国名 イタリア共和国
英語 Italian Republic
首都 ローマ
独立年 -
主要言語 イタリア語
面積 (千Km2) 301
人口 (百万人) 60.8
通貨単位 ユーロ
宗教 キリスト教(カトリック)が国民の約80%
その他、キリスト教(プロテスタント)、ユダヤ教、イスラム教、仏教。
主要産業 機械、繊維・衣料、自動車、鉄鋼



















イタリア史
BC8世紀 ティベル川河口に、ラテン人が都市国家ローマ建設
BC8世紀 (シチリア)ギリシア人が植民都市を建設
BC7世紀 エトルリア人ローマ征服。王政へ
BC6世紀 ラテン人、エトルリア人の王を追放して共和政開始
BC6世紀 (サルデーニャ)カルタゴの支配下
BC6世紀 (コルシカ)カルタゴの支配下
BC5世紀 (シチリア)カルタゴの支配下
BC340年  (ロドス島)アケメネス朝ペルシアの統治下 
BC332年  (ロドス島)マケドニア(アレクサンドロス3世)の統治下
BC272年 南部のギリシア人植民市タレントゥム征服。イタリア半島統一
BC264年 (シチリア)第一次ポエニ戦争でカルタゴを破ったローマの支配下
BC238年 (サルデーニャ)ローマの支配下
BC238年 (コルシカ)ローマの支配下
BC168年 ローマがマケドニアを滅ぼす。(ピドナの戦い)
BC146年 カルタゴ滅亡。ポエニ戦争終結
BC135年 (シチリア)シチリアの奴隷反乱
BC133年 ローマが小アジアのペルガモンを滅ぼす
BC73年 スパルタクスの乱
BC64年 ローマがシリアを滅ぼす
BC60年 第一回三頭政治
BC46年 シーザー独裁
BC44年 シーザー暗殺
BC30年 エジプトのプトレマイオス朝を滅ぼす
BC27年 アウグストゥス帝政を開始
BC27年  (クレタ島)ローマの属州 
297年  (ロドス島)ローマの属州。(ローマ帝国分裂後は東ローマ帝国領) 
313年 コンスタンティヌス帝、ミラノ勅令でキリスト教公認
375年 フン族の東進、ゲルマン民族の大移動開始
395年 ローマ帝国の分裂により、西ローマ帝国成立
440年 (シチリア)ゲルマン民族の東ゴート族が侵入
456年 (シチリア)(サルデーニャ)(コルシカ)北アフリカのヴァンダル人に占領
476年 西ローマ帝国滅亡
486年 クロービス、フランク王国を建国。(メロヴィング朝)
535年 (シチリア)東ローマ帝国のユスティニアヌス帝が東ゴート族を追い出す
567年 (ベネチア)ロンバルディアからの避難民がアドリア海沿岸に集落をつくる
568年 北イタリアにロンバルト(ランゴバルト)王国建国
697年 (ベネチア)共和政総督 (ドージェ )のもとにベネチア共和国成立
751年 小ピピン即位。カロリング朝成立
768年 カール大帝即位。
774年 カール大帝により、ロンバルト王国滅亡
800年 カール大帝、ローマで戴冠
824年  (クレタ島)アッバース朝がクレタ島を領有 
827年 (シチリア)イスラムアッバース朝の支配下
843年 ヴェルダン条約、フランク王国3分割。(仏・伊・独の基)
870年 メルセン条約、イタリア半島北部はイタリア王国となる。
961年  (クレタ島)東ローマ帝国がクレタ島を奪回 
962年 オットー1世、ローマ皇帝として戴冠。(神聖ローマ帝国成立 ~1806)
962年 イタリア王国は神聖ローマ帝国の一部となる。
1005年  (ジェノバ)ジェノバを中心にした都市連邦成立。(ジェノバ共和国) 
1017年 (コルシカ)ピサが植民地支配
1072年 (シチリア)(両シチリア王国)ノルマン人がシチリアを征服。ルッジェーロ2世が両シチリア王国建国
1096年 第一回十字軍遠征
1194年 (シチリア)(両シチリア王国)ノルマン朝の後継者が断絶し、神聖ローマ帝国のハインリッヒ6世が両シチリア王国の皇帝となる
1204年 (ベネチア)(クレタ島)第四回十字軍に参加しコンスタンティノーブル占領。クレタ島を獲得。
1266年  (シチリア)(ナポリ王国)(両シチリア王国)フランス領
1282年 (シチリア)(ナポリ王国)(両シチリア王国)シチリア晩祷事件により、スペインのアラゴン王がシチリアを支配。両シチリア王国がシチリア王国とナポリ王国に分裂
1282年 ナポリ王国は、フランス・アンジュー家の支配下となる。(~1442年)
