世界史用語事典  

アーヘンの和約 1748年、アーヘンで結ばれたオーストリア継承戦争の講和条約。オーストリアはマリア・テレジアの王位継承を認められたが、シュレジエンをプロイセンに与えたほか領土の一部を失った。(Treaty of Aix-la-Chapelle)
アーリア人 インド・ヨーロッパ語族に属する諸言語を用いる諸人種のうちのコーカサス人種(コーカソイド)。元来は人種名ではないが、ナチスは、この人種は金髪、青い目、長身、やせ型という身体特徴をもち、ゲルマン民族こそがそれであるとした。(Aryan)
アイグン条約 1858年中国黒竜江省の愛琿で、アロー戦争・太平天国の動乱後、ロシアが清と結んだ条約。アムール川以北をロシア領、沿海州を両国の共同管理地区とした。(Treaty of Aigun)
アイユーブ朝 1171~1250年。エジプト・シリアを領有し、十字軍勢力に対抗したイスラム王朝。始祖はサラーフ・アッディーン(サラディン)。カイロを首都とする。(1169~1250年)。(Ayyubid dynasty)
アイルランド王国 アイルランド島にあった王国(1541~1800年)。終始イングランド王国(のちグレートブリテン王国)との同君連合の下にあったが、事実的にはイングランド王による自称であった。1694年以降は実効支配下に置かれた従属国となった。(Kingdom of Ireland)
アイルランド人 現在西ヨーロッパ、特にアイルランド島に居住するケルト系民族をさす。(Irish people)
アヴァ―ル王国 5世紀から9世紀に中央アジアおよび中央・東ヨーロッパで活動した遊牧民族。フン族が姿を消してから約1世紀の後、現在のハンガリーの地を本拠に一大遊牧国家を築いた。791年フランクのカール大帝に征服され滅亡した。(Kingdom of Avars)
アウクスブルクの和議 1555年、アウクスブルクの国会で皇帝とドイツ・プロテスタント諸侯の間に結ばれた宗教和議。プロテスタントのうちルター派だけが認められた。(Peace of Augsburg)
アウシュヴィッツ ポーランド南部の都市オシフィエンチムのドイツ名。第二次大戦中、ナチス・ドイツにより強制収容所が作られ、多数のユダヤ人や捕虜が虐殺された。 (Auschwitz)
アウステルリッツの戦い 1805年ナポレオン1世がオーストリア・ロシア連合軍に大勝した戦い。フランツ1世・アレクサンドル1世と3人の皇帝が対決したので3帝会戦ともいう。この結果、第3回対仏大同盟は解体した。(Battle of Austerlitz)
アカイア同盟 古代ギリシア時代後期においてペロポネソス半島北部沿岸部のアカイア人(ギリシア人)都市同士でなされた同盟。(Achaean League)
アク・コユンル朝 1378~1478年。ティグリス川上流のディヤルバクル地方に勃興し、東部アナトリア、イラク、イラン、アゼルバイジャンを支配したオグズ・トルクメン系の王朝。白羊朝(はくようちよう)ともよばれる。始祖カラ・ウスマーンは、ディヤルバクル地方を中心に勢力を固めたが、同じくトルクメン系のカラ・コユンル朝と対立して勢力の伸張を阻まれた。(Aq Qoyunlu)
アクスム王国 BC500~950年。エチオピア北部を起源とする王国。アラビア半島から移り住んだ人々により建国され、やがて紅海をまたぎ対岸のイエメンにまで版図を広げた。紅海,インド洋,アフリカ内陸各方面との交易により繁栄し,4世紀にクシュ王国を滅ぼした。6世紀にササン朝ペルシアによりアラビア半島から追われると徐々に衰退に向かった。(Kingdom of Aksum)
アクティウムの海戦 BC31年9月にオクタヴィアヌス支持派とプトレマイオス朝およびマルクス・アントニウス支持派連合軍の間で行われた海戦である。海戦の名は戦場がイオニア海のアクティウム沖(現在のギリシア共和国プレヴェザ付近)であったことによる。(Battle of Actium)
アクロポリス ギリシア語で「高所」の意。ポリス(都市国家)の神を祭る神殿が設けられ、神事・軍事などに関するポリスの重要会議は、ここで行われた。また、ポリスの危機に際しては、避難・防衛の場でもあった。 中でもアテネのパルテノン神殿(Parthenon BC438建設)が著名である。(Acropolis)
アケメネス朝ペルシア BC550~BC330年。キュロス2世の開いた古代西アジアのペルシア系王朝。最盛期はダレイオス1世時代で、パンジャブからトラキア(バルカン半島東南部)に至る地域を領有。BC330年アレクサンドロス3世(大王)により征服され滅亡した。(Achaemenid Empire)
アゴラ 古代ギリシアでアクロポリスのふもとにあった公共の広場。アクロポリスが神事・軍事の場となるのに対し、政治・裁判はここで行われ、また社交・取引・学問的討論の場として、市民生活の中心であった。(agora)
アストゥリアス王国 718~910年。イベリア半島にかつて存在したキリスト教王国。イスラム勢力を逃れた西ゴート王国の貴族ペラーヨが建国。その後ガルシア1世の時代に、都をオビエドからレオンへ遷し、910年以降レオン王国と称した。(Kingdom of Asturias)
アストラ・ハン国 1466~1556年。チンギス・ハンの血を引くカシム・ハン(Qasim I Khan )が、キプチャク・ハン国から自立して、カスピ海河口に位置するアストラハン(Astrakhan)を首都に建てた国。ヴォルガ川流域と中央アジア、カフカス、イランとを結ぶ交通の要地であり、商業の中心地として発展したが、1556年末イヴァン4世治下のモスクワ大公国に併合された。アストラ汗国(Astrakhan Khanate)
アッカド BC2334~BC2154年。古代オリエントの地名。現在の中部イラク北半部。また、その民族・王朝名。BC2268年、サルゴン王がシュメールとエラムの都市国家を制圧してメソポタミアを統一した。その言語アッカド語は楔形文字で書かれ、メソポタミアに広く通用した。BC2154年グティ人(Gutian)の侵攻によって滅亡。(Akkad)
アッシリア BC2500~BC612年。西アジアのティグリス川中流、アシュル(Assur)を中心とする地方に、BC2500年頃から都市国家を形成。BC1300年からBC700年にわたって古代オリエントの大帝国として栄えたが、BC612年カルデア・メディア連合軍によって滅亡。(Assyria)
アッバース朝 750~1258年。イラクを中心に西アジアを支配したイスラム王朝(750~1258)。アブル・アッバースがウマイヤ朝を倒して成立。2代カリフ以後、バグダッドを首都としイスラム文化の黄金時代を現出した。のち、フラグの率いるモンゴル軍に滅ぼされた。東カリフ国。イスラム帝国。(Abbasid Caliphate)
アッピア街道 ローマ最古の軍道。BC312年ローマのアッピウス・クラウディウスが、ローマとナポリの北にあるカプアとを結ぶために建設した石舗装の軍道。のち、南イタリアまで延長された。一部が現存する。(Appian Way)
アテネ ギリシアの政治、経済、文化の中心地。名称は守護神「アテナ」にちなむ。BC449年、ペルシア戦争に勝利してギリシアの指導的ポリスとなり、デロス同盟(BC478)の盟主としてペリクレスのもとで最盛期を迎え、古典文化の中心地としてソクラテス、プラトンなど数多くの哲学者、芸術家が輩出。ペロポネソス戦争(BC431~BC404)でスパルタに敗れてからしだいに衰え、BC338年カイロネイアの戦いでフィリッポス2世に敗れ、マケドニアの支配下に入った。のち共和政ローマ領(BC146)、東ローマ帝国領(395年)などを経て、1460年オスマン帝国に占領された。(Athens)
アドリアノープル条約  1829年ギリシア独立戦争後、アドリアノープルでロシアとオスマン帝国間に結ばれた条約。この戦争中、バルカンへの南下をめざすロシアはトルコ領アドリアノープルに入城、プロイセンの仲介で講和。トルコはロシアにドナウ川沿岸、黒海沿岸を割譲し、ギリシアの独立を承認した。(Treaty of Adrianople)
アドリア海 地中海の北部、イタリア半島とバルカン半島との間の海域。(Adriatic Sea)
アナーニ事件 1303年、フランス国王フィリップ4世がローマ法王ボニファティウス8世をイタリアの山間都市アナーニで捕らえた事件。
アパルトヘイト 南アフリカ共和国の有色人種差別政策。1991年法的に全廃。人種隔離政策(apartheid)
アビニョン法王庁 1309年~1377年、7代の間、南フランスのアビニョンに設置されていたローマ法王庁。ボニファティウス8世の死(1303)後に枢機卿団が分裂し法王選挙が困難になったことと、アナーニ事件の事後処理に絡んでフランス王が干渉してきたことに求められるが、さらにイタリアの法王領に生じた無政府状態がこれを助長した。(Palais des Papes)
アフシャール朝 1736~1796年。トルコ系アフシャール人のナーディル・シャーが建てたイランの王朝。アフガン族を駆逐し、ムガル帝国の首都デリーに遠征。さらにトルキスタンのウズベク族をも従えたが、1747年ホラサンの陣中で暗殺された。彼の死後、1796年ガージャール朝によって滅ぼされた。(Afsharid dynasty)
アフリカ人民族会議(ANC) 南アの黒人解放組織。1912年に南ア原住民民族会議として結成され、1923年改称。南ア共和国政府のアパルトヘイトに対し、差別の完全撤廃を求める運動を担った。(African National Congress)
アフリカ分割 1880年代から第一次世界大戦前の1912年までにかけて、ヨーロッパの帝国主義列強によって激しく争われたアフリカ諸地域の支配権争奪と植民地化の過程のこと。(Scramble for Africa)
あへんアヘン戦争 1840~42年、清朝のアヘン禁輸措置からイギリスと清国との間に起こった戦争。清国が敗北し、列強との不平等条約締結、中国の半植民地化の起点となる。(First Opium War)
アマルナ ナイル川中流東岸にある遺跡。新王国第18王朝アメンホテプ4世(イクナートン)が王都をテーベから同地に移し、太陽神アトンを唯一神とする都として建設。神殿や王宮の遺構、王や高官の墓のほか、世界最古の外交文書といわれる大量の粘土板、アマルナ文書が発見された。テル・エル・アマルナ(Tell el-Amarna)
アミアンの和約 1802年英仏間に結ばれたナポレオン戦争中の講和条約。両国の占領地を旧主に返還することを約し、これにより第2回対仏大同盟は解体。(Peace of Amiens)
アムステルダム オランダ王国の憲法上の首都。アイセル湖に臨む。中世以来ヨーロッパ有数の貿易港。人口73万7千(2003)。(Amsterdam)
アメリカ大使館人質事件  1979年11月4日、イラン革命後、革命派学生がテヘランのアメリカ大使館を占拠、職員52名を人質とし、亡命したパーレビ国王の引き渡しを要求。アメリカ側はそれを拒否し、翌年救出を試みるが失敗に終わった。1980年7月27日、国王が死去。1981年1月20日、人質は444日ぶりに解放された。(Iran hostage crisis)
アメリカ独立戦争 1765年イギリスが印紙法を制定したことなどを契機とし、1975年アメリカ植民地はジョージ・ワシントンを植民地軍の総司令官に推し、翌年独立を宣言、イギリス軍に抗戦、フランスの援助により勝利を得た。1983年パリ条約により合衆国の独立が承認された。(American Revolutionary War)
アラゴン王国 1035~1479年。イベリア半島北東部にあったキリスト教王国。1035年に王国が築かれ、14~15世紀シチリアからナポリにも勢力を広げ、1479年カスティリャ王国と合同してスペイン王国を形成。(Kingdom of Aragon)
アラブの春 2010年、チュニジアで23年にわたり独裁政権を築いてきたベンアリ政権に終止符が打たれた。チュニジアでの動きに触発され、2011年2月、エジプトでも大規模な反政府デモが勃発しムバラク政権が崩壊した。リビアでも、2011年2月以降に反カダフィ派による政権打倒の動きが激化し、2011年8月に至り事実上政権が崩壊した。(Arab Spring)
アラブ石油輸出国機構(OAPEC) アラブ石油輸出国機構。アラブ産油国の利益の確保・維持のため、1968年サウジアラビア・クウェート・リビアが設置した機関。のち、多くのアラブ諸国が加盟。本部をクウェートに置く。
アラブ連盟 エジプト・サウジ・アラビア・ヨルダン・イラク・シリア・レバノン・イエメンのアラブ7カ国が1945年結成した連盟。アラブ諸国の独立と主権確立、政治・経済協力が目的。本部はカイロ。(Arab League)
アラマニ王国 374年ゲルマン系アレマン人の王マクリアヌス(Macrianus)が、ドイツ南西部のライン川上流地域に建国。496年フランク王国クローヴィスに征服された。(Alemanni 374~496)
アラル海 中央アジアの砂漠の中にある塩湖。カザフスタンとウズベキスタンとの国境に位置し、シル・ダリアとアム・ダリアが流入する。湖の面積は6万6千平方キロメートルあったが、両河川からの流入量減少により約3分の1に縮小。(Aral)
アルカイダ イスラム主義を標榜するスンニ派ムスリムを主体としたテロ組織を指す。(Al・Qaeda)
アルザス・ロレーヌ フランス北東部、ライン川西岸地域。ドイツとの国境に接し、両国の歴史的な係争地であったが現在はフランス領。鉄・石炭を産し、製鉄・機械・化学などの工業が発達。(Alsace・Lorraine)
アルジェリア戦争 1954~1962年、仏支配に対するアルジェリアの独立戦争。同時に親仏派と反仏派の先住民同士の紛争、かつ仏軍部とパリ中央政府との内戦でもある。(Algerian War)
アルハンブラ宮殿 アラビア語「赤い城」の意。スペイン南部、グラナダにあるイスラム時代の宮殿。13世紀ナスル朝のムハンマド1世が造営を開始し、14世紀にかけて建築、その後も増改築が行われた。大理石・タイル・彩色漆喰を用い、イスラム建築の粋を集める。1984年、世界遺産(文化遺産)に登録された。(Alhambra)
