国名 ギリシア共和国
英語 Hellenic Republic
首都 アテネ
独立年 -
主要言語 現代ギリシア語
面積 (千Km2) 132
人口 (百万人) 10.8
通貨単位 ユーロ
宗教 ギリシャ正教
主要産業 観光業、海運業、鉱工業、農林水産業
歴史
BC1200-1100年頃   ドーリア人がギリシアに移住
BC800-750年頃  ポリスが各地で成立
BC776年  第1回オリンピア競技 (古代オリンピック)が開催 
BC449年  ペルシア戦争はじまる 
BC490年  マラトンの戦いでペルシア軍に勝利 
BC443-429年  ペリクレスが民主政治を指導 (ペリクレス時代) 
BC431-404年  アテネとスパルタが戦争 (ペロポネソス戦争) 
BC338年  ギリシアはマケドニアの支配下にいる 
BC334-324年  マケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征 
BC146年  ギリシアとマケドニアがローマの支配下にいる 
395年  ローマ帝国は東西に分裂 
  ギリシアはビザンツ帝国 (東ローマ帝国) の勢力範囲にいる 
1453年  オスマン帝国の侵入により、コンスタンティノープル陥落 
  ギリシアは、オスマン帝国の勢力範囲に取り込まれる 
1821年 オスマン帝国からの独立戦争
1832年 コンスタンティノープル条約によりギリシアの独立が承認され、ギリシア王国が成立    
1912年-1913年 第一次・第二次バルカン戦争
1914年 第一次世界大戦
1924年  クーデターで共和政へ。(1935年王政復古) 
1940年 第二次世界大戦
1941年 ドイツ・イタリア・ブルガリア3国分割占領
1946年 王政復古
1952年 NATO加盟
1967年 軍事政権
1974年 君主制廃止、共和制へ
1981年 EC (ヨーロッパ共同体、現EU) 加盟
2004年 アテネ・オリンピック開催
2010年 欧州ソブリン危機














































サントリーニ島 (Santorini Islands)
キクラデス諸島のほぼ南端に位置する火山島。アテネから飛行機で約40分ほど。
海に沈んだ アトランティス大陸 の残りだともいわれている不思議な島。
実際にここは、紀元前1500年前に火山の爆発で島の大半が沈んでしまい、その時山だった所だけがかろうじて残っている。

島の片側は断崖で、その上にフィラの町(Fira)をはじめとする白い家並の町が展開している。
黒い岩の断崖上に並ぶ真っ白い家並みが美しく、蒼いドーム屋根の教会が印象的である。



紀元BC3000年頃、エーゲ文明がおこる(青銅器文明)
BC3000-1400年頃、クレタ文明(ミノス文明)絵文字や線文字Aが使用される
BC2000-1400年頃、クレタ文明がもっとも栄える

BC1600-1200年頃、ミュケナイ文明が栄える
BC1450-1200年頃、線文字Bが使用される
BC1200-1100年頃、ドーリア人がギリシアに入ってくる
このころギリシアで鉄器が使用されるようになる

BC800-750年頃、ポリスがあちこちで成立する
このころ、叙事詩人ホメロスが活躍した(代表作、イリアス、オデュッセイア)
BC800-600年頃、ギリシア人が黒海や地中海の沿岸に進出して植民活動をおこなう

このころ、ほとんどのポリスが貴族政の時代に入っていた
また、叙事詩人ヘシオドスが活躍した(代表作、神統記、労働と日々)

BC776年、第1回オリンピア競技(古代オリンピック)が開催された
BC700年頃、アテネがアッティカ地方を統一した
BC660年頃、植民市ビザンティオン(現在のイスタンブル)が建設されたBC650年頃、貨幣が使われ始める

BC620年頃、ドラコンが法律をはっきり文章化した(ドラコンの立法事業)
BC594年、ソロンが借金に苦しむ大勢のアテネ市民を助けた(ソロンの改革)
BC561-BC528年、ペイシストラトスが僭主になって独裁政治を行う
このころ、寓話作家イソップが活躍する

BC510年、ペイシストラトスの息子ヒッピアスを追放し、独裁政治が終わる
このころ、多くのポリスで民主政治が始まる
BC508-507年、クレイステネスが僭主になりそうな人物を、まえもって追放する仕組みをつくる(クレイステネスの改革)

