国名 ポルトガル共和国                        
英語 Portuguese Republic  
首都 リスボン  
独立年 -  
主要言語 ポルトガル語  
面積 (千Km2) 92  
人口 (百万人) 10.4  
通貨単位 ユーロ  
宗教 カトリック教徒が圧倒的多数  
主要産業 製造業(コルク製造)、観光業等  
     
         
ジェロニモス修道院 (Mosteiro de Jernimos)

ポルトガル、リスボンのテージョ川沿岸、ベレン地区にあるマヌエリノ様式の修道院。
16世紀半ば、マヌエル1世がエンリケ (航海王子) の偉業に敬意を表し、約 30年の歳月をかけて建造した。

南門、回廊、中庭の柱などをはじめ、修道院全体に繊細な彫刻が施され、石灰岩からなる白亜の建物とともに優雅で洗練されたマヌエリノ様式を代表している。
インド航路発見により巨額の富を築き上げたポルトガル大航海時代の輝かしい歴史を伝える建造物となっており、王家の霊廟として国王マヌエル1世が埋葬されている。
1983年、世界遺産の文化遺産に登録。
   
         



地理

スペインとの国境地帯は丘陵性山地、西部の大西洋岸には海岸平野が開ける。

川は北部をドウロ川が西流、中部をタホ川が南西流、
南部をグアディアナ川が南流して大西洋に注ぐ。


気候は全般に温暖で、内陸部は夏と冬の気温差が大きい。
中部のエストレーラ山脈では冬の気温が 0℃以下になり、山頂は雪に覆われる。

農業、漁業が主産業で、オリーブ、米、ジャガイモ、コムギ、トウモロコシを多産する。

工業は繊維、醸造、魚類缶詰、コルク製造など。特にコルクは世界の生産高の半分以上を産する。
鉱業も盛んで、石炭、鉄、スズ、銅、マンガン鉱などを産する。

輸出品にはワイン、イワシ、コルク、オリーブ油、樹脂、タングステン、スズなどがある。
史跡、保養・観光地も多い。1986年ヨーロッパ共同体 ECに加盟。







歴史

紀元前700年頃、インド・ヨーロッパ語族のケルト人(Celts)が、ピレネー山脈を越えて
イベリア半島北西部に入植した。

そのうち現在のポルトガルの地の大部分はルシタニア(Lusitania)と呼ばれた。

紀元前600年頃には、カルタゴ人やギリシア人が半島各地に入植して地中海文化が栄えた。


紀元前264年、カルタゴと新興国ローマとの地中海覇権をかけた対決がはじまる。

第2回ポ工二戦争(BC218~BC201)では、カルタゴの将軍ハンニバルが、
イベリア半島に建設されたカルタゴ・ノヴァを拠点にローマと戦った。

ポエ二戦争でローマがカルタゴに勝利すると、BC143年、ローマ軍はイベリア半島に侵攻した。(ルシタニア戦争)
ケルト人たちはヴィリアトゥス王(Viriathus)のもとに結集し、度々ローマ軍を破った。

その後の戦争は一進一退だったが、BC139年にローマはヴィリアトゥスの部下に賄賂を贈って、王を殺させた。
名将を失ったケルト軍をローマはたやすく破り、降伏させた。

BC133年以降、イベリア半島はヒスパニア(Hispania)と呼ばれ、ローマの属州として支配された。


395年にローマが東西に分裂すると、イベリア半島は西ローマ帝国の領土となった。

しかし、その後のゲルマン人の大移動の結果、476年、西ローマ帝国は滅亡、イベリア半島は、
西ゴートなど小王国が乱立を続けたが、712年、イスラム王朝(ウマイヤ朝)が統一した。

1139年、ポルトガル王アフォンソ1世(Afonso I)が、オーリッケの戦い(Battle of Ourique)で
イスラム王朝(ムラービト朝)を破り、1143年、ポルトガル王国(Kingdom of Portugal)を建国。

ポルトガル王国は、大西洋航海や植民を推進し、1498年、バスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)による
インド航路の発見などにより、西欧の海外発展の先駆的役割を果たして最盛期を現出した。

