国名 ケニア共和国           
英語 Republic of Kenya    
首都 ナイロビ(Nairobi)    
独立年 1963.12(イギリス)    
主要言語 スワヒリ語、英語    
面積 58万2650km2    
人口 4761万5739人    
通貨単位 ケニア・シリング    
宗教 キリスト教83%、イスラム教11%    
主要産業 茶、切り花、果実    




地理

北は南スーダン、エチオピア、西はウガンダ、南はタンザニア、
東はソマリアと国境を接し、南東はインド洋に臨む。

国土の西半はケニア高原を含む高地で、赤道直下にもかかわらず一年中日本の春秋に
似た気候でしのぎやすく、特にケニア高原は肥沃で、人口が集中。

海岸地帯は高温多湿。雨季は 4〜6月の大雨季と 10〜12月の小雨季の 2回。河川の多くは間欠的。
変化に富む美しい自然と多種の野生動物が保存され、重要な観光資源となっている。

農業を主とし、コーヒー、サイザルアサ、トウモロコシ、小麦、茶、綿花などを産し、酪農も盛ん。

工業は発展途上にあり、自動車組み立て、タイヤ、セメント、アルミニウム製品、
家具、乾電池、靴、石鹸などの工場がある。

地下資源は少ないが、マグネタイト、蛍石、天然ソーダ、石灰石などを産する。
観光業も重要。

住民の約 98%はアフリカ人で、キクユ族、ルオ族、マサイ族、ルイア族、カレンジン族
などを主に、言語、文化を異にする約 70の諸族が住む。

民族固有の伝統宗教のほかキリスト教徒も多い。公用語はスワヒリ語、英語。



歴史

早くからアラブ人が海岸地帯に貿易根拠地をもっていたが、16世紀にポルトガル人が進出した。
のち英国とドイツが争い、1888年イギリス東アフリカ会社が開発を開始、1895年英国保護領となった。

1901年植民地経営の柱となるモンバサ〜キスム(ビクトリア湖岸)間の鉄道が完成した。
1920年英領ケニア植民地となった。

1920年代からキクユ族を中心として独立の機運が高まり、第二次世界大戦後激しい独立運動へと発展、
1963年独立、翌1964年共和国となった。


1963年 英国から独立
1964年 共和制移行。ケニア共和国の成立





雨乞いダンス (Pray for rain dance)


マサイ族には、エンカイ(Enkai)と呼ばれる神を崇める信仰が古くから存在する。

神話によると、エンカイは天と地を創造した神であり、奇跡のしるしとして
ケニア山をつくり、神自身は、その山頂に座していると信じられている。

またマサイ族は、この神から初めて牛を授けられたとの言い伝えがある。

そのため、牛はマサイ族にとって最も重要な財産で、通貨としても機能し、
結納・相続などは牛の受け渡しによって行われる。



彼らは一夫多妻制で、牛(財産)を多く持つ男は何人も妻をめとることができる。
だが、牛を持っていない男は女性に相手にされず、結婚も恋愛も難しいという。

また乾季が長引き、作物や家畜、人々の生活そのものに影響が出始めると、
大きな水がめを乗せた牛車を神の山のふもとへ運び、雨乞いの儀式を行う。

彼らの雨乞いの儀式は、雨が降るまで踊り続けるという非常にユニークなものだ。

水がめを並べて、その周りを回りながら踊るのだが、このとき酋長は、
口に水をいっぱいに含み、空に向かって吐きかける。

この動作は、雨が降るところをまねているものと思われる。

ついで水がめがひっくり返され、貴重な水を大地にこぼしてしまう。
このこぼれた水を踊り手たちが飲み、全員が空に水を吐きかける。

こうして雨が降るまで、雨乞いダンスが、えんえんと繰り返されるのである。