国名 コソボ共和国
英語 Republic of Kosovo
首都 プリシュティナ
独立年 2008年
主要言語 アルバニア語、セルビア語
面積 (千Km2) 11
人口 (百万人) 1.8
通貨単位 ユーロ
宗教 イスラム教(主にアルバニア人)、
セルビア正教(セルビア人)等
主要産業 サービス業(56.6%)、工業(28.9%)、農業(14.5%)
地理
北と東はセルビア、西はアルバニア、北西はモンテネグロ、南はマケドニアと接する。
北部にコパオニク山地(Kopaonik)、南部にシャール山地(Sar Planina)が広がり、イバル川(Ibar)とその支流が中央部を貫流する。

住民はおもにアルバニア人で、その他セルビア人、モンテネグロ人、ムスリム、トルコ人など。
言語はアルバニア語、セルビア語など。
宗教はイスラム教のほかセルビア正教など。

肥沃な中部のコソボ盆地と西部のメトヒア盆地(Metohija)では、オオムギ、コムギを中心とした農業、タバコの栽培、ヒツジの飼育が行なわれる。
昔から鉱業が盛んで、褐炭、アスファルト、亜鉛などを産し、刺繍、じゅうたん、金属細工などの家内工業、手工業も行なわれる。 


       

 











歴史
BC4世紀  ダルダニア王国が建国される
BC1世紀 ローマの支配下となり、属州モエシアの一部となる
681年 ブルガール帝国の一部となる
12-13世紀 セルビア王国が建国。セルビア王国の一部となる。
14世紀 セルビア王国がオスマン帝国に併合され、オスマン帝国の支配下に。
1913年 バルカン戦争でオスマン帝国に勝利したセルビアがコソボを奪回。
1918年 スロベニア人・クロアチア人・セルビア人王国が建国。コソボは王国の一部となる。
1929年 スロベニア人・クロアチア人・セルビア人王国がユーゴスラビア王国に改称
1941年 第二次世界大戦中、ドイツ、イタリア、ブルガリアに分割占領される。
1945年 ユーゴスラビア連邦人民共和国が建国。
  セルビア共和国の一部として「コソボ・メトヒヤ自治区」が設立。 
1963年 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」と改称。
  コソボ・メトヒヤ自治区が「コソボ自治州」に改称。 
1981年 コソボ自治州の共和国昇格を求めるアルバニア系住民による暴動発生。
1992年 セルビアとモンテネグロが新たにユーゴスラビア連邦共和国を結成
1996年 コソボ紛争 (-1999年)。セルビアとコソボ自治州が内戦へ
1999年3月 NATOによるセルビア空爆
1999年6月 和平が成立しコソボは国際管理下に。
2008年 コソボ共和国の独立を宣言。セルビアやロシア、中国は承認せず。


ペーヤ総主教修道院(Patriarchate of Peje)
コソボの首都プリシュテナから西のルゴヴァ峡谷の入口に位置し、セルビア正教会の総主教座が置かれている。
建物の修復が、2006年に行われ、その時セルビア王妃と貴族を描いたフレスコ画が発見された。

教会の歴史と共にセルビア芸術遺産が守られている名高い場所である。
女性の修道院であり、2006年、世界遺産に登録された。



BC10世紀頃から、インド・ヨーロッパ語族のイリュリア人(Illyrians)が、バルカン半島北西部のイリュリアに居住していたが、コソボの地域に住んでいた部族は、ダルダニア人(Dardanians)と呼ばれていた。

BC4世紀に、バルデュリス王(Bardyllis)が現れて部族を統一、ダルダニア王国を建国した。
ダルダニアは、領土をめぐり、マケドニアと抗争を繰り返していたが、BC1世紀にローマの支配下となり、属州モエシア(Moesia)の一部となった。

6-7世紀以降、東ヨーロッパから侵入したスラブ人の定住に続いて、ブルガリア地方からブルガール人がやってきて、ダルダニアを征服。
681年、ブルガール人による第一次ブルガリア帝国が建国され、コソボやマケドニアの地域はブルガール帝国の一部となった。

