国名 ペルー共和国                        
英語 Republic of Peru  
首都 リマ(Lima)  
独立年 1821.7(スペイン)  
主要言語 スペイン語  
面積 128万5220km2  
人口 3103万6656人  
通貨単位 ヌエボ・ソル  
宗教 カトリック81%、プロテスタント13%  
主要産業 銅鉱、金、野菜、果実  





地理

南アメリカ中部西岸、太平洋に面する国。

北から東、南にかけてエクアドル、コロンビア、ブラジル、ボリビア、チリに囲まれ、
太平洋岸に連なる狭い海岸平野から東へ、アンデス山脈を横切ってアマゾン低地にかけて広がる。

国土の中核をなすアンデス山脈はアマゾン川の源流マラニョン川、ウカヤリ川、ピエドラス川などの
川が刻む深い縦谷により数条の並行する山脈に分けられ、山間には盆地や高原が発達。

最高峰はブランカ山脈中のワスカラン山(6768m)。南部には火山が多い。

熱帯に位置するが、アンデス山脈と沿岸を北流する冷たいペルー海流の影響で気候は多様。

沿岸部は雨がきわめて少なく砂漠となっているが、アンデス山脈から流下する川の水を利用して
灌漑が発達し、リマ、アレキパ、トルヒーヨなどの大都市が立地。

アンデス山脈では垂直気候が発達し、快適な山間の谷や高原に人口が集まり、
クスコ、ワンカヨなどの都市ができている。

アンデス山脈東斜面からアマゾン低地にかけては高温多雨の熱帯雨林地帯となり、
ウカヤリ川などの河川沿岸を除くとほとんど人が住まない。

インカ文明を最後の頂点とするラテンアメリカインディアン(インディオ)の諸文明が栄えた地で、
今日もケチュア族、アイマラ族などのインディオが人口の約半分を占めるが、その大半は山間の
厳しい自然環境できわめて貧しい生活を送り、沿岸部を中心に住む約 10%の白人との貧富の差が著しい。

そのほか、メスティーソと呼ばれるインディオと白人の混血が約 30%を占め、日本からの移民とその子孫も約 0.5%に上る。
公用語はスペイン語とケチュア語、アイマラ語。90%近くがキリスト教のカトリック信者。

鉱物、森林、水産、水力など豊かな天然資源に恵まれているが、未開発なものも多い。
鉱物資源としては石油と銅を筆頭に、鉄、亜鉛、ビスマス、鉛、銀などを産出し、鉱産物が輸出の大部分を占める。

開発は長い間おもに外国資本によって進められてきたが、1968年以降国有化が進行。
北東部のピウラなどの内陸油田から、アンデス山脈を越えて太平洋沿岸諸都市にパイプラインが延びている。

農業はサトウキビ、綿花、コーヒー、ジャガイモ、イネ、トウモロコシ、オオムギ、コムギなどを栽培するが、
耕地が少なく、また近年人口が急増しているため、毎年大量の食糧を輸入。

山地ではヒツジ、ウシ、アルパカ、ラマなどが飼育される。
コカの生産国でもあり、コカインに精製されている。

また世界有数の漁業国であり、アンチョビーなどの漁獲が多く、魚粉が重要な輸出品となっている。
工業は食品、繊維などの軽工業が中心であるが、セメント、鉄鋼、電機、石油精製、自動車などの工業も発達してきている。

険しいアンデス山脈と複雑なアマゾン水系に阻まれて、交通網の発達は不十分。
主要交通路は海岸沿いに国土を縦貫するパンアメリカン・ハイウェイ。
鉄道はところどころにあるが、全土を結ぶものはない




歴史

インカ帝国の中心地であったが、1533年ピサロの征服後はスペインの南米植民地支配の中心地となり、リマに総督府が置かれた。

1545年に開発されたポトシ銀山(現ボリビア領)は、当時の世界最大の銀山となった。
独立運動家サン・マルティン(San Martin)の指導により、1821年独立を宣言し、1824年に完全独立を達成した。

第二次世界大戦後、軍部のクーデタが続発して軍政が続いたが、1968年からベラスコ大統領は基幹産業国有化と農地改革を実行。
1990年6月の大統領選で日系のフジモリが当選、治安回復や経済再建に取り組み、1995年再選された。

