国名 スウェーデン王国
英語 Kingdom of Sweden
首都 ストックホルム
独立年 -
主要言語 スウェーデン語
面積 (千Km2) 450
人口 (百万人) 9.7
通貨単位 クローナ
宗教 福音ルーテル派が多数
主要産業 機械工業(含:自動車)、化学工業、林業、IT
地理  
国土の 8.5%をベーネルン、ベッテルン、シリャン、
ストゥール、メーラレンをはじめとする 10万にも及ぶ湖水が占める。
北部ノルランド地方は森林地域で、南部イェータランド地方は
低い丘陵性台地と沿岸低地からなる農業地帯。

北部に住む少数のエスキモー系サミ人 (いわゆるラップ) 、
フィン人を除き、国民の大部分はゲルマン系のスウェーデン人。
公用語はスウェーデン語で、少数民族はサミ語、フィン語を使用。
積雪期間は北部のカレスアンドで 10~5月にわたるが、
緯度のわりに気候は温和。

産業は豊富に産出する鉄鉱石と石炭を利用する重工業、
特に鉄鋼生産を中心とするが、軽機械の製造、伝統の農業、
林業と合わせ、きわめて高度に発達している。
19世紀に始まった爆薬、安全マッチなどの化学工業も盛ん。
社会保障制度の行き渡った福祉国家としても有名である。














歴史
BC4世紀 北ゲルマン系のノルマン人が北欧の地に定着。
8世紀後半 ノルマン人は、海外に通商、略奪、探検で進出し、アイスランド、グリーンランドへと移住。(ヴァイキングの時代)
970年 ノルマン人が、スウェーデン中部にスウェーデン王国を建国
1155年 スウェーデン王による「十字軍」が始まり、フィンランドを支配下に
800-1050年頃 ヴァイキング時代
1397年 カルマル同盟によりデンマーク王がスウェーデン王として即位
1523年 グスタフ1世(グスタフ・ヴァーサ)即位。デンマークより独立。
1630~1648年 グスタフ2世アドルフ、ドイツ30年戦争に介入。ウェストファリア条約で大国としての地位確保。
1700年 北方戦争。ロシアに敗北
1809年 フィンランドをロシアに奪われる
1815年 デンマークからノルウェーを割譲される。スウェーデン・ノルウェー王国成立。
1905年 ノルウェー独立
1946年 国連加盟
1995年 欧州連合(EU)加盟


ウプサラ(Uppsala)大聖堂
ウプサラは、スウェーデン中東部、ウプサラ県の県都。 1164年以降、大司教座の所在地でもある。
ストックホルムの北約 65kmのフューリソン川河畔、森と平野に囲まれた静かな町。
市内には北ヨーロッパ最大のゴシック様式大聖堂、カルル・フォン・リンネ植物園、ビクトリア博物館などがある。




北欧史
8世紀後半から、スカンディナビア半島やユトランド半島を現住地とするノルマン人(北ゲルマン人)が移動を開始。
第2次ゲルマン民族移動ともいわれるこの移動では船が用いられ、航海術に優れていたノルマン人はヴァイキングとも呼ばれた。

デンマーク地方からイングランドに来襲したノルマン人はデーン人と呼ばれ、このデーン人が804年、ユトランド半島を中心に「デーン人の国」という意味のデンマーク王国を建国し、10世紀頃にはキリスト教に改宗したといわれる。

872年にはスカンディナビア半島西部に、ノルマン人がノルウェー王国を、そして970年には、ノルマン人の王エリク6世(Eric the Victorious 在位970~995)が、スウェーデン中部のスヴェアランド(Svealand)とその周辺を支配下におき、スウェーデン王国を建国している。

デンマーク王国はクヌート1世(Cnut the Great 在位1018~1035)によって統一され、クヌート1世は、1016年にイングランドを征服(在位1016~1035)し、デーン朝を成立させ、1028年にはノルウェーも統一(在位1028~1035)した。

その結果、デンマークからノルウェー、イングランドにまたがる北海帝国が成立している。
しかし、クヌートの死後にイングランドではアングロ・サクソン系の国が復活し、ノルウェーも12世紀末には独立を回復している。

キリスト教を受容したスウェーデン王国は、12世紀に北方十字軍の名のもとにフィンランド(住民の大部分はウラル・アルタイ語系のフィン人)に進出して併合している。
しかし、国内では王と貢族の争いが続いて、徐々に弱体化が進んでいった。

ノルウェー王国は13世紀後半に最盛期を迎え、アイスランドを併合してグリーンランドにまでその支配を広げていた。
しかし、ドイツのハンザ商人によって立てられたベルゲン(Bergen)がハンザ同盟の四大商館の一つとなり、ノルウェー海の海産物はハンザ商人によって独占されるようになった。