12-13世紀、コソボを含む南部セルビア地方がセルビア人によって統一され、セルビア王国が建国された。

14世紀、オスマン帝国がバルカン半島に進出し、コソボの戦い(Battle of Kosovo 1389年)で、セルビア人はオスマン帝国の4万人の兵士と激しく戦かったが、最終的に敗北し、セルビア王国はオスマン帝国に併合された。

1912年、セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、ギリシア間に個別の同盟条約が結ばれ、オスマン帝国に対する共同防衛を目的とした防衛同盟体制(バルカン同盟)が成立。

バルカン諸国は相次いでオスマン帝国に宣戦を布告、第一次バルカン戦争が勃発した。

オスマン帝国は、約72万という倍以上のバルカン諸国の軍隊の攻撃にあい、およそ2か月で敗北した。
これによってオスマン帝国はバルカン半島、エーゲ海、地中海の領土の大半を同盟側に譲渡した。
またセルビアは、コソボの奪回を果たした。

1918年、第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が滅亡すると、スロベニア人・クロアチア人・セルビア人王国が建国。

王国は、スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロが統合されて成立した。
コソボとマケドニアもその領域内に組み込まれた。
(1929年、国号をユーゴスラビア王国に改称)


第二次世界大戦中、ユーゴスラビア王国はナチス・ドイツやイタリア王国などの枢軸国の支配下に置かれていた。
しかし、ナチス・ドイツが1945年に降伏すると、新憲法が制定され、新たにユーゴスラビア連邦人民共和国(6共和国で構成)が建国された。

①マケドニア社会主義共和国、②セルビア社会主義共和国、③ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、④クロアチア社会主義共和国、
⑤スロベニア社会主義共和国、⑥モンテネグロ社会主義共和国の6つの国家からなる連邦国家。

コソボは、セルビア社会主義共和国の一部として「コソボ・メトヒヤ自治区」として出発。
1963年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」と改称。
コソボ・メトヒヤ自治区は「コソボ自治州」に改称された。

しかし 1989年にセルビア憲法が修正され、自治州としての権限を大幅に失い、セルビア社会主義共和国の一行政区となった。
これがコソボ紛争の原因となった。

(コソボ紛争(Kosovo War 1996-1999年)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一つだったセルビアは、当時のミロシェビッチ大統領が民族主義的な専制を敷いた。
これに対し、自治州だったコソボで、セルビアからの独立をめざす多数派アルバニア系が武装闘争を展開。

米欧などの調停が不調に終わり、北大西洋条約機構(NATO)が、1999年3月からセルビアを空爆した。
1999年6月に和平が成立しコソボは国際管理下に。
2008年に独立宣言したが、セルビアやロシア、中国は承認していない。
なお日本は2008年3月、コソボを国家として承認した。)


またユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、1992年までにセルビアとモンテネグロを残して連邦を離脱し、残された2国は新たにユーゴスラビア連邦共和国を結成。
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国はその歴史に幕を閉じた。











ユーゴスラビア史

ユーゴスラビアという国は現在、存在しない。
かつて第一次世界大戦後に建国された「セルビア人・タロアチア人・スロベニア人王国」が、1929年に改名してできた国である。

ユーゴ「南」スラビア「スラブ人」という名の通り、南スラブ人の国で、現在は改名前の名の中心であったセルビア、スロベニア、クロアチアに加えてボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアの6共和国に分離し、さらに2008年にはコソボがセルビアから独立している。

この六つの共和国に五つの民族、四つの言語、三つの宗教(カトリック・ギリシア正教・イスラム)、二つの文字(ラテン文字、キリル文字)をもつ一つの国家、それがユーゴスラビアだった。

この地域は、ちょうど東西ローマ帝国の境界線が引かれた場所で、4世紀のゲルマン人の大移動後、スラブ人がドナウ川を南下して広がっていく。
その中のスロベニアはフランク王国に服属してカトリックに改宗し、その後スロベニアは東フランク王国、そして神聖ローマ帝国に編入され、15世紀にはハプスブルク家領となり、1867年のオーストリア・ハンガリー帝国が成立するとその一部となった。

