国名 スロベニア共和国
英語 Republic of Slovenia
首都 リュブリャナ
独立年 1991年
主要言語 スロベニア語
面積 (千Km2) 23
人口 (百万人) 2.1
通貨単位 ユーロ
宗教 カトリック 57.8%、イスラム教 2.4%、セルビア正教 2.3%、その他37.7%
主要産業 自動車等輸送機械、電気機器、医薬品、金属加工、観光
 地理 イタリア、オーストリア、ハンガリー、クロアチアと国境を接し、アドリア海に臨む。
領域の半分近くが山岳で、最高峰はユリースケアルペのトリグラフ山 (2864m) 。

サバ川が、同山脈に源を発して、北西から南東にスロベニアを横断する。
地下資源や電力に恵まれ、鉄鋼、アルミニウム、機械、繊維などの工業が盛ん。
穀物、ジャガイモ、ホップ、テンサイを中心とした農業も行なわれる。






歴史
6世紀 南スラヴ系スロベニア人が、バルカン半島北部のサヴァ川上流域に定住。
8世紀 フランク王国の支配下に。
10世紀 神聖ローマ帝国の所領となる。
1867年 オーストリア・ハンガリー帝国が成立するとオーストリア帝国領となる。
1918年 オーストリア・ハンガリー帝国から独立しセルビア・クロアチア・スロベニア王国となる
1929年 ユーゴスラビア王国に改称した。
1941年 ユーゴスラビアに枢軸国が侵入すると、スロベニアはナチス・ドイツの占領下に置かれた
1945年 ユーゴスラビア連邦人民共和国になる。
1963年 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国と改称
1991年 ユーゴスラビアから分離独立。 (1992年、ECによる独立承認)
2004年 欧州連合に加盟。

 





















ブレッド湖(Bledsko Jezero)
スロベニアのほぼ北西端に位置する氷河湖。
ユリースケアルペのふもと、標高 475mにあり、面積 1.45km2と小さいが、中世(11世紀)の巡礼地となった聖堂のある湖畔に屹立する巖上の古城である。
豪華なホテル群と整備された遊歩道などのある同国屈指の観光地で、四季を通じて訪客が絶えない。
近くにトリグラーフ国立公園もある。



8世紀末からスロベニアは、フランク王国の支配下にあった。
13世紀からはオーストリアの支配を受け、のちにはオーストリア・ハンガリー帝国に統治された。
1918年、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国 (1929年ユーゴスラビアと改称) の一部として独立。

その後、スロベニアは第ニ次世界大戦中はドイツ、イタリア、ハンガリーに占領されたが、戦後に独立を回復。
1945年11月のユーゴスラビア連邦人民共和国成立時には、同国を構成する6共和国の一つとなった。

1963年ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の成立に伴い、スロベニア社会主義共和国に改称。
1991年クロアチアとともに独立を宣言した。
2004年ヨーロッパ連合 EUに加盟。






       

ユーゴスラビア史
ユーゴスラビアという国は現在、存在しない。
かつて第一次世界大戦後に建国された「セルビア人・タロアチア人・スロベニア人王国」が、1929年に改名してできた国である。

ユーゴ「南」スラビア「スラブ人」という名の通り、南スラブ人の国で、現在は改名前の名の中心であったセルビア、スロベニア、クロアチアに加えてボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアの6共和国に分離し、さらに2008年にはコソボがセルビアから独立している。

この六つの共和国に五つの民族、四つの言語、三つの宗教(カトリック・ギリシア正教・イスラム)、二つの文字(ラテン文字、キリル文字)をもつ一つの国家、それがユーゴスラビアだった。

この地域は、ちょうど東西ローマ帝国の境界線が引かれた場所で、4世紀のゲルマン人の大移動後、スラブ人がドナウ川を南下して広がっていく。
その中のスロベニアはフランク王国に服属してカトリックに改宗し、その後スロベニアは東フランク王国、そして神聖ローマ帝国に編入され、15世紀にはハプスブルク家領となり、1867年のオーストリア・ハンガリー帝国が成立するとその一部となった。

