国名 ノルウェー王国                        
英語 Kingdom of Norway  
首都 オスロ  
独立年 -  
主要言語 ノルウェー語  
面積 (千Km2) 386  
人口 (百万人) 5.1  
通貨単位 ノルウェー・クローネ  
宗教 福音ルーテル派が大多数を占める  
主要産業 石油・アルミニウム、シリコン  
  化学肥料、水産業   


ベルゲン鉄道 (Bergen Railway)

首都オスロと第2の都市ベルゲンの489kmを約6時間半かけて結ぶ路線。
ノルウェーの国土を貫く山脈を東西に横断するベルゲン鉄道は、深いフィヨルドから雪を頂いた山々など、ノルウェーでも最も美しい風景を満喫できる。




地理

スカンディナビア半島北西部を占める国。

東部はスウェーデンに、北部はフィンランドおよびロシアに国境を接し、
バレンツ海、北海、ノルウェー海に面する。

海岸線にはフィヨルド、山岳地帯には氷河や氷原が発達し、平野は狭い。

北部は北極圏に入るが、沖合いを流れる北大西洋海流と、その上を吹き渡る偏西風のため、
海は冬でも結氷しない。

公用語はノルウェー語。
国民の約 9割がキリスト教徒であり、ルター福音派がその大部分を占める。

金髪、碧眼、長身の北方人種が多い。
北部のラップランドには少数民族のサーミ人が居住し、トナカイ遊牧などに従事する。


主産業は伝統的にオオムギ、カラスムギ、ジャガイモなどの栽培と畜産などの農業、林業と漁業。

20世紀に入って豊富な水力を利用する工業が発展し、第2次世界大戦後は電気化学、アルミニウム、
合金鉄などの電気冶金、機械、造船の分野で工業化が進んでいる。

石炭、鉄、銅、ニッケルなど鉱物資源も豊富。

漁業は沿岸、沖合いの漁業が主で、ニシンとタラが漁獲高の大部分を占める。
また日本、アイスランドと並ぶ数少ない捕鯨国の一つ。

1971年からは北海油田を開発、近年は石油が最大の輸出品となっており、石油化学も発達している。
天然ガスの産出も多い。

ヨーロッパ連合 EUには加わらず、ヨーロッパ自由貿易連合 EFTAの一員。
北大西洋条約機構 NATO加盟国。



歴史
BC400年 ゲルマン系ノルマン人が(Norman)スカンディナビア半島に定住
860年 ノルマン人のバイキングがアイスランドを発見
872年 ノルマン人が、スカンディナビア半島西南部にノルウェー王国を建国
1028年 デンマーク王国の支配下となる
1177年 独立を回復
1397年 カルマル同盟(Kalmar Union)の結成。デンマーク連合王国の成立
1523年 カルマル同盟が解消となる
1815年 デンマークがノルウェーをスウェーデンに割譲。(ウィーン会議の議決による)
1905年 スウェーデンから独立。ノルウェー王国
1945年 第二次世界大戦後、ナチス・ドイツの占領より解放される
1949年 NATO(北大西洋条約機構)加盟









北欧史

スカンディナビア半島は、紀元前1万年頃まで氷床に覆われていた。

氷河期が終わり、最初の人類の痕跡は紀元前8000年頃とされている。

氷が溶けてスカンディナビアの海岸線が現れると、ドイツ北部の森林から
野生のトナカイが氷河に向かって北上し、それを追ってトナカイ漁師たちが
この地にやって来たのである。


サーミ人(Sami)は、スカンディナビア半島に最初に移住した民族である。
彼らの話す言語(サーミ語 Finno-Samic)から、原住地はウラル山脈と推定される。

