国名 | アルメニア共和国 | |||
英語 | Republic of Armenia | |||
首都 | エレバン | |||
独立年 | 1991年 | |||
主要言語 | アルメニア語 | |||
面積 (千Km2) | 30 | |||
人口 (百万人) | 3 | |||
通貨単位 | ドラム | |||
宗教 | 主としてキリスト教 | |||
(東方諸教会系のアルメニア教会) | ||||
主要産業 | 農業、宝石加工(ダイヤモンド) | |||
アルメニアの首都エレバン(Yerevan)の修道院
アルメニアは、東にトルコ、北にジョージア、西にアゼルバイジャン、南にイランと国境を接し、
ノアの方舟の伝説で有名なアララト山(トルコ領)の麓に国土が展開する、海を持たない内陸国である。
西暦301年、世界で最初にキリスト教を国教化した国として知られており、主な見どころは教会や修道院建築の数々。
現在3か所登録されているユネスコ世界遺産の全てが教会関連施設となっている。
歴史的に学問施設としての役割を担っていたアルメニアの修道院は人里離れた山奥に建てられており、雄大な自然との調和も見どころの一つ。
地理
国土の90%以上が標高1000m以上の高地にあり、地形は北の小カフカス山脈と
南のアルメニア高原に大別される。
大きな平地は南西部、アラガツ山南麓に広がるアララト平野にみられるにすぎない。
気候は大陸性で、山地斜面を除いて乾燥しているが、地域差が著しい。
平均気温は1月平地・山麓部-5℃、山地-12℃、7月平地 25℃。
ステップ、半砂漠地帯に属し、灌漑農業が発達している。
住民の90%以上がアルメニア人で、ほかにアゼルバイジャン人、クルド人、ロシア人などが住む。
公用語はアルメニア語。
農業部門ではブドウをはじめとする果樹栽培が盛んで、高山草地ではヒツジの放牧が行なわれる。
鉱工業では銅、モリブデンの採掘・加工、豊富な水力を利用した発電によるアルミニウム製造、
化学 (硫酸、カーバイド、合成ゴム、肥料) 、
電気機械、繊維、皮革・製靴、食品 (ブランデー、果実・野菜缶詰) などの工業が発達し、
エレバン、バナゾル、アラベルディなどに立地している。
主要交通機関は鉄道で、トルコとも連絡している。
歴史
紀元前より文明の発展したアルメニアは、14世紀にその独立を失い、以後他民族の占領・支配下に入った。
1828年、ロシア・イラン戦争の結果、トルコマンチャイ条約において、イラン領の東アルメニアはロシア領となる。
第一次世界大戦後、アルメニアから、トルコ軍は撤収し、1919年、西アルメニアを加え、アルメニア共和国を宣言。
1922年、アルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアにより「ザカフカス・ソビエト連邦社会主義共和国」を構成。
1936年、ソビエト連邦を構成するアルメニア社会主義共和国として独立。
1988年、アゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニアに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起こった。
これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突が起り、両国の本格的な民族紛争 (ナゴルノ・カラバフ戦争) に発展した。
1991年、ソ連邦の崩壊に伴い、アルメニア共和国として独立。独立国家共同体(CIS)に加盟。
1992年3月、国際連合加盟。
BC1世紀 | アルメニア高原を中心にアルメニア王国を形成。 |
1636年 | オスマン帝国とサファヴィ朝イランに分割統治される。 |
1828年 | ロシア・イラン戦争の結果、トルコマンチャイ条約において、イラン領の東アルメニアはロシア領となる。 |
1919年 | 西アルメニアを加え、アルメニア共和国を宣言。 |
1922年 | ジョージア、アゼルバイジャンと共にザカフカス・ソビエト連邦社会主義共和国を形成。 |
1936年 | ソビエト連邦を構成するアルメニア社会主義共和国として独立 |
1988年2月 | ナゴルノ・カラバフ帰属を巡るアゼルバイジャンとの抗争が表面化 |
1991年9月 | ソビエト連邦からアルメニア共和国として独立。独立国家共同体 CISに加盟 |
1992年3月 | 国際連合加盟 |
1994年5月 | アゼルバイジャンとナゴルノ・カラバフ紛争に関し停戦協定締結 |
ゲガルド修道院 (Monastery of Geghard)
首都エレバンから車で約一時間、断崖絶壁に囲まれた谷合に建つゲガルド修道院。
この修道院は、洞窟修道院とも呼ばれ、岩盤を掘り抜いて洞窟内に建造された修道院である。
ゲガルドとは槍を意味し、ロンギヌスの槍 (Lance of Longinus) が発見されたことにちなむ。
ロンギヌスの槍とは、ローマ百卒長ロンギヌスがイエスの脇腹を突いたとされる槍である。
彼は盲目で、イエスの脇腹を槍で刺した際にイエスの血が眼に入り、視力を取り戻したという。
この事から彼は改心し、その後洗礼を受けたといわれる。
その後、ロンギヌスの槍は十二使徒の一人タダイ (Thaddaeus) が譲り受け、エルサレムから
自身の故郷であるアルメニアに運び、ひそかにゲガルドの洞窟に隠したと伝えられる。
古来、修道院は俗世間と離れた僻地で、修道士たちが禁欲的な生活をする場所であったため、
彼らが修行を積む場所として洞窟が選ばれたのだという。
素朴だが力強い佇まいの修道院である。石壁に刻まれた無数の十字架に信仰の深さが感じられる。
(Address:Monastery of Geghard, 4RR9+5C Mets Gilanlar, Armenia)