BC449年、ペルシア戦争
BC499年からBC494年、小アジア東岸にあるイオニア植民市がペルシア帝国に反乱を起こした際、ギリシアのいくつかの都市が植民市に肩入れしたことをきっかけにペルシア戦争が始まる。
しかし、BC490年、ペルシア軍はマラトンの戦いでギリシア軍に敗北する。

その9年後、ペルシアのクセルクセス大王自身が軍を率いてギリシアに攻め寄せる。
ギリシア軍は、BC480年のサラミスの海戦と、BC479年のプラタイアの戦いで勝利を挙げ、ペルシア軍を撃退した。
その後は、ペルシアとの戦いで、指導的な役割を果たしたアテネとスパルタがギリシアの覇権を奪い合うことになる。

BC478年、アテネを中心にデロス同盟を結んで戦争にそなえる仕組みをつくる
BC443-BC429年、ペリクレスがアテネの将軍になって民主政治を指導する(ペリクレス時代)このころ、アテネがもっとも栄える

BC431-BC404年、アテネとスパルタが戦争をする(ペロポネソス戦争)
アテネの成長に危機感を強めたスパルタは、その同盟都市とともに、アテネに戦いを挑む。
結局、スパルタが勝利するが、その覇権は長続きせず、BC371年にはレウクトラの戦いで、BC362年にはマンティネイアの戦いでテバイに敗れる。

テバイの支援を受けたスパルタの奴隷ヘロータイは、メッセニアにメッセーネ市を創設、また、アルカディアの都市はメガロポリスという新都市を首都として反スパルタ同盟を結成する。
このあと、アテネやスパルタ、テバイなどの都市がリーダーとして覇権を握りながら、多くの都市が争い続ける。

BC338年、ギリシアはマケドニアに敗れて支配されるようになる(カイロネイアの戦い)
ギリシアの北部にあるマケドニア王国がフィリッポス2世王の支配の下、勢力を伸ばし始める。

脅威を感じたギリシア諸都市はマケドニアに戦いを挑むが、BC338年、カイロネイアの戦いで敗北し、その勢力下に入る。
BC336年、フィリッポスが、アイガイの劇場で暗殺されると、息子アレクサンドロスがその跡を継ぐ。

BC334-BC324年、マケドニアのアレクサンドロス大王が、ギリシア連合軍を率いて東方遠征を行い、アケメネス朝ペルシアを征服。
ギリシアからメソポタミア、エジプトなど広大な範囲をギリシア系の王朝が治めるヘレニズム時代を迎える。

BC323年、アレクサンドロス大王が病死すると、大王の領土は、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプトに分裂する。
BC215-197年、2回にわたってローマと戦争をする
BC146年、ギリシアとマケドニアはローマに支配されるようになる

BC146年、ローマがマケドニアを属州としたのを皮切りに、ギリシアはローマの一部と化した。
BC31年、アクティウムの海戦でプトレマイオス朝エジプトがローマに破れると地中海はローマの物と化し、ギリシアもその中に組み込まれることとなった。

BC27年、ローマ皇帝アウグストゥスは、これまでマケドニアの総督管理下に置かれていたギリシアをアカイア属州として分ける。
アカイア属州は、中部ギリシア、ペロポネソス半島そして周辺の島を含み、首都はアテネではなく、コリントスであった。

また、アウグストゥスは、ローマ軍の退役兵にギリシアの土地を与えた。
パトラス、コリント、フィリッピの周辺がその中心で、彼らはローマ文化ををギリシアに持ち込んだ。

ギリシアはキリスト教が最も早く伝わった地域の一つで、聖パウロはフィリッピとコリントにキリスト教共同体を組織し、アテネでも布教した。
新約聖書にある「コリント人への手紙」や「ピリピ人への手紙」は、この時代のギリシアのコリントとフィリッピのキリスト教徒に宛てられている。

ハドリアヌスの時代までには、アケロオス川以西の中央ギリシアがエピロス属州として分割され(首都はニコポリス)、テッサリアはマケドニア属州に併合された。

また、1世紀から2世紀にかけて多くの著作を残し、とりわけ「対比列伝」(「ギリシア・ローマ英雄列伝」とも呼ばれる)で有名なプルタルコスは、カイロネイアの人である。
2世紀後半、ギリシア各地を旅行したパウサニアスは、歴史、遺跡、逸話などを記録し、当時のギリシアの様子をする上で貴重な史料となっている。