1284年  (コルシカ)ジェノバが植民地支配 
1287年 (ジェノバ)ジェノバがピサに完勝し、ティレニア海の覇権を確立。(メローリアの海戦)
1300年 ルネサンス時代はじまる(~1550年)
1309年  (ロドス島)聖ヨハネ騎士団に占領 
1324年  (サルデーニャ)アラゴン王国の支配下 
1379年 (ベネチア)(ジェノバ)ジェノバ共和国を、キオッジアの海戦で破り、地中海の覇権を獲得
1395年 (ミラノ)ヴィスコンティ家がミラノ公になりミラノ公国成立
1408年 (ベネチア)ハンガリー王国からダルマチアを奪取。
1442年 アラゴン王国、ナポリ王国を領有
1479年 アラゴン王国、カスティリヤ王国と連合し、スペイン王国成立
1479年 (シチリア)スペイン王国の成立後、シチリア王国は、スペイン・ハプスブルク家の支配下
1489年 (ベネチア)キプロス島を獲得
1495年 (ナポリ王国)フランスのヴァロワ朝シャルル8世はナポリ王国の継承権を主張してイタリアに侵入し、イタリア戦争が始まった。ナポリ王国を占領
1516年  (サルデーニャ)スペイン・ハプスブルク家の支配下 
1522年 (ベネチア)ロードス包囲戦でオスマン帝国に敗北
1522年  (ロドス島)オスマン帝国(スレイマン1世)の統治下 
1535年 (ミラノ)スペイン・ハプスブルクの支配下に。ミラノ公国消滅
1571年 (ベネチア) オスマン帝国により、キプロス島が陥落
1669年 (ベネチア) (クレタ島)オスマン帝国との戦争によりクレタ島を失う
1706年 (ミラノ)オーストリアの支配下に
1713年 (サルデーニャ)スペイン継承戦争(1701~1714年)の結果、サルデーニャの支配権が、スペイン・ハプスブルク家からオーストリア・ハプスブルク家に渡る
1713年 (シチリア)スペイン継承戦争(1701~1714年)の結果、イタリアのサヴォイア家がシチリア王国の王位を獲得
1720年 (サルデーニャ)イタリアのサヴォイア家がシチリア王国をオーストリア・ハプスブルク家に渡しサルデーニャを得る
1720年 (シチリア)オーストリア・ハプスブルク家がサルデーニャをイタリアのサヴォイア家に渡しシチリア王国を得る
1720年 (サルデーニャ)サルデーニャ王国成立。首都トリノ
1729年 (コルシカ)コルシカ独立戦争
1734年 (シチリア)(ナポリ王国)ポーランド継承戦争の結果、スペイン・ブルボン家がナポリ王国、シチリア王国の支配権を得る
1768年 (ジェノバ)(コルシカ)コルシカをフランスに売却
1769年 (コルシカ)コルシカ独立戦争終結。コルシカ、フランス領となる
1796年 イタリア遠征で、イタリアはナポレオンの支配下に入る。
1796年 (ナポリ王国)イタリア遠征で、ナポリ王国はナポレオンの支配下に入る。
1796年 (ジェノバ)フランスの支配下に。
1797年 (ベネチア) ナポレオン・ボナパルトに降伏。ベネチア共和国消滅
1814年 (ジェノバ)(サルデーニャ)サルデーニャ王国がジェノバを併合
1816年 (ベネチア)ウィーン議定書が締結され、北のロンパルディアとベネチアはオーストリア領となる。
1816年 (シチリア)(ナポリ王国)(両シチリア王国)ウィーン議定書が締結され、ナポリ王国、シチリア王国は、両シチリア王国として復活し、スペイン・ブルボン家の支配下となる
1849年 青年イタリア党によりローマ共和国建国(フランスの介入により半年で打倒される)
1859年 イタリア統一戦争
1859年 (ミラノ)(サルデーニャ)サルデーニャ王国がミラノを併合
1861年 イタリア王国成立
1861年 (シチリア)(ナポリ王国)(両シチリア王国)ナポリ王国、シチリア王国はイタリア王国に統合された
1861年 (ミラノ)ミラノがイタリア王国に統一される。 
1866年 (ベネチア)ベネチアがイタリア王国に統一される
1912年  (ロドス島)イタリアに占領 
1913年  (クレタ島)第一次バルカン戦争の結果、ギリシア領となる 
1914年 第一次世界大戦はじまる
1915年 三国同盟を廃棄し、オーストリアに宣戦
1922年 ムッソリーニのファシスト党内閣成立
1939年 第二次世界大戦はじまる
1940年 日独伊三国同盟締結
1947年  (ロドス島)ギリシアに編入 
1948年 イタリア共和国成立

