木暮実千代 (こぐれみちよ)(1918-1990)


1918年(大正7年)1月31日生まれ。山口県出身。日大芸術学科卒。本名、和田つま。


1938年(昭和13年)日大在学中、松竹に入社し「続愛染かつら」の看護婦役でデビュー。

1939年(昭和14年)「結婚天気図」でヒロインに抜擢。スター女優の仲間入りを果たした。

日本人離れしたルックスと妖艶な色気の持ち主で、純情可憐なヒロインと覇を競う恋敵役で個性を発揮。
悪役であっても木暮は堂々とその役をこなし、それが新しいタイプの女優として若い男性の人気を得た。


1949年(昭和24年)今井正監督「青い山脈」では、粋な芸者役を演じ毎日映画コンクール助演女優賞を受賞。
木暮扮する芸者の胸のすくような気っ風の良さは、戦後の開放された時代の中でひときわ精彩を放っていた。


その後も仕事に恵まれ、吉村公三郎監督「源氏物語」、小津安二郎監督「お茶漬けの味」、溝口健二監督
「祇園囃子」など多くの名作に出演し観客を魅了した。





木暮は奔放な女性を演じているが、私生活では意外なことに良妻賢母であり、家庭的な女性であったという。
ボランティア活動にも熱心で、終戦直後、群馬県の「鐘の鳴る丘少年の家」設立に尽力し後援会長を勤めた。

また、CMに出た女優第一号としても知られ、三洋電機の「サンヨー夫人」として長年お茶の間で親しまれた。
生涯を描いた評伝に「木暮実千代-知られざるその素顔」(NHK出版)がある。









代表作品

松竹「結婚天気図」(佐分利信、花房広子、桑野通子、木暮実千代)1939年(昭和14年)
松竹「春雷 前篇」(夏川大二郎、川崎弘子、田中絹代、木暮実千代)1939年(昭和14年)

松竹「春雷 後篇 」(夏川大二郎、川崎弘子、田中絹代、木暮実千代)1939年(昭和14年)
松竹「栄華絵巻」(夏川大二郎、吉川満子、桑野通子、木暮実千代)1939年(昭和14年)

松竹「日本の妻 前後篇 」(川崎弘子、高倉彰、笠智衆、夏川大二郎、木暮実千代)1939年(昭和14年)
松竹「純情二重奏 前篇」(高峰三枝子、細川俊夫、斎藤達雄、木暮実千代、霧島昇)1939年(昭和14年)

松竹「純情二重奏 後篇」(高峰三枝子、細川俊夫、斎藤達雄、木暮実千代、霧島昇)1939年(昭和14年)
松竹「波濤」(桑野通子、木暮実千代、徳大寺伸、細川俊夫)1939年(昭和14年)

松竹「花嫁競争」(桑野通子、花房ヒロ子、坂本武、三浦光子、木暮実千代)1939年(昭和14年)
松竹「母は強し」(川崎弘子、夏川大二郎、徳大寺伸、木暮実千代)1939年(昭和14年)

松竹「新女性聯盟」(斎藤達雄、高峰三枝子、木暮実千代、徳大寺伸)1940年(昭和15年)
松竹「花の雷雨」(水戸光子、佐分利信、木暮実千代、徳大寺伸)1940年(昭和15年)

松竹「貧乏画家」(三原純、吉川満子、木暮実千代)1940年(昭和15年)
松竹「都会の奔流」(佐分利信、河村黎吉、木暮実千代、笠智衆、河野敏子)1940年(昭和15年)

松竹「木石」(夏川大二郎、木暮実千代、赤木蘭子、寺門修)1940年(昭和15年)
松竹「女人転心」(笠智衆、木暮実千代、徳大寺伸、朝霧鏡子)1940年(昭和15年)

松竹「新しき情熱」(佐分利信、斎藤達雄、槇芙佐子、木暮実千代)1940年(昭和15年)
松竹「妻の楽園」(徳大寺伸、木暮実千代、奈良真養、槇芙佐子)1941年(昭和16年)

松竹「東京の風俗」(河村黎吉、飯田蝶子、木暮実千代、徳大寺伸)1941年(昭和16年)
松竹「争ひなき真実」(水戸光子、木暮実千代、徳大寺伸、朝霧鏡子)1941年(昭和16年)

松竹「女の宿」(高田浩吉、日守新一、坪内美子、木暮実千代)1941年(昭和16年)
松竹「暁の合唱」(木暮実千代、坂本武、吉川満子、川崎弘子、佐分利信)1941年(昭和16年)

松竹「踊る黒潮」(佐分利信、徳大寺伸、桑野通子、木暮実千代)1941年(昭和16年)
松竹「何処へ」(佐分利信、若水絹子、水戸光子、木暮実千代)1941年(昭和16年)

松竹「新たなる幸福」(藤井貢、桑野通子、木暮実千代、三浦光子)1942年(昭和17年)
満映「迎春花」(李香蘭、群威、帳敏、木暮実千代、近衛敏明)1942年(昭和17年)

松竹「間諜未だ死せず」(佐分利信、上原謙、水戸光子、木暮実千代)1942年(昭和17年)
松竹「日本の母」(葛城文子、佐分利信、上原謙、木暮実千代、高峰三枝子)1942年(昭和17年)

松竹「男の意気」(上原謙、木暮実千代、坂本武、徳大寺伸)1942年(昭和17年)
松竹「美しい横顔」(木暮実千代、徳大寺伸、河村黎吉、日守新一)1942年(昭和17年)

松竹「或る女」(田中絹代、佐野周二、河村黎吉、木暮実千代)1942年(昭和17年)
松竹「愛国の花」(木暮実千代、佐野周二、関操、若水絹子)1942年(昭和17年)

