| 国名 | ミャンマー連邦共和国 | |
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| 英語 | Republic of the Union of Myanmar | |||
| 首都 | ネーピードー(Naypyidaw) | |||
| 独立年 | 1948.1(イギリス) | |||
| 民族 | ビルマ族68% | |||
| 主要言語 | ミャンマー語 | |||
| 面積 | 67万8500km2 | |||
| 人口 | 5512万3814人(2017推計) | |||
| 通貨単位 | チャット(Kyat) | |||
| 宗教 | 仏教74% | |||
| 主要産業 | 農業、天然ガス、製造業 |

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地理
国土の中央部をにエーヤワディー川が南下し、広大な沖積平野を形成。
ベンガル湾に面した南部は熱帯気候で、年間を通して高温多湿。
内陸部に入るにつれて気温も低下し、温帯気候となる。
ネーピードー 23℃(1月) 29℃(7月) 年降水量1150mm
住民の約 70%が農業に従事し、特にエーヤワディー川デルタは大米作地帯。
畑ではマメ類やサトウキビ、野菜、果物、ゴマなどが栽培されている。
1990年代までは米が最大の輸出品だったが、近年は天然ガスやマメ類、チークなどの木材が中心となっている。
仏教徒が人口の 70%以上を占め、仏教は生活にも深く浸透している。公用語はビルマ語。
歴史
パガン王朝(Pagan kingdom 1044−1287年)
ビルマ人がこの地に移住する以前、エーヤワディー川(Irrawaddy River)中流に、インドシナ語族のピュー族(Pyu)、
下流にはモン族(Mon)が先住民として文化を形成していた。
ビルマ族はもとチベットから中国甘粛省に居住していた。
8世紀ごろから、現在のミャンマーの地に南下し、次第に勢力圏を拡大させた。
11世紀、ビルマ族が、ピュー族やモン族を従え、統一国家パガン王朝を建国した。
最初の王アノーヤター(Anawrahta 在位1044−1077年)は、ピュー族やモン族が信仰していた仏教を保護し、
モン文字を改良してビルマ文字とした。またピュー族からは、高度な建築技術や農業技術を吸収した。
ピュー族はやがてビルマ族に同化したが、モン族はビルマ族に支配されながらも、独立した共同体として、
ビルマ族に対抗意識を維持していた。
元朝の来襲
1287年、元朝の遠征活動がこの地に及び、王都パガンが占領されて、事実上、パガンは滅亡した。
その後、パガンの王は元朝に従属する形をとって統治を許されたが、すでに全土を支配する力はなかった。
15世紀、ミャンマーの地は、タイのアユタヤ王朝に支配される。
ペグー王朝(Pegu kingdom 1287−1539年)
ペグー王朝は、エーヤワディー川下流域にモン族が創建した国家。
上座部仏教を保護し、都のペグー(現在のバゴー)は河港都市としても栄えた。
タウングー王朝(Toungoo dynasty 1510−1752年)
14世紀以降、ミャンマー中部のタウングーを拠点としたビルマ族が次第に有力となり、
1510年、タウングー王朝を創建。1539年にはエーヤワディー川下流のペグーを陥れてペグー王朝を滅ぼし、
パガン朝に続くビルマの統一を再現した。その後、タウングー王朝はタイやラオスに進出、ビルマ領を広げた。
しかし、国内はビルマ族に対するモン族の反発が強く、安定しなかった。
16世紀にはイギリス、オランダが進出し通商を求めたが、タウングー王朝は鎖国政策をとり、
都もペグーから内陸のアヴァに移した。
1752年、ついにモン族が反乱を起こし、タウングー王朝は滅亡してしまった。
コンバウン王朝(Konbaung dynasty 1752−1885年)
1752年、ビルマ族の将軍アラウンパヤー(Alaungpaya)の主導により、モン族を撃退して政権を奪還し、
コンバウン王朝が創始された。
コンバウン王朝は、パガン王朝、タウングー王朝に続く、三度目のビルマ統一王朝となった。
1767年、コンバウン王朝は東隣のタイに侵攻し、400年以上続いたアユタヤ王朝を滅亡させた。
一方、1769年には乾隆帝が派遣した清軍を撃退し、強大な勢力を持った。
またインドとの国境地帯であるマニプール(中心地はインパール)にも進出した

