国名 イラク共和国                              
英語 Republic of Iraq  
首都 バグダッド  
独立年 1932.10(イギリス)  
民族 アラブ人  
他にクルド人、トルクメン人、アッシリア人  
主要言語 アラビア語、クルド語(共に公用語)  
面積 43万4128km2  
人口 3477万6000人(2013推計)  
通貨単位 イラク・ディナール  
宗教 イスラム教(シーア派60%、スンニ派34%)  
他にキリスト教など  
主要産業 石油、ナツメヤシ  







地理

国土の中心をなすのはティグリス川、ユーフラテス川が潤すメソポタミア平原で、
肥沃な三日月地帯の東部を占める。

北部、北東部および南部で採掘される石油と、主として南部のナツメヤシが二大産物で、
特に石油輸出の財政に占める割合は 9割以上である。

気候は、低地では5月〜10月の乾燥し暑さの厳しい夏と、12月〜3月の比較的温暖で
湿潤な冬との対照的な二つの季節がある。

山地では冬は寒さが厳しい。バグダードの年平均気温は22℃であるが、
7月の平均気温は34.2℃で、日中は日陰でも43℃に達する。

このため住民は暑さを逃れるため昼間は地下室で過ごす。

最低平均気温は1月の8.5℃で気温差は大きい。
1921年7月8日バスラで観測された58.8℃は世界最高記録である。

住民はアラブ人が主で、中央部、南部、西部一帯に住むが、北部、東部にはクルド人(約 23%)が多く、
ほかにトルクメン人、アッシリア人などの少数集団がある。

公用語はアラビア語であるが、北部のクルド自治区ではクルド語も公用語と認められている。
住民の約 96%がイスラム教徒で、シーア派が 60%以上で多数を占める。





歴史

メソポタミア文明
BC7000年、ティグリス・ユーフラテス川の流域、メソポタミアの丘陵地帯に世界最古の文明が発祥し、
BC5000年にはシュメール人が灌漑農業の社会を形成した。

メソポタミアとは、現在のトルコ東部山中の水源からシリア北部を通過して、
イラク領内に入り、バスラ(Basra)付近で合流して
ぺルシア湾に注ぎ込むティグリス川(Tigris)とユーフラテス川(Euphrates)に挟まれた地域を指す。

後にイラクの首都となるバグダッド付近から北部はアッシリア(Assyria)、
南部はバビロニア(Babylonia)と呼ばれ、バビロニア地方はさらに聖都ニップル(Nippur)から
北部はアッカド(Akkad)、南部はシュメール(Sumer)と呼ばれた。


人類最初の都市文明が開化したのは南部のシュメールでBC3500年頃であった。
シュメール人は、楔形文字、太陰暦、60進法などを発明しており、これらはシュメール文化と総称される。

それから約千年間シュメール・アッカドの地が文化の中心であったが、BC1757年、にバビロニア王国(Babylonia)
のハンムラビ王(Hammurabi)がメソポタミアを統一して以来、バビロニア文化が当時の世界の頂点に立ち、その影響は、
東はイラン西部のエラム(Elam)、西は地中海沿岸地方からトルコ中央部のアナトリア高原(Anatolian Plateau)にまで及んだ。


ヘブライ人(Hebrew)は、もともと遊牧民であったが、BC1500年頃エルサレムに定住し、一部はエジプトに移住した。
エジプトのヘブライ人は、BC1270年頃にモーセに率いられてエジプトを脱出し、 エルサレムにヘブライ王国を建国した。
ダビデとその子ソロモンの頃に栄えた。

結局BC525年、メソポタミア全土がイランから出たアケメネス朝ベルシア(Achaemenid Persian)に統合された。
やがてBC300年、ベルシアが西方のマケドニア(Macedonia)出身の若き王アレクサンドロス(Alexandros)
に征服された時点で、古代メソポタミアの歴史は幕を閉じる。

その後BC312年、セレウコス朝シリア(BC312〜BC63)が成立し、メソポタミア(イラク)はセレウコス朝シリアの属州となった。
次いで、アルケサス朝パルティア(BC238〜226)の支配が続き、226年にはササン朝ペルシア(226〜651)の属州に編入された。