1996年12月17日、左翼武装組織トゥパク・アマル革命運動(Tupac Amaru Revolutionary Movement)のゲリラが
日本大使公邸に侵入、約70人を人質にとって立てこもった。

1997年4月ペルー軍特殊部隊が突入してゲリラ全員を射殺した。(在ペルー日本大使公邸占拠事件)

2000年4月大統領選でフジモリは3選されたが、同年11月、側近の政治スキャンダルがらみで、滞日中に辞表を提出、国会で罷免された。
2001年大統領選挙で中道右派政党・可能なペルーのトレドが当選、ペルー初の先住民系大統領となった。



BC1000〜BC500年 ペルー中部でチャビン文化が栄える
BC100〜800年 ペルー南部でナスカ文化が栄える
1450〜1533年 クスコ(Cusco)を都としてインカ文化が栄える
1533年 インカ帝国が滅亡。ペルーはスペインの植民地に
1821年 スペインから独立。ペルー共和国の成立
1968年〜1980年 軍事政権
1980年〜1985年 ベラウンデ政権(民政移管)
1985年〜1990年 ガルシア第一期政権
1990年〜1995年 フジモリ第一期政権
1995年〜2000年 フジモリ第二期政権
2000年〜2001年 フジモリ第三期政権、同政権退陣、パニアグア暫定政権
2001年〜2006年 トレド政権
2006年〜2011年 ガルシア第二期政権
2011年〜2016年 ウマラ政権
2016年7月〜2018年3月 クチンスキー政権
2018年3月〜2020年11月 ビスカラ政権
2020年11月10日〜15日 メリーノ政権
2020年11月〜2021年7月 サガスティ政権
2021年7月〜 カスティージョ政権





マチュ・ピチュ (Machu Picchu)


密林が茂るアマゾン上流からそそり立つ急な斜面の終わりに、突如として現れる石の都。

下からはその存在を確認出来ないことから「空中都市」とも呼ばれるこの遺跡は、
スペイン人から逃れるために、インカの人々が作った秘密都市だったとされている。

マチュ・ピチュの総面積は5ku、斜面には段々畑が広がり、市街区は神殿や宮殿、
住居区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。

16世紀半ば、インカの住民は、高度な文明が栄えたマチュ・ピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまう。

その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者
ハイラム・ビンガム(Hiram Bingham III)が初めて発見した時には、草に覆われた廃虚となっていた。


インカ文明の特質は、国家の最高神たる太陽神をまつる神殿をはじめ、多数の巨石を使った城壁建築物に代表される。
城壁は、長さ540メートルにわたり、数万個の石を積み上げて三重式の防壁を造っている。

石材は玄武岩だが、100トン級の石で造られ、最大のものは250トンになると推定される。
城壁は、カミソリの刃一枚も通さないほどの見事な石組みとなっている。

使われた玄武岩は、最も近い石切場までは、山の中を35キロも行かなければならない。
最大250トンもの石材を、どうやって運び込んだのだろうか。


マチュピチュに近いインカの大都市クスコ(Cusco)から、手術痕のある遺体が出土している。
インカの医学レベルは当時の水準を遙かに超えていて、コカの使用法を熟知し、脳外科手術まで行っていたようである。

医学に対する考え方は現代とは異なっていたかも知れないが、想像もつかないほど進んでいたようである。
マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。


マチュピチュに生息する動植物で特徴的なのは「アンデスイワドリ」である。

オスのほうは、鮮やかなオレンジ色をしており、繁殖期になると、メスの気を引くため、
激しく鳴いたり踊ったりと、非常にユニークな習性がある。

この鳥はペルーの国鳥に指定されており、あたかも陽気なペルー人の国民性を象徴しているかのようだ。


(マチュピチュまでの交通) 
日本からロサンゼルス経由の直行便でリマまで20時間。リマから国内便でクスコまで1時間。

クスコから列車でアグアス・カリエンテス(Aguas Calientes)まで3時間。
アグアス・カリエンテスからマチュピチュまで車で1時間。