アルビジョア十字軍 1209年、南フランスで盛んだった異端アルビ派(カタリ派と同義、南フランスの都市アルビからアルビ派と呼ばれた)を征伐するために、ローマ法王インノケンティウス3世が呼びかけた十字軍。アルビジョワ十字軍とも。(Albigensian Crusade)
アルビジョワ派 12~13世紀の西欧に広がったキリスト教異端の一派。その呼称は清浄を意味するギリシア語に由来。マニ教起源で、善悪2元論の影響を受け、禁欲的・使徒的生活を追求。カタリ派。(Albigeois)
アルマダの海戦 スペイン無敵艦隊(Spanish Armada)のイングランド侵攻において、1588年7月から8月に英仏海峡で行われた諸海戦の総称である。(Battle of Armada)
アレクサンドリア エジプト北部、地中海岸にある港湾都市。BC332年ナイル川の3角州の西端にアレクサンドロスによって建設され、プトレマイオス朝の首都となり、ヘレニズム文明の中心として栄えた。大灯台・ムセイオン(研究所)があったことで名高い。アレキサンドリア。(Alexandria)
アロー号事件 1856年から1860年にかけて、清とイギリス・フランス連合軍との間で起こった戦争である。最終的に北京条約で終結した。戦争の理由の1つであった、中国人による多くの外国人排斥事件のうち、もっとも象徴的な出来事がアロー号事件であったため、日本ではアロー戦争と呼称される場合が多い。(Arrow War)
アンカラの戦い 1402年7月20日にアンカラ近郊において、バヤズィト1世率いるオスマン朝軍とティムール率いるティムール朝軍の間で行われた戦闘。 (Battle of Ankara)
アングロサクソン ① 5世紀頃よりドイツ北西部から移動、グレート・ブリテン島に定住したゲルマン民族の一派。現在のイギリス国民の多数を占める。 ② イギリス国民およびイギリス系の人々やその子孫。(Anglo・Saxon)
アンジュー家 フランス王国のアンジュー地方を統治した貴族の家系。4つの系統がある。(Angevin)
アンシ安史の乱 755年、中国唐の中期、6代皇帝玄宗の晩年に、節度使(辺境の軍政長官)の安禄山(あんろくざん)と史思明(ししめい)らが楊氏一族の排除を掲げて起こした反乱。763年、7代皇帝粛宗(しゅくそう)の代に鎮圧。以後、唐の中央集権体制は弱体化した。
アンティオキア トルコ南部、シリア国境近くの都市アンタキヤ(Antakya)の古称。BC3世紀にセレウコス朝の首都として繁栄。のちエルサレムと並び原始キリスト教会が成立した。(Antiochia)
アンティゴノス朝マケドニア BC306~BC168年。アレクサンドロス3世(大王)の後継者の一人、アンティゴノス1世(Antigonus I Monophthalmus)がマケドニア地方に築いた、ペラ(Pella)を首都とする王国。 BC168年、共和政ローマとのマケドニア戦争で敗れ、アンティゴノス朝マケドニア滅亡。BC146年、マケドニア全土はローマの属州となった。(Antigonid dynasty)
アントワープ ベルギー北部、スヘルデ河口近くにあるヨーロッパ有数の貿易港。人口44万6千(2000)。フラマン語名アントウェルペン。フランス語名アンヴェール。(Antwerp)
アン女王戦争 1702~1713年、スペイン継承戦争に対応して北米大陸において起こったフランス王国とイングランド王国との間の戦争。ユトレヒト条約によって、イングランドはアカディア、ニューファンドランドおよびハドソン湾岸地域を獲得し領土が拡大した。(Queen Anne's War)
イエズス会 スペインのイグナティウス・デ・ロヨラらが1534年に結成し、40年にローマ法王の公認を得た修道会。反宗教改革の先頭に立ち、日本にも同会士ザビエルらが渡来し、キリシタン文化興隆に寄与。法王の要請に応えて柔軟に諸活動に従事する。ジェズイット教団。耶蘇会ヤソかい。(Society of Jesus)
イエナ・アウエルシュタットの戦い 1806年10月14日、ドイツのテューリンゲン、イエナおよびアウエルシュタットで行われた戦闘。ナポレオン1世率いるフランス帝国軍と、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世率いるプロイセン王国軍が交戦した。この戦いの結果、プロイセン軍は甚大な損害を被り、その後の追撃戦で完全に壊滅、プロイセン全土がフランス軍に制圧された。1807年のティルジット条約(Peace of Tilsit)では、ワルシャワ大公国が建設され、ナポレオンの大陸制覇は頂点に達した。イエナの戦い(Battle of Jena Auerstedt)
イオニア トルコ南西部、エーゲ海沿岸の古地名。BC10世紀頃からギリシア人が移住し、エフェソス・ミレトスなどの都市国家を建設。芸術・自然哲学が栄えた。(Ionia)
いかいえい威海衛 中国、山東半島北東端の港湾都市。明代には倭寇の侵入を防ぐ根拠地として知られ、日清戦争当時は北洋艦隊の根拠地。現在は、威海市。
イギリス連邦 イギリスと旧イギリス領植民地から独立した国々とが対等の立場で構成する友好・協力関係を基盤としたゆるやかな国家連合体。53か国が加盟。構成国相互の関係には、ほとんどの場合国際法が適用される。英連邦。コモンウェルス。(Commonwealth of Nations)
イスタンブール トルコ北西部、ボスポラス海峡に臨む都市。アジアとヨーロッパの接点に当たり、ビザンチン文明の中心。東ローマ帝国・オスマン帝国の首都で、スレイマン・モスクなどの歴史的なイスラム建築群は、世界遺産。人口955万7千(2003)。旧称、ビザンチウム・コンスタンティノポリス・コンスタンティノープル。(Istanbul)
イスラエル ① 旧約聖書に見えるヤコブとその後裔である十二部族の総称。モーセに導かれてエジプトを出、カナンの地に至り、BC1012年イスラエル王国を建設、BC926年北のイスラエル王国と南のユダ王国とに分裂。イスラエルはBC722年に、ユダはBC586年に滅亡、バビロン捕囚の体験を経て、イスラエルの宗教はユダヤ教として発展。(Israel)
イスラエル ② シオニズム運動の結果パレスチナに流入したユダヤ人が1948年イギリスの委任統治終了とともに建設した共和国。この国家の存在とパレスチナ国家建設の可否が、中東紛争の中で焦点となってきた。首都はエルサレム(国際的には未承認)。公用語はヘブライ語とアラビア語。面積2万1000平方キロメートル。人口555万(1995)。(Israel)
イスラム原理主義 イスラム世界の西欧化・世俗化を否定し、原点に帰ってイスラム法の適用された国家・社会を築こうとする思想運動。イスラム復興主義。(Islamic Fundamentalism)
イスラム国 イラクを拠点とする国際テロ組織アルカイダ系の過激派組織。「イラク・シリア・イスラム国」を名乗っていたが、6月末、イラク北西部からシリア東部の一帯でイスラム国家の樹立を一方的に宣言。それに伴って組織名も改称した。IS(Islamic State)。
イスラム帝国 632~1922年。イスラム教徒が建設した諸帝国。ムハンマド没後の正統カリフ時代に始まり、ウマイヤ朝を経てアッバース朝に至って極盛に達した。最後のオスマン帝国は1922年に滅亡。サラセン帝国。(caliphate)
イスラム法 イスラム教徒が守るべき儀礼的日常的生活規範。コーランを基に、9~10世紀にほぼ成立。現代ではさまざまに改革され、その適用は国によって異なる。聖法。シャリア。(Islamic law)
イタリア・トルコ戦争 1911~1912年、北アフリカのトルコ領トリポリとキレナイカ(現在のリビア)をめぐる、イタリアとオスマン帝国との戦争。イタリアが勝ち、ローザンヌ講和会議(ローザンヌ条約 1912年)でイタリアによる両地方の領有が承認された。トリポリ戦争。伊土戦争。(Italo-Turkish War)
イタリア遠征 ①1796年から1797年にかけて、イタリア北部で行われたフランス軍(ナポレオン軍)とオーストリア軍の諸戦闘。多くの会戦でフランス軍はオーストリア軍を打ち破り、北イタリアの諸都市を解放し、市民から歓迎を受けた。1797年10月17日、カンポ・フォルミオで講和条約(カンポ・フォルミオ条約)が結ばれ、一連の戦闘は終結した。第一次イタリア遠征。イタリア戦役(Italian campaigns of the French Revolutionary Wars)
イタリア遠征 ②1800年第二次イタリア遠征で、ナポレオン率いるフランス軍が、アルプスを越えて北イタリアに侵入し、1800年6月マレンゴの戦いで、オーストリア軍に勝利し、1801年2月リュネヴィルの和約を締結し、北イタリア、ライン左岸地方の併合を再確認した。イタリア戦役(Italian campaigns of the French Revolutionary Wars)
イタリア王国 現在のイタリア共和国の前身となる王国。1861年に成立し、1946年に共和制へ移行した。(Kingdom of Italy)
イタリア戦争 ① 1494~1498年。イタリア半島の覇権をめぐって戦われたヴァロア朝(仏)とハプスブルグ家(独)の戦争。発端は1494年のシャルル8世によるイタリア侵入。法王やオスマン帝国も加わって複雑な外交と戦争が繰り返され、北イタリアのフランス勢力は一掃された。(Italian War of 1494–1498)
イタリア戦争 ② 1551~1559年。フランス王フランソワ1世とドイツ皇帝カール5世がイタリアの支配権をめぐり4度にわたって戦った戦争。ドイツの優位のうちに終結、イタリア・ルネサンスの衰微を招いた。(Italian War of 1551–1559)
イッソスの戦い BC333年、アレクサンドロス大王がシリアのイッソス(Issos)においてダレイオス3世のペルシア軍を破った戦い。これを機に、大王の小アジア支配が確立。(Battle of Issus)
イラク戦争 イラクで大量破壊兵器が製造されているとの理由で、2003年アメリカ・イギリスなどが始めた戦争。フセイン政権は崩壊したが、大量破壊兵器は見つからず、長期化。(Iraq War)
イラン・イラク戦争 1980年、イラン・イラク国境のシャトル・アラブ川河口付近の領有問題を直接的なきっかけとして勃発した戦争。1988年、国連安保理停戦決議に基づく停戦が成立。(Iran–Iraq War)
イラン革命 1979年、パフラヴィー朝の独裁を廃して、イスラム教に基づく共和国を樹立した革命。亡命中のホメイニ師が帰国して指導者となった。イスラム革命。(Islamic Revolution)
イリュリア BC400~BC168年。バルカン半島西部に存在した古代王国。 イリュリア人(Illyrians)によって建国され、隣接するギリシアと銀や青銅の交易で栄えたが、BC168年、共和政ローマによって滅ぼされた。(Illyria)
イリュリア人 BC2000年、バルカン半島西部に定住した古代民族。BC400年、スコドラ(Scodra)を首都としてイリュリア王国(Illyria)が建国された。その後、隣接するギリシアと銀や青銅の交易で栄えたが、BC168年、共和政ローマによって滅ぼされた。(Illyrians)
イルクーツク ロシア連邦、中央シベリアのバイカル湖の西にある都市。アルミ・機械・木材加工などの工業が発達。 (Irkutsk)
イルハン朝 1258~1353年。モンゴル帝国の4ハン国の一。1258年、チンギス・ハンの孫フラグ(Hulagu 在位1260~1265)がアッバース朝を倒し、イランの地を中心に建国。都はイラン北西部のタブリーズ(Tabriz)。7代のカザン・ハン(Ghazan 在位1295~1304)の時代にイスラム教を国教とし、領土を広げ全盛期を迎えたが、1335年以降は内紛で衰退、1353年に滅亡。イル・ハン国。イル汗国。フラグ・ウルス(Ilkhanate/Hulagu Ulus)
いんし印紙法 1765年、イギリス議会がアメリカ植民地に対し、出版物のすべてに本国発行の印紙を貼ることを義務づけた法律。植民地側は「代表なければ課税なし」と主張して、これに激しく反対し、翌年撤廃に成功。この事件はアメリカ独立の契機の一つとなった。印紙条例。(Stamp Act 1765)
インダス文明 BC2500年~BC1500年。インド西北のインダス川流域に成立した、都市文明。代表的な遺跡が、下流域のモヘンジョ=ダロ(Mohenjo-daro)、上流域のハラッパー (Harappa) が代表的な遺跡である。これらはいずれも現在はパキスタン領になっている。BC1500年、アーリア人(Aryan)の侵入によって消滅した。(Indus Civilization)
インティファーダ イスラエルの占領に反対するパレスチナの民衆蜂起。騒乱の自国波及を恐れたヨルダンが、イスラエル占領下のヨルダン川西岸を公的に切り離すと宣言、またPLOが1988年、パレスチナ国家の独立を宣言するなど、占領地の住民が政治的な主体性を確立するきっかけとなった(Intifada)
インド・ヨーロッパ語族 BC3000年頃、黒海・カスピ海周辺の草原地帯で農耕、遊牧生活などを営んでいた語族。BC2000年頃から、彼らは馬車の利用により、大規模な移動を開始した。そして、ゲルマニア(ドイツ・北欧)、ラテン(イタリア)、スラブ(東欧)、ギリシア、ケルト(アイルランド)などの地域において、それぞれの民族の言語を形成していった。(Indo-European)
インドシナ戦争 1946年から約7年間、旧フランス領インドシナの独立をめぐってベトナム民主共和国軍とフランス軍との間で戦われた戦争。1954年5月ディエンビエンフーの陥落(フランスの敗北)を機に、7月ジュネーブで結ばれた休戦協定により一段落した。(First Indochina War)
インド連邦 1947~1950年。かつてインドに存在した立憲君主制国家(英連邦王国)。ドミニオン(Dominion)と呼ばれるイギリス連邦の自治国であり、共和制移行までの短期間の国家であった。初代首相ネルーまた、イスラム教徒多数派地域はパキスタンとして分離独立した。(Dominion of India)