イスラム教の成立
610年メッカの商人ムハンマドは神アッラーの言葉を聞いて、アラビア半島のメッカで、イスラム教を創始する。
だが、その教義で富の独占を批判したため迫害され、少数の信者とともにメディナに移住する。
その後、ムハンマドはメッカを征服し、カーバ神殿をイスラム教の聖殿に定めた。
そして、ムハンマドが死亡し、正統カリフ時代が始まる。


正統カリフ時代(632〜661年)
ムハンマドの死後、イスラム教徒はムハンマドの後継者として、カリフを選出する。
そして、カリフの指導のもとにジハード(聖戦)をおこない、651年 ニハーヴァンドの戦いで
ササン朝を破ってメソポタミアやイラン高原を奪った。
このササン朝ペルシアの滅亡をもって、メソポタミア(イラク)は、イスラム帝国(632〜1922年)の属州となる。
この正統カリフ時代は、第4代カリフのアリーが暗殺され終結をむかえた。


ウマイヤ朝(661〜750年)
正統カリフ時代の第4代カリフであるアリーが暗殺されると、ムアーウィヤがシリアのダマスクスを首都にウマイヤ朝を開いた。
ウマイヤ朝は信者による選出だったカリフをウマイヤ家の世襲とし、カリフの地位を継承していった。

また、ウマイヤ朝はジハードを続けイベリア半島の西ゴート王国を滅ぼすなど領土を拡大し、大帝国を形成する。
ウマイヤ朝では征服地の先住民(非アラブ人)がイスラム教に改宗しても人頭税(ジズヤ)と地租(ハラージュ)は免除されなかった。
それに不満をもつ征服地の新改宗者はアッバース家の革命運動に協力してウマイヤ朝を倒し、アッバース朝が成立した。 


アッバース朝(750〜1258年)
アッバース朝が成立すると、ウマイヤ朝の一族はイベリア半島にのがれ、コルドバを首都に756年に後ウマイヤ朝を開いた。
また、751年にはアッバース朝は中央アジアで唐と戦い(タラス河畔の戦い)、捕虜の紙すき職人から製紙法を習得する。
そしてティグリス川中流に新首都バグダットを建設し、第5代カリフのハールーン・アッラシードの時代に最盛期を迎えた。

1206年、チンギス・ハンがモンゴルを統一すると、その孫のフラグが1258年にバグダットに侵攻し、アッバース朝を征服した。
その後、イラクの地は多くの国が乱立する混乱期が続いたが、1517年、オスマン帝国がエジプトを征服し、イスラム世界の盟主となると、
イラクはオスマン帝国の支配下に入り、その支配は第一次世界大戦まで続くことになった。




独立後のイラク

1914年に第一次世界大戦が勃発すると、オスマン帝国は、ドイツ・オーストリアの
同盟国側として参戦し、敗北した。

その後、イラクはイギリスの委任統治領となったが、1921年にイラク王国が成立して、
1932年に委任統治は終了。
1958年、カセムの革命(イラク革命)により、王制は廃止されてイラク共和国が成立した。

1961年、クェートがイギリスより独立する中、クェート支配を主張していたカセムが
1963年に暗殺され、アラブ民族主義を標榜するバース党が政権を掌握。

1979年のイラン革命によってイラン・イスラム共和国が成立し、イランが反米政権になると、
イラクではアメリカの後押しによってサダム・フセインが大統領に就任する。

サダム・フセインは、国内においては、反対派を弾圧し、独裁政治を行って、少数民族クルド人の弾圧・虐殺を行った。
そして対外的には、1980年にイラン・イラク戦争を起こす。
国境紛争から起こったこの戦争は、イラク国内のシーア派勢力に対する牽制でもあった。


両国に多大な被害をもたらしたイラン・イラク戦争は、1988年に至ってようやく終結。
だがこの戦争で大きな負債を抱えたイラクは、1990年、以前から国境問題を抱えていたこともあり、
豊かな資源をもつクェートに侵攻、武力併合に成功する。

だがこのクウェート侵攻をきっかけに起こった1991年の湾岸戦争で、イラクは国際的に孤立を深めた。
2003年にはイラク戦争で、アメリカなどから激しい攻撃を受け、フセイン政権は実質的に崩壊した。


