国名 | カメルーン共和国 | ![]() |
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英語 | Republic of Cameroon | |||
首都 | ヤウンデ(Yaounde) | |||
独立年 | 1960年1月(英・仏) | |||
民族 | バンツー系38%、スーダン系10% | |||
主要言語 | 英語、仏語 | |||
面積 | 47万5440km2 | |||
人口 | 2499万4885人(2017年推計) | |||
通貨単位 | CFAフラン | |||
宗教 | 原始宗教40%、キリスト教40% | |||
主要産業 | 原油、木材、カカオ |
地理
沿岸地域と南部は高温多雨、中部はサバナ気候、北部は高温乾燥のステップ気候。
南部では南西モンスーンの吹く3〜10 月が大雨季となり年間降水量は4000mmを越える。
中央部は特に8〜10月に多量の雨が降る。
北部は乾燥地帯で雨季は短い。
首都ヤウンデ 23.8℃(1月) 22℃(7月)
年平均気温 23.2℃ 年降水量1562mm
産業の主体は農業で、労働人口の70%以上が従事している。
カカオとコーヒーが主要作物で、綿花、タバコ、バナナなども栽培。
豊富な熱帯雨林を伐採する林業も重要。近代的な漁業も盛んになりつつある。
1970年代に海底油田が発見され、輸出額の半分以上を占めるようになった。
金、ボーキサイトなどの鉱産にも恵まれ、アルミニウム製錬が行われる。
首都ヤウンデは、湖水や小河谷など地形変化に富む標高約 700mの丘陵上に位置。
1888年ドイツ統治時代に建設。 1915年ベルギー軍が占領、1922年フランス領カメルーンの首都。
1940〜1946年一時ドゥアラに遷都したが 1960年の独立とともにカメルーンの首都となった。
鉄道でドゥアラ港と結ばれ、政治、商業、交通の中心地として発展。
市街周辺には、食品、たばこ、煉瓦、タイル、印刷などの軽工業が立地。
周辺農村部ではカカオ、コーヒーの栽培が盛んで、それらの集散地でもある。
カメルーン大学、カメルーン中央学術研究所、気象台など文化・教育施設も多い。
人口 180万1000(2010年推計)
歴史
15世紀にポルトガル人が渡来。
1884年ドイツの保護領に。
第一次大戦後、1922年イギリス(西部)フランス(東部)の委任統治領となり、
第二次大戦後、1946年両国の信託統治領となる。
フランス領カメルーンは、1960年1月カメルーン共和国として独立。
イギリス領カメルーンの北部は、1961年2月ナイジェリアに合併。
イギリス領カメルーンの南部は、1961年2月西カメルーンとして独立。
1961年10月カメルーン共和国と西カメルーンが合併し、カメルーン連邦共和国として発足。
1972年5月連邦制廃止。国名をカメルーン連合共和国に改称。
1984年2月国名をカメルーン共和国と改称。
15世紀 | ポルトガル人が渡来 | |
1884年 | ドイツの保護領に | |
1961年10月 | カメルーン連邦共和国が発足 | |
1972年5月 | 国名をカメルーン連合共和国に改称 | |
1984年2月 | 国名をカメルーン共和国と改称 |
カラバッシュ (Calabash)
カメルーンの女性が頭にのせているのは、荷物を入れたカラバッシュ。
カラバッシュとは、ひょうたんのこと。
小から大まで様々な大きさがあり、形状も円いモノ、細長いモノまでいろいろあり、
カメルーンでは、日常生活に欠かせない生活ツールとなっている。
スプーン、柄杓からお玉、料理用や水入れのボール、装飾品、ミルク入れやチーズ容器、
また農業用具としての種や籾入れになったり、水遣りのバケツ代わりにもなる。
農耕民にとって楽しみな、雑穀から作る地ビールの容器としても重用されている。 カメルーン北部の村では、エナメルを塗られ、女性の帽子としても活躍しているとか。 カラバッシュを頭にのせ、買い物に行き来する姿は、市場の風物詩の一つにもなっている。 さらには、水に浮かべてマレットで叩いて打楽器(ウォータードラム)として使われる。 ひょうたんは外側がかたく、中が空洞でクッション質であるために、響きがとてもいい。 |
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