| 国名 | アルジェリア民主人民共和国 | ![]() |
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| 英語 | Democratic People' s Republic of Algeria | ||||
| 首都 | アルジェ(Algiers) | ||||
| 独立年 | 1962年7月(フランス) | ||||
| 主要言語 | アラビア語、ベルベル語 | ||||
| 面積 | 238万1740km2 | ||||
| 人口 | 4096万9443人(2017年推計) | ||||
| 通貨単位 | アルジェリア・ディナール | ||||
| 宗教 | イスラム教99% | ||||
| 主要産業 | 石油、天然ガス |

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地理
アフリカ北西、マグレブ三国(チュニジア、アルジェリア、モロッコ)中央の国。
断続的に連なる海岸丘陵の南に比較的低いテル・アトラス山脈とサハラ・アトラス山脈が
ほぼ平行して東西に延び、さらにその南側に国土の大半を占める広大なサハラ砂漠が広がる。
降水量は北と東に行くほど多く、テル・アトラス山脈と沿岸部を含むテル地方は、
温帯冬雨気候(地中海式気候)でしのぎやすい。
植生もこの地域は豊かで、オリーブ、コルクガシなどが生え、肥沃な農業地帯となっているが、
古代には豊かな森林地帯であった南部の高原とサハラ・アトラス山脈地方は、
今日では乾燥したステップ地域。大型野獣もほとんど姿を消した。
住民はアルジェリア系アラブ人約 60%、ベルベル人(アラブ化したベルベル人を含む)約 25%、
ベドウィン系アラブ人約15%で、一時は80万にも上ったヨーロッパ系住民は、独立後姿を消した。
人口の増加が著しく、大都市への流入が激しさを増し、住宅難、失業、社会不安が増大している。
公用語はアラビア語で、2002年にベルベル語系のタマズィフト語が国語に定められている。
経済面では輸出用のワインやコルクと、内需用の穀作に依存する農業国であった。
独立後はサハラの石油と天然ガスの産出を基盤に経済発展が著しい。
石油化学工業、鉄工業の躍進を軸に、各種の重工業の育成が政府公営事業団によって行なわれ、
民営化も進められている。
また、遺跡も多く、自然の景観にも恵まれているが、政情の不安定のため、観光は伸び悩んでいる。

ティムガッド遺跡(Timgad)世界遺産
西暦100年頃にトラヤヌス帝によって建設された古代ローマの植民都市。
遺跡は古代ローマの都市計画に碁盤目状の区画が導入された例を伝える、
現存する最良の遺跡の一つである。
長い間砂に埋もれていたことから保存状態がよく「アフリカのポンペイ」の異名をとる。
歴史
かつてフェニキア人が植民地を建設し、ローマ時代にはヌミディアと呼ばれてローマの文化が栄え、
先住民族ベルベル人の国もあった。
430年にはヴァンダル族に、531年には東ローマ帝国に、7世紀にはアラブ人に、
16世紀にはオスマン帝国によって支配され、1830年にはフランスの植民地とされた。
1962年7月3日、アルジェリア民族解放戦線 FLNによる 7年半の独立戦争ののち独立達成。
| BC1世紀 | ベルベル人国家ヌミディアが成立するが、後にローマ帝国支配下に |
| 4世紀 | ヴァンダル人の支配下 |
| 5世紀 | 東ローマ帝国支配下に |
| 8世紀 | イスラームが進出 |
| 16世紀 | オスマン帝国支配下に |
| 1830年 | フランス植民地に |
| 1954年 | アルジェリア民族解放戦線により独立戦争開始。(正式名称はアルジェリア戦争) |
| 1962年 | アルジェリア側が勝利し、フランスから独立。アルジェリア民主人民共和国の成立 |
| 1989年 | 憲法改正。複数政党制が認められる。 |
| 1991年 | 普通選挙実施。イスラム原理主義政党が躍進 |
| 1992年 | 軍事クーデターで、世俗派の軍が権力掌握 |
| 1991年 | アルジェリア内戦(〜2002年) |
| 2011年 | 隣国チュニジアの民主化運動に影響を受け、大規模な反政府デモが発生。(アラブの春、アルジェリア騒乱) |

ベルベル人 (Berbers)
ベルベル人は、アルジェリア、モロッコなど北アフリカ一帯に居住する先住民である。
ベルベルとは「異邦人」「野蛮人」を意味する軽蔑的な通称として使用されていた。
ベルベル人の歴史は他民族による侵略と支配の歴史であった。
有史以来カルタゴに植民都市を建設したフェニキア人から始まり、ローマ帝国、ヴァンダル族、
東ローマ帝国、アラブ人と続き、近代ではフランスによる植民地支配を受けた。
現在ベルベル人のほとんどはイスラム教徒となっている。
アルジェリアの公用語は、アラビア語とベルベル語、第二言語はフランス語である。
1830年以降フランス領となったアルジェリアは、過酷な植民地支配を受けた。
フランスの戦争のために、多くのアルジェリア人が徴用された。
フランス軍の一員として従軍したアルジェリア人兵士は、
戦死しても、その家族には何の補償もされなかった。
アルジェリアの作家カミュの父親も、第一次大戦でドイツ軍と戦い戦死している。
奨学金で大学を卒業したカミュは、1942年小説「異邦人」(Etranger)を発表。
この作品は、反フランス、反植民地主義を掲げた作品である。
フランス人青年ムルソーは、アラブ人を殺害した罪で逮捕される。
裁判で殺人の動機を問われた彼は「太陽が眩しかったから」と述べた。
情状酌量の余地を自ら閉ざしてしまった彼は、死刑を宣告されてしまう。
この作品のメッセージは明確である。
殺人は、フランス人のイスラム教徒に対する不当な扱いを比喩しているのだ。
異邦人が出版された1942年は、アルジェリア人が政治的自治を要求していた時代。
だが植民地支配に固執するフランスに弾圧されたため、彼らの抵抗は
1954年のアルジェリア戦争の勃発で最高潮に達することになる。
アルジェリア人にとって、フランス人こそが異邦人(野蛮人)だったのである。