(ハンザ同盟(Hanseatic League)
13世紀から16世紀にかけて北欧の商業圏を支配した北ドイツの都市同盟。
リューベック・ハンブルクなど北海・バルト海沿岸の諸都市が結成。
商業上の共同利益の保全、海上交通の安全保障、共同防衛などを目的とし、最盛期の14世紀後半には70を超える都市が参加した)


さらに、14世紀末には黒死病の流行もあって、ノルウェー王国は衰退していった。
そのような中、パルト海での貿易を中心に力をもつハンザ同盟に対抗するため、スウェーデンとノルウェーは1397年にデンマーク女王マルクレーテのもとでカルマル同盟を結成し、北欧3園はデンマーク連合王国として同君連合となった。

(カルマル同盟(Kalmar Union)
1397年、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの北欧三国が結成した同盟。
締結場所が現スウェーデンのカルマルであったので「カルマル同盟」と呼ばれる
三国はデンマークのマルグレーテを実質的女王とする同君連合となった。
建前は三国は対等であったが、実体はデンマークを盟主とする)

しかし、ヴァーサ朝を問いたグスタフ1世によって1523年にスウェーデンがデンマークから独立し、カルマル同盟は解消された。
そうして北欧3国はスウェーデン王国とデンマーク・ノルウェー王国に分かれる中、この地域ではドイツで起こった宗教改革の影響でルター派が広がっていった。


北欧3国の中で、デンマーク王国にとってかわるのがスウェーデン王国だった。
1618年にべーメン(ボヘミア)反乱をきっかけとして三十年戦争が起こると、デンマーク国王クリスチャン4世はプロテスタントを支援してこの戦争に参加した。
しかしハブスブルク家側の傭兵隊長ヴァレンシュタイン(Wallenstein)の活躍によって、デンマークは敗北した。

(三十年戦争(Thirty Years' War 1618年-1648年)
神聖ローマ皇帝王フェルディナント2世のプロテスタント圧迫が原因で、ボヘミアのプロテスタント反乱をきっかけに勃発した戦争。
デンマーク、スウェーデン、フランスがプロテスタント側で参戦したため、一躍、国際戦争の様相を呈した。
神聖ローマ帝国内の戦争であった最初の局面ではまだ宗教的対立による戦争という傾向が強かったが、外国勢力が介入してからは、政治的利害のほうが優越し、最終的にはオーストリア、スペインの両ハプスブルク家とフランスのブルボン家の対抗関係を主軸として戦われた。
主な戦場となったドイツは国土が荒廃し、皇帝権の弱化による諸邦の分裂と相まって、著しく近代化が遅れることになった)


このデンマークの敗北に対し、「北方の獅子」と呼ばれたスウェーデン国王クスタフ・アドルフは、バルト海での覇権を求めてデンマークと開戦した。
戦闘はスウェーデン軍が勝利したものの、グスタフは戦死し、和平工作を進めていたヴァレンシュタインも暗殺されてしまう。
この戦争の結果、勝利したスウェーデンは、1648年のウェストファリア条約でパルト海南岸の西ボンメルンとブレーメン大司教領を領有し「パルト帝国」と呼ばれるようになる。
スウェーデンはバルト海での商業権を獲得し、かわりにドイツのハンザ同盟は衰退していくことになる。

(ウェストファリア条約(Peace of Westphalia 1648年)
1648年、三十年戦争の講和条約。
①プロテスタントまたカルヴァン派の信仰が認められた。
②ドイツの約300の諸侯が独立。神聖ローマ帝国の実質的解体
③フランスは、ドイツからアルザス地方の大部分とその他の領土を獲得。④スウェーデンは北ドイツのポンメルンその他の領土を獲得。
⑤オランダの独立の承認(オランダ独立戦争の終結)
⑥スイスの独立の承認
なお、フランス(ルイ14世・マザラン)とスペイン間の戦争は継続され、両者の講和は遅れて1659年のピレネー条約で成立した。
ピレネー条約でフランスはアルトワを獲得、ルイ14世とスペイン王フェリペ2世の娘マリー・テレーズの婚姻を取り付けた。
またこの時イギリスはピューリタン革命の最中であったので、この条約には関わっていない)

こうして北欧3国のトップに立ったスウェーデンはバルト海を支配して、デンマーク・ノルウェー王国を脅かした。
ところが、思いもかけないところからスウェーデンはバルト海の覇者の地位を失う。

