ソクラテスは、終日、働きもせずにブラブラしていました。
広場に青年たちを集めては、論争をふっかけ、屁理屈で、青年たちの鼻をへし折ることに、教育的快感を味わっていました。
たとえばこんなふうです。
「友人にウソをつくことは正しいか、不正か?」
相手は答える。「それは不正である。」
さらにソクラテスは質問します。
「では、病気の友人に薬を飲ませるためにウソをつくのは正しいか、不正か?」
相手は答えます。「それは正しい。」
そうすると、ソクラテスはここぞとばかりに突っ込むのです。
「あなたは、先ほどはウソをつくのは不正と言い、今は正しいと言った。
一体、ウソをつくのは正しいのか不正なのか、どちらなのかね?」
きかれた方は困りますよね。「うーん、そういわれると私にはもう分からない。」
ここで、引き下がればいいんですがソクラテスは追い打ちをかけます。
「あなたは、何が正しいことで、何が正しくないかを知らないのに、今まで知っていると思っていたんですね。」
ソクラテスがすごいのは、哲学が、屁理屈であることを徹底的に実行したことです。
ひとつの見方や生き方しか通用しないのは、息苦しいものです。
屁理屈がそれを破ると、彼は考えたのです。
妻をめとらば
ソクラテスの妻は悪女で有名だったから、彼はきっと結婚にこりていると思えるが、
そのじつ、彼はいつも青年たちに言うのだった。
「結婚しなさい。良い妻をめとれば幸福になれるし、悪妻をめとれば哲学者になれるからね」