| 国名 | モザンビーク共和国 | ![]() |
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| 英語 | Republic of Mozambique | ||||
| 首都 | マプト(Maputo) | ||||
| 独立年 | 1975年6月(ポルトガル) | ||||
| 主要言語 | ポルトガル語(公用語) | ||||
| 面積 | 80万1590km2 | ||||
| 人口 | 2657万3706人(2017年推計) | ||||
| 通貨単位 | メティカル | ||||
| 宗教 | カトリック28%、プロテスタント28% | ||||
| 主要産業 | アルミニウム、コークス |

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地理
アフリカ大陸南東部に位置しモザンビーク海峡に面する。
国土の中央を大河ザンベジ川が流れ、北部は高原、南部は丘陵性の草原が広がる。
沿岸部は多数の河川の下流平野が発達している。
北部は熱帯モンスーン気候、南部は亜熱帯モンスーン気候で南下するにつれて降水量は減少する。
11〜3月が暑い雨季、4〜10 月が涼しい乾季となる。内陸の山岳高原部は乾燥が激しくステップ気候となる。
マプト 26.6℃(1月) 19.5℃(7月) 年降水量800mm
1990年代後半から南アフリカなどからの投資が活発化し、マプトを中心にアルミ精錬などの近代的工業が発展。
他に天然ガス、コークスが基幹産業となっている。
また、商品作物としてカシューナッツ、綿花、サトウキビ、茶などが栽培されている。
首都マプトは、インド洋のマプト湾に臨む港湾都市。1907年ポルトガル領東アフリカの首都となり発展、1976年マプトと改称。
港はアフリカ東海岸最大規模で、かつては南アフリカ共和国の金やスワジランド(現エスワティニ)、ローデシア(現ジンバブエ)
などの輸出入港としても利用された。また、気候が良好なため保養地としても人気を集めた。
セメント、陶器、家具、石鹸、ゴムなどの工業が盛んで、商工業の発展に伴い市街地や港は再三拡張され、近代都市となった。
国際空港、大学、博物館、聖堂、公会堂などがある。人口 112万200(2009年)
歴史
1498年ポルトガル人ヴァスコ・ダ・ガマがモザンビーク島に到着。
以後ポルトガルの植民地となり、奴隷貿易が本格化。
1964年モザンビーク解放戦線が武力闘争を開始。1975年人民共和国として独立した。
1990年国名をモザンビーク共和国に改称。
| 1498年 | ポルトガル人ヴァスコ・ダ・ガマが上陸 |
| 1629年 | ポルトガルの植民地に |
| 1975年6月 | モザンビーク人民共和国として独立 |
| 1990年 | モザンビーク共和国に改称 |

モザンビーク島 (Mozambique Island)世界遺産
1498年ヴァスコ・ダ・ガマが上陸してからインド洋貿易の拠点として栄えたモザンビーク島 。
長さ3km、幅200〜500m の小さな島だが、かつてポルトガル領東アフリカの首都だったことから
当時の遺跡が数多く残っている。
アクセスは、ナンプラから車で約3時間。島は本土と長さ3kmほどの橋でつながっているので、
車でそのまま島内に乗り入れることができる。

サン・セバスティアン城砦 (Fort Sao Sebastiao)
16世紀、島の北端に築かれた堅固な城砦。
1607年とその翌年にはオランダの攻撃を防ぎきるという活躍をしている。
大航海時代、ポルトガルとオランダは香料貿易を巡って激しい競争と対立関係にあったのだ。
石灰岩で造られた白壁の建物が印象的な城砦で、稜堡から望むインド洋の景色が素晴らしい。
城砦内には処刑場や奴隷の収容部屋などがあり、植民地支配の歴史をうかがうこともできる。

ノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂 (Nossa Senhora de Baluarte)
サン・セバスティアン城砦の近くにポツンと小さな白い建物がある。
これは1522年に建てられた礼拝堂で、南半球最古の西洋建築といわれている。
「ノサ・セニョラ・デ・バルアルテ」とは、「守りの聖母(Our Lady of the Bulwark)」
を意味し、要塞(バルアルテ)を守る聖母マリアへの祈りを込めた名前という。

サン・パオロ宮殿 (Palacio de Sao Paulo)
島の中心街でひときわ目立つ赤壁の建物が、サン・パウロ宮殿だ。
もともとはフランシスコ・ザビエルの名を冠したイエズス会の学校があった。
しかし、イエズス会の勢いが衰えると、1610年にポルトガル人司令官の館に改築されてしまった。
現在は、隣接する礼拝堂とともに博物館となっている。
ポルトガルやインド、アラビアなどから集められた家具や美術品などが展示されおり、モザンビーク島が
貿易で繁栄していたころの様子をうかがうことができる。