クロアチア人も、スロベニア人と同じくフランク王国に服属してカトリックに改宗している。
その後はスロベニア人と違って独立を保っていたものの、11世紀末にハンガリー王国に支配され、同じくオーストリア・ハンガリー帝国の一部となっている。

一方で、ビザンツ帝国の支配を受けたセルビア人は、ギリシア正教を受け入れ、12世紀にはセルビア王国を建国して、14世紀前半にはバルカン半島北部を統合して大勢力となっている。
セルビア王国は、ステファン・ドゥシャン王(Stefan Dusan)のときに最盛期を迎えるが、14世紀末にコソボの戦いでオスマン帝国に敗れて、その支配下に入った。

そしてモンテネグロやボスニア・ヘルツェゴビナ、そしてマケドニアも、15世紀にはオスマン帝国に支配された。
19世紀に入ってバルカン半島でナショナリズムが高揚すると、1875年にボス・ア・ヘルツェゴビナでオスマン帝国に対しての反乱が起こった。

これに対して、ロシアがスラブ民族やギリシア正教徒の保護を口実に、1877年にロシア・トルコ(露土)戦争を起こしてオスマン帝国が敗北すると、1878年のサン・ステファノ条約に続くべルリン条約で、セルビアとモンテネグロはルーマニアとともに独立が承認された。
さらにボスニア・ヘルツェゴビナの管理権をオーストリアが獲得している。

1908年の青年トルコ革命のどさくさでオーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合すると、オーストリアとセルビアとの対立が深まり、バルカン半島はパン・スラブ主義を掲げるロシアと、パン・ゲルマン主義を掲げるオーストリアとの対立の舞台となっていった。

(青年トルコ革命(Young Turk Revolution 1908年)
イスタンブルで青年を中心に結成された「統一と進歩委員会」を中核とするトルコの改革運動。
アブデュルハミト2世の専制打倒と立憲制復活をめざした。
一時は衰退したが、1908年青年トルコ革命に成功し、翌年政権獲得)

1911年にイタリア・トルコ戦争が起こり、オスマン帝国が敗北すると、1912年にセルビアやモンテネグロはブルガリア・ギリシアとバルカン同盟を結んでオスマン帝国に宣戦し、第1次バルカン戦争を起こしている。

(イタリア-トルコ戦争(Italo-Turkish War 1911-1912年)
北アフリカのトルコ領トリポリとキレナイカ(現在のリビア)をめぐる、イタリアとオスマン帝国との戦争。
イタリアが勝ち、ローザンヌ条約でイタリアによる両地方の領有が承認された)

この戦争でバルカン同盟は勝利したが、今度は獲得したマケドニアの配分をめぐって、1913年に第2次バルカン戦争が勃発する。
敗北したブルガリアはドイツ・オーストリアに接近し、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれる状態になる。

そして、オーストリアの皇太子であったフランツ・フェルディナントが1914年6月28日、ボスニアの州都サラエボでセルビアの青年プリンチップに殺されるサラエボ事件が起こり、オーストリアがセルビアに宣戦して第一次世界大戦が始まった。

しかし、1918年11月にオーストリアが降伏すると、セルビアとモンテネグロを中心にスロベニア、クロアチア、ボスニアを合併した「セルビア人・タロアチア人・スロベニア人王国」の独立が宣言された。
この王国は、1919年のサン・ジェルマン条約で正式に承認されている。
また、王となったセルビアのアレクサンデルは1929年にユーゴスラビア王国と改称し、議会を停止して専制政治を進めた。

第二次世界大戦が勃発すると、ユーゴスラビア王国は1941年にドイツの侵攻を受けた。
これに対してティトー率いるパルチザンなどが抵抗し、ユーゴはソ連の手を借りずに、自力でのナチス・ドイツからの解放に成功している。

そして第二次世界大戦後の1945年に、ユーゴスラビア連邦人民共和国(1963年にユーコスラビア社会主義連邦共和国と改名)として社会主義国となった。
ティトーは、ソ連中心の社会主義体制に反発して1948年、ユーゴスラビアはコミンフォルムから除名されている。
そのためコメコン(東欧経済相互援助会議)やワルシャワ条約機構も参加していない。