寒冷のため、農業や牧畜は不可能であり、主として狩猟とトナカイの遊牧を生活手段とし、
紀元前2000年頃には、スカンディナビア半島北部地域に定住を完了した。


紀元前400年頃、先住民族サーミ人の次に、スカンディナビア半島に流入してきたのは、
ゲルマン系ノルマン人(Norman)である。

ノルマン人たちは、険しい内陸部ではなく、半島沿岸部に定住した。

先住民族のサーミ人たちは、ノルマン人の支配下となり、税金が強制された。
税金は、主としてトナカイやアザラシの毛皮などで支払われた。


ノルマン人たちは漁業で糊口をしのぎ、航海技術を発達させると、やがて交易活動に励むようになる。

交易品は、サーミ人から取り上げた毛皮、そして鯨油や干しダラなどの特産品だった。
行き先は、西ヨーロッパ、ロシア、果ては北アメリカまで遠征した。

彼らは商人として交易活動を主体としていたが、商談が決裂した場合などは、
海賊行為や略奪を行うこともあった。

やがて彼らはバイキング(Viking)と呼ばれるようになった。
当時の遠隔地交易は危険が多く「商人=戦士」でないと、務まらなかったのである。

こうして彼らのバイキング活動により、金品や奴隷、そしてキリスト教が半島にもたらされた。



一方、西ヨーロッパでは、375年、ゲルマン民族の大移動が始まり、
ゲルマン系デーン人(Danes)がユトランド半島に到来する。

このデーン人の侵入により、先住民族であったゲルマン系アングロ・サクソン人
(Anglo-Saxons)は、ドーバー海峡を越え、ブリテン島への移動を余儀なくされた。

さらにブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人により、先住民族であった
ケルト人が西方のアイルランドへ追いやられてしまうのである。

829年、アングロ・サクソン人たちはイングランド王国(Kingdom of England)を建国する。
イングランドとは「アングロ・サクソン人の土地」という意味である。


804年、デーン人は、ユトランド半島を中心にデンマーク王国を建国した。

800年代、北欧はバイキング時代を迎えていた。
デーン人もバイキングとして、主にフランク王国が支配する西ヨーロッパ地域一帯を侵略した。

カール大帝の死去により、王国が分裂し弱体化していた当時のフランク王国は、
バイキングたちの絶好のターゲットとされたのである。


やがて西フランク王シャルル3世(Charles III)は、やっかいなデーン人を手なづけるために、一策を案じた。

911年、デーン人の首長ロロ(Rollo)に対して、主従関係を結ぶことを条件に、セーヌ川の下流のノルマンディーに
領土を与えて定住を許したのである。(ノルマンディー公国の成立)

こうしてノルマンディー公ロロは、フランス内の諸侯となり、形式上、フランス国王の臣下となった。


ロロから6代目の子孫が、ノルマン朝(House of Normandy)を創始したウィリアム1世(William I)である。

1066年、ノルマンディー公国のウィリアム1世は、ブリテン島に侵攻。
歩兵中心のイングランド軍に対し、ノルマン軍は「ノルマン騎士」とよばれる騎士軍が主力部隊だった。

へイスティングスの戦い(Battle of Hastings)で勝利を収めると、ウィリアム1世は、
イングランド国王として即位し、ノルマン朝を開いた。(1066年)

この出来事は、のちにノルマン・コンクェスト(Norman Conquest ノルマン人の征服)と呼ばれている。

ウイリアム1世は、ノルマンディーも領地としたため、フランス国土のなかにイングランド領が生まれることになった。





872年、ノルマン人のハーラル1世(Harald Fairhair)がスカンディナビア半島西南部を統一、
ノルウェー王国を建国した。

この時期、ノルマン人は、積極的に北方へと進出しており、スコットランド周辺の島々に
いくつかの植民地を建設している。


860年には、ノルマン人のバイキングがアイスランドを発見しており、
これ以降アイスランドには、ノルマン人の移住者が続々と入植していった。

その後、985年には、グリーンランドが発見され、ここでもただちに入植がはじまっている。



970年には、スヴェア人(Svear)のエリク6世(Eric the Victorious)がスウェーデン中部の
スヴェアランド地方(Svealand)にスウェーデン王国を建国している。

スヴェア人は、ノルマン人と同じく古ノルド語を言語とするゲルマン民族である。
スヴェア人が、スウェーデンの地に入植した時期については、歴史的資料がなく定かではない。