サルデーニャ史(Sardinia)
BC800年 フェニキア人が交易都市建設
BC500年 カルタゴが覇権確立
BC238年 ローマ帝国領(BC238~BC456)
456年 北アフリカのヴァンダル族領(Vandals)(456~534)
534年 東ローマ帝国(534~834)
834年 イスラム帝国(834~1017)
1017年 ピサ共和国(1017~1324) 
1324年 アラゴン王国(1324~1516)
1516年 スペイン・ハプスブルク家(1516~1713)
1713年 オーストリア・ハプスブルク家(1713~1720)
1720年 サルデーニャ王国(1720~1861)
1861年 イタリア王国(1861~1946)
1946年 イタリア共和国(1946~)
コルシカ(Corsica)史
BC565年 カルタゴが覇権確立
BC259年 ローマ帝国領(BC259~BC469)
469年 北アフリカのヴァンダル族領(Vandals)(469~534)
534年 東ローマ帝国領(534~713)
713年 イスラム帝国領(713~774)
774年 西フランク領(774~846)
846年 イスラム帝国(846~1017)
1017年 ピサ共和国(1017~1284)
1284年 ジェノバ共和国(1284~1769)
1769年 フランス王国(1769~)


シチリア史(Sicily)
BC800年 ギリシア植民都市
BC500年 カルタゴ支配下
BC264年 ローマ帝国領
440年 東ゴート族が侵入
456年 アフリカのヴァンダル族領(Vandals)(456~476)
476年  オドアケル王国領(Odoacer)(476~493) 
493年  東ゴート王国領(493~535) 
535年 東ローマ帝国領(535~827)
827年 イスラム帝国(シチリア首長国)(827~1072)
1072年 ノルマン朝(両シチリア王国)(1072~1194)
1194年 神聖ローマ帝国領(両シチリア王国)(1194~1266)
1266年 フランス王国領(ナポリ王国)(1268~1282)
1282年 アラゴン王国(ナポリ王国から分離)(1282~1479)
1479年 スペイン・ハプスブルグ家(シチリア王国)(1479~1713)
1713年 サヴォイア家(シチリア王国)(1713~1720)
1720年 オーストリア・ハプスブルグ家(シチリア王国)(1720~1734)
1734年 スペイン王国(シチリア王国)(1734~1816)
1816年 スペイン王国(両シチリア王国)(1816~1861)
1861年 イタリア王国 (1861~)



ボマルツォ怪物公園(Bomarzo Monster Park)
中部イタリア、ラツィオ州ヴィテルボ県ボマルツォにある庭園。35個の奇怪なオブジェが配置されていることで有名。