ポルトガルの大航海政策は、単に航路を開くだけが目的ではなく、領土的野心も伴っていた。

1500年に南米のブラジル、1510年に、インドのゴア、マレー半島のマラッカを占領し、
1557年には中国の明からマカオの居住権を得た。

ポルトガルによって日本に鉄砲やキリスト教が伝来したのもこの時代である。



香辛料貿易で莫大な利益をあげ、首都リスボンは世界商業の中心地となった。
しかし貿易自体は王室の独占事業で国内産業の発展にはつながらず、その栄華は長続きしなかった。

1807年、ナポレオンの勢力拡大政策により、フランス軍がポルトガルに侵攻。
ポルトガル王は植民地ブラジルへ逃れた。

1822年、ようやくポルトガル王が帰国すると、ブラジルが独立を宣言。
ポルトガルは最大の植民地を失った。

1910年、軍部のクーデターによって王政は廃止され、ポルトガルは共和政に移行した。



第一次世界大戦でポルトガルは連合国として参戦したが、政治不安が続き軍事政権が成立する中、
1929年の世界恐慌を乗り切ったサラザール(Salazar)が台頭し、独裁を開始する。

第二次世界大戦では中立を貫いたため、戦後もその独裁体制は維持された。

1968年、サラザールの病気引退の後を受けてカエタノ政権(Caetano)が成立した。

そのカエタノ政権も1974年の軍事クーデター(カーネーション革命 Carnation Revolution)で倒され、
40年以上継続した独裁体制はようやく終了した。

1986年、ポルトガルはスペインとともにヨーロッパ共同体(EC)に加盟、
1999年にはヨーロッパ最後の植民地となったマカオを中国に返還している。(マカオ返還)



BC700年 ケルト人がポルトガル(ルシタニア)の地に入植
BC143年 ルシタニア戦争(-BC133年)ローマの属州に
411年 ゲルマン系スエビ人がスエビ王国を建国
415年 西ゴート王国の支配下
756年 後ウマイヤ朝の支配下
1139年 オーリッケの戦いでイスラムのムラービト朝を破る
1143年 ポルトガル王国成立。(カスティリャ王国による承認)
1415年 モロッコのセウタ攻略
エンリケ航海王子、アフリカ西岸の探検奨励
1488年 バルトロメウ・ディアス(喜望峰)到達
1493年 植民地分界線。(法王子午線)
1494年 トルデシリャス条約。新領土の分割方式を取り決める
1498年 バスコ・ダ・ガマ、カリカット到着
1500年 カプラル、ブラジル漂着
1509年 ディーウ沖海戦。マムルーク朝を破る
1510年 ゴアを植民地に。
1511年 マラッカ、モルッカ諸島到達
1529年 サラゴサ条約。スペインとポルトガルの境界をさだめる
1557年 明からマカオの居留権獲得
1580年 スペインのフェリぺ2世によってポルトガル併合
オランダに交易拠点を奪われていく
1640年 ポルトガル、スペインより独立。
1807年 ナポレオン戦争により、リスボンの王室はブラジルのリオデジャネイロへ遷都
1822年 ブラジル帝国。(ブラジル独立)
1910年 共和政に移行。ポルトガル共和国成立
1914年 第一次世界大戦。連合国として参観
1932年 サラザール政権(-1968年)。独裁体制の開始
1936年 スペイン内戦。フランコ支援
1939年 第二次世界大戦。中立
1945年 国際連合加盟
1949年 北大西洋条約機構(NATO)加盟
1974年 カーネーション革命。(ポルトガルの春)。民主化
1975年 アンゴラ・モザンビーク独立
1986年 ヨーロッバ共同体(EC)加盟
1998年 万国博覧会開催。(リスボン)
1999年 マカオ返還
1999年 ユーロ導入。(2002年から流通)








モンサント (Monsanto)


まるで落下した隕石で押しつぶされたような家が立ち並ぶ村モンサント。

ここは首都リスボンから車で約4時間、スペイン国境に近い小さな村。

758mの丘の中腹に広がる村の至る所に、花崗岩の巨石がごろごろ。
人々は巨石の間に家を建て、それ自体を家の壁や屋根として利用している。

聖なる山を意味するモンサントの名は、古来、丘の上に神殿があったことに由来。
人々は、巨石を聖なる力の象徴として崇め、ずっと共存してきたという。

巨石が置かれた家や、岩を並べて作られた石畳の小道は、村の景色と一体化しており、
独特の光景の中に、どこかほっとする懐かしさが感じられる不思議な村である。

(住所:Monsanto, Castelo Branco, Portugal)