国名 | バチカン市国 | |||
英語 | Vatican | |||
首都 | なし | |||
独立年 | - | |||
主要言語 | ラテン語、仏語、イタリア語 | |||
面積 (千Km2) | 0.44平方キロ | |||
人口 (百万人) | 約800人 | |||
通貨単位 | ユーロ | |||
宗教 | キリスト教 (カトリック) | |||
主要産業 | 聖書等の出版、切手の販売、 | |||
美術館の入場料収入 |
サン・ピエトロ大聖堂 (San Pietro)
ローマ皇帝ネロが、キリスト教を迫害した紀元64年、使徒ペテロは殉教の後、
バチカンの丘に葬られた。
それから250年後の紀元313年、ローマ帝国は一転してキリスト教を公認(ミラノ勅令)
皇帝コンスタンティヌスは、バチカンの丘にこの大聖堂を建造した。
1547年、法王ユリウス2世が大改築を行い、ミケランジェロが設計、建造に従事した。
内部はバロック美術の見事な作品で埋り、なかでもミケランジェロの「ピエタ」は著名である。
地理
バチカン市国は、イタリア、ローマにあるローマ法王領。
カトリックの大本山であり、世界最小の独立国である。
ティベル川西岸に近く、サン・ピエトロ広場を除いて古い城壁に囲まれている。
バチカン市国は、法王を主権者とし、立法、司法、行政組織をもち、諸外国と外交関係がある。
日本はバチカンと 1932年外交関係を樹立、現在は大使を交換している。貨幣、切手を発行し、
29ヵ国語による放送を行ない、日刊紙「ロッセルバトレ・ロマノ」を出している。
人口の大部分は法王庁で働く聖職者で、庁内の職務を去る場合には元の国籍に戻る。
市国内にはサン・ピエトロ大聖堂、システィナ礼拝堂、博物館、図書館、庭園などがある。
図書館、博物館は古文書、古美術の宝庫であり、建築物も含めて、ラファエロ、ミケランジェロ、
アンジェリコ、カラバッジオらルネサンス期の巨匠の優れた美術作品が多い。
1984年、市国全体が世界遺産の文化遺産に登録された。
歴史
754年、フランク王ピピン(Pippin)の寄進により法王領が成立、中世には広大な領域となったが、法王のバビロン捕囚 (1309~1377年)
の間に荒廃。
1377年、法王グレゴリウス11世のとき、捕囚先のアヴィニョンからバチカンに戻った。
イタリア統一に際して、イタリア王国軍が、法王の支配下にあったローマ市を軍事的に占領(1870年)、首都としたため、法王庁はイタリア政府と対立を続けていたが、
1929年、ラテラノ条約によって和解が成立し、バチカン市国が誕生した。
同条約はカステルガンドルフォにあるバチカン宮殿、ラテラノ大聖堂、サンタ・マリア・マジョーレ聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂、いくつかの省など、
イタリア国内に散在するバチカンの不動産に治外法権または公用徴収免除、免税の特権を与えている。
64年 | ローマ皇帝ネロの迫害により、使徒ペテロが殉教。バチカンの丘に埋葬される。 |
313年 | コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認(ミラノ勅令) |
326年 | 使徒ペテロが初代ローマ法王とされる。 |
349年 | 使徒ペテロの墓の上にサン・ピエトロ大聖堂が創建される。 |
756年 | フランク王ピピンが、ラヴェンナの都市をローマ法王に寄進。法王領の成立。 |
1929年 | バチカン市国としてイタリアより独立。 |
ピエタ(Pieta)
死せるキリストを膝に抱いて嘆き悲しむ聖母マリア像。(サン・ピエトロ大聖堂)
1500年、ミケランジェロ(Michelangelo 1475~1564年)25歳の時の作品。
ピエタとは「哀悼」の意であり、埋葬する前にわが子を抱きしめて最後の別れを
告げる聖母の姿を彫刻に仕立て表現したもの。
ミケランジェロの名を世界に知らしめた最初の作品にして最高傑作とされる。
1972年、見学していたひとりの芸術家がすばらしさのあまりに嫉妬をし、
破壊しようとしたため、以後は防弾ガラスによって厳重に守られている。
聖堂内にはそのほか、ベルニーニ(Bernini 1598~1680年)の「大天蓋」
「聖ロンギヌス像」など、見逃せない作品が多く展示されている。