16世紀の貴族、オルシーニ家のピエール・フランチェスコ王子が最愛の妻を亡くし悲観にくれていた時、その苦痛から開放されるために作らせたと言われている。
空想の世界がそのまま立ち現れたような奇妙で幻想的な人工庭園は、我々をファンタジーな神話の世界へといざなってくれる。



395年にローマ帝国が東西に分裂すると、イタリア半島は西ローマ帝国の領土となった。

ゲルマン人の大移動の中、ローマは410年にアラリック1世(Alaric I)に率いられた西ゴート人に攻められ、452年にはフン人のアッティラ(Attila)がイタリア半島へ侵攻している。
(ローマへは法王レオ1世の説得によって侵攻しなかった)

ヴァンダル人(Vandal)は北アフリカのカルタゴの地(チュニジア)にヴァンダル王国を建国して、シチリア島やサルデーニャ島、コルシカ島も征服して地中海を一時制圧した。
そして海から侵攻して、455年にローマを占領している。
ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによって、最後の皇帝であるアウグストゥルス(Augustulus 在位:475~476年)が退位させられ、疲弊した西ローマ帝国は、476年に滅亡した。

その後、フンの支配下にあった東ゴート人がテオドリック(Theodoric)に率いられ、493年にオドアケルの国を滅ぼしてイタリアに東ゴート王国を建国した。
しかし、ラヴェンナを都に建国された東ゴート王国は、ローマの再興をめざした東ローマ帝国のユスティニアヌスによって555年に滅ぼされた。

さらにヴァンダル王国も滅ぼして地中海を再統一したユスティニアヌスであったが、彼の死後、東ローマ帝国の勢力が弱くなると、568年、ロンバルト人がイタリア半島北部にロンバルト王国を建国する。

ロンバルト王国は、フランク王国のピピンにイタリア北東部のラヴェンナ地方を奪われ、774年、カール大帝によって滅ぼされた。

この結果、北部のイタリアはフランク王国が支配し、中部のローマからラヴェンナ地方にかけては法王領があり、南イタリアには東ローマ帝国の領土が残されることになった。
843年のヴェルダン条約によってフランク王国が分裂すると、イタリア半島の北部はロタール領となり、870年のメルセン条約によってイタリア王国となった。

イタリア王国は962年のオットー1世から始まる神聖ローマ帝国の一部となって、神聖ローマ皇帝はイタリア国王も兼ねることになる。
そのために歴代の皇帝はイタリア政策を行って、イタリア・ローマを支配しようとしている。

法王領をもつ法王は、イタリアで唯一の安定した政権として力をもち、ローマ・力トリック教会という組織の頂点としてその影響力を西ヨーロッパで広めていった。
神聖ローマ皇帝との聖職叙任権闘争も、1077年のカノッサの屈辱で皇帝を屈服させ、1095年にクレルモン公会議で十字軍遠征を提唱し、第1回十字軍が聖地奪回に成功して、エルサレム王国を建国するなど、ますますその権威を高めた。

一方で、南イタリアはイスラムの侵入を受け、9世紀以降、シチリア島はイスラムの支配下に置かれた。
しかし、ノルマンディー公国の貴族であったルッジェーロ2世(Ruggero II)が海路で南イタリアに進出し、シチリア島をイスラム勢力から奮って、1130年に両シチリア王国を建国している。

統一国家が出現しないまま、イタリアでは地中海を中心に商業が発達していく。

十字軍によって遠隔地商業が盛んになると、イタリアの諸都市は香辛料や絹織物など中心とする東方貿易(レヴァント貿易 Levant Trade)を行うようになった。
北イタリアの港市であるベネチア・ジェノバ・ピサなどの商業都市が栄え、内陸でもミラノやフィレンツェなどが毛織物産業や金融で栄えている。

これらの都市は自治権を獲得してコムーネ(自治都市 Comune)となり、周辺の地域も支配する都市共和国に発展する大きな政治勢力になっていった。

ミラノを中心とするロンパルディア同盟(Lombard League)は、12世紀に神聖ロ一マ皇帝フリードリヒ1世(赤ひげ王)の南下に対して皇帝軍を撃退している。
ベネチアをスポンサーとする第4回十字軍は、コンスタンティノープルを占領して1204年にラテン帝国を建設している。

