尾上松之助(おのえまつのすけ)(1875-1926) 


1875年(明治8年)9月12日生まれ。岡山県出身。本名は、中村鶴三(なかむらかくぞう)


歌舞伎役者を志し、5歳の時、生家の近くにあった旭座で初舞台を踏む。14歳で巡業に出て旅役者となる。

巡業先で映画監督の牧野省三に見出され、映画俳優となる。

1909年(明治42年)「碁盤忠信」に初出演。以来、忍術映画や豪傑物、また侠客物などに主役を演じ、
身の軽さから大立回りなどにうまみをみせ、たちまちアイドル・スターとなる。


大きな目をむいての大見得が独得の魅力となり、「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれ、サイレント期の
時代劇映画に活躍した。出演作品数が1000本を超えるという記録をもつ。

後年には、日活大将軍撮影所所長、日活取締役などを兼任して重役スターとなり、監督作も発表。
晩年は社会福祉事業にも貢献した。










代表作品

横田商会「碁盤忠信 源氏礎」(尾上松之助、片岡市太郎、嵐橘楽、尾上梅暁)1909年(明治42年)
横田商会「石山軍記」(尾上松之助)1910年(明治43年)

横田商会「木村長門守重成」(尾上松之助)1910年(明治43年)
横田商会「実録忠臣蔵」(尾上松之助、片岡市之正)1910年(明治43年)

横田商会「忠臣蔵」(尾上松之助、片岡市之正、嵐橘楽、片岡市太郎)1910年(明治43年)
横田商会「三日月次郎吉」(尾上松之助)1911年(明治44年)

横田商会「羅生門」(尾上松之助)1911年(明治44年)
横田商会「岩見重太郎」(尾上松之助)1911年(明治44年)

横田商会「忠臣蔵」(尾上松之助、片岡市之正、嵐橘楽、片岡市太郎)1912年(明治45年)
横田商会「塩原多助一代記」(尾上松之助)1912年(明治45年)

日活「大石内蔵助一代記」(尾上松之助、牧野静子、実川延一郎)1913年(大正2年)
日活「佐賀三勇士」(尾上松之助、牧野正唯)1913年(大正2年)

日活「児雷也」(尾上松之助、牧野正唯)1914年(大正3年)
日活「国定忠次」(尾上松之助、牧野正唯)1914年(大正3年)

日活「怪鼠伝」(尾上松之助)1915年(大正4年)
日活「大前田英五郎」(尾上松之助、牧野正唯)1915年(大正4年)

日活「島左近」(尾上松之助、中村扇太郎、嵐亀二郎、嵐栄二郎)1917年(大正6年)
日活「まぼろし大名」(尾上松之助、片岡市太郎、市川寿美之丞)1918年(大正7年)

日活「安田作兵衛」(尾上松之助、中村扇太郎、嵐橘楽、中村仙之助)1918年(大正7年)
日活「永井源三郎」(尾上松之助、中村扇太郎、嵐橘楽、大谷鬼若)1918年(大正7年)

日活「天草四郎」(尾上松之助、中村扇太郎、中村仙之助、市川寿美之丞)1918年(大正7年)
日活「大久保彦左衛門」(市川寿美之丞、嵐松郎、片岡市太郎、尾上松之助)1918年(大正7年)

日活「猿飛佐助」(尾上松之助、中村扇太郎、嵐橘楽、市川寿美之丞)1918年(大正7年)
日活「竹中半兵衛」(尾上松之助、嵐橘楽、中村雀芝、大谷鬼若)1918年(大正7年)

日活「丸橋忠弥」(尾上松之助、中村仙之助、大谷鬼若、市川寿美之丞)1918年(大正7年)
日活「西郷隆盛」(尾上松之助、中村扇太郎)1918年(大正7年)

日活「本能寺合戦」(尾上松之助)1918年(大正7年)
日活「鍋島猫騒動」(尾上松之助、中村扇太郎)1919年(大正8年)

日活「霧隠才蔵」(尾上松之助、牧野正唯)1919年(大正8年)
日活「豪傑児雷也」(尾上松之助、片岡松燕、片岡長正、大谷鬼若)1921年(大正10年)

日活「実録忠臣蔵」(尾上松之助、市川寿美之丞、市川姉蔵、嵐橘楽)1921年(大正10年)
日活「水戸黄門 第一篇」(尾上松之助、中村扇太郎、市川寿美之丞)1921年(大正10年)

日活「佐倉宗五郎」(尾上松之助、牧野正唯)1921年(大正10年)
日活「弥次喜多 善光寺詣りの巻」(尾上松之助、中村扇太郎、実川延一郎)1921年(大正10年)