それは当時、後進国であったロシア、ピョートル1世の登場によるものだった。
バルト海の出口を求めるピョートル1世は、1700年にデンマーク・ポーランドと組んで、北方戦争を起こした。

スウェーデンのカール12世は「北方のアレクサンドロス」と呼ばれ、当初はスウェーデンが戦闘でも圧倒的に有利だった。
しかし1709年のポルタヴァの戦いでスウェーデンは敗北し、ロシアは1712年にパルト海をのぞむペテルブルクを建設して首都としている。
そして1721年のニスタット条約によって、スウェーデンは多くのバルト海沿岸の土地を失った。

(北方戦争(The Northern War 1700-1721年)
バルト海の支配権をめぐって、デンマーク・ポーランドと結んだロシアとスウェーデンとの間で行われた戦争。
当初はスウェーデンが優勢であったが、ポルタヴァの戦い(Battle of Poltava)を転機にピョートル大帝のロシアが勝利をおさめ、1721年のニスタット条約(Treaty of Nystad)でバルト海東岸を獲得、ペテルブルクを建設した)


北方戦争でバルト海の覇権を失ったスウェーデンは、フランス革命が起こるとナポレオンに敗北した。
そして、1807年のティルジット条約でロシアが大陸封鎖令(ベルリン勅令)へ参加する見返りに、ナポレオンはロシアのフィランド領有を認めた。
そのため1809年にスウェーデンはフィンランドをロシアに奪われている。

翌年にナポレオンの元帥であったベルナドット(彼のカール14世ヨハン。これがなんと現在も続くスウェーデンのベルナドット朝となる)が皇太子となっている。
しかし、ヘルナドットは反フランス、反ナポレオンの立場をとっていき、1813年10月のナポレオンを敗北させたライプチヒの戦い(諸国民戦争)での連合国軍の総司令官となり、ナポレオン戦争においてスウェーデンは戦勝国となった。
しかしウィーン会議において、スウェーデンはロシアからフィンランドを奪還することはできなかった。
しかしかわりに、1815年のウィーン議定書ではナポレオン側について敗北国となったデンマークからノルウェーを割譲させ、同君連合としている。

長く続いたデンマーク・ノルウェー王国は解消され、スウェーデン・ノルウェー王国がスカンディナビア半島の統一を進めていくことになる。
デンマークはノルウェーを失ったが、ノルウェー支配を通してグリーンランドやアイスランドなどの領有は続いていた。
また1848年に2月革命の影響で自由主義的憲法を発布し、立憲君主政となっている。

しかし、1864年にユトランド半島の二公国であるシュレスヴィヒ・ホルシュタインをめぐってプロイセン・オーストリアとデンマーク戦争が起こり、デンマークは敗北して両地域を失っている。
1866年に二院制議会となったスウェーデンは、1905年に平和にノルウェーの独立を認め、ノルウェーは立憲王国として独立している。

第一次世界大戦でスウェーデンはノルウェー、デンマークとともに中立を維持した。
そして大戦中に起こった1917年のロシア革命によって、フィンランドが独立と共和政の成立を宣言している。
第二次世界大戦が起こると、スウェーデンは最後まで中立を保ったものの、1940年4月にデンマーク・ノルウェーはドイツに占領された。

また1939年、フィンランドにはソ連が侵攻してソ連・フィンランド戦争が起こっている。
中立を維持し続けたスウェーデンは、デンマークとノルウェーが北大西洋条約機構(NATO)発足時の原加盟国になるのに対して、NATOに加盟しないなど、武装中立政策を貫いた。
これに対してスウェーデン・デンマーク・ノルウェーの3国は、1960年に発足したヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)の原加盟国となっている。
しかし、デンマークは1973年の拡大ECの際に、イギリス・アイルランドとともにヨーロッパ共同体(EC)に加盟して脱退した。

さらにスウェーデンも1995年のヨーロッパ連合(EU)への加盟によって脱退している。
ヨーロッパ連合(EU)に加盟したデンマーク・スウェーデンだが、2002年より導入された共通貨幣であるユーロを導入していない。

長らくデンマークの支配にあったアイスランドは、第二次世界大戦中に独立を果たしている。

第二次世界大戦が勃発し、あっという間にデンマークがドイツに占領されると、北大西洋におけるドイツに対する戦略重要拠点となるためにアイスランドにはイギリス・アメリカが駐留することとなった。

そのためアイスランドでは国民投票を行って、99%以上の賛成を得て、1944年にアイスランド共和国として独立を果たした。
そして1946年には国際連合にも加盟している。
また北大西洋条約にも加盟し、1980年には世界初の女性大統領フィンボガドッテイル大統領が誕生している。