国名 キプロス共和国                         
英語 Republic of Cyprus  
首都 ニコシア  
独立年 1960年  
主要言語 ギリシア語、トルコ語  
面積 (千Km2) 9  
人口 (百万人) 0.9  
通貨単位 ユーロ  
宗教 ギリシャ正教、回教  
  その他(マロン派、アルメニア教会等)   
主要産業 観光業、金融業、海運業  
     


ペトラ・トゥ・ロミウ海岸(Petra tou Romiou)

キプロス南西部の海岸。ギリシア語で「ギリシアの岩」を意味する。愛と美の女神アフロディテがここで生まれたという伝説で知られる。





地理

山岳地帯が多く、北部海岸沿いにキレニア山脈が 160kmにわたって東西に走る。

日平均気温は、ニコシアで最高 36℃、最低 21℃、平均降水量 483mm。

住民の 80%はギリシア系で、ギリシア正教徒。
18.7%はトルコ系で、イスラム教徒。公用語はギリシア語とトルコ語。


ギプロスの平地の半分は耕地で、主要作物はコムギ、カラスムギ、オオムギ、
オリーブ、野菜、ブドウなど。牧畜も盛ん。

軽工業の発展に努めており、観光も貿易赤字削減のための重要な資源。

ニコシアのほか、ファマグスタ、ラルナカなどの港町がある。
また、全島に道路網が完備している。


遺跡が多く、ギリシアの神殿、ローマのゴシック聖堂、イスラム教のモスク
などが各地に点在し、ヨーロッパや中東からの観光地として有名である。







歴史

ギプロスは、東地中海の要衝に位置したため、古くから諸民族によって争奪の地となった。
1878年、イギリスの施政下に入り、第二次世界大戦の際イギリスに併合され、第ニ次世界大戦中はイギリス海軍の要塞となった。

1960年、イギリス連邦内の共和国として独立。

1963年以来ギリシア系住民とトルコ系住民との間で紛争 (キプロス紛争 ) が繰り返されていたが、
1974年にギリシア軍事政権の介入によりクーデターが発生。

これに対してトルコも軍を派遣し、1983年北部トルコ系住民は「北キプロス・トルコ共和国」 (面積 3335km2。首都ニコシア) の独立を宣言した。

国連安全保障理事会はこの独立を認めておらず、国連平和維持軍が派遣されているが、事実上は二つの政府が並立した状態が続いている。




BC7000年 人の居住はじまる。新石器時代
BC1400年 アカイア人の入植
BC800年 フェニキア人の入植
BC709-670年 アッシリア帝国の支配下
BC560年頃 エジプト王国の支配下
BC525年頃 アケメネス朝ペルシャ帝国の支配下
BC333-325年頃 アレクサンドロス大王の支配下
BC300年頃 プトレマイオス朝エジプト王国の支配下
BC50年頃 ローマに併合。キリスト教伝わる
395年 ビザンツ帝国の支配下
650年頃 アラブ・イスラム勢力の侵攻
1191年 イングランドのリチャード獅子心王による占領
1192年 フランス系貴族ギー・ド・リュジニャンによる買収
1489年 ベネチア共和国の支配下
1571年 オスマン帝国の支配下
1830年頃 ギリシア帰属運動(エノシス)始まる
1878年 イギリスが島の租借権を得る。露土戦争の結果
1925年 イギリスの直轄植民地になる
1955年 反イギリス独立闘争が始まる
1960年 キプロス共和国独立。イギリス連邦内
1963年 トルコ系住民による分離独立運動の激化闘争
1964年 国連キプロス平和維持軍(UNFICYP)開始
1974年 7/15 ギリシア軍部によるクーデター発生
7/20 トルコ軍による軍事介入、北部地域制圧
1983年 北部地域、「北キプロス・トルコ共和国」の独立を宣言









アフロディテの泉 (Baths of Aphrodite)


キプロス南西海岸の都市パフォス(Paphos)から車で1時間、
アカマス半島北岸の植物園にアフロディテの泉がある。

ここはアフロディテが水浴びをした場所とされている。

木の枝が覆いかぶさる穴の奥から澄んだ湧水が滴り落ち、小さな泉となっている。


ギリシア神話に次のような物語がある。

ある日、キプロスの王子アドニスがこの泉を訪れ、ふたりは恋に落ちる。
しかし、あるとき、狩りに出かけたアドニスは、大きな猪に襲われて絶命してしまう。

アフロディテはその体を抱き、悲しみに暮れ、泣き明かした。
アドニスが流した赤い血からは、真っ赤な花が咲き、それはアネモネと呼ばれた。

アネモネの花は、今もキプロスの地を彩っているという。

(住所:Botanical garden, National Park North-Eastern coast, Akamas Peninsula)