国名 ハンガリー
英語 Hungary
首都 ブダペスト
独立年 -
主要言語 ハンガリー語
面積 (千Km2) 93
人口 (百万人) 9.9
通貨単位 フォリント
宗教 カトリック約39%、カルヴァン派約12%
主要産業 機械工業、化学・製薬工業、農業、畜産業
 地理  
中部ヨーロッパにある内陸国。
周囲をスロバキア、ウクライナ、ルーマニア、クロアチア、
スロベニア、セルビア、オーストリアに囲まれる。

国土のほぼ中央をドナウ川が南流、東側は低平なハンガリー大平原で、
その中央をティサ川がドナウ川と平行して流れ、南部に肥沃な穀物地帯をつくる。

北部はミシュコルツを中心とした鉱工業地帯。
ドナウの西側はバコニュ山地などからなる脊梁高地の北西にある小平原
キシュアルフェルドと、脊梁高地南側のトランスダニュービア台地と
に大別される。

気候は寒暖の差の大きい大陸性気候で、国内の年平均気温は7~12℃、
年較差は約 25℃とかなり大きい。

農業中心国で、国土の約6割を耕地が占め、コムギ、トウモロコシ、ジャガイモ、
ブドウ、テンサイ、果実などを産するが、第ニ次世界大戦後は畜産品、
ワイン、果実などを除いて農産物の輸出は減少、自動車、鉄道車両など
工業製品の輸出が増加している。






















歴史
5世紀 アッティラの指導するフン人が、パンノニア(Pannonia)に帝国を建設。アッティラの死後、東ローマ帝国がパンノニアを支配
9世紀 ウラル山脈から西進してきたマジャール人が定住
997年 マジャール人がハンガリー王国 (997-1918年) を建設
1526年 モハ一チの戦い。オスマン帝国領
1699年 力ルロヴィッツ条約。オーストリア領
1866年 プロイセン-オーストリア(普墺)戦争
1867年 オーストリア・ハンガリー帝国成立(1867-1918年)
1914年 第一次世界大戦。同盟国側で参戦
1918年  オーストリアから独立、ハンガリー人民共和国成立(第一共和国)(1918-1919年)
1919年 サンジェルマン条約調印(オーストリア・ハンガリー帝国解体)
1920年  ハンガリー王国成立(王政復古)(1920- 1945年)
1920年  トリアノン講和条約調印(ハンガリーの領土分割)
1939年 第ニ次世界大戦。枢軸国として参戦
1946年  ハンガリー共和国成立(第二共和国)(1946 - 1989年)
1947年 パリ講和条約
1989年 ハンガリー共和国成立(第三共和国)(1989年 - 現在)


ゲッレールト温泉(Gellert Baths)
ハンガリーのブダペストを代表する温泉施設のひとつ。
ゲレールト丘から湧き出る熱水を利用した浴場は、モザイク・タイルで美しく装飾されている。
施設にはまたサウナ風呂や屋外スイミング・プール、各種のマッサージ・サービスや、療養サービスも用意されている。




ハンガリーの首都ブダペストは、オーストリアの首都ウィーンを横切って東西に流れていたドナウ川が、その流れを南北に変えるドナウベント(ドナウの曲がり道という意味)の南にある町である。
もともとドナウ川をはさんで西のブタと東のペストが合併してできた都市のため、今でも市内の中央部を川が流れている。

このブダペストのあるハンガリー盆地は、かつてパンノニア(Pannonia)と呼ばれた。
ケルト人が多く住んだこの地域は、ローマに支配されて属州となった後、5世紀にフン人のアッティラがここに大帝国を建国している。

しかし、アッティラの死とともに帝国は崩壊し、東ローマ帝国がパンノニアを支配している。
6世紀になるとアヴァール人が侵入してくるが、アヴァール人はフランク王国のカールに撃退され、フランク王国が分裂して影響が弱まると、9世紀末にアジア系民族であるマジャール人がウラル山脈から西進してきた。
          