いん殷朝 BC1600年~BC1046年。中国古代の王朝。自称は商。都は殷墟(河南省安陽市)。「史記」殷本紀によれば、湯(とう)王が夏(か)の桀(けつ)王を倒して建国し、第30代の紂(ちゅう)王のとき周の武王に滅ぼされた。
ヴァーカータカ朝 250~510年。デカン高原に興った古代インド王朝。デカン高原の世界遺産「アジャンター石窟寺院」(Ajanta Caves)はこの時代のものである。(Vakataka)
ヴァタヴィア共和国 ①フランス革命の結果、1795年ネーデルラントに成立した共和国。1806年オランダ王国となる。②インドネシアの首都ジャカルタのオランダ領時代の名。(Batavian Republic)
ヴァルダナ朝 606~648年。北インドに興ったインド王朝。グプタ朝の崩壊後、ハルシャ・ヴァルダナ王(Harsha Vardhana 在位606~647年)がガンジス川上流を支配して建国した。唐との間に使節の交換もあり、唐の玄奘もこの王の治下にインドを旅行し、王の宮廷に滞在した。(Vardhana)
ヴァロア朝 フランスの王朝(1328~1589)。カペー朝直系断絶後の傍系フィリップ6世の即位にはじまり、アンリ3世まで13代続いたのちブルボン朝が成立した。(Valois dynasty)
ヴァンダル王国 435~534年。ゲルマン民族の一派であるヴァンダル族のガイセリック(Gaiseric)によって建国。北アフリカと地中海(シチリア、サルデーニャ、コルシカ島)を支配した。534年、東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世に滅ぼされた。(Vandal Kingdom)
ウィーン会議 フランス革命・ナポレオン戦争後の事態収拾のため、1814年9月から翌年6月までウィーンで開かれた国際会議。各国の首脳が出席、メッテルニヒが主導。正統主義と大国の勢力均衡を原則としてウィーン体制と呼ばれる国際秩序を形成した。「会議は踊る、されど会議は進まず」とは、この会議の遅滞を諷して言われた言葉。(Congress of Vienna)
ウィーン包囲 (第一次)ハンガリー王位をめぐる抗争においてオスマン帝国のスレイマン1世は、オーストリア軍を討つために軍隊を派遣し、1529年9月ウィーンを包囲攻撃したがウィーンの陥落に失敗。(第二次)1683年7月、オスマン帝国がウィーン郊外まで兵を進め、約2ヵ月にわたり包囲攻撃したが、オーストリアの援軍ポーランド軍に敗退した。(Siege of Vienna)
ヴィシー政権 第二次世界大戦中、ドイツに降伏したフランスで、中部の都市ヴィシーに成立した政府(1940~1944年)。ペタンを国家元首として共和政を否定した。対独協力を義務づけられ、ドイツ敗北に伴い消滅した。正式国名はフランス国(French State)。(Vichy France)
ヴィスワ川 ポーランドで最長の川。全長は1047km、流域面積はポーランド国土の60%以上におよぶ。ポーランド南部のベスキディ山脈の標高1106m地点に源を発し、ポーランド国内を大きく蛇行しながら北へ流れ、バルト海へと注ぐ。(Vistula)
ウェイイの戦い BC396年に発生した共和政ローマとエトルリア人の都市ウェイイ(Veii)の戦いであり、ローマが勝利した。これ以後、エトルリアはローマの支配下となり、独立性を失った。ローマ・エトルリア戦争(Battle of Veii)
ウェールズ イギリス、グレート・ブリテン島南西部の半島状の地域。中心都市カーディフ。ケルト人の居住地であったが、13世紀末にイングランドに征服され、以来イングランドの皇太子はこの地域の主権者としてプリンス・オブ・ウェールズと称される。(Wales)
ウェストファリア条約 三十年戦争(1618~1648)の講和条約(1648年)① 戦勝国フランスは、アルザス・ロレーヌ地方(ライン川左岸)の領土を獲得。② 戦勝国スウェーデンは北ドイツのポンメルンその他の領土を獲得。③ スイスとオランダが独立し、神聖ローマ帝国から離脱。④ ドイツの約300の諸侯が独立。神聖ローマ帝国の実質的解体。⑤ プロテスタントまたカルヴァン派の信仰が認められた。フランスとスウェーデンは領土拡大に成功し、神聖ローマ帝国は、帝国内の領邦に主権が認められたことにより、300に及ぶ領邦国家の分立が確定した。また皇帝の権利は著しく制限され、いわば諸侯の筆頭という立場に立たされたため、帝国全体への影響力は低下した。ヴェストファーレン条約 (Peace of Westphalia)
ウェセックス王国 イングランドの7王国の1つ。アングロサクソン人の建てた王国のひとつでデーン人が進攻した時代に生き残った唯一の王国である。また有能な王も輩出しエグバート、アルフレッド大王が有名。(Kingdom of Wessex)
ヴェルダン フランス北東部、ムーズ川中流域の小都市。第一次大戦中の1916年ドイツ軍の総攻撃をペタン将軍指揮下のフランス軍が撃退した戦場。(Verdun)
ヴェルダン条約 843年、フランク王ルイ1世(敬虔王)の死後、ロタール・ルートヴィヒ(ルイ)・シャルルの3子がヴェルダンに会して同王国を3分することを定めた条約。伊・独・仏3国形成の出発点。(Treaty of Verdun)
ウォーターゲート事件 1972年ニクソン米大統領の共和党の再選支持派が、ワシントンのウォーターゲートビルにある民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けるため侵入、逮捕された。ホワイトハウスは関与を否定したが、ワシントン・ポスト紙が調査報道で追及。もみ消し工作も明らかになり、ニクソン氏は1974年辞任した。(Watergate scandal)
ヴォルガ川 ロシア連邦の西部を流れカスピ海に注ぐヨーロッパ州最長の川。「ロシアの母なる川」と呼ばれる。全長3,690km。ボルガ川(Volga)
ウォルポール内閣 ロバート・ウォルポール(Robert Walpole)を首相とするグレートブリテン王国の内閣。責任内閣制の発達に貢献した。(Walpole ministry)
ヴォルムス協約 1122年にドイツのヴォルムスにおいて、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世とローマ法王カリストゥス2世の間で結ばれた政教条約。叙任権は教会にあり、皇帝は世俗の権威のみを与えると取り決め、聖職者の叙任権の問題(叙任権闘争)を解決。(Concordat of Worms)
ウクライナ騒乱 2014年2月ウクライナで発生した一連の抗議活動。ヤヌコビッチ大統領は、ロシアに配慮し、EUとの貿易協定の調印を見送った。これに対し、EU寄りの野党勢力から反発が起こり、大規模な反政府デモが発生した。またロシアのクリミア併合及び軍事介入の火種になった。オレンジ革命。(2014 Ukrainian revolution)
ウズベク人 13世紀に、カスピ海北方に居住していたトルコ系民族。1428年、中央アジアにシャイバーン朝(Shaybanids)を建国。1507年、ティムール帝国を滅ぼし、サマルカンドを首都とした。1710年、ヒヴァ・ハン国(Khanate of Khiva)、ブハラ・ハン国(Khanate of Bukhara)、コーカンド・ハン国(Khanate of Kokand)の3ハン国を建国し栄えたが、1877年、帝政ロシアに併合された。(Uzbek)
ウマイヤ朝 661~750年。ウマイヤ家出身のムアーウィヤがダマスカスを首都として樹立したイスラム王朝。インド北西部からイベリア半島にわたる地を征服。14代でアッバース朝に滅ぼされたが、一部はイベリア半島に逃れ、コルドバを首都として後ウマイヤ朝(756~1031)を建国。(Umayyad Caliphate)
ウラジオストク ロシア連邦、沿海州南部の日本海に面する港湾都市。造船・機械・金属などの工業が発達。軍港としても知られる。シベリア鉄道の終点。冬季は凍結。ウラジオストック。(Vladivostok)
ウラジミル公国 1157~1363年。モスクワを含む北東ロシアに位置した中世ロシアの一公国。1240年、モンゴル来襲によってキエフ公国が崩壊した後、ロシア統一の象徴的役割を果たした。1363年モスクワ大公国に併合(Vladimir-Suzdal)
ウル BC4500~BC2020年。イラクの首都バグダッドの南東約300kmに位置するシュメールの古代都市。旧約聖書の「創世記」にあるアブラハムの故郷「カルデア人のウル」として知られる。BC4500年頃にはすでに居住者がいたと考えられる。大洪水後のウル第1王朝(BC2650~BC2400)時代にはメソポタミア南部一帯の首都となった。(Ur)
ウル第1王朝 BC2650~BC2400年。古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代の王朝。メスアンネパダ(Mesannepada)が建国。ティグリス川とユーフラテス川のペルシア湾への河口近くに位置する。旧約聖書のアブラハムはこの地の生まれといわれ、ここからカナンの地へ旅立った。(Ur I)
ウル第3王朝 BC2130~BC2020年。古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代の王朝。ウル・ナンム(Ur Nammu)が建国。シュメール全土の首都となったが、エラム人(Elam)の侵略を受けて滅亡、その後政治の中心がバビロンへ移行したことにより、重要性を失った。(Ur III)
えいこく英国国教会 16世紀ヘンリー8世の時、ローマ法王の支配から独立して成立した教会。イングランド国王を同国教会の唯一の首長とし、法王権は認めないが、主教(司教・監督)制度は維持する。広義ではアングリカン教会(聖公会)を指す。イギリス国教会。(Church of England)
えいふつ英仏協商 1904年イギリス・フランス両国間に結ばれた協定。ドイツに対抗、これを包囲するため、エジプト・モロッコにおける相互の優越権を認めた。(Entente Cordiale)
エイラン英蘭戦争 17世紀後半、イギリス・オランダ両国間の戦争。イギリスの航海法を原因とし、第1回(1652~1654)・第2回(1665~1667)・第3回(1672~1674)の3回戦われ、オランダは制海権を失った。イギリス・オランダ戦争。(Anglo-Dutch Wars)
エーゲ海 地中海東部、ギリシア本土、小アジア、クレタ島に囲まれた海域。周辺の地域に、ヨーロッパ最古のエーゲ文明が栄えた。多島海。(Aegean Sea)
エーゲ文明 BC3000年からBC1200年ころエーゲ海周辺で栄えたキクラデス文明(BC3000~BC2000)、トロイ文明(BC2600~BC1200)、ミノア文明(BC2000~BC1400)、ミケーネ文明(BC1600~BC1200)の四つの青銅器文明の総称。19世紀末のシュリーマン(Heinrich Schliemann)によるトロイ、ミケーネの発掘、20世紀のエバンズ(Sir Arthur John Evans)によるクノッソス発掘などで明らかにされた。(Aegean civilization)
エジプト・トルコ戦争 1831~1833年、1839~1840年。2度にわたり領土拡大を図るエジプトの支配者ムハンマド・アリーとオスマン帝国の間で起きた戦争。英露墺プロイセンはオスマン帝国を支持し、エジプトはクレタ島とシリアの支配権を失った。(Egyptian・Ottoman War )
エジプト遠征 1798年から1801年まで、フランス軍がエジプト・シリアへ遠征した戦役。ナポレオン率いるフランス軍が、エジプトのアレクサンドリアに上陸、カイロに入城したが、1798年8月ナイルの海戦(Battle of the Nile)で、ネルソン率いるイギリス艦隊に地中海の制海権を奪われる。この結果、ナポレオン軍は孤立し、1799年第二次対仏大同盟が結成されるに至った。エジプト・シリア戦役(French campaign in Egypt and Syria)
エジプト革命 1952年7月23日、ナセルの率いる自由将校団がクーデターを起して国王ファールーク1世を追放した後の一連の政治社会改革。外国の支配下におかれていたエジプトの政治がエジプト人自身によって握られ、スエズ運河国有化、アスワンダム建設決定へとつながり、アラブ世界全体に大きな影響を与えた。(Egyptian Revolution)
エデッサ ギリシア北部、中央マケドニア地域ペラ県の都市で、ペラ県の県都。(Edessa)
エトルリア BC1100年~BC396年。イタリア中西部の古名。現在のトスカーナ州とウンブリア州の一部の地域。建築・青銅器などにエトルリア美術(Etruscan art)と呼ばれるすぐれた作品を残した。BC396年、共和政ローマに征服された。(Etruria)
エフェソス 小アジアの西海岸に栄えた古代都市。アルテミス崇拝で知られ、古代七不思議の一つに数えられるアルテミス神殿遺跡(Temple of Artemis)がある。エペソス。(Ephesus)
エペイロス ギリシア北西部、アドリア海に面する山岳地帯。現イピロス(Ipiros)「ギリシアのスイス」ともいわれる山岳地帯であり、同国でもっとも雨量が多く主要河川の水源地となっている。1450年、オスマン帝国がこの地を征服。1913年ギリシアに帰属。(Epeiros)
エラム BC3200~BC539年。古代オリエントのイラン西南部で栄えた国家、または地方の名。王都はスサ(Susa)。エラム文字による文字記録が存在する。BC539年キュロス大王率いるアケメネス朝ペルシアの支配下に置かれた。(Elam)
エルサレム王国 1099年~1291年。11世紀末西欧の十字軍によって中東のパレスチナに樹立されたキリスト教王国。十字軍国家の1つ。1291年マムルーク朝に滅ぼされた。(Kingdom of Jerusalem)