クロアチア人も、スロベニア人と同じくフランク王国に服属してカトリックに改宗している。
その後はスロベニア人と違って独立を保っていたものの、11世紀末にハンガリー王国に支配され、同じくオーストリア・ハンガリー帝国の一部となっている。

一方で、ビザンツ帝国の支配を受けたセルビア人は、ギリシア正教を受け入れ、12世紀にはセルビア王国を建国して、14世紀前半にはバルカン半島北部を統合して大勢力となっている。
セルビア王国は、ステファン・ドゥシャン王(Stefan Dusan)のときに最盛期を迎えるが、14世紀末にコソボの戦いでオスマン帝国に敗れて、その支配下に入った。

そしてモンテネグロやボスニア・ヘルツェゴビナ、そしてマケドニアも、15世紀にはオスマン帝国に支配された。
19世紀に入ってバルカン半島でナショナリズムが高揚すると、1875年にボス・ア・ヘルツェゴビナでオスマン帝国に対しての反乱が起こった。

これに対して、ロシアがスラブ民族やギリシア正教徒の保護を口実に、1877年にロシア・トルコ(露土)戦争を起こしてオスマン帝国が敗北すると、1878年のサン・ステファノ条約に続くべルリン条約で、セルビアとモンテネグロはルーマニアとともに独立が承認された。
さらにボスニア・ヘルツェゴビナの管理権をオーストリアが獲得している。

1908年の青年トルコ革命のどさくさでオーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合すると、オーストリアとセルビアとの対立が深まり、バルカン半島はパン・スラブ主義を掲げるロシアと、パン・ゲルマン主義を掲げるオーストリアとの対立の舞台となっていった。

(青年トルコ革命(Young Turk Revolution 1908年)
イスタンブルで青年を中心に結成された「統一と進歩委員会」を中核とするトルコの改革運動。
アブデュルハミト2世の専制打倒と立憲制復活をめざした。
一時は衰退したが、1908年青年トルコ革命に成功し、翌年政権獲得)

1911年にイタリア・トルコ戦争が起こり、オスマン帝国が敗北すると、1912年にセルビアやモンテネグロはブルガリア・ギリシアとバルカン同盟を結んでオスマン帝国に宣戦し、第1次バルカン戦争を起こしている。

(イタリア-トルコ戦争(Italo-Turkish War 1911-1912年)
北アフリカのトルコ領トリポリとキレナイカ(現在のリビア)をめぐる、イタリアとオスマン帝国との戦争。
イタリアが勝ち、ローザンヌ条約でイタリアによる両地方の領有が承認された)

この戦争でバルカン同盟は勝利したが、今度は獲得したマケドニアの配分をめぐって、1913年に第2次バルカン戦争が勃発する。
敗北したブルガリアはドイツ・オーストリアに接近し、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれる状態になる。

そして、オーストリアの皇太子であったフランツ・フェルディナントが1914年6月28日、ボスニアの州都サラエボでセルビアの青年プリンチップに殺されるサラエボ事件が起こり、オーストリアがセルビアに宣戦して第一次世界大戦が始まった。

しかし、1918年11月にオーストリアが降伏すると、セルビアとモンテネグロを中心にスロベニア、クロアチア、ボスニアを合併した「セルビア人・タロアチア人・スロベニア人王国」の独立が宣言された。
この王国は、1919年のサン・ジェルマン条約で正式に承認されている。
また、王となったセルビアのアレクサンデルは1929年にユーゴスラビア王国と改称し、議会を停止して専制政治を進めた。

第二次世界大戦が勃発すると、ユーゴスラビア王国は1941年にドイツの侵攻を受けた。
これに対してティトー率いるパルチザンなどが抵抗し、ユーゴはソ連の手を借りずに、自力でのナチス・ドイツからの解放に成功している。

そして第二次世界大戦後の1945年に、ユーゴスラビア連邦人民共和国(1963年にユーコスラビア社会主義連邦共和国と改名)として社会主義国となった。
ティトーは、ソ連中心の社会主義体制に反発して1948年、ユーゴスラビアはコミンフォルムから除名されている。
そのためコメコン(東欧経済相互援助会議)やワルシャワ条約機構も参加していない。