マジャール人はイタリアやドイツにも侵攻したが、後の神聖ローマ皇帝となるオットー1世に、955年にレヒフェルトの戦いで敗れた。
敗れたマジャール人はその後、ハンガリー王国を建国し、1000年にイシュトパーン1世(Stephen I)はキリスト教(カトリック)に改宗した。
ハンガリー王国は大きくその領土を広げて発展するものの、13世紀にはモンゴルによって大きな被害を受けた。

14世紀のラヨシュ1世(Louis I 在位:1342-1382)によって産業が振興され、15世紀のマーチャーシュ1世(Matthias I 在位:1458-1490)のときに再びハンガリーは繁栄を取り戻している。
しかし、1526年のモハ一チの戦い(Battle of Mohacs)で、ラヨシュ2世がオスマン帝国のスルタン、スレイマン1世に大敗して死亡すると、ハンガリーはハブスブルク領とオスマン帝国領に分割されることになる。

オスマン帝国が1683年の第2次ウィーン包囲に失敗すると、1699年の力ルロヴィッツ条約でハンガリーの主要地域はオーストリアに割譲され、ハンガリーの支配者はオーストリア、ハブスプルク家になる。
1848年にフランスで2月革命が起こると、オーストリアではウィーン3月革命が起こった。

そしてオーストリア国内ではハンガリー(マジャール人)民族運動が高まって、コシュートのもとにマジャール人は独立政府をつくり、憲法も制定している。
さらに、1849年4月にハンガリーではコシュートによって独立宣言が出されたが、オーストリアがロシアに協力を求め、この独立運動は鎮圧されている。

しかし、ドイツ統一をめくる争いでオーストリアが1866年のプロイセン-オーストリア(普墺)戦争に敗れると、オーストリアはマジャール人(ハンガリー人)と妥協 (アウスプライヒ) して、ハンガリー王国の独立と議会の成立を認めた。
オーストリア皇帝がハンガリー国王を兼ねる同君連合の形をとり、1867年にオーストリア・ハンガリー二重帝国が成立している。

第一次世界大戦が勃発すると、オーストリア・ハンガリー帝国は同盟国側で参戦した。
しかし、1918年11月にオーストリアは降伏して、連合国と休戦条約を結んだ。

1918年にハンガリーはオーストリアから分離・独立してハンガリー人民共和国となった。ところが1918年にクン・ベラによるハンガリー革命が起きて、一時的にハンガリーにはソビエト政権が成立している。
この政権は、ハンガリーから獲得した領土の確保と革命の波及を恐れたルーマニアやホルティが率いたハンガリー国民軍よって打倒されている。

1919年の連合国とのサン・ジェルマン条約ではオーストリア・ハンガリー帝国の解体が進められた。
そして、その後の1920年のトリアノン条約によって、ハンガリーはオーストリアからの独立が正式に承認されている。

この後のハンガリーでは、ホルティが独裁政権をにぎってドイツに接近し、第ニ次世界大戦では枢軸国の一員となっている。
ドイツとともに敗戦を迎えたハンガリーはソ連に占領されて、戦後は共産化が進んだ。

1946年にはハンガリー共和国(第二共和国)となった。1947年には敗戦国としてパリ講和条約を結び、正式に王政を廃止した。
また、コミンフォルム(共産党情報局)やコメコン(東欧経済相互援助会議、COMECON)に参加し、ワルシャワ条約機構にも加盟して、衛星国として社会主義陣営の一角を担った。

しかし、1956年のスターリン批判に対して、10月にはハンガリー反ソ暴動(ハンガリー事件)が首都ブダペストで起こっている。
ナジ・イムレはワルシャワ条約機構からの脱退や反ソ体制を公言したため、ソ連軍の介入をまねいて、ナジは処刑され、カタル政権が成立している。

ソ連でゴルバチョフによるペレストロイカ(改革)が行われると、共産党独裁体制は揺らいでいき、1989年5月にはオーストリアとの国境に設けられていた鉄条網を撤去して国境を開放し、11月のベルリンの壁崩壊へ続く東欧革命(東欧社会主義国の消滅)を促進している。
社会主義体制を終了させたハンガリーは再びハンガリー共和国(第三共和国)となり、1999年に北大西洋条約機構(NATO)に、2004年に欧州連合(EU)に加盟している。