エルバ島 ティレニア海にあるイタリア領の島。イタリア半島とコルシカ島(フランス領)の間に位置し、トスカーナ群島中最大の島である。(Elba)
エルベ川 中部ヨーロッパの大河。チェコのボヘミア盆地の諸流を併せ、ドイツを北西に流れて北海に入る。下流部に河港ハンブルクがある。長さ1170キロメートル。(Elbe)
オーストリア・ハンガリー帝国 普墺戦争の敗北を機にハンガリーのマジャール人貴族の独立要求をいれて1867年成立した帝国。オーストリア皇帝を盟主とし、政府と国会は両国別々にもつ2重帝国。第一次大戦に敗れ1918年崩壊。(Austria-Hungary)
オーストリア継承戦争 1740~1748年、オーストリアの王位継承をめぐって起きた国際戦争。マリア・テレジアの即位をめぐりプロイセン・フランス・スペインなどが開戦、オーストリアはイギリスと結び対抗。アーヘンの和約(Treaty of Aix-la-Chapelle)で終結。オーストリアはマリア・テレジアの王位継承を認められたが、シュレジエンをプロイセンに与えたほか領土の一部を失った。(War of the Austrian Succession)
オーストリア公国 オーストリア公国は、神聖ローマ帝国内の、現在のオーストリア共和国の領域に存在した領邦。1156年の成立から1457年(大公を称したのは1359年)のオーストリア大公国の成立まで、バーベンベルク家、ツェーリンゲン家、プシェミスル家、ハプスブルグ家が統治した。(Duchy of Austria)
オゴタイ・ハン国 1229~1310年。モンゴル帝国の4ハン国の1。チンギス・ハンの第3子オゴタイ(Ogodei)が建国。イリ川(Ili)北西のエミル(Emil)に都し、北西モンゴルを支配。孫ハイドゥ(Kaidu)の時、元朝の世祖フビライとモンゴルの帝位を争い、40年余にわたって反抗したが、彼の死後まもなくチャガタイ・ハン国に併合された。オゴデイ・ウルス。オゴタイ汗国(Ogedei Khanate/House of Ogedei)
オスマン帝国 1299~1922年。オスマン1世がビザンチン帝国の衰微に乗じてアナトリア西部に建設したイスラム国家。1453年コンスタンティノープルを攻略し、ビザンチン帝国を滅ぼす。16世紀に最盛、領土はアジア・アフリカ・ヨーロッパにまたがったが、17世紀末から衰退に向かい、第一次大戦で敗れた後、トルコ革命によって滅亡。(Ottoman Empire)
オスロ合意 イスラエルとPLOの間で合意した、ヨルダン川西岸・ガザ地区でのパレスチナ人による暫定的な自治の実施に関する一連の協定。1993年にワシントンで調印。1996年パレスチナ暫定自治政府が成立。パレスチナ暫定自治合意。(Oslo Accords)
オドアケル王国 476~493年。ゲルマン人の傭兵隊長オドアケル(Odoacer)が、西ローマ帝国を滅ぼし、イタリア王としてオドアケル王国を建国。493年東ゴート王テオドリック(Theodoric)に暗殺され王国は滅亡した。(Odoacer)
オドリュサイ王国 BC460~46年。トラキア人諸部族からなる連合国家。その領域は現在のブルガリアを中心に、トルコ領東トラキアにあたる地域まで及んだ。BC1000年頃、バルカン半島の南東、ドナウ川南岸地方に農耕牧畜民族トラキア人(Thracians)が居住していた。BC512年、アケメネス朝ペルシアに征服されるが、ペルシア戦争でペルシアが敗退すると、BC480年、トラキア人の部族オドリュサイ族(Odrysian)のテレス(Teres I 在位BC480~BC430)がオドリュサイ王国を建国し、ギリシアの影響を受け、独自の高度な文化を築いた。BC342年にマケドニアに征服されて衰退するが、BC323年、アレクサンドロス大王の死後、マケドニアが衰退すると、BC320年、セウテス3世(Seuthes III 在位BC341~BC300)が勢力を持ち、セウトポリス(Seuthopolis 現在のブルガリア中央部)を建都し繁栄を誇った。46年にローマ帝国に征服されオドリュサイ王国は滅亡、トラキアはローマ属州となった。(Odrysian kingdom)
オムスク ロシア連邦、西シベリアの都市。機械・石油化学工業が発達。シベリア最古の都市で、ドストエフスキーの流刑地としても知られる。(Omsk)
オランダ侵略戦争 1672年~1678年、フランスのルイ14世によるオランダへの侵略戦争。ネーデルラント戦争とも。ルイ14世は英国、スウェーデンなどと同盟してオランダに侵入。フランスはスペイン領ネーデルラントのいくつかの都市を併合して将来への足場を固めた。仏蘭戦争。(Franco-Dutch War)
オランダ東インド会社 1602年、東洋貿易振興のために創設されたオランダの拓殖株式会社。喜望峰・マゼラン海峡間の貿易権、条約締結権、軍事権を与えられ、政府の厚い保護を受けた。1799年解散。(Dutch East India Company)
オランダ独立戦争 スペイン支配下のネーデルラントが行なった独立戦争。フェリペ2世の新教徒迫害と重税政策に抗し、1568年に開戦。北部7州がユトレヒト同盟を結成、81年に独立を宣言し、1648年ウェストファリア条約により承認された。80年戦争。(Eighty Years' War)
オルレアン フランス、ロワール川右岸、パリの南西116キロメートルにある都市。百年戦争末期、1428年イギリス軍に包囲されたが、少女ジャンヌ・ダルクの出現でイギリス軍を撃退。人口11万3千(1999)。(Orleans)
オレンジ革命 2004年、選挙結果に対して抗議運動を行った野党支持者がオレンジをシンボルカラーとして、リボン、「ユシチェンコにイエス!」と書かれた旗、マフラーなどオレンジ色の物を使用したことからオレンジ革命と呼ばれている。(Orange Revolution)
オレンジ自由国 1854年、ボーア人(Boer)が現在の南アフリカ共和国内に建てた国。オレンジ川(Orange River)とヴァール川(Vaal River)に挟まれた地域に建てられた。1870年に世界有数のダイヤモンド鉱山が発見されると、英国の介入が強まり、1899年からのボーア戦争に敗れ、1902年英国に併合された。1910年には南アフリカ連邦の一州となった。なお、ヴァール川の対岸(北側)には、「ヴァール川の向こう」を意味するトランスヴァール共和国(Transvaal Republic)が建てられた。(Orange Free State)
オンドスコートの戦い フランス革命初期の1793年9月、フランス革命軍が、フランス北部のダンケルク(Dunkirk)を包囲したイギリス軍を破り、撤退させた戦い。(Battle of Hondschoote)
ガージャール朝 1779~1925年。イランを統一したトルコ系王朝。遊牧民トルクメンのガージャール族アーガー・ムハンマド(Agha Mohammad Khan Qajar)が建国。首都はテヘラン。1925年コサック首長レザー・シャー(Reza Shah)のクーデターで崩壊、パフラヴィー朝が成立。(Qajar)
カーバ神殿 メッカにある石造の聖殿。「神の館」と呼ばれ、唯一神の存在を象徴。聖殿とそれを囲むハラーム・モスクはイスラム第1の聖地。イスラム教徒は礼拝の際にカーバの方角を向き、メッカ巡礼ではその回りを7周する。カアバ。(Kaaba)
カーンヴァ朝 BC68~BC23年。北インドに興った古代インド王朝。ガンジス川中流域を支配し、4代の王が45年統治したが、BC23年、デカン高原のサータヴァーハナ朝(Satavahana)に滅ぼされた。(Kanva)
カイロ エジプト・アラブ共和国の首都。ナイル川下流の3角州の南端に位置するアフリカ最大の都市。エジプト博物館や多数のモスクがあり、郊外にはピラミッド・スフィンクスなど史跡が多い。(Cairo)
カイロネイアの戦い BC338年マケドニア王フィリッポス2世がアテネ・テバイ連合軍をギリシア中部の都市カイロネイアで破り、ギリシアに覇権を確立した戦い。(Battle of Chaeronea)
ガウガメラの戦い BC331年、アレクサンドロス大王が、ティグリス川上流のアルベラ近くにあるガウガメラ(Gaugamela)で、ダレイオス3世の率いるペルシア軍を壊滅させた戦い。ダレイオスは敗走し、ペルシア帝国は事実上崩壊した。アルベラの戦い。(Battle of Gaugamela)
ガザ 西アジア、パレスチナ地方の地中海東岸に位置する1区域、およびその中心のオアシス都市。もとエジプト領。1967年の第3次中東戦争以来、イスラエルの占領下にあったが、1994年パレスチナに返還。(Gaza)
カザフ・ハン国 1469~1860年。ヴォルガ川中流のカザン市を首都としたカザフ人の国家。カシム・ハン(Kasym Khan 在位1511~1518)の時代に最盛期を迎え、ヴォルガ流域最大の貿易中心地として繁栄したが。1860年ロシア帝国に併合された。(Kazakh Khanate)
カサブランカ会談 1943年1月、ルーズベルト大統領とチャーチル首相が開いた第3回連合国戦争指導会議。米英軍のアフリカ作戦成功後、シチリア島とイタリア本土への上陸を敢行することを決定。さらに原子爆弾開発についても話合い、またドイツ、イタリアおよび日本に対して無条件降伏を要求する方針を決定。(Casablanca Conference)
カザン・ハン国 1438~1552年。ヴォルガ川中流のカマ河畔のカザン市を首都としたトルコ人の国家。モスクワ大公国を攻撃したが、しだいに反撃され、イヴァン4世(雷帝)によって、1552年モスクワ大公国に併合された。(Kazan Khanate)
カスティリャ王国 1035~1479年。イベリア半島中央部にあったキリスト教王国。レコンキスタ(国土回復運動)において主導的役割を果たし、1479年アラゴン王国と連合し、スペイン王国が成立した。(Kingdom of Castile)
カスピ海 中央アジア西部からイラン北部に広がる世界最大の湖。塩湖。チョウザメを産する。ヴォルガ川・ウラル川などが流入する。水面は海面下28メートルにある。南西岸のアゼルバイジャン共和国にバクー油田がある。面積37万平方キロメートル。別名、裏海。(Caspian Sea)
かちょう夏朝  BC2070~BC1600年。中国古代の王朝。都は安邑(山西省)。禹(う)が舜(しゅん)の禅譲を受けて建国。「史記」夏本紀によれば禹王より、470年間続いたという。第17代の桀(けつ)王のとき殷の湯(とう)王に滅ぼされた。
カッパドキア BC1600~17年。トルコ中央部の山岳地帯。BC15~BC12世紀にはヒッタイト王国の中心地。17年、ローマ帝国に併合された。4~10世紀のキリスト教洞穴教会群が散在し、内部に多くの壁画がある。1985年、「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」という名称で世界遺産に登録された。(Cappadocia)
カノッサの屈辱 法王グレゴリウス7世に聖職叙任権をめぐって破門された神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、1077年、法王滞在中の北イタリア、カノッサ(Canossa)城の城門前で、雪の中を3日間立ち尽くして許しを得たと伝えられる事件。(Road to Canossa)
カペー朝 中世フランスの王朝(987~1328)。カロリング朝の断絶後パリ伯ユーグ・カペー(Hugues Capet)が開いた。初めパリ周辺に限られた勢力にすぎなかったが、次第にフランスの統一に成功。広義には、傍系のヴァロア朝・ブルボン朝を含めていう。(Capetian dynasty)
カラ・コユンル朝 1378~1467年。東部アナトリア、イラク、イラン、アゼルバイジャンを支配したオグズ・トルクメン系の王朝。黒羊朝(こくようちょう)ともよばれる。始祖バイラム・ホージャは、モンゴル系のジャラーイル朝から独立し、東部アナトリア、モースル地方を中心に勢力を固めた。(Kara Koyunlu)
ガラティア BC275~BC64年。小アジア北部にあった古都。アンキュラ(Ancyra 現在のトルコの首都アンカラ)を首都とし、北はビテュニアとパフラゴニア、東はポントス、南はカッパドキア、西はフリギアに接する。BC64年、共和政ローマの属国となった。(Galatia)
カラハン朝 840~1212年。中央アジアのトルコ系イスラム王朝。999年サーマーン朝を滅ぼして最盛となる。その後東西に分裂し、12世紀にはカシュガルのカラハン政権がカラ・キタイ (西遼) に、13世紀にはサマルカンドのカラハン政権がホラズム・シャー朝にそれぞれ滅ぼされた。(Kara-Khanid Khanate)
ガリア ローマ時代、ピレネー山脈とライン川の間のケルト人居住地域を呼んだラテン語の古地名。ほぼフランスの領域に当たる。ゴール。(Gaul)
カリフ 後継者・代理者の意。ムハンマドの後継者として、全イスラム教徒の指導者であり、教徒の共同体(ウンマ)の政治的支配者でもあるものの呼称。カリフ制は13世紀半ばに崩壊、称号としてのカリフは1924年まで用いられた。ハリーファ。(Caliph)
カルヴァン派 カルヴァンの宗教改革運動によってジュネーヴを中心に起こった教義。ルターの福音主義を基礎としつつ、神の絶対的権威と予定的恩寵と禁欲的な信仰生活とを強調した。その感化は特にイギリス・アメリカに強く、社会上・経済上・政治上にも及ぶ。カルヴァン主義(Calvinism)
カルカッタ インド北東部、ベンガル湾に注ぐガンジス川下流の3角州を分流するフーグリ川に臨む河港都市。米・ジュート・茶の輸出が多い。コルカタ。(Kolkata)
カルタゴ BC9世紀頃、フェニキア人がアフリカ北部の地中海岸に建設した都市国家。BC6世紀頃、地中海西部を制覇したが、BC146年、ポエニ戦争でローマに敗れて滅亡。チュニジアの首都チュニスの北郊にその遺跡がある。(Carthage)
カルデア 古代のバビロニア南部をさす地域名。旧約聖書ではバビロニアと同義に用いている。(Chaldea)古代のバビロニア南部をさす地域名。BC10世紀以降にこの地に移り住んだセム系遊牧民の諸部族はカルデア人と呼ばれるようになった。カルデア人はBC625年に新バビロニア王国を建国。 カルデア人(Chaldean)