だが7世紀に作成されたゲルマン叙事詩ベオウルフ(Beowulf)によれば、紀元500年には
スヴェアランド地方に、スウェーデンの最初の国家が建設されていたとされる。


ロシア原初年代記によれば、862年、スヴェア人の族長リューリク(Rurik)が、スヴェア人を率いて
バルト海を渡り、ロシア北西部にノブゴロド王国(Novgorod)を建国、これがロシアの起源と伝えられる。

その後、リューリクが亡くなり後継者となったオレグ(Oleg)が、882年にド二エプル川のキエフを占領、
キエフ公国(Kievan Rus)を建国したとされている。

スウェーデン王国は、その後12世紀に北方十字軍の名のもとにフィンランドに進出して併合している。



フィン人(Finns)は、フィンランドの先住民族である。

フィン人の発祥の地は、彼らの話す言語(フィン語 Finno-Ugric)から、
ウラル山脈の南部に広がる平原であると推定されている。

紀元前700年頃、フィン人はフィンランド西南部に移住を完了し、
狩猟と漁業に基づく部族的性格をもった社会を形成していた。

1114年、スウェーデン王エリック9世(Eric IX)は、十字軍の名のもとに
フィンランドに攻め入ると、フィン人の部族を次々と支配下に入れた。

スウェーデンはカトリックを信奉する国家であり、フィンランド侵攻は、
異教徒の制圧を大義名分としていた。しかし実際は勢力拡大が主目的であった。

これ以降フィン人はスウェーデン支配を約600年受けることになった。




一方、デンマーク王国はクヌート1世(Cnut the Great 在位1018~1035)が、
1016年にイングランドを征服し、デーン朝を成立させた。

1028年にはノルウェーも統一(在位1028~1035)した。
その結果、デンマークからノルウェー、イングランドにまたがる北海帝国が成立している。

しかし、クヌートの死後にイングランドではアングロ・サクソン系の国が復活し、
ノルウェーも12世紀末には独立を回復している。



ノルウェー王国は、13世紀後半にグリーンランドにまで支配を広げ最盛期を迎えた。

だが、ドイツのハンザ商人によってベルゲン(Bergen)地方がハンザ同盟(Hanseatic League)の拠点となり、
ノルウェー海の海産物はハンザ商人によって独占されるようになった。

バルト海やノルウェー海は、古くから交易の海だった。
木材や海産物、毛皮などが沿岸の港から積み出され、遠く西ヨーロッパへと運ばれていた。

だが北欧三国が握っていたこれらの交易の主導権は、新たに勃興したハンザ同盟に奪われてしまったのである。




このハンザ同盟に対抗するため、スウェーデンとノルウェーは1397年にデンマーク女王
マルグレーテ(Margaret I)のもとでカルマル同盟(Kalmar Union)を結成した。

北欧三国はデンマーク連合王国として同君連合となった。



1429年、デンマークはハンザ同盟を封じ込めるため、北海からバルト海へ抜ける海峡の通行に課税しようとした。
だがこのことから、ハンザ海軍との間で戦争状態になった。(ハンザ・デンマーク戦争)

この戦争はハンザ海軍が勝利し、無税で海峡航行権を得た。
デンマークは、この戦費を賄うためにノルウェー・スウェーデンに重税を課したため不満が高まった。

1523年、スウェーデンで農民が反乱を起こし、スウェーデン政府はこの機に乗じて
デンマークから独立したため、カルマル同盟は解消されてしまった。

1815年には、デンマーク・ノルウェーの連合も解消されることになる。

グリーンランドとアイスランドについては、連合を通じて獲得したデンマークが
引き続き領有することとなった。



その後、スウェーデンは、デンマークにかわり、バルト海の覇権を握るようになる。
スウェーデンが台頭するきっかけをつくったのは、1618年に発生した三十年戦争だった。