     イラク史
  BC3500年 シュメール人(Sumerian)、シュメール文化を築く
  BC2500年 シュメール人、北イラクにアッシリア王国(Assyrian Empire)建国
  BC2350年 アッカド王(Akkad)サルゴン(Sargon)、シュメールを征服してアッカド王国(Akkadian Empire)を建国。メソポタミアを統一
  BC2150年 内紛により、アッカド滅亡。
  BC2000年 アムル人(Amorites)、バビロン(Babylon)にバビロニア王国(Babylonian Empire)建国
  BC1757年 バビロニア王ハンムラビ(Hammurabi)、メソポタミア全土を統一
  BC1680年 ヒッタイト王国(Kingdom of Hittites) 、小アジアに建国
  BC1270年 ヘブライ人(Hebrew)、モーセ(Moses)に率いられてエジプトを出る
  BC1200年 内紛により、ヒッタイト滅亡
  BC1000年 ヘブライ人、エルサレムにヘブライ王国(kingdom of Israel)建国
  BC965年 ソロモン(Solomon)、ヘブライ人の王となる
  BC922年 ヘブライ王国、イスラエル王国(kingdom of Israel)とユダ王国(kingdom of Judah)に分裂
  BC722年 アッシリアがイスラエル王国を滅ぼし、オリエントを統一
  BC625年 カルデア人(Chaldean)、新バビロニア(Neo-Babylonian)建国(〜BC539)
  BC612年 新バビロニアにより、アッシリア滅亡。
  BC586年 新バビロニアにより、ユダ王国滅亡。(バビロン捕囚 Babylonian Captivity)
  BC550年 アケメネスがイランにアケメネス朝ペルシア(Achaemenid Persian)建国
  BC536年 アケメネス朝ペルシアにより、新バビロニア滅亡
  BC525年 アケメネス朝ペルシア、エジプトを征服。全オリエントの統一
  BC330年 マケドニア(Macedonia)のアレクサンドロス(Alexandros)により、アケメネス朝ペルシア滅亡
  BC312年 メソポタミア(イラク)は、セレウコス朝シリア(BC312〜BC63)の属州となる
  BC63年 メソポタミア(イラク)は、アルケサス朝パルティア(BC238〜226)の属州となる
  226年 メソポタミア(イラク)は、ササン朝ペルシア(226〜651)の属州となる
  610年 ムハンマドがアッラーの啓示を受ける。イスラム教成立
  614年 ムハンマドがメッカでイスラムの伝道を開始
  622年 ムハンマドらがメッカからメディナに移住(ヒジュラ)
  630年 ムハンマドのメッカ征服
  632年 ムハンマド没。アブー・バクルが初代カリフに就任(正統カリフ時代、〜661)
  636年 ヤルムーク河畔の戦いでアラブ軍がビザンツ帝国軍を破る。
  642年 ニハーヴァンドの戦いでアラブ軍がササン朝軍を破る。ササン朝ペルシア滅亡
  651年 ササン朝ペルシア滅亡。メソポタミア(イラク)は、イスラム帝国(632〜1922)の属州となる
  661年 カリフのアリーが暗殺され、ムアーウィヤ1世がカリフとなる(ウマイヤ朝成立、〜750)
  750年 アブル・アッバースがカリフに就任し、アッバース朝成立(〜1258)、ウマイヤ朝滅亡
  909年 イスマーイール派がチュニジアでファーティマ朝を興し、カリフの称号を用いる(〜1171)
  1169年 サラディンがエジプトにアイユーブ朝を興す(〜1250)
  1171年 ファーティマ朝が滅亡し、エジプトにスンニ派イスラムが復活
  1250年 アイユーブ朝滅亡、バフリー・マムルーク朝興る(〜1390)
  1517年 オスマン帝国がエジプトを征服、マムルーク朝滅ぶ
  1869年 スエズ運河開通
  1899年 エジプト・イギリスのスーダン共同統治開始。クウェートがイギリス保護下に入る
  1914年 オスマン帝国、第一次世界大戦に同盟国側で参戦。イギリス、エジプトを保護国とする
  1915年 フセイン・マクマホン協定
  1916年 サイクス・ピコ協定
  1918年 イギリスと結んだアラブ軍、ダマスカス入城。イエメン王国(イエメン・アラブ共和国)独立
  1920年 イラク王国、シリア王国の独立が否定される
  1920年 サン・レモ会議。レバノンとシリアがフランスに、パレスチナとイラクがイギリスの委任統治下に
  1920年 ケマル・パシャ、アンカラでトルコ臨時政府樹立、シリア王国崩壊
  1921年 イランでレザー・シャーのクーデター。
  1922年 イギリス、エジプトの独立を宣言。オスマン帝国、スルタン制を廃止、帝国滅亡
  1927年 イラクで石油が発見される
  1930年 イラク北部でクルド人の反乱発生
  1932年 サウジアラビアが王国となる。イラクがイギリスから独立し、イラク王国(1932〜1958年)成立
  1939年 第二次世界大戦
  1945年 アラブ連盟発足。
  1948年 パレスチナ戦争(第一次中東戦争)に敗北
  1955年 バグダッド条約機構(中東条約機構、METO)結成
  1958年 エジプトとシリアが連合し、アラブ連合共和国成立。第一次レバノン内戦。イラクで王制廃止
  1958年 イラク王国とヨルダンが合併し、アラブ連邦(1958年)結成
  1958年 カセム率いる自由将校団が蜂起し王政を廃止、イラク共和国成立
  1959年 中央条約機構(CENTO)結成
  1960年 トルコで軍事クーデター。石油輸出国機構(OPEC)発足。キプロス独立
  1961年 クェートがイギリスより独立
  1963年 バース党、第一次クーデター、カセム政権を打倒
  1968年 アラブ石油輸出国機構(OAPEC)発足(1月)
  1968年 バース党、第二次クーデター、バース党の一党独裁確立
  1979年 イラン革命。イラン・イスラム共和国成立
  1979年 サダム・フセイン、イラク大統領に就任
  1990年 南北イエメン統合、イエメン共和国成立。イラク、クウェート侵攻
  1991年 湾岸戦争。クウェートからの撤退を拒否するイラク侵攻軍に、米国を中心とする多国籍軍が圧勝
  2003年 イラク戦争。フセイン政権の崩壊
  2006年 サダム・フセイン死刑
  2011年 アメリカ軍撤退完了