カルボナリ党 19世紀前半にイタリアとフランスに興った革命的秘密結社。急進的な立憲自由主義(憲法に立脚する自由主義)を掲げ、ノーラ、トリノをはじめ各地で武装蜂起を企てた。(Carbonari)
カルマル同盟 1397年にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間で締結された同盟(物的同君連合)。締結場所が現スウェーデンのカルマルであったので「カルマル同盟」と呼ばれる。(Kalmar Union)
カルロヴィッツ条約 1699年、ベオグラード北西のカルロヴッツでオスマン帝国とオーストリア、ベネチア、ポーランドの間に締結された講和条約。オスマン帝国は領土の一部をベネチア、ポーランド、オーストリアに割譲した。この条約によってヨーロッパにおけるオスマン勢力の後退が決定的となった。(Treaty of Karlowitz)
カロリング朝 フランク王国後期の王朝。メロビング朝の宮宰ピピンが751年に創始し、その子カール大帝の時に最盛期となる。843年の王国3分に伴い王統も3分、987年西フランクの断絶により滅亡。(Carolingian dynasty)
カンザス・ネブラスカ法 1854年に同法が成立し、自由州か奴隷州かを住民が選択できるとなった。これに反発した北部の奴隷制拡大反対論者は共和党を結成し、ここに奴隷制の拡大を認めるかどうかを巡り、二大党派の対立が始まることとなった。(Kansas?Nebraska Act)
カンタータ 17~8世紀のバロック時代に発展した声楽曲の1形式。独唱・重唱・合唱と器楽伴奏より成り、歌詞の内容によって世俗カンタータと教会カンタータとに分かれる。交声曲。 (cantata)
カンネーの戦い 第二次ポエニ戦争中のBC216年、イタリア半島南東部のカンネー(Cannae)で、将軍ハンニバルの率いるカルタゴ軍5万が8万余のローマ軍を破った戦い。(Battle of Cannae)
かん漢朝 BC202年~220年。中国古代の王朝。BC202年、高祖劉邦(りゅうほう)が建国。長安を都とする前漢(西漢)と洛陽を都とする後漢(東漢)とに分かれる。両者の間に、王莽(おうもう)が建国した新による中断がある。220年滅亡。
キエフ公国 882~1240年。キエフを首都とした東欧の国家。リューリク(Rurik)の後継者オレグ(Oleg)が建国。10世紀までにキリスト教の受容によってキリスト教文化圏の一国となった。11世紀には中世ヨーロッパの最も発展した国の一つであったが、1240年、モンゴル来襲によってキエフは落城し、事実上崩壊した。(Kievan Rus)
ギエンヌ フランス南西部の旧州名。ガロンヌ川以北の地域をさし、その南、ピレネーに至る地域をこれと区別してガスコーニュと呼ぶ。ギュイエンヌ(Guyenne)
キクラデス文明 BC3000~BC2000にエーゲ海のキクラデス諸島(Cyclades)に栄えた文明。19世紀末にギリシア人考古学者クリストス・ツンタス(Christos Tsountas)によって発掘された。出土品はエーゲ海域全体に広く及んでおり、特に大理石を素材とした小偶像は著名で、扁平であるが幾何学的に単純化された形態の女性を表わす像が多い。(Cycladic civilization)
ギザ エジプト北部、ナイル川下流左岸の都市。カイロの対岸に位置し、ピラミッド三つとスフィンクスがある観光地。人口222万2千(1996)。ギゼー。(El Giza)
きた北アイルランド アイルランド北東部を占める地域。イギリス連合王国の一部で、旧教徒の優勢なアイルランド共和国への帰属を拒んだ新教徒が住民の過半数を占め、1968年頃から新旧両教徒間に抗争が続いたが、98年和平合意が結ばれた。中心都市ベルファスト。(Northern Ireland)
きた北アイルランド紛争 イギリス統治下にあるアイルランド島北東部アルスター地方の、カトリック系住民の自治独立要求ないしはアイルランドへの編入要求をめぐる紛争。1998年和平成立。(Northern Ireland Conflict)
きた北ドイツ連邦 1867年、プロイセンを中心に結成された連邦国家。普墺(ふおう)戦争の勝利後オーストリアと南ドイツ諸邦を除きマイン川以北22の領邦で構成。71年のドイツ帝国成立の基盤となった。(North German Confederation)
きた北大西洋条約機構(NATO) 1949年、共産主義勢力に対抗する目的でアメリカ・カナダおよび西ヨーロッパ諸国が結成した集団安全保障機構。本部はブリュッセル。1990年代に入りその性格を大きくかえた。(North Atlantic Treaty Organization)
キプチャク・ハン国 1243~1502年。モンゴル帝国の4ハン国の1。1243年、チンギス・ハンの孫バトゥ(Batu)がキルギス草原にロシアのキプチャク草原を加えて建国。都はヴォルガ河畔のサライ(Sarai)。領土は東はカザフ草原から西はクリミア地方。14世紀前半に最も繁栄したが、のちティムールの攻撃を受け滅亡した。ジョチ・ウルス。キプチャク汗国(Kipchak Khanate/Ulus of Jochi/Golden Horde)
キプロス 地中海の東部にあるキプロス島を領土とする共和国。もとトルコ領であったが、1925年イギリス直轄植民地になり、60年独立。住民は南部がギリシア系、北部がトルコ系で両者の対立が激しい。ブドウ・銅などを産する。首都ニコシア。面積9千平方キロメートル。人口80万( 2005)。正称、キプロス共和国。(Kypros)
キャンプ・デービッド合意 1978年、エジプト・イスラエル・アメリカの三か国首脳が署名した合意。第四次中東戦争後の中東和平案とエジプト・イスラエル平和条約案からなる。これに基づき、1982年にはシナイ半島のエジプト返還が実現した。 (Camp David Accords)
キューバ危機 1962年キューバをめぐりソ連とアメリカが激しく対立した事件。キューバのソ連ミサイル基地建設に対し、アメリカは海上封鎖を断行。核戦争まで懸念されたが、アメリカのキューバ不侵攻とソ連のミサイル撤去の約により妥協が成立。(Cuban Missile Crisis)
きゅう九か国条約 1922年(大正11年)のワシントン会議に出席した9か国、すなわちアメリカ合衆国・イギリス・オランダ・イタリア・フランス・ベルギー・ポルトガル・日本・中華民国間で締結された条約。なお、9か国条約と表記することもある。中国の関税自主権を拡大した。(Nine-Power Treaty)
キュチュク・カイナルジ条約 1774年締結された第七次露土戦争(1768~1774)の講和条約。ロシアはオスマン帝国よりアゾフ海を得て黒海自由航行権とを獲得した。ロシアの南下政策の第一歩となった。(Treaty of Kucuk Kaynarca)
ギリシア・トルコ戦争 第一次大戦の戦後処理をめぐり勃発した戦争 (1919~1922) 大戦末期に連合国側で参戦したギリシアは、敗戦国トルコに対し領土の割譲を要求。トルコ軍はソビエト・ロシアと同盟を締結し抗戦。サカリャ河畔会戦でギリシア軍を撃破。 ギリシアは全面的撤退を余儀なくされ、1923年7月講和を結んだ。(Greco-Turkish War 1919–1922)
ギリシア正教 ビザンツ帝国の教会を起源とし、1054年ローマ教会とのシスマ(大分裂)によって成立した東方諸教会の総称。コンスタンティノープル(現イスタンブール)総主教を名目的首長とする。東方教会。(Eastern Orthodox Church)
ギリシア独立戦争 15世紀以来オスマン帝国の支配下にあったギリシア独立戦争。1821年から1829年まで続いたが、ロシア・フランス・イギリスがギリシアを支援したため、オスマン帝国は1829年のアドリアノープル条約で独立を認めた。(Greek War of Independence)
キレナイカ リビアの北東部の地。中心都市ベンガジ。イスラム改革運動サヌーシー教団の本拠地。(Cyrenaica)
ぎわだん義和団事件 1899~1900年、列強の進出に抗した中国民衆の排外運動。山東に始まった義和団の運動が華北一帯に波及、北京の列国大公使館区域を包囲攻撃するに及び、日・英・米・露・独・仏・伊・墺連合軍の出兵を招き、鎮圧された。北清事変。(Boxer Rebellion)
くーろん九竜半島 香港特別行政区領内に位置する市街地の1地域名を指す。1860年に締結された北京条約において、当時の中国の政権であった清国からイギリスに割譲された地域で九龍半島のうち現在の界限街より南側を指す。(Kowloon Peninsula)
クシャーナ朝 30~375年。大月氏の諸侯の一つ、イラン系のクシャン族が現在のアフガニスタンを中心に建てた王朝。カニシカ王のころが最盛期で、トルキスタンから北および西インドまでを支配した。3世紀以降ササン朝ペルシアに服属し、6世紀に至りエフタルに滅ぼされた。クシャナ朝、クシャーン朝、クシャン朝(Kushan Empire)
クシュ王国 BC1000~BC350。ナイル川上流に繁栄した黒人王国。製鉄技術や隊商貿易によって繁栄したが、セム系アクスム王国によって滅ぼされた。(Kingdom of Kush)
グダニスク ポーランド北部、バルト海に臨む港湾都市。造船・化学工業が盛ん。もとドイツ領。第一次大戦後自由都市。1939年ドイツが侵入し、第二次大戦が始まった。ドイツ語名ダンツィヒ。(Gdansk)
クノッソス宮殿 BC2000頃、古代ミノア文明の中心地であるエーゲ海クレタ島北岸のクノッソスにあった宮殿。ミノス王の建造。最盛期にはクノッソス王ミノスがクレタ全島を統一し、東地中海の海上権を独占して、クレタは東西の諸地域と交易する海上王国となった。当時のクノッソスは、宮殿とそれを取巻く王族、貴族らの住む都心部、さらにそれを取巻く下層民の住む郊外から成る大都市であった。宮殿は、中庭のまわりに数百の小室を配した複雑な設計で、迷宮として名高い。1900年イギリスの考古学者エバンズ(Sir Arthur John Evans)が発掘。(Knossos)
グプタ朝 320~550年。北インドに興った古代インド王朝。320年チャンドラグプタ1世(Chandragupta I)が出て、パータリプトラ(Pataliputra)を都として発展。5世紀頃には宗教(ヒンドゥー教・仏教)・文学(カーリダーサ Kalidasaなど)・美術・哲学などが繁栄。特にガンダーラ様式をインド化した仏像彫刻の手法はその後全インドを風靡し、セイロン・ジャワにまで及んだ。(Gupta Empire)
グラックス兄弟の改革 ①(ティベリウス)護民官となり土地法を改正、制限以上の土地の個人占有を禁じたが、反対派のために殺された。(BC162~BC133)②(ガイアス)護民官。穀物法を公布。兄ティベリウスの土地法を励行。ローマ市民権をイタリア同盟諸都市に与えようとしてローマ市民の反対にあい、自殺。(BC153~BC121)(Gracchi reforms)
グラナダ王国 1232~1492年。ムハンマド1世がナスル朝グラナダ王国を建国。イベリア半島における最後のイスラム王朝として約250年間存続し繁栄した。カスティリャ王国とアラゴン王国の連合王国によって1492年1月2日にグラナダ王国は滅亡した。(Emirate of Granada)
クリミア・ハン国 1441~1783年。モンゴル帝国の後継国家のひとつで、キプチャク・ハン国の始祖バトゥ(Batu)の弟の子孫が自立して建てた国家。クリミア半島を中心に黒海北岸を領有したが、ロシア帝国に滅ぼされた。首都はバフチサライ(Bakhchysarai)クリム・ハン国。クリミア汗国(Crimean Khanate)
クリミア危機 2014年、クリミア半島の帰属を巡ってロシアとウクライナの間に生じた政治危機。この政治危機は、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権を崩壊させた2014年ウクライナ騒乱の後に生じたものでクリミア共和国とセヴァストポリ特別市の一方的な独立宣言(クリミア共和国の成立)、それらのロシアへの編入の宣言に至った。(2014 Crimean crisis)
クリミア戦争 1853年からクリミア半島で行われたオスマン帝国・イギリス・フランス・サルデーニャ連合軍と、トルコ領内のギリシア正教徒保護を名目に南下政策を進めるロシアとの戦争。1856年パリ条約が結ばれ、南下を阻まれたロシアは専制による社会矛盾が露呈。ナイチンゲールの活躍が有名。(Crimean War)
クリュニー修道院 フランス中東部の町クリュニー(Cluny)に、910年創設されたベネディクト会修道院。11世紀、世俗化に反対する教会改革運動の中心となる。ロマネスク様式の建築で知られる。(Cluny Abbey)
クルップ社 ドイツのエッセンにある重工業企業。1999年にティッセン社と合併し、ティッセンクルップが誕生。巨大な工業コングロマリットとなっている。(Krupp)
クルド人 クルディスタン地方(Kurdistan、トルコ東部、イラク北部、イラン西部、シリア北部とアルメニアの一部分)に居住する農耕遊牧民。イスラム教徒が多い。(Kurd)
グレートブリテン王国 1707年合同法によりイングランド王国(ウェールズを含む)とスコットランド王国が合同し成立した王国。グレートブリテン島全体を支配した、歴史上最初の国家である。イングランド・スコットランド両国のこの合同は、現代まで続く連合王国(イギリス)の基盤となった。(Kingdom of Great Britain)
グレゴリオ暦 グレゴリウス13世が1582年にユリウス暦を改正して制定した暦。ユリウス暦では400年間に100回の閏年を置くのに対し、これは97回の閏年を置き、太陽の位置と暦日とを調節した。現行の太陽暦はこれに基づく。グレゴリオ暦。(Gregorian calendar)