当時、北欧三国ではドイツで起こった宗教改革の影響でプロテスタントを信奉する者が増えていた。

三十年戦争は、カトリックとプロテスタントの対立をきっかけに始まった戦乱だったが、
スウェーデンは、プロテスタント支援を名目に参戦した。

この戦争の結果、勝利したスウェーデンは、1648年のウェストファリア条約(Peace of Westphalia)
でバルト海南岸のドイツの領土を獲得した。


スウェーデンは、バルト海を手中に収め、大国への道を歩みはじめた。
かわりにドイツのハンザ同盟は衰退していくことになった。


絶頂期を迎えたスウェーデンは、ほどなくして衰退の時代を迎える。

バルト海交易への参画を熱望していたロシアは、スウェーデンを包囲するため、
ポーランド、デンマークと秘密裏に同盟を結んだのだ。

1700年、同盟諸国とスウェーデンの間で北方戦争(The Northern War 1700-1721年)がはじまった。

この戦争で、スウェーデンは敗北し、多くのバルト海沿岸の土地を失ってしまう。
1809年には、フィンランドをロシアに奪われ、大国の地位から転落してしまった。


フィンランドはその後、長くロシアの支配下にあったが、1917年のロシア革命を機に
フィンランド共和国として独立を達成した。

長らくデンマークの支配下にあったアイスランドは、第二次世界大戦中の1944年に独立を果たした。


1956年、サーミ人の待遇改善を目指す北欧三国のサーミ評議会が設置された。

サーミ人の居住する地域は、北欧三国の領土として分割され、長い間差別や迫害を
受けてきた地域であった。

各国政府は、サーミ人の人権保障実現に向けて積極的に取り組むようになり、
現在では、彼らの最古の先住民族としての立場が十分に尊重されるようになった。



デンマークは戦後、経済成長を遂げ、造船、機械工業を基礎とした先進的工業国となった。

また、コペンハーゲンをはじめ、美しい街並みや自然の景観にすぐれ、年間を通して
数多くの観光客が訪れる屈指の観光大国となっている。

ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧三国も、様々な歴史を歩んできたが、
戦後は、豊かな森林資源を背景にそれぞれ先進工業国に成長している。

また世界に冠たる社会保障制度をもつ福祉国家としても知られるようになった。












バイキングたちの食事 (The Vikings' meal)


船に積む食料は、長い航海に耐える日持ちのよい食材が選ばれた。

主な食材は、乾パンに干し肉、干しタラ、そしてビールとワインである。
スカンディナビアの特産である干しタラは、貴重な交易品の一つでもあった。

干しタラは当時、最も長く保存可能な蛋白源であり、夏場の地中海を
航海しても腐らない食材は唯一干しタラであった。

バイキングたちの、もうひとつの蛋白源はウミガメだった。
陸に上がったウミガメは緩慢で彼らの格好の獲物となった。

ウミガメは生きたまま船内に持ち込み、甲羅を下にして
ひっくり返しておき、調理の直前にさばいたのである。

また船上では、生水は腐りやすいため、ビールが飲料水だった。
乾パンや干し肉は、ワインに浸してやわらかくして食べた。

ワインは出航前に、あらかじめレモン汁が加えられていた。

これは長い航海による栄養失調を防ぐためであり、バイキングたちに
とって貴重なビタミン補給源となったのである。






アナと雪の女王 (Frozen)

映画に登場する「アレンデール王国」のモデルとなったのが、ノルウェー南西部の町ベルゲン。

カラフルな三角屋根の建物がずらりと立ち並ぶ光景は、まるで絵本の中から飛び出してきたかのよう。
どこからかアナやエルサが現れてくるような気がしませんか?

映画をつくるにあたって、美術スタッフはノルウェーへと「リサーチ旅行」へ出かけたそうです。

そこで見た北欧の壮大な自然や文化からインスピレーションを得て、
ファンタジック・アニメ「アナと雪の女王」をつくりあげました。

小さいシーンですが「クラムカカ」(krumkake)が出てくるシーンがあります。
クレープを巻いた菓子にシュガーパウダーをまぶした北欧の伝統的な巻き菓子です。

ノルウェーの景色や建物、民族衣装、食べ物にいたるまで、北欧を思いっきり体感できる映画といえますね。