山本嘉一(やまもとかいち)(1877-1939)


1877年(明治10年)9月6日東京生まれ。1895年(明治28年)18歳のとき、新派の「川上音二郎一座」に入団。

1899年(明治32年)22歳のとき、同一座の海外公演に参加、アメリカ合衆国等で舞台に立つ。


1917年(大正6年)日活向島に入社。22年に渡る演劇生活を経て、満40歳を目前にして映画俳優に転向した。

以来二十数年、会社と苦楽をともにした日活俳優の重鎮である。


乃木将軍、水戸黄門、大久保彦左衛門を演じては、戦前右に出る者はなく、1938年(昭和13年)「忠臣蔵」では、
二度目の吉良上野介を演じた。


1939年(昭和14年)内田吐夢監督の「土」、森永健次郎監督、轟夕起子主演の「キャラコさん」に出演後、
同年12月17日に死去した。満62歳没。生涯で250作を超える映画に出演した。










代表作品


日活「露の契」(山本嘉一、立花貞二郎、東猛夫、秋月邦武、大村正雄)1917年(大正6年)
日活「幼き母」(山本嘉一、東猛夫、秋月邦武、立花貞二郎、藤川三之助)1917年(大正6年)

日活「無縁の搭婆」(山本嘉一、東猛夫、大村正雄、立花貞二郎、秋月邦武)1917年(大正6年)
日活「芸者一代」(山本嘉一、秋月邦武、立花貞二郎、東猛夫)1917年(大正6年)

日活「金色夜叉」(藤野秀夫、衣笠貞之助、大村正雄、山本嘉一、横山運平)1918年(大正7年)
日活「乃木将軍」(山本嘉一、五月操、藤野秀夫、大村正雄、横山運平)1918年(大正7年)

日活「不如婦」(藤野秀夫、衣笠貞之助、山本嘉一、水島亮太郎)1919年(大正8年)
日活「京屋襟店」(藤野秀夫、大井吉弥、新井淳、小栗武雄、山本嘉一)1922年(大正11年)

日活「人間苦」(山本嘉一、鈴木歌子、小泉嘉輔、酒井米子)1923年(大正12年)
日活「霧の港」(市川春衛、沢村春子、森英治郎、山本嘉一)1923年(大正12年)

日活「髑髏の舞」(山本嘉一、森英二郎、山田隆弥、佐々木積、岡田嘉子、夏川静江)1923年(大正12年)
日活「白百合は歎く」(岡田嘉子、高木永二、御子柴杜雄、近藤伊与吉、山本嘉一)1925年(大正14年)

日活「妖怪の棲む家」(山本嘉一、中野英治、川田弘道、渡辺邦男、上田国松、斎藤達雄)1925年(大正14年)
日活「東洋のカルメン」(山本嘉一、露野文子、砂田駒子、清水隆二、斎藤達雄)1925年(大正14年)

日活「実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻」(尾上松之助、山本嘉一、桜木梅子、河部五郎)1926年(大正15年)
日活「水戸黄門」(山本嘉一、河部五郎、尾上多見太郎、岡田時彦、谷崎十郎)1926年(大正15年)

日活「愛の貴公子」(岡田嘉子、山本嘉一、渡辺邦男、小村新一郎)1926年(大正15年)
日活「日輪前篇」(岡田嘉子、山本嘉一、中野英治、高木永二、浦辺粂子)1926年(大正15年)

日活「日輪後篇」(岡田嘉子、山本嘉一、牧きみ子、中野英治、高木永二)1926年(大正15年)
日活「母を尋ねて三百里」(星ヘヤタ、宮部静子、山本嘉一、斎藤達雄、木藤茂)1926年(大正15年)

日活「紙人形の春の囁き」(山本嘉一、島耕二、梅村蓉子、市川春衛、岡田時彦)1926年(大正15年)
日活「大久保彦左衛門」(山本嘉一、河部五郎、尾上多見太郎、大河内伝次郎、岡田時彦)1927年(昭和2年)

日活「増補改訂忠臣蔵  天の巻 地の巻 人の巻」(尾上松之助、山本嘉一、大河内伝次郎)1927年(昭和2年)
日活「建国史 尊王攘夷」(山本嘉一、大河内伝次郎、尾上多見太郎、谷崎十郎)1927年(昭和2年)