日活「鼠小僧次郎吉」(尾上松之助、諸口十九、正邦宏、岡本五郎)1922年(大正11年)
日活「渋川伴五郎」(尾上松之助)1922年(大正11年)

日活「木下籐吉郎 前篇」(尾上松之助、実川延一郎、阪東左門、中村吉十郎)1923年(大正12年)
日活「木下籐吉郎 後編」(尾上松之助、実川延一郎、阪東左門、中村吉十郎)1923年(大正12年)

日活「彦左の恋」(尾上松之助、中村吉十郎、尾上卯多五郎、嵐亀三郎)1923年(大正12年)
日活「安政異聞 大江戸之大地震」(尾上松之助)1923年(大正12年)

日活「雲霞仁左衛門」(尾上松之助)1923年(大正12年)
日活「下戸と上戸」(尾上松之助)1923年(大正12年)

日活「旗本五人男」(尾上松之助)1923年(大正12年)
日活「吉田御殿」(尾上松之助)1923年(大正12年)

日活「新田漫遊記」(尾上松之助)1923年(大正12年)
日活「幡随院長兵衛」(尾上松之助)1923年(大正12年)

日活「八百屋お七」(尾上松之助)1923年(大正12年)
日活「番町皿屋敷」(尾上松之助)1923年(大正12年)

日活「渡し守と武士」(実川延一郎、尾上卯多五郎、尾上松之助)1924年(大正13年)
日活「伊井大老と舟大工」(尾上松之助)1924年(大正13年)

日活「柳生又十郎」(尾上松之助)1924年(大正13年)
日活「白藤権八郎 前篇 鍛錬の巻」(尾上松之助、尾上卯多五郎)1925年(大正14年)

日活「白藤権八郎 後篇 剣人の巻」(尾上松之助、尾上卯多五郎)1925年(大正14年)
日活「
落花の舞 前篇」(尾上松昇、尾上華丈、酒井米子、尾上松之助)1925年(大正14年)

日活「落花の舞 中篇」(尾上松昇、尾上華丈、酒井米子、尾上松之助)1925年(大正14年)
日活「落花の舞 終篇」(尾上松昇、尾上華丈、酒井米子、尾上松之助)1925年(大正14年)

日活「鞍馬天狗 第一篇」(尾上松之助、片岡松燕、滝沢静子)1925年(大正14年)
日活「
荒木又右衛門」(尾上松之助、河部五郎、新妻四郎、市川市丸)1925年(大正14年)

日活「国定忠次」(尾上松之助、尾上松葉、尾上卯多五郎、桂武男)1925年(大正14年)
日活「中山安兵衛」(中村吉十郎、滝沢静子、実川延一郎、尾上松之助)1925年(大正14年)

日活「
実録忠臣蔵 天の巻・地の巻・人の巻」(尾上松之助、山本嘉一、河部五郎)1926年(大正15年)
日活「侠骨三日月 前篇」(尾上松之助、児島三郎、尾上華丈、尾上松四郎)1926年(大正15年)












立川文庫と尾上松之助


松之助がデビューした翌々年の1911年(明治44年)立川文庫(立川文明堂)が創刊された。

立川文庫は、水戸黄門、真田幸村、猿飛佐助などを題材とした少年向け講談書で、
続々と刊行されたが、みなベストセラーになる大変な人気だった。


ことに「猿飛佐助」を頂点とする忍術ものは、熱狂的な支持を得た。

そしてこの立川文庫の普及と松之助の映画は、相乗作用を起こしたのである。


テレビはおろかラジオもなかった時代である。読書欲は旺盛で、猿飛佐助や霧隠才蔵、
真田十勇士は修身の時間の副教科書だった。






そういう時に現れたのが、目玉の松ちゃんの忍術映画なのである。印を結んで呪文を
唱えるとパッと消える式の、きわめて幼稚なものが、当時はアピールしたのだ。


塀から飛び降りるところを逆回転で撮影すると、見事ヒラリと飛び上がったように見える。

観客は、何と身の軽い男だろうと、本当の忍術使いのように松之助を英雄視したのである。


そのほか由比正雪、堀部安兵衛、石川五右衛門、清水の次郎長、塚原卜伝、牛若丸等々、
英雄、豪傑、剣聖、およそ人口に膾炙されたヒーローで松之助のやらなかったものはない。


総理大臣の名前を知らなくとも、松之助の名は全国津々浦々、知らない者はないほどの
人気を確保するに至ったのである。