クレシーの戦い 1346年8月26日に百年戦争の一環としてフランス北部、港町カレーの南にあるクレシー・アン・ポンティユー近郊で行われた戦い。(Battle of Crecy)
クレタ島 地中海東部、エーゲ海南端にあるギリシア最大の島。ミノア文明の中心地で、ローマ帝国(BC63)、東ローマ帝国(395年)、ベネチア(1204年)に支配されたのち、1669年よりオスマン帝国に服属した。住民の大部分はギリシア人でギリシア正教徒のため、ギリシア復帰運動が19世紀ごろから行われ、1913年にようやくギリシアへの復帰が認められた。クノッソス宮殿など多くの遺跡がある。(Krete)
クレルモン公会議 フランス中部のクレルモン(Clermont)で1095年開催された宗教会議。ウルバヌス2世が招集し、十字軍結成を呼びかけた。(Council of Clermont)
クロアチア紛争 1991年6月、クロアチアがユーゴスラビアからの独立を宣言。これに対して、少数派のセルビア系住民が反対し、内戦に突入。これにセルビア人勢力の保護を掲げるユーゴスラビア連邦軍が介入して激しい戦闘が続いた。戦乱は4年間に及んだが、1995年11月、国連の調停で和平協定(エルドゥート和平合意 Erdut Agreement)を結んだ。(Croatian War of Independence)
くろ黒い九月 パレスチナ・ゲリラの一組織。 1970年9月のヨルダンによるゲリラ弾圧にちなんで命名され、フセイン国王への報復を唱えて結成された。 1970年12月カイロでのヨルダン首相暗殺事件、1972年9月ミュンヘン・オリンピック村襲撃事件、1973年3月スーダンの首都ハルツームでのサウジアラビア大使館占拠事件などを起した。(Black September)
くろ黒い九月事件 1970年12月カイロでのヨルダン首相暗殺事件。1970年9月、ヨルダン政府によるパレスチナゲリラ(PLO)の弾圧から始まった内戦。パレスチナ問題の深刻化、混迷化への端緒となった。ヨルダン内戦。(Black September)
ぐんじん軍人皇帝時代 ローマ五賢帝の時代が終わると、財政不振や異民族の侵入により、帝国自体の統率力が低下し、混乱の時代を迎えた。この時期(235~284年)各属州が軍事力を背景に皇帝を乱立した。これを軍人皇帝時代と称する。結果として皇帝の権威が失墜、また帝位が頻繁に入れ替わるためほとんど内乱と変わらない状態が長期間続き、これによりローマ帝国の国力は弱体化した。(Barracks emperor)
けい経済協力開発機構(OECD) 1961年 OEEC を改組し、アメリカ・カナダなども参加して発足した西側の経済協力機構。貿易・資本の自由化、発展途上国援助、経済政策の調整などを目的とする。日本は1964年加盟。(Organisation for Economic Co-operation and Development)
ケープタウン 南アフリカ共和国南西端、喜望峰に近い大西洋岸の港湾都市。同国の議会の所在地。造船・機械工業が発達。(Cape Town)
ゲティスバーグの戦い 1863年ペンシルベニア州ゲティスバーグで行われた南北戦争最大の激戦。北軍が勝ったが、両軍とも多数の死傷者を出した。リンカーンがこの戦いの戦没者墓地奉献式典で行った「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉で締めくくられる演説は有名。(Battle of Gettysburg)
ゲビデ王国 260年ゲルマン系ゴート族のゲビデ族が、現在のルーマニア、スロバキア、ハンガリー、セルビア地方に建国。567年ランゴバルドに征服された。ゲピド王国。(Gepids)
ケルト人 5世紀頃までアルプス以北のヨーロッパの大部分とバルカンまで広く居住した民族。やがてローマの支配下に入り、また、ゲルマンの圧迫により次第に衰退。現在はアイルランド・スコットランド・ウェールズ・ブルターニュなどに散在する。妖精伝説や多くの民話・神話で知られる。(Celt)
ゲルマニア 古代ヨーロッパの地名。ローマ人が民族大移動が始まる以前のゲルマン人の居住地をさしていったもの。中部ヨーロッパ、東はウィスラ川、西はライン川、南はドナウ川に囲まれた地域。現在のドイツ・ポーランド・チェコ・スロバキアにあたる。(Germania)
ゲルマン人 BC5~4世紀に北ヨーロッパに住んでいたインド・ヨーロッパ系の民族。フランク・アングロ・サクソンなど多くの部族から成る。後に民族大移動によってケルト人のヨーロッパを席捲し、また、西ローマ帝国の没落をもたらす一方、その影響を受けてキリスト教化した。(Germanic peoples)
ケロッグ・ブリアン条約 不戦条約。第一次世界大戦後に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、締約国相互での戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約。パリ不戦条約とも。(Kellogg–Briand Pact)
けんり権利章典 1689年12月、イギリス議会が「権利宣言」に基づき国制を規定した議会制定法。市民の自由を保障し、立法・課税承認などに関する議会の権利を確認することにより、イギリス立憲政治の基礎を確立。ジェームズ2世。(Bill of Rights)
けんり権利請願 1628年イギリス議会がチャールズ1世の圧政に抗して提出した文書。恣意的な課税、不法な逮捕・投獄などはイギリス国民の古来の権利を踏みにじるものであると主張。マグナカルタ・権利章典と共にイギリス憲法の3大法典。(Petition of Right)
げんろういん元老院 古代ローマの政治機関。共和政時代には実質上の支配機関、帝政期に入って次第に無力化。定員は最初300名、のちカエサルの時代から900名、アウグストゥス以来600名。議員の任期は終身。(Senate)
げん元朝 1271年~1368年。中東アジアから東ヨーロッパまで広大な領域にまたがったモンゴル帝国の後裔の一国であり、そのうち中国本土とモンゴル高原を中心領域として、1271年から1368年まで東アジアと北アジアを支配したモンゴル人が建てた征服王朝である。
こうきん黄巾の乱 後漢末の農民反乱。太平道という新興宗教で貧窮農民の心をとらえた張角は信徒を組織して、184年に蜂起。衆徒は目印として黄巾を着用。乱は鎮定されたが、これをきっかけに群雄割拠を招来、後漢は滅亡し、3国鼎立の時代となる。
こうきん紅巾の乱 元末、1351年から66年にかけて、弥勒・白蓮教徒が中心となって展開した宗教的農民反乱。紅色の頭巾を目印とした。首領は韓林児。1368年、紅巾軍の出身である朱元璋は元を退けて明国を樹立した。
こうしゅう膠州湾 中国、山東半島南岸の黄海に面した湾。1898年ドイツが租借し、東洋艦隊の根拠地とした。第一次大戦で日本が占領、1922年中国に返還された。湾口に青島(チンタオ)がある。
こうそう黄巣の乱 唐末、塩の密売商人王仙芝(おうせんし)の反乱に呼応して黄巣が指導した農民反乱。875年山東に蜂起し、四川を除くほぼ全土に広がる。黄巣が帝位につき国を大斉と号したが、内部分裂により884年藩鎮とトルコ系民族の支援で鎮圧された。これにより、唐朝の権威は失墜した。
こうもんのかい鴻門の会 BC206年、漢の高祖劉邦と楚王項羽とが鴻門(陝西省西安)に会し、項羽は軍師范増(はんぞう)の勧めによって劉邦を殺そうとしたが、劉邦は軍師張良(ちょうりょう)の計に従って樊?(はんかい)を伴って逃れ去った事件。
コーサラ国 BC700~BC500年。北インドに興った古代インド王朝。釈迦在世時代の王国の一つで、下流のマガダ国と並んで強勢を誇った。首都はシュラーバスティー(Shravasti)。BC500年、マガダ国に敗れ、その支配下にはいった。(Kosala)
ごかん後漢 25~220年。前漢の景帝の6世の孫、劉秀(りゅうしゅう)が王莽(おうもう)の新を滅ぼして漢室を再興、洛陽に都して光武帝と称してから、献帝に至るまで14代の漢王朝。220年、献帝が魏の曹丕(そうひ)に帝位を譲って滅びた。
ごけんてい五賢帝 1~2世紀に古代ローマを支配した5人の皇帝。ネルワ・トラヤヌス・ハドリアヌス・アントニヌス・ピウス・マルクス・アウレリウス・アントニヌスを指す。すぐれた皇帝が相次ぎローマの最盛期を現出したのでこの称がある。(Five Good Emperors)
ごこ五胡十六国 西晋末の304年から439年、北魏(南北朝)の華北の統一に至るまでの135年間に興亡した諸国の総称。五胡とは、匈奴、羯(けつ)、鮮卑、氐(てい)、羌(きょう) 。十六国は、主として五胡の建てた16カ国。316年、西晋は五胡の匈奴に華北を奪われ滅亡した。
コサック 14世紀以降ロシア中央部から南東部へ流亡し定住した農民集団。16世紀頃に自治的騎馬戦士集団を形成し、騎兵としてロシア政府に仕え、カフカス・中央アジア・シベリア・極東への植民、辺境防備に当たった。(Cossacks)
ごし五四運動 1919年5月4日の北京の学生デモを発端として中国全土に波及した反帝国主義運動。パリ講和会議で日本の対華21箇条要求が承認されたことに反対し、政府にベルサイユ条約の調印拒否を約束させた。中国の新民主主義革命の出発点。
コソボの戦い 1389年にコソボで勃発した、セルビア王国とオスマン帝国による会戦。戦いはオスマン帝国軍の大勝に終わり、バルカン半島におけるオスマン帝国支配の基礎が築かれた。(Battle of Kosovo)
コソボ紛争 1998年、コソボ自治州で独立をめぐり武力紛争が激化すると、ミロシェビッチ連邦政府は、同自治州のアルバニア人に対する弾圧を強化。そのため、北大西洋条約機構 NATOは、連邦政府がアルバニア人を迫害していると批判し、1999年、人道的介入を理由に空爆を実施した。その後コソボは2008年独立を宣言。(Kosovo War)
ごだい五代 907年~960年。唐と宋の間に、華北に興亡した「後梁」・「後唐」・「後晋」・「後漢」・「後周」の5王朝。
こっかい黒海 小アジアとヨーロッパ大陸の間にある内海。ボスポラス・ダーダネルス両海峡を経て地中海に通じる公海。ロシア連邦・ウクライナ・ルーマニア・ブルガリア・トルコなど沿岸国の水上交通路として重要。亜硫酸化合物の沈殿のため海底が黒く見えるので、この名があるという。 (Black Sea)
こっきょう国共合作 中国国民党と中国共産党との政治提携。第一次(1924~1927)は共産党員が個人の資格で国民党に入党するという形で実現され、第二次(1937~1945)は抗日民族統一戦線結成のため、共産党が国民党に戦線加入を呼びかけ成立した。
ごみんかん護民官 共和政ローマ時代に、貴族と平民との間に立ち、平民の身体・財産を保護した官職。平民会から選出され、元老院の議決に対する拒否権を持っていた。BC494年設置。(Tribunus Plebis)
コミンフォルム 共産党・労働者党情報局。1947年、アメリカの封じ込め政策に対抗して、ヨーロッパ9か国の共産党が情報交換と活動調整を図るために組織した機関。1956年、スターリン批判後解散。(Cominform)
コメコン(COMECON) 経済相互援助会議。1949年旧ソ連の提唱によって OEEC に対抗して創設された社会主義諸国間の経済協力機構に対する西側諸国での通称。ソ連の崩壊により1991年に解散。(Council for Mutual Economic Assistance)
ゴラン高原 シリア南西端部の高原。海抜1000メートル 前後。戦略上の要地で、1967年以降イスラエルが占領。 (Golan)
コリントス ギリシア南部の都市。ペロポネソス半島と本土とを結ぶ地峡にある。交通・商業の要地で、古代にアテネ・スパルタと並んで栄えた都市国家。オリーブ油、ブドウ酒、陶器などを産する。またコリントス同盟、ペイレーネの泉(Peirene Fountain)などで知られる。(Korinthos)
コリントス同盟 マケドニア王フィリッポス2世がカイロネイアの戦い(BC338)でアテネ・テバイ連合軍に勝利した翌年のBC337年、ペルシア討伐を主目的にコリントス(Korinthos)で結成した同盟。マケドニアの覇権を認めないスパルタを除くギリシアの全ポリスが加盟した。フィリッポス2世は盟主として最高軍事指揮権を掌握した。 (League of Korinthos)
コルシカ島 地中海の西部にある島。フランス領。ナポレオン1世の出生地。ブドウ・オリーブを産する。中心都市アジャクシオ。フランス語名、コルス。面積8720㎢(Corsica)
コルドバ スペイン南部の古都。756年、後ウマイヤ朝の首都となり、以後300年間、中世学芸の中心として繁栄。イスラム文化の遺跡が多く、レコンキスタ以後キリスト教の大聖堂となったマグレブ様式の大モスクがある。(Cordoba, Spain)
コロセウム ローマの円形闘技場。BC80年起工。長径188メートル、高さ48.56メートル、4階造りで、約5万人の観衆を収容できた。名は、ネロの巨像(コロッサス Colossus)が近くにあったことから。コロッセウム。コロッセオ。(Colosseum)
コンゴ動乱 1960年のコンゴ民主共和国の独立後生じた内乱。列強の介入を招き、国連平和維持軍が派遣された。61年、コンゴの統一が回復、64年に国連平和維持軍が撤収。(Congo Crisis)
コンスタンティノープル 東ローマ帝国の首都であった都市で、現在のトルコの都市イスタンブールの前身である。(Constantinople)
コンスル執政官 共和政ローマの政治・軍事の大権を握った最高官職。執政官。統領。(Consul)
コンピエーニュ パリの北東70キロメートルにあり、離宮・古城と、それをとりまく広大な森で知られる観光地。百年戦争の時、ここでジャンヌ・ダルクが捕らえられた。また、第一次大戦の休戦条約締結、第二次大戦のフランスの対独降伏文書の調印の地としても名高い。(Compiegne)
ご後ウマイヤ朝 スペインのスンニ派イスラム王朝(756~1031)。シリアのウマイヤ朝の滅亡後、その1族のアブドゥル・ラフマーン1世がスペインに逃れて建国し、アラブの灌漑技術を導入して生産力を高め、東のアッバース朝に対立した。都のコルドバは西方イスラム文化の中心。西カリフ国。新ウマイヤ朝。(Caliphate of Cordoba)
