国名 | カザフスタン共和国 | |||
英語 | Republic of Kazakhstan | |||
首都 | アスタナ | |||
独立年 | 1991年 | |||
主要言語 | カザフ語、ロシア語 | |||
面積 (千Km2) | 2725 | |||
人口 (百万人) | 16.4 | |||
通貨単位 | テンゲ | |||
宗教 | イスラム教(70.2%)、ロシア正教(26.3%) | |||
仏教(0.1%)、無宗教(2.8%) | ||||
主要産業 | 鉱業、農業、冶金・金属加工 | |||
ゼンコフ正教会(Zenkov Cathedral)
カザフスタン南東の都市アルトマイ(Almaty)のパンフィロフ公園の中央に立つロシア正教会。
木造建築の建物としては、世界第2位の高さを誇り、釘が一本も使われていないにもかかわらず、1911年の大地震の際にも倒れなかったことで知られている。
ソ連時代は、博物館や文化センターとして使用されていたが、1990年代に再びロシア正教会としての地位が回復された。
地理
カザフスタンは、鉱物資源に富み、マンギスタウ半島で石油と天然ガス、
カラガンダ、エキバストスで石炭と褐炭、クスタナイで鉄鉱、
ジェスカズガンで銅鉱、アルタイ山地で多金属鉱がそれぞれ採掘されている。
工業部門では機械 (鉱山、農業、輸送、電気) 、化学 (肥料、合成ゴム、合繊) 、
皮革、食品などが行なわれる。
農業では北部で春コムギ、ヒマワリ、南部の灌漑地でイネ、テンサイ、タバコなどが栽培され、
乾燥地域で牧羊が行なわれる。
鉄道・道路網は北部で密であるが、南北線も数本あり、航空路線も発達している。
またカスピ海、アラル海、バルハシ湖、エルティシ川が水運に利用されている。
歴史
カザフスタンの地は、紀元前から遊牧民が暮らし、東西交易路「草原の道」(Step Road)の主要な経路であった。
草原の道は、黒海北岸から東に向かい、カザフ草原、アルタイ山脈を経てモンゴル高原に入り、中国の北京にいたる交易路である。
商人や巡礼者たちは、ラクダやウマなどでキャラバンを組み、草原の道やシルクロードを通じて、東西交易、文化交流の主要な担い手として活躍した。
草原の遊牧民たちは、これらのキャラバンの護衛を行い、
商品の一部や金品を見返りとして受け取っていた。
また遊牧民たちは、キャラバンサライ(Caravanserai)と呼ばれる宿泊施設を
商人や巡礼者たちに提供し、これらの施設は、やがて集落となり都市に発展していった。
751年、唐とイスラム帝国(アッバース朝)の間で中央アジアの覇権を巡り、
天下分け目の戦いが起こった。
両軍は天山山脈西麓のタラス河畔で激突(Battle of Talas)し、この戦で唐軍は敗れる。
これ以降、カザフスタンの地に、イスラム教が急速に広まるようになった。
1469年、イスラム教国カザフ・ハン国(Kazakh Khanate 1469~1860年)が、
ヴォルガ川中流域のカザン(Kazan 現ロシア)を首都として建国された。
カザフ・ハン国は、カシム・ハン(Kasym Khan 在位1511~1518)の時代に最盛期を迎え、
ヴォルガ流域最大の貿易中心地として繁栄した。
だが1723年以降、チンギス・ハンの子孫ジュンガル(Dzungar Khanate)の侵攻に悩まされるようになった。
カザフ・ハン国は、ロシア帝国と同盟を組んでこれに対抗する。
これによりジュンガルの勢力は次第に衰えたが、カザフ・ハン国に派遣されたロシア兵は、
その後も駐留を続けたため、カザフ人たちとの間で紛争が起こった。
紛争はやがてロシア帝国との戦争に発展し、1860年、敗れたカザフ・ハン国はロシア帝国に併合されてしまった。
1917年ロシア革命によって、ロシア帝国は崩壊。
1920年には、ロシア共和国内のカザフ自治共和国が成立した。(首都アルトマイ)
1936年、カザフ・ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦構成共和国となった。
1991年12月ソビエト連邦が崩壊。
国名をカザフスタン共和国に変更し独立。独立国家共同体 CISに加盟する。
1992年3月国際連合加盟。 1993年1月新憲法を採択し、カザフ語を唯一の公用語と定めた。
1997年交通の要地であるアクモラ (1998年アスタナと改称) へ遷都した。
1469年 | カザフ・ハン国(1469~1860年)が建国される |
1860年 | ロシア帝国領となる |
1920年 | ロシア・ソビエト社会主義共和国内のカザフ自治ソビエト社会主義共和国となる |
1936年 | ソビエト社会主義共和国連邦内のカザフ・ソビエト社会主義共和国となる |
1991年 | 独立を宣言し、国名をカザフスタン共和国に変更 |
1991年 | 独立国家共同体(CIS)加盟 |
1992年 | 国際連合加盟 |
ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟 (Mausoleum of Khoja Ahmed Yasawi)
カザフスタン南部の都市トルキスタンにある巡礼地。
イスラムの聖者アフマド・ヤサヴィー(Ahmad Yasavi)を祀る霊廟である。
1389年、イスラム王ティムールが建造したもので、このドーム式建築は
後のサマルカンドやタージマハルなどイスラム霊廟の原型となった。
イスラム聖地の一つであり、この廟への参詣はメッカ巡礼に勝る善行と見なされた。
現在も毎年、中央アジア各地から数多くの巡礼者が参詣に訪れている。
(住所:南カザフスタン州トルキスタン市 South Kazakhstan Oblast, City of Turkestan)