ティトーは第三勢力の立場をとり、1961年にはエジプトのナセルやインドのネルーらと非同盟諸国首脳会議をベオグラードで開催している。
父はクロアチア人、母はスロベニア人であるティトーは、ユーゴの首都(ベオグラード)が置かれ歴史もあるセルビアの強大化を防ぎ、複雑な民族構成であるユーゴスラビアをまとめる接着剤だった。
そのような力リスマ性のあるティトーが1980年に死ぬと、様々な民族問題が噴出するようになった。

1991年6月にスロベニアとクロアチアが独立を宣言し、同年の9月にはマケドニアも独立を宣言している。
1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言すると、4月に成立したセルビアとモンテネグロからなるユーゴスラビア連邦共和国(通称:新ユーゴスラビア連邦)が侵攻して内戦となった。

この内戦は1995年にアメリカの仲介で停戦となったものの、1997年にミロシェヴィッチが新ユーゴスラビアの大統領となると、アルバニア系住民が90%を占めるコソボの独立運動を弾圧したために、武力闘争となった。
これに対してNATOによるセルビア空爆が(国連の安保理の決議なしの実行だったため後に問題化)行われ、国連も介入することとなった。

2001年にコシュトニツァ政権が成立してミロシェヴィッチが失脚すると、新ユーゴ連邦は2003年にセルビア・モンテネグロ共和国となった。
2007年にはセルビアとモンテネグロが分離し、2008年にはコソボが独立宣言を行っている。

4世紀 ゲルマン人の大移動後、スラブ人南下
7世紀 南スラブ人(スラブ民族)、バルカン半島に定住完了
8世紀 スロベニア人、フランク王国の支配下に
9世紀 セルビア人、ビザンツ帝国の支配下に
10世紀 クロアチア人、フランク王国の支配下に
11世紀 クロアチア人、ハンガリー王国の支配下に
12世紀 セルビア人、セルビア王国を建国
1389年 コソボの戦い。セルビアなどのバルカン連合軍、オスマン・トルコ軍(オスマン帝国)に敗北
1496年 モンテネグロが屈し、南スラブ諸地域がオスマン帝国領となる
1875年 ボスニア・ヘルツェゴビナ反乱
1877年 ロシア-トルコ戦争
1878年 サン・ステファノ条約。ベルリン条約
セルビア、モンテネグロ、ルーマニアとともに独立承認
ボスニア・ヘルツェゴビナの管理権をオーストリアが獲得
1908年 青年トルコ革命
オーストリア・ハンガリー帝国、ボスニア・ヘルツェゴビナを併合。セルビアと対立
1912-1913年 第一・第二次バルカン戦争
1914年 サラエボ事件。オーストリア、セルビアに宣戦布告。第一次世界大戦
1918年 オーストリアが降伏
「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」の独立が宣言
1919年 サン・ジェルマン条約正式承認
1929年 ユーゴスラビア王国と改称
1939年 第二次世界大戦
1941年 ドイツの侵攻 対 ティトーのパルチザン
1945年 ユーゴスラビア連邦人民共和国(旧ユーゴスラビア)成立
1948年 ユーゴ、コミンフォルムから追放
1961年 ベオグラードで第1回非同盟諸国会議開催
1963年 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国と改称
1980年 チトー大統領死去。集団指導体制発足
1991年 スロベニア、クロアチア、マケドニアが独立宣言し、ユーゴ紛争勃発
1992年 セルビアとモンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴスラビア連邦)結成
1992年 ボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言
新ユーゴスラビア連邦がボスニア・ヘルツェゴビナに侵攻。内戦
1997年 ミロシェヴィッチ大統領、コソボの独立運動を弾圧。NATOによるセルビア空爆
2003年 ユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)が、国名をセルビア・モンテネグロ共和国と改称
2007年 セルビアとモンテネグロが分離
2008年 コソボが「コソボ共和国」として独立を宣言。(アメリカ、EU諸国が独立を認め、日本も国家として承認)