イタリアはこれらの都市共和国に加え、多くの諸侯や国に分かれていきて、さらには内部でも法王党(ゲルフ Guelphs)と皇帝党(ギベリン Ghibellines)が争っていた。

イタリア中部に法王領をもつローマ法王も、十字軍が失敗し、1303年のアナーニ事件(Anagni)、1309年から1377年までの約70年間の「法王のバビロン捕囚」、そして1378年から起こつた教会大分裂(シスマ Schism)によって、その権威は後退していった。

南部も、両シチリア王国がシチリア王国とナポリ王国に分裂するなど、イタリアの統一は夢のまた夢という状態だった。

14世紀になると、イタリアは、ミラノ、フィレンツェ、ジェノバなどが高い経済力を持ち、同時にルネサンス文化の舞台として繁栄をはじめた。

一方、当時のフランスはヴァロワ朝のもとで国家統一をとげ、王権を更に強化しようとしていた。
しかし、オーストリア・ハプスブルク家は神聖ローマ帝国皇帝として婚姻政策を展開してネーデルラントなどのフランスの周辺に領土を獲得し、スペインと合わせてフランスを挟み込む形となり、このハプスブルク帝国の形成はフランスにとっては大きな脅威となっていた。

さらにその背後にローマ法王が政治勢力としてイタリア中部に存在し、フランス王、神聖ローマ皇帝の力を利用しながら、権力の維持と強化を図っていた。

そのような複雑なイタリア情勢に、フランス王がイタリアの高い経済力を支配下におこうとして介入したことからイタリア戦争(The Italian War 1494~1559年)が始まった。

ヴァロワ家とハプスブルク家のイタリア支配をめぐる対立を軸としたイタリア戦争は長期化したが、1559年に至り、カトー・カンブレジ条約でフランスのアンリ2世とスペインのフェリペ2世とのあいだの和議が成立し、イタリア戦争は終結した。
この条約で、フランスはイタリアへの権利を放棄し、ミラノ、ナポリ、シチリア、サルデーニャ、トスカーナ西南岸がスペイン・ハプスブルク家の統治下に定まった。
代わりにフランスはロレーヌを譲受した。

また北イタリアのトリノを本拠地とするサヴォイア家(Savoia)は、1713年、スペイン継承戦争の功績により、シチリアに王位を授与されるが、1720年、シチリアに代わってオーストリア領であったサルデーニャの領土を獲得し、サルデーニャ王国を称した。

1789年、フランスでフランス革命が起きナポレオン・ボナパルトが登場すると、1796年のイタリア遠征で、イタリアはナポレオンの支配下に入った。
しかし、ナポレオンが失脚するとウィーン会議が開かれ、1815年にウィーン議定書が締結された。

これによって北のロンパルディアとベネチアはオーストリア領となり、両シチリア王国には、フランス革命前にこの王国を支配していたスペイン・ブルボン家の統治下となった。

これに対して、カルポナリ(炭焼党)と呼ばれる秘密結社がイタリアの統一を掲げて立ち上がっている。
彼らは南で1820年にナポリ蜂起を、北で1821年にピエモンテ蜂起を起こしている。

どちらともオーストリアに鎮圧されてしまうが、1830年のフランス7月革命の影響で、カルポナリは1831年に再びイタリア反乱を起こしている。
このイタリア反乱もオーストリアに鎮圧されてしまうが、1831年にマッツィーニ(Mazzini)がカルポナリを継いで政治結社を結成する。(青年イタリア)

1848年のフランス2月革命の影響でイタリア民族運動が起き、1849年にマッツイーニら「青年イタリア」は、法王が逃げ出した後のローマにローマ共和国を建国している。
しかし、法王がフランスに援助を求めたため、フランス軍がローマに入ると共和国はわずか半年で打倒された。

