国名 ソマリア連邦共和国        
英語 Federal Republic of Somalia  
首都 モガディシュ(Mogadishu)  
独立年 1960.7(イタリア/イギリス)  
主要言語 ソマリ語、アラビア語  
面積 63万7657km2  
人口 1435万4000(2021推計)  
通貨単位 ソマリア・シリング  
宗教 イスラム教99%  
主要産業 畜産、農業、綿花、木炭  




   地理

アフリカ大陸北東端「アフリカの角」とよばれるソマリ半島の大部分を占める国。

北はアデン湾、東はインド洋に臨み、西はエチオピア、ケニア、ジブチと国境を接する。

アデン湾岸の海岸平野は砂漠で、その南をエチオピア高原から連なる標高2000メートル以上の山地が
東西に延びる。中・南部は半砂漠平原。年降水量は 330〜500mm程度で、南部に多い。

気候は一般に暑く、とくにアデン湾岸のベルベラの7月の平均気温は36℃に達する。
森林はほとんどなく低木と草類が主。

住民はハム語族のソマリ族が約 90%。人口の約 75%がウシ、ラクダ、ヒツジ、ヤギを主とする遊牧民。

南部のジュバ川、シェベリ川の下流域はバナナ、サトウキビ、綿花、穀類を主とする農業地帯。







歴史

かつてソマリアは、古代エジプトと交易した記録が残る歴史ある文明国家であった。
古くからゴムや木材の積出港として、モガディシュ、メルカ、ブラバなどが知られる。

1869年、スエズ運河が完成すると、ソマリ半島は、地中海とインド洋を結ぶ交通の
要衝となり、ヨーロッパ列強は競って植民地化を進めた。

1884年、イギリスが北部を英国領ソマリランドとして統治し、1905年、イタリアが、
ソマリア東部と南部の地域をイタリア領ソマリランドとして統治するようになった。

1943年、文化的・政治的自由を求めるソマリ青年同盟がモガディシュで結成され、
その運動はソマリア全土に急速に広がった。

1960年7月、イタリアに統治されていたソマリア東南部が、6月に独立を果たした北部
と合体してソマリア共和国を樹立し、初代大統領にはソマリ青年同盟の党首であった
シェルマルケ(Osman Sharmarke)が選出された。

新政府は、血縁による氏族の代表から構成される複数多党制の民主的国家を目指した。
しかし、各政党が氏族をベースとしていたため、氏族同士の対立から政治は混乱し、
統治機構はうまく機能しなくなった。

1969年、有力な氏族出身であったバーレ将軍(Mohamed Barre)による軍事クーデターが起こった。
そして独立後9年間続いた民主的な議会政治は停止され、中央集権によるバーレ新政権が樹立された。

1990年12月、バーレ政権に従っていたアイディード将軍(Mohamed Aidid)率いる統一ソマリア会議(USC)が、
ソマリア中部から首都モガディシュにかけて激しい戦闘を繰り広げた末に、1991年1月首都を制圧。
バーレ将軍は、ケニアに国外逃亡し、21年間続いた独裁政権は崩壊した。

政情は、ようやく落ち着きを取り戻すかに見えたが、その後、統一ソマリア会議の中で、
主導権をめぐる激しい内部対立が発生、激しい内戦が繰り広げられた。

混乱の中で武器を手にして戦った統一ソマリア会議の兵士の多くは、年端もいかぬ 10代の少年だった。
彼らは給与をもらえなかったので、一般市民の家で強盗、略奪を繰り返した。

際限のない抗争に、干ばつと国内経済の崩壊が付加されて、1日推定3000人の餓死者と全人口の1/5
に当たる、170万人の流民が生まれ、ソマリアは未曾有の人道的危機に陥った。

1992年、国連安全保障理事会は、内戦阻止と人道援助支援を主な任務とする多国籍軍(米軍主体)
を派遣したが失敗。1995年までにすべての外国部隊が撤退した。

2012年、無政府状態が続いていたが、ようやく暫定政府が発足。これに伴い国名はソマリア連邦共和国に改称。
だが統治は中部に限られ、北部のソマリランド(Somaliland)は、別に選挙も行われる民主主義が実現し、
実質的に独立国化している。

また南部はイスラム急進派アル・シャバブ(Al-Shabaab)が支配しており、国家は実質三つに分断されている。


1884年 ソマリア北部をイギリスが領有。
1905年  ソマリア東南部をイタリアが領有。
1960年7月 北部と東南部が独立し「ソマリア共和国」が成立。
1969年10月 バーレ将軍が軍事クーデターで実権を握る。
1977年 オガデン地方をめぐり、エチオピアと全面戦争。(オガデン戦争)〜1988年停戦。
1991年1月 統一ソマリア会議(USC)が、首都モガディシュを制圧。その後、内戦が勃発。
1991年5月 北部が「ソマリランド」と自称し独立宣言。
1992年4月 国連ソマリア活動(UNOSOM)、米を中心とする統一タスクフォース(UNITAF)が活動開始。
1995年3月 国連ソマリア活動(UNOSOM)が、武装勢力間の抗争、武装勢力の激しい抵抗により完全撤退。
1998年7月 北東部が「プントランド」と自称し自治領宣言。
2012年9月 新大統領が選出され、21年ぶりに暫定政府が樹立。「ソマリア連邦共和国」の成立。









      ブラックホーク・ダウン(Black Hawk Down)2001年(アメリカ映画)

1993年10月3日、ソマリアの首都モガディシュに、約100名の米軍特殊部隊が舞い降りた。現地の武装勢力の
指導者を逮捕するという彼らの任務は、1時間足らずで終了するはずだった。だが、1機のブラックホーク・ヘリ
が撃墜されたことから、味方の救出作戦が発動。兵士たちは地獄のような市街戦に巻き込まれる。

内戦鎮圧のためソマリアに派遣された米軍兵士が、現地の武装勢力と衝突。18名が死亡した事件を描いた映画。
9・11同時多発テロの同年12月ギリギリに公開され、急激に高まりつつあったアメリカの愛国心を、さらに煽る
プロパガンダの役割を果たした作品。

映画の終盤、生き残った米軍兵士の一人がつぶやく「なぜ戦うのかって? 俺たちは仲間のために戦うんだ」
この言葉は、同時多発テロで「仲間」を失った多くのアメリカ人の心に響いたのである。
なお今回の市街戦で、多数のソマリア民間人が巻き添えになったことが全世界から非難され、米軍を主力とする
国連軍は、ソマリアからの完全撤退を余儀なくされている。

(監督)リドリー・スコット(Ridley Scott)(出演)ジョシュ・ハートネット(Josh Hartnett)