国名 アフガニスタン・イスラム共和国         
英語 Islamic Republic of Afghanistan  
首都 カブール  
独立年 1921年(バーラクザイ朝)  
民族 アフガン人(40%)タジク人(30%)ハザラ人(10%)  
その他 ウズベク人(10%)  
主要言語 ダリー語(ペルシア語)、パシュト語  
面積 65万2864km2  
人口 2752万2000(2013推計)  
通貨単位 アフガニー  
宗教 イスラム教スンニ派(ハザラ人はシーア派)  
その他  
主要産業 農業、牧畜、絨毯  




地理

アフガニスタンは、中央アジアに位置し、全体として高原、山岳の内陸国である。

東部国境より中央部までヒンドゥークシ山脈が連なり、高いところでは標高 7600mに達する。
気候は地域により差が大きいが、乾燥した大陸性気候で風が強い。

主産業は、小麦、米、大麦、とうもろこし、果実(ぶどうなど)の農業。
工業は、小規模な綿紡織、セメント、羊毛、甜菜糖、果実加工など。
乾燥果実、絨毯などが主要輸出品となっている。

住民の約 40%はアフガン人で、そのほかタジク人が約 30%、ハザラ人が約 10%、ウズベク人が約 10%を占める。
公用語はダリー語(ペルシア語)とパシュト語。大部分の住民がイスラム教スンニ派に属する。




歴史

アフガニスタンは古代よりその地理的条件のため、東西文化交流の中継地として発展したが、
他民族の支配を受けることが多かった。
BC550年、アケメネス朝ペルシアの支配下に入り、アレクサンドロス3世の東方遠征(BC323〜BC334)の後、
ギリシア人によるバクトリア王国(BC256〜BC130)が成立、ギリシア文化が伝播した。

AD30年、土着イラン系のクシャーナ朝(30〜375)が成立し、仏教の影響を受けたガンダーラ美術が発展した。
その後ササン朝ペルシア(226〜651)に従属し、また中央アジアの遊牧民族エフタル
(Hephthalites)の侵入があった。
651年ササン朝ペルシアが滅亡し、アラブの支配下に入り、イスラム化が進行した。

900年、サーマン朝のもとに、イランの政治的復興がこの地において展開されたが、
やがてトルコ系のガズナ朝、セルジュク朝、ホラズム・シャー朝の勢力下におかれた。
しかし、この時期、土着アフガン系諸部族はゴール朝を樹立、北部インドにまで進出した。

1222年にはチンギス・ハンの侵入を受け、モンゴルの支配下に入り、次いでティムール朝、サファヴィー朝の支配下に入った。

サファヴィー朝が1736年に滅亡すると、アフシャール族のナーディル・シャー(Nader Shah)がアフシャール朝を建国する。
シャーは、イラン全土、アフガニスタンを支配下に収め、さらに北インドに侵入してムガル帝国の都デリーを略奪した。
ナーディル・シャーは軍事的天才であったが、その圧政は住民の反発をうけ、1747年に部下のドゥッラーニー(Durrani)に暗殺された。

シャーの死後、ドゥッラーニーが、アフガニスタン全土を平定して、1747年ドゥッラーニー朝を開いた。これがアフガニスタン建国の始まりとされる。
その後ドゥッラーニー朝に内紛が続き、1826年バーラクザイ族のムハンマド・ハーン(Mohammad Khan)
がアフガニスタンの支配権を掌握し、バーラクザイ朝を建国した。

バーラクザイ朝の時代に、イギリスがアフガンに侵攻した。(アフガン戦争)
3度にわたってイギリスと戦争を繰り広げたバーラクザイ朝は、最終的に独立を確保し、1921年、現在のアフガニスタンの国境線を画定した。
外敵との戦いは「アフガン人」の国民意識の形成にも寄与した。

1978年、親ソ派軍部によるクーデターで社会主義革命評議会が実権を掌握。
これに対し、アメリカが後押しする反政府武装勢力が各地で武装蜂起した。

1979年、ソ連(ブレジネフ政権)は、アフガンの社会主義政府支援のために、アフガニスタン侵攻を決定、
ソ連軍を派遣して、反政府武装勢力に対して攻撃を加えた。

このためソ連軍・政府軍と反政府軍の戦闘によって多数のアフガニスタン人が、パキスタンやイランに難民となった。
9年間にわたる戦闘で、ソ連軍は反政府武装勢力を押さえることが出来ず、結局ゴルバチョフ政権のもとで1988年に和平に踏み切った。

ソ連軍はアフガニスタン撤退を決定、1989年に全軍を撤退させた。(アフガニスタン内戦)
その後、1991年ソ連が崩壊し、後ろ盾がなくなった社会主義政府は崩壊、1992年ゲリラ各派からなるタリバン政権が発足した。

2001年9月11日、同時多発テロが起きると、アメリカのブッシュ政権は、その容疑者とされる国際テロ組織アルカイダのビンラディンが
タリバン政権に保護されているとして、身柄引き渡しを要求。
タリバン側はこれを拒否すると、同年10月、米英をはじめとする連合軍が、アフガニスタンに侵攻を強行し、タリバン政権を軍事的に制圧した。(アフガニスタン紛争)

