国名 エリトリア国  
英語 State of Eritrea
首都 アスマラ(Asmara)
独立年 1993年5月(エチオピア)
主要言語 ティグレ語、アラビア語、英語
面積 12万1320km2
人口 591万8919人(2017年推計)
通貨単位 ナクファ
宗教 イスラム教50%、キリスト教48%
主要産業 農業、酪農、漁業





地理


アフリカ大陸北東部の国。紅海に臨む狭い海岸平野と平均標高1000〜1500mの高原地帯からなる。
沿岸部は砂漠地帯で、その中央に海面下90mのダナキル砂漠がある。

熱帯乾燥気候に属し、特にダナキル砂漠は年平均気温30℃を越え、世界一酷暑の地といわれている。
高原部は温暖な気候でしのぎやすい。

アスマラ 13.6℃(1月) 16.5℃(7月) 年降水量540mm

耕地は少ないが、酪農製品、野菜、果樹、コーヒー、タバコを生産する。砂漠地帯では塩が産出される。
紅海では漁業もおこなわれる。金、銅、鉄鉱石などの地下資源もあるが、開発には至っていない。



歴史

AD100年、現在のエリトリアからエチオピア北部の高地を拠点とする統一国家「アクスム王国」が成立。

3世紀から6世紀にかけて、金、象牙、香料などアラビア半島との交易で栄えた。
7世紀以降、イスラム勢力がアラビア半島に勃興すると交易ルートを絶たれ、アクスム王国は衰退した。

王国の衰退後、1557年オスマン帝国の支配下に置かれた。その後エジプトの支配を経て、
1890年イタリアの植民地となる。このとき、エリトリアという名称が正式に付与された。

1936年イタリアがエチオピアを併合、エリトリアはアフリカ侵略基地となる。
第二次大戦中、イギリスがこの地に出兵した結果、1942年イギリスの保護領となった。

1952年国連決議によりエチオピアと連邦を形成したが、1962年エチオピアに強制併合される。
以来、エリトリア人民解放戦線(EPLF)などによる独立闘争が展開される。

1993年5月、30年間の闘争を経て独立を達成。同年国連に加盟。


1890年  イタリアの植民地に
1942年   イギリスの保護領に 
1952年   エチオピアと連邦を形成、自治権獲得 
1962年  エチオピアに併合  
1993年5月  エリトリア国として独立





アスマラ(Asmara) 世界遺産

首都アスマラは、標高2400mの高地にある。年間平均気温が 17℃と、冬季(11〜1 月)でも半袖で過ごせる穏やかで快適な気候だ。

エリトリアがまだイタリアの植民地だった1930年代、ムッソリーニ政権がこの都市を「リトルローマ」として開発した経緯がある。
その時代に造られたアールデコ建築(Art Deco)が約4,300軒現存しており、世界遺産に登録されている。



フィアット・ティグリロ(The Fiat Tagliero Building)

1938 年にイタリア人建築家ジュゼッペ・ペッタッツィ(Giuseppe Pettazzi)
の設計で建てられた飛行機形ガソリンスタンド。

中央の塔は、両端に30mの翼を支えているが、支柱が全く無いという設計で、
何十年も経つのに全く崩れないという、イタリアの建築能力の高さがよくわかる
建築の一つである。



シェル・ガソリンスタンド (Shell Petrol station)

1937年、イタリアの石油会社 AGIP のガソリンスタンドとして、
アスマラ郊外に建てられたもの。

アールデコ建築の特徴である曲線が特徴的な建物である。