国名 インドネシア共和国         
英語 Republic of Indonesia  
首都 ジャカルタ(Jakarta)  
独立年 1949.12(オランダ)  
主要言語 インドネシア語  
面積 191万9440km2  
人口 2億6058万0739人  
通貨単位 ルピア  
宗教 イスラム教87%、  
キリスト教10%  
主要産業  石炭、パーム油、機械   






地理

アジア大陸とオーストラリア大陸との間にある島々からなる国。

おもな島はスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、セレベス島で、ほかにニューギニア島(東部はパプアニューギニア)、
モルッカ諸島など、1万3000以上の島がある。

南部はアルプスヒマラヤ造山帯、東部は環太平洋造山帯に属し、火山が多い。
熱帯雨林気候と熱帯サバナ気候に分かれ、モンスーン(季節風)により雨季と乾季がある。

オランダの植民地であったが、1945年独立を宣言し、4年間の独立戦争を経て 1949年に独立を達成した。

国家スローガン「多様性のなかの統一」が示すように、住民は文化社会生活、
言語、宗教などを異にする多様な民族集団から構成される。

おもなものは、ジャワ島のジャワ人、スンダ人、スマトラ島のアチェ人、
ミナンカバウ人、バリ島のバリ人、スラウェシ島のブギス人などで、マレー系、中国系も多い。

住民の 80%近くがイスラム教徒であるが、イスラム教は国教ではなく、キリスト教カトリック、プロテスタント、
ヒンドゥー教、仏教を加えた五つが国家公認宗教とされる。

公用語は、古くからの共通語であったマレー語を基礎とするインドネシア語。
人口の半分以上が農村部に居住し、農林漁業を営む。

主食は米であるが、芋類、トウモロコシを常食する地域もある。

独立以後、ゴムやコーヒー、砂糖、コショウ、茶などの一次産品から、
工業原料・燃料輸出へと産業構造の転換がはかられてきた。

さらに産業のジャワ島集中から外島中心へと転換が推進されている。
貿易収支は、石油輸出が拡大し始めた 1970年代から黒字に転じた。

行政的には、ジャカルタ首都特別州、ジョクジャカルタ特別州を含む 34州に分かれる(2014現在)。
東南アジア諸国連合 ASEAN原加盟国。






歴史

インドネシアの地は、インドからマラッカ海峡を抜け、中国に至る交易ルートに位置していた。

そのため古来、インドの商人たちが訪れ、ヒンドゥー教や仏教の影響を受けた独自の文化が形成され、
スマトラ、ジャワを中心に多くの王国が興亡した。

スマトラでは、7世紀に仏教王国シュリヴィジャヤ(Srivijaya  650〜1275年)が成立。
マラッカ海峡を通過するインドの船が寄航する中継拠点として大いに繁栄した。

ジャワでは、8世紀にシャイレンドラ朝(Shailendra dynasty 752〜832年)が成立。
この王朝は、世界最大の仏教遺跡ボロブドゥール寺院を建設したことで知られる。

また13世紀後半に興ったマジャパヒト王国(Majapahit 1293〜1527年)は、
ジャワからバリ島を中心に栄えたヒンドゥー教国である。


一方、7世紀にアラビア半島で創始されたイスラム教は、アラビア商人によってインドネシアの地に伝えられた。

15世紀後半、ジャワにドゥマク王国(Demak Sultanate 1475〜1568年)、スマトラにアチェ王国
(Aceh Sultanate 1496〜1903年)などのイスラム王朝が興った。

1602年、オランダがジャカルタに東インド会社を設立。
以降、1942年の日本占領までオランダがインドネシアを植民地として支配した。

1942年、インドネシア国民党の党首スカルノは、日本軍の下で独立準備を進め、1945年8月、日本降伏直後に独立を宣言し、
インドネシア共和国の初代大統領(任期1945〜1967年)となった。

だがその後、オランダと激烈な独立戦争が発生。
4年間の独立戦争を展開し、1949年12月インドネシア共和国としての独立が正式に承認された。

1955年、スカルノは、バンドンでアジア・アフリカ会議を主催。
植民地主義反対、基本的人権確立と民族自決、平和十原則を盛った宣言を発表した。

1968年、スカルノから全権委譲を受け、スハルトが大統領に就任(任期1968〜1998年)。
軍の力に立脚した秩序維持と、日米欧など先進諸国からの外資導入による経済開発を推進した。

2005年以降、インドネシアの経済成長率は、おおむね5〜6%台という高さで推移。
中国、ロシア、インド、ブラジルに続く新興国グループの一員として評価をあげている。