このため、タリバン政権は崩壊し、新たな政権としてアメリカ軍の保護の下にアフガニスタン暫定行政機構が発足し、その下で新憲法が制定された。
だがその後も、タリバンの残存勢力がなおも活動を続けており、予断を許さない状況となっている。
2011年、米軍特殊部隊は、パキスタンのイスラマバード近郊でビンラディンを殺害した。



  アフガニスタン史
  BC2000年 中央アジアの遊牧民族アーリア人が南下し、アフガニスタンの地に定住した
  BC550年 アケメネス朝ペルシアの支配下に入る
  BC325年 マケドニアの支配下に入る
  BC303年 マウリア朝の支配下に入る
  BC194年 バクトリア王国の支配下に入る
  BC145年 インド・グリーク朝の支配下に入る
  BC95年 パルティア王国の支配下に入る
  81年 クシャーナ朝の支配下に入る
  251年 ササン朝ペルシアの支配下に入る
  651年 イスラム帝国(正統カリフ)の支配下に入る
  900年 イスラム系サーマーン朝の支配下に入る
  998年 イスラム系ガズナ朝の支配下に入る
  1041年 イスラム系セルジュク朝の支配下に入る
  1166年 ゴール朝の支配下に入る
  1208年 イスラム系ホラズム・シャー朝の支配下に入る
  1222年 モンゴル帝国の支配下に入る
  1384年 ティムール朝の支配下に入る
  1523年 サファヴィー朝の支配下に入る
  1709年 ホータキー朝(1709〜1738)成立
  1736年 アフシャール朝(1736〜1796)成立
  1747年 ドゥッラーニー朝(1747〜1818)成立
  1826年 バーラクザイ朝(1826〜1926)成立
  1838年 第一次アフガン戦争。イギリスは撤退。アフガンが勝利した
  1878年 第二次アフガン戦争。アフガンはイギリスの保護領となった
  1919年 第三次アフガン戦争。開戦から約一月で休戦。アフガンは1921年、完全独立を果たした
  1926年 国名をアフガニスタン王国(1926〜1973)と改称
  1973年 アフガニスタン共和国 (1973〜1978)成立(アフガニスタン国民革命党)
  1978年 アフガニスタン民主共和国(1978〜1987)成立(アフガニスタン人民民主党)
  1979年 アフガニスタン内戦。ソ連、アフガニスタンに軍事介入
  1988年 アフガニスタン和平協定調印(ジュネーブ協定)翌1989年ソ連撤退
  1992年 アフガニスタン・イスラム国(1992〜2001)成立(ムジャーヒディーン政党)
  1996年 タリバンがカブールを制圧し、アフガニスタン・イスラム首長国(1996〜2001)成立
  1998年 ケニアとタンザニアでアルカイダによるアメリカ大使館爆破事件
  2001年 アメリカで同時多発テロ発生(9.11)アフガニスタン紛争。タリバン政権がビンラディンの身柄引き渡しを拒否
  2001年 米英の侵攻で、タリバン政権が崩壊し、アフガニスタン暫定行政機構が発足
  2004年 新憲法が制定され、アフガニスタン・イスラム共和国が発足した
  2011年 米軍によるビンラディン殺害
  2021年 米軍、アフガニスタンから撤退(8.31)





ビンラディン (Bin Laden)


戦争が多ければ多いほど儲かる商売がある。武器屋と金貸しである。

武器屋がわざわざ、もめ事を引き起こして戦争に誘導するのは、
武器を売るための「営業活動」と言える。

また戦争には莫大な金がかかる。租税ではまかないきれない戦費の
補填をする金貸しは、やがて国家を操るようになる。

敵味方関係なく様々な国に資金提供し、どちらが勝っても負けても
必ず利益が得られるというのが、金貸しの常套手段なのだ。

彼らにとって戦争は、国家から収奪する最も有効な手段であった。



現代的に言えば、武器屋は軍需産業であり、金貸しは中央銀行だ。

この二つの商売で成り立っているのが、アメリカという国家である。
逆に言えば、アメリカは、この二つの勢力に操られていると言える。


1973年のベトナム戦争敗北で、アメリカは膨大な借金を抱えた。
一方、国内世論は、もう戦争は沢山だという声が圧倒的だった。

そんな中、2001年9月同時多発テロにより戦争を開始する理由ができた。

同時多発テロは、アフガニスタンのテロ組織アルカイダが犯人とされ、
首謀者のビンラディンはその10年後の2011年、米軍により殺害された。



このビンラディンという人物は、サウジアラビアの大富豪ビンラディン家
の御曹司である。

不可解なことに、このビンラディン家は、アメリカの軍需投資会社カーライルに
多額の投資をしており、2001年10月アフガン紛争の勃発で、大儲けをしている。


一方、1979年ソ連によるアフガン侵攻が始まると、ビンラディンはサウジを離れ、
ソ連軍に抵抗する武装組織(タリバンの前身)に参加した。

このとき、この武装組織に武器を与え、資金援助したのがアメリカだった。
その後、ソ連軍はアフガン撤退を余儀なくされ、ビンラディンは英雄になった。

アメリカの支援によって、ソ連軍を撃退できたのだから、ビンラディンは
アメリカに感謝こそすれ、恨みに思うことはないはずである。

そのため、なぜビンラディンが、同時多発テロでアメリカを攻撃したのか
明確な理由は分かっていない。

2011年5月、ビンラディンは、潜伏先のパキスタンで裁判なしに殺害され、
真相は闇の中となってしまった。