国名 パナマ共和国            
英語 Republic of Panama  
首都 パナマシティ(Panama City)  
独立年 1903.11(コロンビア)  
主要言語 スペイン語  
面積 7万8200km2  
人口 375万3142人  
通貨単位 アメリカ・ドル  
宗教 カトリック75%、プロテスタント20%  
主要産業 バナナ、魚介類、えび  




地理

西はコスタリカ、東はコロンビアと国境を接し、北はカリブ海、南は太平洋に面する。
国土はパナマ運河により東西にほぼ2分される。

地形は山がちで、西部中央を東西に延びるタバサラ山脈が脊梁山脈をなし、
東部ではカリブ海沿岸にサンブラス、ダリエン両山脈が連なる。最高峰はバル火山 (3475m) 。

海岸平野は幅狭く、比較的広い平野はパナマ湾東岸にある程度である。
気候は概して高温多雨で、年間を通して降水をみるカリブ海沿岸と高い山地以外では、
通常1〜4月に明瞭な乾季が現れる。

16世紀スペイン人が地峡部に入ったときはインディオのクナ族、グアイミ族、チョコ
などの部族が住んでいたが、その後スペイン人や奴隷として連れてこられた黒人との間で
混血が進み、現在住民の大半はメスティーソ、あるいはムラットと呼ばれる混血である。

公用語はスペイン語で、ローマ・カトリック教徒が 80%を占めている。


国内総生産に占める割合は次第に低下してきているが、農業が依然として経済の主柱で、
バナナ、砂糖、コーヒー、カカオが主要輸出品となっている。
主要作物はほかにイネ、トウモロコシ、豆類、オレンジなど。

林産資源は豊かであるが、大部分未開発。漁業は近年急速に発展、エビは重要な輸出品である。
工業は農産物加工が中心で、ほかに石油精製、セメント、製紙、繊維、製靴などの工業が立地。




歴史

1502年コロンブスが到達、スペイン領となり、1821年スペイン支配を脱して大コロンビア共和国の一部となった。

パナマ運河建設に乗り出した米国の後押しで1903年コロンビアから分離・独立、この時、運河地帯の永久使用権を米国に譲った。

しかし、パナマ国民の運河地帯の主権回復要求は次第に高まり、1977年新運河条約が結ばれた。
これにより米国は1999年12月31日をもって運河地帯をパナマに返還した。

1983年から国防軍司令官ノリエガが事実上の軍政を敷いた。
1988年にノリエガを麻薬密輸罪で起訴した米国は、1989年末パナマに軍事侵攻し、1990年初めノリエガを逮捕、民政復帰を実現させた。


1821年 大コロンビアの一州としてスペインより独立
1903年 コロンビアより分離独立。パナマ共和国の成立
1914年 米国、パナマ運河完成
1968年 トリホス将軍、クーデターにより実権掌握
1978年 ロヨ大統領就任、民政移管
1983年 ノリエガ将軍が国軍最高司令官に就任
1989年 米国の軍事侵攻、ノリエガ将軍逮捕、エンダラ政権発足
1999年 モスコソ大統領就任、パナマ運河返還、米軍完全撤退
2004年 トリホス大統領就任(故トリホス将軍の実息)
2009年 マルティネリ大統領就任
2014年 バレーラ大統領就任
2019年 コルティソ大統領就任





パナマ運河 (Panama Canal)


太平洋と大西洋を結ぶ航路は、これまで難コースだった。

南米南端のホーン岬は、荒れ海として有名だったからだ。

パナマ運河建設の計画がはじまったのは1880年。
スエズ運河を建設したフランスのレセップスが工事をはじめた。

だがマラリアの蔓延や難工事のため、1889年に工事を放棄した。

次に乗り出したのはアメリカだった。

後押ししてコロンビアからパナマを独立させると、
運河の租借権を取得して、工事をはじめた。

10年の歳月をかけて1914年、全長80kmのパナマ運河が開通した。

航行可能な船は、全幅32m以下の船であった。

だから第二次大戦中に建造されたアメリカの艦船は、太平洋に
向かうため、このサイズで造られていた。

試みに日本の戦艦大和が、通過を果たそうとしたが不可能だった。
全幅が39mとオーバーしてしまうからだ。

なお運河は、長らくアメリカによる管理が続いてきたが、
1999年にパナマに完全返還された。