だが、ビルマのインド進出は、既に始まっていたイギリスのインド植民地化の動きと衝突することとなり、
ビルマはイギリス帝国の軍事力の前に植民地化の危機にさらされ、1824年から1885年の3次に渡る
英・ビルマ戦争の結果、コンバウン王朝は滅亡してしまった。
イギリスの植民地に
英・ビルマ戦争の敗北の結果、1886年、ミャンマーの地はイギリス領インドに編入されインド帝国の一つの州とされた。
イギリスはビルマ支配の中心を南部の海岸地方に置き、輸出用の米の生産地帯とした。

反英闘争
イギリスの植民地支配を受けていたビルマでは1930年、反イギリス組織「我らビルマ人協会」
(タキン党)が結成された。
タキン党はアウン・サン将軍(Aung San スー・チー女史の父)の指導により、
1938年から激しい反英独立闘争を展開。
だが、1940年、イギリス当局によって幹部が逮捕され、組織は壊滅した。
ビルマを脱出したアウン・サンらは日本に亡命、日本軍の協力を得て、軍事訓練を受け、
ひそかにビルマに戻り、ビルマ独立軍の母体となった。
1941年、日本軍の援助により、アウン・サンらはタイのバンコクで、ビルマ独立義勇軍(BIA)を創設した。
1941年12月、太平洋戦争が開始されるとフランス領インドシナ南部を抑えていた日本軍は、翌1942年、
ビルマに侵攻し、ビルマ独立義勇軍とともにイギリス軍と戦い、1942年5月に全土を制圧した。

日本のビルマ占領は、イギリス植民地支配の最大の拠点であるインドに侵攻する足場とするためであった。
1945年、敗戦国となった日本はビルマから撤退。アウン・サン将軍らは、再びビルマを占領したイギリス軍と
独立交渉の末、1948年1月、ビルマ連邦共和国として念願の独立を果たした。
民主化への苦難の道のり
ビルマ連邦共和国は、議会制民主主義の国家として独立したが、国内はカレン族(精霊信仰)や
ロヒンギャ族(イスラム教)の少数民族との対立が原因となり、安定しなかった。
こうした中で、かつてのビルマ独立義勇軍(BIA)の兵士たちがビルマ国軍の幹部要職に就き、
大きな発言力を持ち、政治にも介入するようになった。
1962年、クーデターが起こり、軍事政権が成立、社会主義路線を進めた。
1988年、主要都市で民主化を求めるゼネストが発生し全土に拡大。
これに対して軍がクーデターで実権を掌握。軍と市民らの衝突で多数の死者が出た。
1989年、国名をミャンマー連邦に改称。
1990年5月、30年ぶりに実施された選挙でアウン・サン・スー・チー女史率いる最大野党の国民民主連盟 NLDが圧勝した。
だが軍政府は選挙結果を無視して、スー・チー女史を軟禁、独裁体制を強化した。
軍事政権は、国際的な非難と経済封鎖が続くなか、2010年にスー・チー女史の自宅軟禁を解除した。
スー・チー女史は政治活動を再開し、2015年の総選挙で国民民主連盟(NLD)が圧勝した。
翌2016年、NDL党員で、スー・チー女史の側近、ティン・チョウ氏を大統領とする新政権が発足。
スー・チー女史は、国家顧問、外務大臣を兼任し、54年振りに文民政府が誕生した。
| ミャンマー史 | |
| 1044年 | パガン王朝成立(−1287) |
| 1510年 | タウングー王朝成立(−1752) |
| 1752年 | コンバウン王朝成立(−1885) |
| 1767年 | ビルマ軍、タイのアユタヤ王朝を滅ぼす |
| 1824年 | 第一次ビルマ戦争(−1826) |
| 1852年 | 第二次ビルマ戦争 |
| 1885年 | 第三次ビルマ戦争(11月)(−1886)。コンバウン王朝滅亡 |
| 1886年 | イギリス、ビルマ全土を併合し、英領インドに編入 |
| 1937年 | イギリス、ビルマを英領インドから分離。自治領となる |
| 1941年 | ビルマ独立義勇軍(BIA)が日本軍による訓練を経て成立 |
| 1942年 | 日本軍がビルマ独立義勇軍(BIA)とともにビルマに侵攻、全土を制圧 |
| 1943年 | 文民政府「ビルマ国」(1943−1945年)が成立し独立宣言(8月1日) |
| 1945年 | 日本軍の撤退に代わり、イギリス軍が再来、統治を再開する |
| 1947年 | 独立する段取りを整えたアウン・サン将軍がテロリストによって殺害される(7月19日) |
| 1948年 | 独立交渉の末、ビルマ連邦共和国として独立(1月4日) |
| 1962年 | クーデターにより軍事政権が成立、社会主義路線となる |
| 1967年 | 東南アジア諸国連合 ASEAN結成(8月8日) |
| 1988年 | 反政府派、国民民主連盟(NLD)を設立。書記長スー・チー女史 |
| 1989年 | 国名をミャンマー連邦共和国に変更(6月18日) |
| 1990年 | 総選挙で国民民主連盟(NLD)が圧勝。(だが政府は政権移譲を拒否し、スー・チー女史を軟禁) |
| 1991年 | スー・チー女史ノ−ベル平和賞受賞 |
| 1997年 | ASEANに加盟 |
| 2010年 | 新憲法を制定し、20年ぶりに議会選挙(11月7日) |
| 2010年 | スー・チー女史を自宅軟禁から解放(11月13日) |
| 2015年 | 総選挙でNLDが単独過半数の議席を獲得(11月8日) |
| 2016年 | NLD党員のティン・チョウ氏を大統領とする新政権が発足(3月31日) |