松竹「開戦の前夜」(田中絹代、上原謙、木暮実千代、原保美)1943年(昭和18年)
松竹「北方に鐘が鳴る」(笠智衆、木暮実千代、酒井猛、市川光男)1943年(昭和18年)

松竹「勝鬨音頭」(小杉勇、山路義人、三浦光子、木暮実千代)1944年(昭和19年)
松竹「許された一夜」(安部徹、木暮実千代、清水一郎、英百合子)1946年(昭和21年)

松竹「地獄の顔」(水島道太郎、木暮実千代、月丘夢路、月丘千秋)1947年(昭和22年)
東宝「四つの恋の物語」(木暮実千代、沼崎勲、英百合子、菅井一郎)1947年(昭和22年)

松竹「消えた死体」(上原謙、木暮実千代、三村秀子、村田知英子)1947年(昭和22年)
松竹「新婚リーグ戦」(佐野周二、山根寿子、木暮実千代、水島光代)1947年(昭和22年)

松竹「金色夜叉 前篇」(上原謙、轟夕起子、古川ロッパ、木暮実千代)1948年(昭和23年)
大映「金色夜叉 後篇」(上原謙、轟夕起子、古川ロッパ、木暮実千代)1948年(昭和23年)

大映「秘密」(原保美、 木暮実千代、井川邦子、神田隆)1948年(昭和23年)
東宝「酔いどれ天使」(志村喬、三船敏郎、木暮実千代、久我美子)1948年(昭和23年)

松竹「遊侠の群れ」(長谷川一夫、木暮実千代、山村聡、鶴田浩二)1948年(昭和23年)
松竹「花の素顔」(木暮実千代、折原啓子、佐分利信、若原雅夫、岡田英次)1949年(昭和24年)

東宝「青い山脈」(原節子、池部良、木暮実千代、若山セツコ、杉葉子)1949年(昭和24年)
東宝「続青い山脈」(原節子、池部良、木暮実千代、若山セツコ、杉葉子)1949年(昭和24年)

東宝「鍋島怪猫伝」(大河内伝次郎、木暮実千代、黒川弥太郎、中村彰)1949年(昭和24年)
松竹「帰郷」(佐分利信、木暮実千代、津島恵子、徳大寺伸、山村聡)1950年(昭和25年)

新東宝「
雪夫人絵図」(木暮実千代、上原謙、久我美子、浜田百合子、山村聡)1950年(昭和25年)
松竹「海の花火」(木暮実千代、山田五十鈴、津島恵子、桂木洋子、笠智衆)1951年(昭和26年)

大映「源氏物語」(長谷川一夫、大河内伝次郎、木暮実千代、水戸光子、京マチ子)1951年(昭和26年)
松竹「純白の夜」(河津清三郎、木暮実千代、森雅之、津島恵子、三島由紀夫)1951年(昭和26年)

大映「自由学校」(木暮実千代、京マチ子、藤田進、徳川夢声)1951年(昭和26年)
松竹「稲妻草紙」(阪東妻三郎、田中絹代、木暮実千代、三国連太郎、進藤英太郎)1951年(昭和26年)

松竹「お茶漬の味」(佐分利信、木暮実千代、鶴田浩二、淡島千景、津島恵子)1952年(昭和27年)
大映「千羽鶴」(木暮実千代、乙羽信子、杉村春子、森雅之、進藤英太郎)1953年(昭和28年)

大映「祇園囃子」(木暮実千代、若尾文子、河津清三郎、小柴幹治、浪花千栄子)1953年(昭和28年)
東宝「都会の横顔」(池部良、有馬稲子、木暮実千代、森繁久彌、伴淳三郎)1953年(昭和28年)

新東宝「叛乱」(藤田進、津島恵子、香川京子、木暮実千代、鶴田浩二)1954年(昭和29年)
大映「新・平家物語」(市川雷蔵、久我美子、林成年、木暮実千代)1955年(昭和30年)

大映「赤線地帯」(京マチ子、若尾文子、木暮実千代、進藤英太郎、加東大介)1956年(昭和31年)
東宝「女囚と共に」(原節子、淡路恵子、香川京子、木暮実千代、田中絹代)1956年(昭和31年)

大映「
銭形平次捕物控 まだら蛇」(長谷川一夫、山本富士子、木暮実千代)1957年(昭和32年)
大映「忠臣蔵」(長谷川一夫、市川雷蔵、淡島千景、山本富士子、木暮実千代)1958年(昭和33年)

東映「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」(片岡千恵蔵、中村錦之助、木暮実千代)1959年(昭和34年)
東映「榛名はやし 喧嘩鷹」(市川右太衛門、北大路欣也、木暮実千代)1959年(昭和34年)

東宝「遠い一つの道」(島田正吾、木暮実千代、浜美枝、緒形拳)1960年(昭和35年)
東映「御存じいれずみ判官」(片岡千恵蔵、千秋実、丘さとみ、木暮実千代)1960年(昭和35年)

東映「宮本武蔵」(中村錦之助、高倉健、三国連太郎、入江若葉、木暮実千代)1961年(昭和36年)
東宝「香港の夜」(宝田明、司葉子、尤敏、草笛光子、木暮実千代、浜美枝、小泉博)1961年(昭和36年)

大映「婦系図」(市川雷蔵、万里昌代、船越英二、水戸光子、木暮実千代)1962年(昭和37年)
東映「五番町夕霧楼」(佐久間良子、木暮実千代、河原崎長一郎、千秋実)1963年(昭和38年)

松竹「男はつらいよ 翔んでる寅次郎」(渥美清、倍賞千恵子、木暮実千代)1979年(昭和54年)