日活「正義の勇者」(浅岡信夫、岡田嘉子、山本嘉一)1927年(昭和2年)
日活「慈悲心鳥」(山本嘉一、中野英治、岡田時彦、高木永二、夏川静江)1927年(昭和2年)

日活「屍は語らず」(岡田時彦、滝花久子、見明凡太郎、山本嘉一)1927年(昭和2年)
日活「続水戸黄門」(山本嘉一、河部五郎、尾上多見太郎、大河内伝次郎、松本泰輔)1928年(昭和3年)

日活「けちんぼ長者」(島耕二、入江たか子、山本嘉一、山内光、中村英雄、菅井一郎)1928年(昭和3年)
日活「維新の京洛 竜の巻 虎の巻」(山本嘉一、河部五郎、大河内伝次郎、梅村蓉子、伏見直江)1928年(昭和3年)

日活「維新の京洛 竜の巻 虎の巻」(山本嘉一、河部五郎、大河内伝次郎、梅村蓉子、伏見直江)1928年(昭和3年)
日活「
唐人お吉」(山本嘉一、梅村蓉子、島耕二、滝花久子、一木札二)1930年(昭和5年)

千恵プロ「一心太助」(片岡千恵蔵、衣笠淳子、山本嘉一、津守精一)1930年(昭和5年)
日活「殉教血史」(山本嘉一、伊藤博、伏見直江、山田五十鈴)1931年(昭和6年)

日活「ジャンバルジャン」(浅間信夫、山本嘉一、入江たか子、菅井一郎、江沢四郎)1931年(昭和6年)
日活「明治元年」(山本嘉一、大河内伝次郎、光岡龍三郎、鳥羽陽之助、永井寛二郎)1932年(昭和7年)

日活「さらば東京」(山本嘉一、城木晃、島津元、曽我阿以子)1932年(昭和7年)
日活「大菩薩峠 第一篇 甲源一刀流の巻」(大河内伝次郎、入江たか子、山本嘉一) 1935年(昭和10年)

日活「
水戸黄門廻国記」(山本嘉一、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、月形龍之介)1937年(昭和12年)
日活「続水戸黄門廻国記」(片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、阪東妻三郎、山本嘉一、月形龍之介)1938年(昭和13年)

日活「忠臣蔵 地の巻」(片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、阪東妻三郎、山本嘉一、月形龍之介)1938年(昭和13年)
日活「忠臣蔵 天の巻」(片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、阪東妻三郎、山本嘉一、月形龍之介)1938年(昭和13年)

日活「土」(小杉勇、風見章子、どんぐり坊や、山本嘉一、見明凡太郎)1939年(昭和14年)
日活「制服の街 前篇」(山本嘉一、轟夕起子、江川宇礼雄、片山明彦)1939年(昭和14年)

日活「制服の街 後篇」(山本嘉一、轟夕起子、江川宇礼雄、片山明彦)1939年(昭和14年)
日活「キャラコさん」(轟夕起子、山本嘉一、山本礼三郎、石井美笑子)1939年(昭和14年)










日活京都

山本嘉一が入社した当時、日活向島では主に現代劇、日活京都では時代劇が撮影されていた。

ところが、1923年(大正12年)9月、関東大震災が発生し、日活向島の撮影所が壊滅。

やむなく山本ら現代劇の俳優たちは、大挙して日活京都へ移転することになった。


これにより、日活京都の撮影所で、現代劇、時代劇の両方を制作することになったのだが、

山本にとっては、時代劇で頭角を現す絶好の機会となった。


また酒井米子、沢村春子、岡田嘉子など、もともとは現代劇に所属していた女優を

時代劇にも使えるようになり、女優陣が充実してきたのも強みとなった。


彼女たちの多くは、少女時代から新劇の舞台で修練を積んでおり、演技力の水準も高く、

時代劇においても即戦力として、そのまま通用したのである。

男ばかりの武骨な時代劇の撮影所には類のない、まばゆいばかりの近代的な美貌が

たちまち注目を集めた。