395年、ローマ帝国は東西に分裂し、ギリシアはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の勢力範囲に収まった。
ビザンツ帝国はコンスタンティノープルを首都としたことにより急速にギリシア化をはじめ、7世紀には帝国の公用語はギリシア語となった。
ビザンツ帝国の公用語がギリシア語になって以来、事実上、ビザンツ帝国はギリシア人の国家となった

1453年、オスマン帝国の侵入により、コンスタンティノープルは陥落。ビザンツ帝国は止めを刺され、ギリシアは、オスマン帝国の勢力範囲に取り込まれた。
オスマン帝国の支配により、ギリシア人は、厳しい抑圧と搾取を受けたが、オスマン帝国の首都イスタンブルに商業貿易を営む裕福なギリシア人中産階級が発生し、17世紀から官界にも進出。

他方オスマン帝国政府によって組織されたペロポネソス半島のギリシア人自警団アルマトロイがパルチザン化して部分的に自治を達成。
アルバニアのアリー・パシャの反乱を機に 1821年、アレクサンドロス・イプシランディスを頭目とするオデッサの「フィリキ・エテリア」が蜂起、ルーマニアに侵入。

これに呼応してギリシア本土各地で反乱が勃発。
1822年、独立を宣言、1829年、独立を達成した。(ギリシア独立戦争)

独立後のギリシアでは、フランスのクーベルタンらによって、1896年に国際オリンピック大会の第1回が、アテネで開催されている。
しかしギリシアの国内の政情は安定せず、国外では1912年に、バルカン同盟を結んでオスマン帝国に宣戦して第一次バルカン戦争を起こし、クレタ島をオスマン帝国から奪っている。

さらに獲得した領土配分をめぐってブルガリアと対立し、1913年に第二次バルカン戦争を行って勝利している。
1914年に第一次世界大戦が勃発し、1918年10月にオスマン帝国が降伏すると、これに乗じて、1919年にギリシアは小アジアのスミルナを占領した。
しかし、オスマン帝国にかわってアンカラに新政府をつくったケマル・パシャに撃退されている。

この敗北によって、ギリシアでは、1924年にクーデターが起こって共和政となった。
しかし、1935年には再び王政が復活している。

第二次世界大戦では、隣国アルバニアを併合したイタリアが侵攻し、さらにドイツやブルガリアが侵攻して、1945年までドイツ・イタリア・ブルガリア3国による分割占領状態に置かれている。
1946年には、強行された総選挙によって王政が復活した。

アメリカの封じ込め政策の始まりとなる、1947年のトルーマン・ドクトリンでは、トルコとともに経済援助を受け、共産党を非合法化した。
1952年には、北大西洋条約機構に参加して、冷戦ではアメリカ側、西側陣営の最前線となった。

しかし、1967年に軍事クーデターが発生すると、国王はローマに脱出し、1974年に正式に君主制は廃止され、共和政が成立した。
1981年には、欧州共同体(EC)に加盟し、2004年には、第1回から108年ぶりにアテネでオリンピックが開催された。

しかし、2010年には、巨額の財政赤字隠しが発覚し、ユーロ圏全体や世界中を巻き込む金融危機である、欧州ソブリン危機を引き起こしている。



ギリシアは、伝統的に農業国で、就業人口の約 25%が農林漁業に従事しているが、食糧自給は達成されておらず、国内総生産に占める割合も約 15%にすぎない。

主要作物はコムギ、オオムギ、トウモロコシ、タバコ、テンサイ、トマト、各種果樹。
牧畜はヒツジ、ヤギの飼育が中心。

鉱業生産の半分以上は褐炭により、ほかに鉄鉱、マグネシウム鉱、亜鉛などの採掘が盛んで、近年ボーキサイト、石油、天然ガス生産が増加。工業は零細企業が中心で、他の EU諸国より経済発展が遅れていたが、近年急速に発展、国内総生産に占める割合では 1970年に農林漁業をこえた。

主要工業は食品、繊維、化学、鉄鋼、アルミニウム、造船、石油精製などであるが、アテネ、セサロニキ両地区に集中して立地するため、政府は他地域の工業化を推進中。

貿易収支は慢性的入超で、輸出総額は輸入の約 40%。
交通・宿泊施設の拡充に伴って 1970年代半ば以降に観光業が急成長、1990年の観光収入は約 26億ドルに達し、輸出総額の 46%になった。
また、世界的海運国として、海運業も重要な産業となっている。