五つの魂を持つ女(The Love of Sunya)1927年
港の女(Sadie Thompson)1928年
クィーン・ケリー(Queen Kelly)1929年
トレスパッサー(The Trespasser)1929年
陽気な後家さん(What a Widow!)1930年
恋愛即興詩(Indiscreet)1931年
今宵ひととき(Tonight or Never)1931年
完全な諒解(Perfect Understanding)1933年
空飛ぶ音楽(Music in the Air)1934年
サンセット大通り(Sunset Boulevard)1950年
わが息子暴君ネロ(Mio figlio Nerone)1956年
エアポート'75(Airport 1975)1974年