また、同時期にサルデーニャ王国の第7代国王カルロ・アルベルト(Charles Albert )がオーストリアと戦争を開始した
しかし、国王は敗北して退位している。

イタリアを統一するのはカルロ・アルベルトの息子、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(Victor Emmanuel II)と首相のカヴールである。
国内改革を行って力をつけたサルデーニャ王国は、1853年に起こったクリミア戦争に、1855年から参戦し、その国際的地位を高めた。

そして1858年にナポレオン3世とのプロンビエール密約(Plombieres Agreement)で、サヴォワ(Savoy)とニースをフランスに割譲するかわりにその支援を得たサルデーニャ王国は、1859年にオーストリアとイタリア統一戦争を起こして勝利し、ロンパルディアを獲得した。
翌年の1860年には中部イタリアも併合した。

同年、「青年イタリア」出身のガリパルディが千人隊(赤シャツ隊)を率いてシチリア占領を行い、シチリア(両シチリア・ナポリ)王国を征服した。
ガリパルディが無条件でこの征服地をヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上した結果、1861年にイタリア王国が成立した。

1866年にプロイセン・オーストリア(普墺)戦争が起こると、イタリア王国はプロイセン側で参戦してベネチアを併合した。
1870年のプロイセン・フランス(普仏)戦争後、ローマからフランス軍が撤退すると、バチカンを除く法王領を占領し、1871年に首都もトリノからローマに移されている。

統一後のイタリアは、イタリア人の居住地区でありながらもオーストリアに奪われたままのアドリア海北東岸の港市トリエステやオーストリア西部の南チロルなどが「未回収のイタリア」として残された。

また、法王との対立を抱えたままであることや、工業の発達した北部を中心に政治が行われたために貧しい南部との格差が残されていることなど、多くの問題を抱えたままだった。

第一次世界大戦に際しては、未回収の地を獲得するために三国同盟を破棄し、同盟国側に対して宣戦。
しかし大戦後の戦果に対する不満、経済不安、労働問題、政党間の対立により社会状況が悪化、1922年「ローマ進軍」を組織したムッソリーニのファシスト党が政権を奪取した。

ムッソリーニはドイツにくみして第ニ次世界大戦に参戦したが、1943年連合軍のシチリア上陸に直面して敗色濃厚となり解任された。
代わったピエトロ・バドリオ将軍がイタリアの無条件降伏と対ドイツへの宣戦布告を行なった。
1945年4月、イタリアは解放され、1946年、国民投票の結果、共和制をしいて今日にいたっている。


イタリアのアルプスには、モンブラン(4807m)やマッターホルン(4477m)など高峰がそびえる。
山麓には氷河作用でできたマッジョーレやコモなどの湖があって風光美をつくっている。
大、小2つのサンベルナール峠やブレンナー峠は中央ヨーロッパに通じ、古来文化の伝播にも重要な役割を果たしてきた。

アルプスとアペニン山脈の間にはこの国最大のポー平原が広がり、穀倉地帯をなしている。
半島部はアペニン山脈が走り、チレニア海周辺には火山が多数分布して、地震が多い。

気候は各地とも夏は高温で著しく乾燥し、降水量の大半が冬に集中する地中海性気候である。
北部は大陸性で冬の気温がかなり低くなるのに対し、南部は冬も温暖である。

住民の大部分はラテン系のイタリア人で、イタリア語を話し、カトリックの信者。
政治制度は二院制の議会による議員内閣制で、元首は大統領。
政党は多党制が特色で、連立内閣の形をとる。

経済は、かつての農業中心から工業に比重を移し、特に北部には工業が集中し、トリノ、ミラノ、ジェノバなどを中心に、機械、化学、自動車、繊維などが主要工業。
これに対して、南部は農業地帯で、ナポリのほかに目立った工業地域は形成されず、種々の開発基金の設置にもかかわらず、北部との大きな格差が問題となっている。

水力発電と第二次世界大戦後発見されたポー川流域の天然ガス田が重要なエネルギー資源であるが、一般に資源には恵まれていない。