国名 シリア・アラブ共和国                                
英語 Syrian Arab Republic  
首都 ダマスクス  
独立年 1946年(シリア共和国)  
民族 クルド人、アルメニア人、  
その他 その他(9.7%)  
主要言語 アラビア語  
面積 18万5180km2  
人口 2146万9000(2013推計)  
通貨単位 シリア・ポンド  
宗教 イスラム教90%(スンニー派74%、アラウィ派、  
その他 ドルーズ派など16%)キリスト教10%  
主要産業 農牧業、石油生産業、繊維業、食品加工業  
 







地理

シリアの北部、西部は山地が多く、レバノンとの国境に沿って
レバノン山脈が走り、イスラエルとの国境にはゴラン高原が位置する。

北東部をユーフラテス川が流れ、溶岩や岩石に覆われたシリア砂漠がその間に広がる。

地中海沿岸地方と西部山地は温帯冬雨気候(地中海式気候)で、5〜10月は乾季となる。

内陸部は乾燥しており、夏は暑く、冬は寒い。
砂漠地帯では、夏の気温が 50℃近くに達することもある。

住民の大部分はシリア系アラビア人で、スンニ派のイスラム教徒が多い。
公用語はアラビア語。

国民の半数以上が農牧業に従事し、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ラクダを飼う。

ユーフラテス川沿岸の灌漑地域では綿花、穀類、イチジク、オリーブなどを産する。

1956年に油田が発見され、国営石油会社が 1968年から生産を開始した。
製油所をはじめ、綿織物、食品加工、たばこ、ガラス、セメントなどの軽工業もある。





歴史

旧石器時代の中頃にはシリアとパレスチナの地に人が居住し、BC9000年頃から
コムギの耕作が始まり、BC4000年の中頃には青銅などの冶金が行なわれるようになった。

BC2000年頃、アラム人(Aramaeans)がシリアの地に定住し、BC1000年頃になると
ダマスクスを中心にアラム人の都市国家が栄えた。

BC740年、ダマスクスはアッシリアの支配下に入るが、以後、BC608年、新バビロニア、
BC538年、アケメネス朝ペルシアがダマスクスを征服した。

BC333年、マケドニアのアレクサンドロスがシリア北部のイッソスの戦いでペルシアの
ダレイオスを破り、ダマスクスは、マケドニアの一部となった。

BC323年、アレクサンドロスが急死すると、後継者たちの争いが始まり、マケドニアは、
セレウコス朝シリア(BC312〜BC64)プトレマイオス朝エジプト(BC305〜BC30)
アンティゴノス朝マケドニア(BC306〜BC168)の三国に分かれた。

BC64年、セレウコス朝シリアは、共和政ローマのポンペイウスに敗北し滅亡した。
以後、シリアはローマの属州となった。

395年、ローマが東西に分裂すると、シリアはビザンツ帝国の支配下に置かれる。

636年、新興のイスラム勢力がビザンツ軍を撃破し、シリアの支配を確立。
661年、ダマスクスを都としてウマイヤ朝が成立した。



1096年以降、シリアは十字軍戦争の主戦場となり、1518年、オスマン帝国の支配下に入った。

1919年、第一次世界大戦後は、フランスの委任統治下に置かれていたが、1946年完全に独立して
シリア共和国となった。

1947年、首都ダマスクスにアラブ民族の完全な統合を目標とするバース党が生まれ、スエズ戦争後
のエジプトのナセルの提唱するナセル主義(アラブ民族主義)の隆盛とともに力をつけていった。

バース党はアメリカの圧力を避けるため、ナセルの率いるエジプトとの合同を働きかけ、
1958年に両国は連合体を構成してアラブ連合共和国が成立した。

しかしエジプトの統制が及ぶと、シリアでは反ナセルの動きが出てきて、1961年に連合は解消された。

1963年バース党がクーデターで政権を奪取、1971年指導者ハーフィズ・アサドが
権力を握り、独裁的体制を樹立した。



1967年、第三次中東戦争では、ゴラン高原をイスラエルに奪われ、1973年の第四次中東戦争では
エジプトともにイスラエル占領地奪還をめざしたが、ゴラン高原の奪還には失敗した。

1976年のレバノン内戦では、レバノン政府から内戦鎮圧を求める要請があり、
シリア軍をレバノンに駐留した。

また1990年のイラクのクウェート侵攻を非難し、湾岸戦争では多国籍軍に参加した。
2000年アサド大統領が死亡、息子のバッシャール・アサドが大統領に就任した。

2011年アラブの春の影響で、民主化の波がシリアにも及び、反体制派が蜂起した。
アサド政権は民主化要求運動を武力弾圧したことから反体制派との激しい内戦となった。

アサド政権を支持するロシア、イラン、そして反体制派を支持するアメリカ、サウジ等湾岸諸国のほか、
過激派組織「イスラム国」、シーア派系武装組織「ヒズボラ」などさまざまな勢力が入り乱れて複雑化、泥沼化した。

また、この内戦により大量の難民が発生し国際問題となった。



  シリア史
  BC2000年 アラム人(Aramaeans)がシリアの地に定住
  BC740年 アッシリアの支配下に入る
  BC608年 新バビロニアの支配下に入る
  BC538年 アケメネス朝ペルシアの支配下に入る
  BC333年 マケドニアの支配下に入る
  BC312年 セレウコス朝シリアの支配下に入る
  BC64年 共和制ローマの支配下に入る
  395年 ビザンツ帝国の支配下に入る
  636年 イスラム帝国(正統カリフ)の支配下に入る
  661年 ダマスクスを首都としてウマイヤ朝が成立
  1518年 オスマン帝国の支配下に入る
  1919年 フランスの委任統治領となる(サイクス・ピコ協定)
  1946年 シリア、フランスによる委任統治終了。シリア共和国(1946〜1958年)として独立
  1958年 エジプトと連合し、アラブ連合共和国(1958〜1961年)が成立
  1961年 エジプトとの連合が解消され、シリア・アラブ共和国として再独立
  1963年 革命によりバース党が政権を獲得
  1967年 第三次中東戦争勃発、ゴラン高原を失った
  1971年 ハーフィズ・アル・アサドが大統領に選出
  1973年 第四次中東戦争勃発
  1976年 レバノンへの駐留開始(レバノン内戦)
  2000年 バッシャール・アル・アサドが大統領に就任
  2005年 レバノンからシリア軍が撤退
  2011年 シリア内戦






パルミラ遺跡 (Palmyra)


ダマスクスから車で約3時間、シリア中心部の都市パルミラは
広大な砂漠の中に建設されたオアシス都市である。

ナツメヤシの緑に包まれ、パルミラの名もギリシア語で
ナツメヤシを意味する「パルマ」が起源といわれる。

紀元前1世紀、シルクロードの終点に位置するパルミラは、
中国とヨーロッパを結ぶ東西交易路の中継地として発展。

2世紀のパルミア王国の時代には、シリア全土とアラビア、
エジプトに至る大帝国として絶頂期を迎えた。



だが272年、ローマ帝国の侵攻により、首都パルミラは陥落。壮麗を誇った
パルミア神殿や円形劇場は、すべて廃墟となってしまった。


パルミラ遺跡は、夕日に染まる美しさに、商人達が「バラの街」と称えた、
砂漠に咲いた世界屈指の都市遺跡である。

主神ベルを祀るパルミラ神殿や記念門、列柱道路、四面門、円形劇場など、
数多くの遺構が残されており、かつての栄華を偲ぶ事が出来る。

(住所:Site of Palmyra, Tadmur, Homs Governorate, Syria)