インドネシア史
7世紀 スマトラに仏教国シュリヴィジャヤ王国が勃興。
8世紀 中部ジャワに、仏教国シャイレンドラ王朝が興り、ボロブドゥール等の有名な仏跡を残す。
13世紀 イスラム文化・イスラム教の渡来。北スマトラのアチェ地方に最初のイスラム小王国が現れる。
  ジャワにマジャパヒト王国が勃興し、バリ島にも勢力を伸長。 
1596年 オランダの商船隊、西部ジャワのバンテン港に渡来。
1602年 オランダ、ジャワに東インド会社を設立。
1799年 オランダ、東インド会社を解散、インドネシアを直接統治下におく。
1942年 日本軍による占領(〜1945年)。
1945年 8月17日、スカルノ及びハッタがインドネシアの独立を宣言。スカルノが初代大統領に選出。
  オランダとの間で独立戦争(〜1949年)。 
1949年 ハーグ協定によりオランダがインドネシアの独立を承認。インドネシア共和国の成立。
1955年 バンドンで「アジア・アフリカ会議」開催。
1965年 軍部と共産党との緊張の高まりを背景に「9月30日事件」が発生。
  翌1966年3月11日、スカルノ大統領は権限をスハルトに一部委譲。 
1968年 スハルト大統領就任(第2代大統領)。
1998年 アジア通貨危機をきっかけに、ジャカルタを中心に全国で暴動が発生。
  民主化運動も拡大し、スハルト大統領は辞任。ハビビ大統領就任(第3代大統領) 
1999年 住民投票により東ティモールの独立が決定。
ワヒッド大統領就任(第4代大統領)。
2001年 メガワティ大統領就任(第5代大統領)。
2004年 国民による初の直接投票によりユドヨノが大統領に選出。ユドヨノ大統領就任(第6代大統領)。
2005年 ヘルシンキ和平合意(独立アチェ運動(GAM)との和平成立)。
2009年 ユドヨノ大統領再任。
2014年 ジョコ・ウィドド大統領就任(第7代大統領)
2019年 ジョコ・ウィドド大統領再任





デヴィ・スカルノ (Dewi Sukarno)


日本では「デヴィ夫人」と呼ばれている。

本名は根本七保子(ねもとなおこ)
19歳の時、昼は保険会社、夜は赤坂のバーでホステスをしていた。

あるとき七保子は、スカルノと出会った。
彼は、日本を公式訪問していたインドネシアの大統領であった。

この運命的な出会いは、彼女の人生を大きく変えることになった。


地味な出で立ちながら、天性の美貌を持つ彼女は、
スカルノが、一目見て惚れ込むほど魅惑的だった。

1962年にインドネシアで結婚した。スカルノはこの時61歳だった。

この結婚には、政治的な意味あいもあった。

当時、日本女性と結婚することは、著名な政治家にとっては不可能なことであった。

それは戦時中のインドネシア人に対する、日本軍の野蛮な振る舞いのためだった。

しかし、スカルノはインドネシア独立の英雄であり、多くのインドネシア国民が
二人の結婚を心から祝福した。

二人は日本とインドネシアとの間に強い絆を築いたのである。






ボロブドゥール (Borobudur)


仏教の寺院だが、どこでお参りすればいいか分からない。

実は、参拝すべきお堂や本尊ははない。
それは、寺院全体が、仏教の宇宙観を象徴しているからだ。

その宇宙観は、悟りの世界を視覚的に表したものとされる。

全体で9層の階段ピラミッド状になっており、回廊には
仏塔が立ち、仏教説話の浮彫が彫られている。

参拝者は、回廊に彫られた仏教説話を見ながら、上層に進んで
行くと、悟りの道が開けるしくみになっている。


     


仏教では、宇宙は三界(三つの世界)からなるとされている。

いわゆる俗世間といわれる「欲界」、高尚な精神を表す「色界」
そして無の世界である「無色界」である。

ボロブドゥールでは、一番下の階層が欲界、六層までが色界、
九層までの階層が無色界となっている。

上の層へ行くほど悟りの世界に近づくとされ、最上層の仏塔は
仏陀そのものを表している。

ところで、最下層の欲界は、地面の下にあり、隠されてしまっている。

欲界の浮彫には、煩悩に惑わされた人間の醜い姿が描かれているため、
さすがに人目に触れさせたくなかったのではないかと推定されている。

だが現地へ行くと、この最下層の一部が公開されており、醜悪さを
さらけ出した人間の行動や顔を見ることができる。

(住所:Jl. East Side Pedestrian Walk, Borobudur, Magelang, Jawa Tengah 56553)