こ国連平和維持軍(PKF) 国連憲章でうたわれた集団安全保障を実現し、紛争において平和的解決の基盤を築くことにより、紛争当事者に間接的に平和的解決を促す国際連合の活動。日本ではPKOと略されることが多い。(United Nations Peacekeeping Force)
サータヴァーハナ朝 BC228~224年。デカン高原に興った古代インド王朝。デカン高原を中心とした中央インドの広い範囲を統治した。最盛期のローマ帝国と盛んに海上交易を行い、商業が発達していた。アンドラ朝。(Satavahana)
サーマーン朝 875~999年。875年にナスル1世がアッバース朝から独立して創始したイランの王朝。中央アジアとイラン東部を支配したが、カラハン朝の侵入によって999年に滅亡。(Samanid Empire)
サイイド朝 1414~1451年。北インドに興ったイスラム系インド王朝。首都はデリー(Delhi)。(Sayyid)
サイクス・ピコ協定 第一次世界大戦中の1916年5月16日に英仏露の間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定。英の中東専門家マーク・サイクス (Mark Sykes) とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ・ピコ(Francois Georges・Picot)によって原案が作成され、この名がついた。(Sykes・Picot Agreement)
さいなん済南事件 1928年(昭和3)、山東省済南で、日本軍と北伐途上の国民革命軍が武力衝突した事件。
サウード家 サウジアラビアの王家。サウード家の血縁の者が王族集団を構成してサウジアラビア(サウード家のアラビア)を支配している。 (House of Saud)
サヴォイア アルプスのフランス側斜面の1地域。古く、フランス南東部からイタリア北西部を領有したサヴォイア家の支配下。1860年、サルデーニャ王(のちイタリア王)は中部イタリア合併承認の代償に、この地をフランスに割譲。フランス語名サヴォワ。(Savoia)
ザクセン ドイツ東部の州。エルベ川の中流・下流地方。州都ドレスデン。ザクセン王国は17世紀末に栄華を極めたが、1866年プロイセン軍に惨敗し、北ドイツ連邦に参加。1918年ザクセンの王制は終焉する。(Saxony)
サクソン王国 356年ゲルマン系サクソン人が、北ドイツ低地(現在のニーダーザクセン地方)に建国。サクソン人の一部は5世紀にゲルマン系アングロ人とともにブリテン島に渡ってアングロ・サクソン人となった。北ドイツのサクソン王国は、772年フランク王国のカール大帝に征服され滅亡した。(Saxons)
ササン朝ペルシア 226年~651年。イラン(ペルシャ)の王朝。パルティア王国を倒してアルデシール1世が建国。西アジアの広大な地域を領有し、ゾロアスター教を国教として神権に基づく専政政治が行われ、独特の文化が栄えた。ホスロー1世の時に最盛期を迎えたが、のち次第に衰え、新興のイスラム帝国に敗れ滅亡した。(Sasanian Empire)
サッファール朝 867~1003年。ヤアクーブ・イブン・サッファール (在位867~879) がイラン南東部に創設したイラン王朝。873年ターヒル朝を滅ぼし、イラン全域に強盛を誇った。876年バグダッド遠征に失敗。弟アムルが跡を継いだが、900年バルフ付近においてサーマーン朝に敗れ、その領地はサーマーン朝の支配下に落ちた。(Saffarid dynasty)
サファヴィー朝 1502~1736年。イランのイスラム王朝。アフガニスタンからペルシア湾に及ぶ領域を支配し、シーア派(12イマーム派)を国教としたが、アフガン族に滅ぼされた。サファビー朝(Safavid dynasty)
ザマの戦い 第二次ポエニ戦争中のBC202年カルタゴ南西のザマ(Zama)で、大スキピオの率いるローマ軍が、ハンニバルの率いるカルタゴ軍を破って、戦争の趨勢(すうせい)を決めた戦い。(Battle of Zama)
サマルカンド ウズベキスタン共和国南東部の都市。綿・毛織物などの工業が盛ん。古来シルク・ロードの東西交易基地で、14、5世紀にはティムール帝国の首都として繁栄した。隋・唐時代の康国(こうこく)の地。(Samarkand)
サラエボ事件 1914年6月末、オーストリア・ハンガリー帝国皇太子およびその妃が、セルビア青年に暗殺され、第一次大戦の導火線となった。(Assassination of Archduke Franz Ferdinand)
サラミスの海戦 ペルシア戦争最中のBC480年9月、ギリシアのサラミス島近海で、ギリシア艦隊とペルシア艦隊の間で行われた海戦。ヘロドトスの「歴史」(第8巻)に詳しい。(Battle of Salamis)
サルデーニャ 地中海の西部、コルシカ島の南にある、シチリア島に次ぐ地中海第2の大島。イタリア領。属島を合して面積2万4000平方キロメートル。人口164万8千(2004)。葡萄酒・コルク・鉱産物などを産。中心都市はカリアリ。英語名サルディニア。(Sardinia)
サルデーニャ王国 北イタリアのピエモンテ地方を支配したサボイア家が、1720年サルデーニャ島を合わせて樹立した王国。首都トリノ。オーストリアの支配に対するイタリア統一戦争の先頭に立ち統一に成功、1861年イタリア王国の成立によりイタリア領となった。(Kingdom of Sardinia)
サン・ジェルマン条約 第一次大戦後の1919年9月、サンジェルマンで調印された連合国とオーストリアとの講和条約。旧オーストリア・ハンガリー帝国内の諸民族の独立などを決定。(Treaty of Saint-Germain-en-Laye 1919)
さんがつ三月革命 ① 1848年3月、フランスの二月革命の影響でベルリン・ウィーンなどに同時的に突発した武装蜂起。 ② 1917年3月労働者・兵士が蜂起し、ロマノフ朝の専制政治を打倒したロシアの革命。別称、二月革命。(Revolutions of 1848)
さんごく三国協商 第一次大戦前から大戦中の、英・仏・露3国の協力体制。1891年(明治24)の露仏同盟、1904年の英仏協商、07年の英露協商によって相互に提携し、ドイツに対抗した。17年のロシア革命で解消。(Triple Entente)
さんごく三国時代 220年~280年。後漢滅亡後、魏・呉・蜀の3国が鼎立した時代。220年魏の建国に始まり、280年晋の統一まで。
さんごく三国同盟 ① 1882年(明治15)、独・墺・伊が締結した秘密軍事同盟。3国協商と対立して第一次大戦に発展。1915年、イタリアの離脱で廃棄。② 1940年(昭和15)、日・独・伊が締結した軍事同盟。アメリカを刺激し、太平洋戦争突入の要因となった。43年のイタリア降伏、45年のドイツ降伏で崩壊。(Triple Alliance)
さんじゅうねん三十年戦争 1618~48年。ボヘミアを舞台。ハプスブルグ・ブルボン両家の国際的敵対とドイツ新旧両教徒諸侯間の反目が背景。新教国デンマーク・スウェーデン、のち旧教国フランスも参戦、ウェストファリア条約で終了。スイス・オランダの独立、皇帝権の失墜、近代化の遅れなどをもたらす。(Thirty Years' War)
サンスーシ宮殿 ポツダムにあるプロイセン国王のフリードリヒ2世が1745~47年に建てたロココ様式の宮殿。当初は夏の離宮として建てられたものの結果的にはここが居城となった。フリードリヒ2世の好みを反映した平屋建てのこじんまりとした建物だが、音楽室だけは不釣合いなほど豪華に造られている。(Sanssouci Palace)
サンステファノ条約 1878年、露土戦争後、ロシアとトルコとの間で結ばれた講和条約。ブルガリアの独立、バルカン諸民族の解放などロシアの優位を規定したが、イギリス・オーストリアが反対し、ベルリン会議で大幅に修正された。(San Stefano)
さんとう三頭政治 3人の有力者が鼎立して行う政治。寡頭政治の1形態。特に、BC60年、ローマ共和政時代、ポンペイウス・カエサル・クラッスス、また、カエサル没後、BC43年、オクタヴィアヌス・アントニウス・レピドゥスの3人が専行した政治。(Triumvirate)
ザンド朝 1750~1794年。イラン系ザンド族のカリーム・ハーンが建国したイスラム王朝。首都はイラン南東部シーラーズ(Shiraz)死後、王位継承の争いで弱体化し、1794年ガージャール朝に滅ぼされた。ゼンド朝。(Zand dynasty)
サンバルテルミーの虐殺 フランスで、1572年8月23日夜から24日にかけて聖バルテルミー(St. Barthelemy)祭の日にカトリーヌ・ド・メディシスらが行なった新教徒虐殺事件。パリで数千人、全国で約1万人の死者を出し、ユグノー戦争の激化を招いた。セントバーソロミューの虐殺。聖バルテルミーの虐殺。(St. Bartholomew's Day massacre)
さんぱん三藩の乱 清初の1673年、漢人の雲南の呉3桂、広東の尚之信、福建の耿精忠(こうせいちゅう)の3藩王が起こした反乱。1681年康熙帝が鎮定し、清朝の中国支配を確立。
サンフランシスコ会議 1945年4月25日から6月26日にかけて、アメリカ合衆国サンフランシスコで開かれた連合国会議。正式には国際機構に関する連合国会議。(United Nations Conference on International Organization)
サンフランシスコ講和条約 第二次世界大戦の終結と国交回復について日本と連合国との間に結ばれた条約。1951年9月サンフランシスコで調印、翌年4月28日発効、占領が終結。米ソ対立を背景に日米安全保障条約が同時に調印された。(Treaty of Peace with Japan)
さんぶ三部会 フランスの中世末から絶対王権確立期までの身分制議会。聖職者・貴族・平民の3身分の代表者から構成され、全国三部会と地方三部会に分けられる。全国三部会は1615年以降は招集されず、1789年5月に再開され、フランス革命の導火線となった。(Estates General, France)
さん三 B 政策 第一次大戦前、ベルリン(Berlin)・イスタンブール(旧名ビザンチウム Byzantium)・バグダッド(Bagdad)を鉄道で結び、バルカンおよび近東の支配確立をめざしたドイツの帝国主義的進出政策。イギリスの3 C 政策と対立。 1888年オスマン・トルコ政府から利権を得て鉄道の建設に着手した。(3B policy)
さん三 C 政策 第一次大戦前、ケープタウン(Capetown)、カイロ(Cairo)、カルカッタ(Calcutta)の3拠点を結んだ3角地帯の支配確立をめざしたイギリスの帝国主義政策。ドイツの3 B 政策と対立。1890年ケープ植民地首相となったセシル.ローズが推進した。(Cape to Cairo Project)
シーア派 イスラムの一派。ムハンマドの従弟で4代カリフのアリーおよびその家系をイスラム共同体の正しい指導者(イマーム)とする諸分派の総称。その中ではイラン・イラクなどに広がる十2イマーム派が最大。(Shia Islam)
シエナ イタリア中部、トスカーナ地方の都市。ゴシック期・ルネサンス期の建築・美術品に富む。(Siena)
ジェノバ イタリア北西部、地中海に臨む港湾都市。造船・鉄鋼・精油などの工業も発達。中世には東方貿易で繁栄。 (Genova)
シオニズム パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとする運動。19世紀末ヘルツルらの主導下に興起し、1948年イスラエル国家を実現。(Zionism)
しこく四国同盟 1815年、オーストリア・ロシア・プロイセン・イギリスの4か国が結んだ同盟。ヨーロッパの平和維持の名のもと、自由主義・民族主義運動を抑圧し、ウィーン体制を擁護。のちフランスが加わり5国同盟となったが、イギリスは離脱した。(Quadruple Alliance)
じしゅ自主管理労組「連帯」 ポーランドにおいて労働組合から公然たる反共運動へと発展した組織。1980年、社会主義国として初の労働者による自主的かつ全国規模の労働組合として結成。(Solidarity, Polish trade union)
しちがつ七月革命 1830年7月、パリ市民が起こしたブルボン復古王朝打倒の革命。シャルル10世の反動政治が終わり、大ブルジョア中心のルイ・フィリップによる立憲君主制(7月王政)が成立。(July Revolution)
しちねん七年戦争  1756~1763年、プロイセンのフリードリヒ大王とオーストリアのマリア・テレジアとの間で、シュレジエンの領有をめぐって始まった戦争。フランス、ロシアがオーストリア側、イギリスがプロイセン側についた。オーストリアはマリア・テレジアの息子ヨーゼフ (のちの2世) を父帝フランツ1世の死後、神聖ローマ皇帝として認めるという約束だけを得、プロイセンのシュレジエン領有を確認して戦争は終った。この戦争の結果、プロイセンはヨーロッパ列強と認められた。また海外植民地(インド・カナダ)で、イギリスがフランスを破り、英国経済の世界的優位が確立した。 ロシアは、ヨーロッパ進出の足がかりとして参戦したが、中途でプロイセンと和議を結び、戦線を離脱したため、領土的には得るものがなかった。(Seven Years' War)
シチリアの晩鐘 1282年の復活祭月曜日に、晩鐘を合図に、シチリア島民がフランスのアンジュー王家の兵士を虐殺した事件。アンジュー家がシチリアの支配権を失う契機となった。シチリアの晩祷ばんとう。(Sicilian Vespers)
シチリア王国 1130~1816年。1130年ノルマン人によって南イタリアとシチリア島に建国された王国。1194年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世(Henry VI)が南イタリアとシチリア島をノルマン人より奪回、その後フランス、アラゴン王国、スペイン、オーストリアへと受け継がれ、1816年スペイン・ブルボン家による両シチリア王国の成立をもって消滅した。(Kingdom of Sicily)