バビロンの空中庭園 (Hanging Gardens of Babylon)


古代メソポタミアで栄えた新バビロニア王国。

その王都であるバビロンには、巨大な空中庭園があった。

この庭園は二代目の王ネブカドネザル2世の時代に建造された。
遠くから見ると、空中に浮いているように見えたといわれる。


なぜ、バビロンの乾燥した土地に庭園を造ろうと思ったのか。
それは、王妃アミティスが、故郷メディアの緑の山々を恋しがったため。

王妃の生まれ育ったメディアの光景を再現するために建造されたという。
庭園は、縦横125mの土台の上に、4層のテラスが積み重なっている。


内側は、ヤシをはじめ、異国からもたらされた樹木が栽培されていた。
最上階に貯水タンクがあり、ユーフラテス川から水をくみ上げていた。

そこから各階に水路を引き、植物に水を与え、美しい緑を保っていた。
その流水が空気を潤し、まさにオアシスといった雰囲気をつくりあげていた。


だが、栄華を誇ったこの王国も、BC538年、ペルシアに滅ぼされてしまった。
バビロンの空中庭園も破壊され、土砂に埋もれてしまった。

空中庭園は、古代七不思議のひとつに数えられ、その存在は長いあいだ伝説として語られていた。
1917年、考古学者コルデヴァイ(Koldewey)による発掘の結果、庭園の基礎部分と見られる遺跡が発見されている。




バビロン空中庭園の復元図



空中庭園は、高さ25m、四方がそれぞれ125mあったと推定されている。

ナツメヤシ、イトスギ、シダ、ツタ、アロエ、オリーブなどが植えられ、
樹木を密集して植えることで、水分を保持し、日陰をつくっていた。

土を耕し、植物を植え、水を汲み、雑草をとり、枝を剪定するなど、
空中庭園の維持管理は、常時数百人に及ぶ奴隷が従事していたという。


強大な軍事力を誇る王ネブカドネザル2世(在位BC605〜BC562年)のもと、
王都バビロンは、当時世界最大の都市であった。

聖書「ダニエル書」によれば、多くのイスラエル人捕囚を都市建設に従事させ、
その壮麗な建築物で世に知られるとともに、学問や宗教の中心地となっていた。


BC538年、バビロンはアケメネス朝ペルシアに占領され、建物の多くが破壊された。

その後BC331年、アレクサンドロス大王がバビロンを制覇し、BC323年にこの地で
病死したことでも知られる。


1917年の発掘調査で、この古代都市の配置が明らかにされ、数多くの財宝が出土した。
1950年以降、イシュタル門(Ishtar Gate)など多くの建築物が復元されている。