ティトーは第三勢力の立場をとり、1961年にはエジプトのナセルやインドのネルーらと非同盟諸国首脳会議をベオグラードで開催している。
父はクロアチア人、母はスロベニア人であるティトーは、ユーゴの首都(ベオグラード)が置かれ歴史もあるセルビアの強大化を防ぎ、複雑な民族構成であるユーゴスラビアをまとめる接着剤だった。
そのような力リスマ性のあるティトーが1980年に死ぬと、様々な民族問題が噴出するようになった。

1991年6月にスロベニアとクロアチアが独立を宣言し、同年の9月にはマケドニアも独立を宣言している。
1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言すると、4月に成立したセルビアとモンテネグロからなるユーゴスラビア連邦共和国(通称:新ユーゴスラビア連邦)が侵攻して内戦となった。

この内戦は1995年にアメリカの仲介で停戦となったものの、1997年にミロシェヴィッチが新ユーゴスラビアの大統領となると、アルバニア系住民が90%を占めるコソボの独立運動を弾圧したために、武力闘争となった。
これに対してNATOによるセルビア空爆が(国連の安保理の決議なしの実行だったため後に問題化)行われ、国連も介入することとなった。

2001年にコシュトニツァ政権が成立してミロシェヴィッチが失脚すると、新ユーゴ連邦は2003年にセルビア・モンテネグロ共和国となった。
2007年にはセルビアとモンテネグロが分離し、2008年にはコソボが独立宣言を行っている。

4世紀 ゲルマン人の大移動後、スラブ人南下
7世紀 南スラブ人(スラブ民族)、バルカン半島に定住完了
8世紀 スロベニア人、フランク王国の支配下に
9世紀 セルビア人、ビザンツ帝国の支配下に
10世紀 クロアチア人、フランク王国の支配下に
11世紀 クロアチア人、ハンガリー王国の支配下に
12世紀 セルビア人、セルビア王国を建国
1389年 コソボの戦い。セルビアなどのバルカン連合軍、オスマン・トルコ軍(オスマン帝国)に敗北
1496年 モンテネグロが屈し、南スラブ諸地域がオスマン帝国領となる
1875年 ボスニア・ヘルツェゴビナ反乱
1877年 ロシア-トルコ戦争
1878年 サン・ステファノ条約。ベルリン条約
セルビア、モンテネグロ、ルーマニアとともに独立承認
ボスニア・ヘルツェゴビナの管理権をオーストリアが獲得
1908年 青年トルコ革命
オーストリア・ハンガリー帝国、ボスニア・ヘルツェゴビナを併合。セルビアと対立
1912-1913年 第一・第二次バルカン戦争
1914年 サラエボ事件。オーストリア、セルビアに宣戦布告。第一次世界大戦
1918年 オーストリアが降伏
「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」の独立が宣言
1919年 サン・ジェルマン条約正式承認
1929年 ユーゴスラビア王国と改称
1939年 第二次世界大戦
1941年 ドイツの侵攻 対 ティトーのパルチザン
1945年 ユーゴスラビア連邦人民共和国(旧ユーゴスラビア)成立
1948年 ユーゴ、コミンフォルムから追放
1961年 ベオグラードで第1回非同盟諸国会議開催
1963年 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国と改称
1980年 チトー大統領死去。集団指導体制発足
1991年 スロベニア、クロアチア、マケドニアが独立宣言し、ユーゴ紛争勃発
1992年 セルビアとモンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴスラビア連邦)結成
1992年 ボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言
新ユーゴスラビア連邦がボスニア・ヘルツェゴビナに侵攻。内戦
1997年 ミロシェヴィッチ大統領、コソボの独立運動を弾圧。NATOによるセルビア空爆
2003年 ユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)が、国名をセルビア・モンテネグロ共和国と改称
2007年 セルビアとモンテネグロが分離
2008年 コソボが「コソボ共和国」として独立を宣言。(アメリカ、EU諸国が独立を認め、日本も国家として承認)