ゴールデン・ロック(Golden Rock)
ヤンゴンから北東に約200km、モン州のチャイティーヨー山の頂上にある、
その名のとおり「金色の岩」
石の上には高さ約7mの黄金の仏塔が建てられている。
岩が金色なのは、参拝者により金箔が貼られているため。
崖の端に巨大な岩がのっている、その今にも落ちてしまいそうな光景が
多くの観光客を惹きつけている。
ちなみに、岩が落ちそうで落ちないのは「仏塔の中に祀られている
仏陀の聖髪のパワーによるもの」という言い伝えもある。

ビルマの竪琴 (The Burmese Harp)
「ビルマの竪琴」は、太平洋戦争末期のビルマ(現在のミャンマー)で
戦闘を続ける日本軍部隊が敗戦を知り、復員するまでを描いた日本映画。
題名にもあるように、音楽が物語に大きな比重を占めている。
映画の中盤、英軍に包囲された日本兵たちが「埴生の宿」を合唱して逃走しようとすると、
英軍が「Home Sweet Home」と英語で歌い、両軍の合唱となって、無血で敗戦を知るくだりは
感動的なシーンとなっている。
この映画は、音楽のもつヒューマニズムを表現した作品として、1956年ベネチア国際映画祭で
芸術賞を受賞するなど国際的にも好評を博した。
その後、現地のミャンマーでも上映しようという計画があったのだが、結局上映されずじまいに終わった。
理由はおそらく、映画の中にミャンマーの宗教的な戒律に触れる場面があったため、
現地では反感を買ってしまう恐れがあったためだと思われる。
ミャンマーは敬けんな仏教国である。仏教徒の男性は、一生のうち一定の期間を、
僧侶として過ごさなくてはならないとされる。
映画の中で、出家僧になった主人公の水島上等兵が竪琴を奏でる場面があるが、
現地の上座部仏教では、僧侶が歌舞音曲に触れることは禁じられている。
また出家僧は喜捨を受けても在家信徒に対して合掌する事はないという。
映画はフィクションであり、ドラマ的な面白さが求められるのであるが、
フィクションだからこそ風俗や宗教といった現地考証が大切だということだろう。
ビルマの竪琴(1956年日活作品)
原作「竹山道雄」監督「市川崑」
主演「安井昌二」(水島上等兵)「三国連太郎」(井上隊長)