しっせい執政官 共和政ローマの政治・軍事の大権を握った最高官職。執政官。統領。(Consul)
シナイ半島 西アジア、紅海につき出た半島。エジプト領。スエズ地峡をへてアフリカ大陸と接する。ほとんどが砂漠。西岸で石油を産する。 (Sinai)
シノン フランス中西部、アンドレ・エ・ロアール県、ロアール川の支流ビエンヌ川沿いの町。ロアールワインの代表的な産地として有名。ジャンヌ・ダルクがシャルル7世に謁見したというシノン城がある。(Chinon)
シビル・ハン国 1468~1598年。西シベリアのイルティシ川中流域のシビル市を中心として建てられたウズベク人の国。1598年モスクワ大公国に併合された。(Sibir Khanate)
ジブラルタル イベリア半島南端にあるイギリスの直轄植民地。軍港。(Gibraltar)
シベリア鉄道 ウラル山脈南東麓のチェリャビンスクとウラジオストクとを結ぶ鉄道。7416キロメートル。1904年に清国領を通る線路、16年にアムール川以北のロシア領のみを通る新線が完成。帝政ロシアの極東政策推進に重要な役割を果たした。現在は、ウラジオストクとモスクワ間9297キロメートルを直通運転する。(Trans-Siberian Railway)
しも下関条約 日清戦争の講和条約。1895年(明治28)4月、伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章が調印。清国は朝鮮の独立確認、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金2億両テールの支払い、沙市・重慶・蘇州・杭州の開市・開港などを認めた。しかし、調印直後ロシアを中心とする3国干渉のため、日本は遼東半島を返還。
シャイバーン朝 1428~1599年。ウズベク族が中央アジアに樹立した王朝。 ブハラを占領した第10代のアブドゥッラー2世 (在位1583~1598) の時代が全盛期で、その領土はシルダリアの北やホラーサーンにまで広がった。この王朝は 1599年まで西トルキスタンを支配した。首都はサマルカンド。シャイバーン朝の滅亡後、ブハラ・ハン国が興った。(Shaybanids)
ジャクリーの乱 1358年、北フランスに発生した農民反乱。5月18日、サンリス北西のオアーズ川沿いのサン・ルー・デスランの農民が、パリに食糧を護送中の騎士の一行を襲った。ジャクリーJacquerieということばはジャックJacques(農民をさす)の集団という意味で使われた。(Jacquerie)
シャクリウス王国 461年ローマの軍人アエギディウス(Aegidius)が、西ローマ帝国から独立してガリア北部に建国。486年フランク王国クローヴィスに征服され滅亡した。(Syagrius 461~486)
ジャコバン派 フランス革命時代にパリのジャコバン修道院を本部とした政治結社。ダントン・マラー・ロベスピエールを中心に、1793年独裁体制をしいて急進的改革を行い、恐怖政治を展開。94年、テルミドール反動で打倒された。(Jacobin)
ジャスミン革命 2010年から2011年にかけてチュニジアで起こった革命(民主化運動)。(Jasmine Revolution) →アラブの春
しゃんはい上海事変 ① (第一次)満州事変後の1932年(昭和7)1月、世界の耳目を満州国からそらせ、あわせて上海における排日運動の高まりをおさえるために、日本軍によって計画実行された日中間の衝突。1・28事件。
しゃんはい上海事変 ② (第二次)1937年8月(日中戦争開始の翌月)、日本軍が上海を攻撃し、全市を占領した事件。戦争拡大の契機となった。
じゅう11月蜂起 1830~1831年、ポーランドおよびリトアニアで発生したロシア帝国の支配に対する武装反乱。1830年11月29日、ワルシャワでロシア帝国軍の陸軍士官学校に所属する若い下士官たちが、蜂起したことが発端。ロシア軍に鎮圧された。ワルシャワ蜂起。(November Uprising)
しゅうきょう宗教改革 ローマ教会の弊害に対して改革を企て、プロテスタント教会を立てた宗教運動。1517年ルターが95カ条の論題を提出して法王の免罪符販売を攻撃。聖書を正しい信仰の唯一の基礎とする立場から法王権を否認したことが導火線となった。(Protestant Reformation)
じゅうじぐん十字軍 ヨーロッパのキリスト教徒が結成した遠征軍。聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還することを目的。封建社会の隆盛による対外発展の機運が背景。1096年を第1回とし、遠征は数回にわたった。法王権の失墜と騎士の没落、イタリア諸都市の興隆や市民階級の成長、東方文化の移入などがもたらされた。(Crusade)
じゅうに十二表法 貴族による法の独占を防ぐため、旧来の慣習法を成文化したもの。のちのローマ法の基礎をなす。12枚の板に記されて公示されたことからこの名がつけられた。BC451年制定。(Lex Duodecim Tabularum)
シューマン・プラン 1950年、フランス外相シューマンが提唱した、西ヨーロッパにおける石炭・鉄鋼の共同管理構想。(Schuman Plan)
しゅう周朝 BC1046年~BC256年。中国古代の王朝。都は鎬京(こうけい 陝西省)。武王が殷の紂(ちゅう)王を倒して建国。BC770年、第13代平王(へいおう)の洛邑(河南省洛陽市)遷都を境に、それ以前を西周、以後を東周(春秋戦国時代)に区分される。BC256年、第37代赧王(たんおう)のとき秦(戦国)の昭王に滅ぼされた。
じゅう十月革命 1917年11月7日、レーニンらの指導するボリシェヴィキがペトログラードに武装蜂起し、全国に波及、ケレンスキー臨時政府が倒れてソビエト政権を樹立した革命。(October Revolution)
シュテッティン ポーランド北西端、オドラ川河口の港湾都市。シュテッティン湖を経てバルト海に通じ、ベルリンと運河で結ばれる。造船、機械、化学、食品加工などの工業が行われる。中世にはハンザ同盟都市として栄えた。41万100人(2011)。シュチェチン(Stettin)
ジュネーヴ スイス南西端、レマン湖畔の都市。赤十字国際委員会を始め、多くの国際機関がある。また、国際連盟本部があった(現在、国連欧州本部)。時計などの精密工業で著名。人口17万5千(2001)。寿府。英語名ジェニーヴァ。ゼネヴァ。ドイツ語名ゲンフ。(Geneva)
ジュネーブ休戦協定 1954年のジュネーブ会議で調印された、ベトナム・ラオス・カンボジア3地域における休戦協定。インドシナ休戦協定。(1954 Geneva Conference)
シュマルカルデン同盟 宗教改革期にルター派の諸侯・帝国都市が結成した防衛同盟。神聖ローマ帝国皇帝のプロテスタント圧迫に対抗して1532年中部ドイツのシュマルカルデンで締結。(Schmalkaldic League)
シュメール BC7000~BC1950年。BC7000年頃メソポタミア南部に侵入した民族。また、その支配した地方のこと。シュメール人は、BC3500年頃多くの都市国家を建設し、楔形くさびがた文字を初めて使用するなど高度な文明を築いた。(Sumer)
シュレージエン戦争 18世紀中ごろにヨーロッパで行われた戦争であるオーストリア継承戦争と7年戦争のうち、オーストリアとプロイセンがシュレージエン地方の帰属を巡って戦った局地的戦役の総称である。文脈によっては2つの戦争の別称として使われていることもある。英語読みでシレジア戦争という。(Silesian Wars)
シュレースヴィヒ公国 デンマーク王国下の公国として自治を行っていたが、ドイツ系住民がデンマークからの分離独立を要求するようになり、プロイセン・オーストリアが介入。1864年、デンマーク戦争が勃発。1865年のガスタイン協定によって、シュレスヴィヒはプロイセン支配下となった。1058~1866年。(Duchy of Schleswig)
シュレジエン ポーランド南西部、オーデル川の上流地方。中心都市ブロツワフ。重化学工業が発達。鉄・石炭の資源を有するため、中世以来、東欧諸国がその帰属をめぐって争った。シュレジエンはドイツ語名。ポーランド語名シロンスク。英語名シレジア。 (Schlesien)
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州 ドイツに16ある連邦州のひとつで、最北端に位置する。州都はキール。(Schleswig・Holstein)
シュレスヴィヒ公国 11世紀から19世紀後半までユトランド半島南部に存在した、デンマークに属する公国。北海とバルト海の間の物資輸送経路として重要性を有していた。 (Duchy of Schleswig 1058年 ・ 1864年)
ジュンガル・ハン国 1637~1755年。天山・アルタイ両山脈間のジュンガル盆地(Junggar Basin)に分布したモンゴル系遊牧民族。ガルダン・ハン(Galdan Boshugtu Khan 在位1671~1697年)の時代に最盛期となり、天山南北路からアルタイ山脈に至る広大な領域を支配したが、1758年清朝の攻撃によって滅亡した。その支配領域は清朝の藩部の一つ、新疆となった。ジュンガル。ジュンガル・ホンタイジ国(Dzungar Khanate)
シュンガ朝 BC180~BC68年。北インドに興った古代インド王朝。ガンジス川中流域から中央インドに至る地域を支配したが、BC68年、カーンヴァ朝(Kanva)によって滅ぼされた。(Shunga)
しゅん春秋時代 BC770~BC403年。BC770年、周の東遷からBC403年、晋から韓・魏・趙の三国独立に至る約360年間。周室は次第に衰えてその権威を失い、諸侯は互いに併呑を事として戦争が絶えず、弱肉強食の状を呈した。洛邑が都になった紀元前770年以後を東周と呼ぶ事から、東周時代とも別称される
しょう小アジア 黒海・地中海・エーゲ海に囲まれ、アジア西部に突出し、バルカン半島と相対する半島の地域。アナトリア(Anatolia)とも呼ばれる。現在トルコ共和国領。古代以来、ヒッタイト(BC1680)、リディア(BC685)、アケメネス朝ペルシア(BC546)、セレウコス朝シリア(BC312)、共和政ローマ(BC64)東ローマ帝国(395年)などの支配下にはいり、のちオスマン帝国領(1453年)となった。(Asia Minor)
しょ諸国民の春 ヨーロッパで、1848年の革命時の2月から3月頃に、民族主義的な運動が高揚したことをいう。諸民族の春。 (The Spring of Nations)
シラクサ イタリア南端、シチリア島南東岸の都市。BC734年、コリントスの植民市として建設され、BC5世紀ごろ繁栄したが、BC212年、共和政ローマに滅ぼされた。アポロ神殿などギリシア・ローマ時代の遺跡が多い。(Siracusa)
シリア内戦 2011年3月、アサド政権が民主化要求運動を武力弾圧したことから始まった内戦。アサド政権を支持するロシア、イラン、そして反体制派を支持する米国、欧州、トルコ、サウジ等湾岸諸国のほか、過激派組織「イスラム国」、シーア派系武装組織「ヒズボラ」などさまざまな勢力が入り乱れて複雑化、泥沼化した。(Syrian Civil War)
ジロンド派 フランス革命時代の商工業ブルジョアの党派。ジロンド(Gironde)県出身議員にちなむ命名。穏健な共和主義を唱え革命初期は有力だったが、ジャコバン派と対立し、1793年国民公会から追放された。(Girondins)
しんがい辛亥革命 1911年辛亥の年、清朝を倒し中華民国を樹立したブルジョア民主主義革命。10月の武昌蜂起に始まり、翌年1月、孫文を臨時大総統とする南京臨時政府が成立したが、革命勢力が弱体であったため、北洋軍閥の袁世凱(えんせいがい)と妥協、袁が大総統に就任した。民国革命。
しんせい神聖ローマ帝国 中世から19世紀初頭までのドイツ国家の呼称。962年のオットー1世の戴冠により成立。皇帝は血統権に基づく選挙制により選出、ローマ法王の加冠を受け、ローマ帝国の伝統とキリスト教会の権威を結びつけたが次第に形骸化。ナポレオン勢力下の1806年フランツ2世が帝冠を辞退し、帝国は崩壊。(Holy Roman Empire)
しんせい神聖同盟 ウィーン会議直後の1815年9月、ロシア皇帝アレクサンドル1世の提唱により結成された列国君主の同盟。キリスト教の友愛と正義の精神で平和の維持をはかることを誓約。(Holy Alliance)
しん新 8~23年。中国の王朝の一つ。前漢末、外戚の王莽(おうもう)が前漢を簒奪して建国。23年、漢復興をめざす反乱(赤眉の乱)によって滅ぼされた。
しん新バビロニア BC625~BC538年、アッシリアの滅亡後、セム系のカルデア人ナボポラッサル(Nabopolassar)がバビロニア地方に建てた王国。都はバビロン。ネブカドネザル2世(在位BC605~BC562)のもとで繁栄したが、BC538年、アケメネス朝ペルシアに滅ぼされた。カルデア王国。(Neo-Babylonian Empire)
しん晋朝 265年~420年。司馬炎(在位265~290年)が魏最後の元帝から禅譲を受けて建国。280年に呉を滅ぼして三国時代を終焉させ、316年、五胡の漢に華北を奪われ一旦滅亡するが、317年、司馬睿(しばえい 在位317~322年)が、建康(江蘇省南京)に東晋を建国。南遷した317年以前を西晋、以後を東晋と呼び分ける。
しん秦朝 BC221年~BC206年。秦が戦国7雄の他の6国を征服することで成立した。始皇帝(秦の初代皇帝)は、度量衡・貨幣の統一、焚書坑儒による思想統一、万里の長城の修築、阿房宮の造営など事績が多い。かし、急激な拡大と強圧政治に対する反動のため、死後数年で帝国は崩壊。
しん清朝 1616年~1912年。中国最後の王朝。1616年、女真族のヌルハチ(太祖)が明を滅ぼし、国号を後金として建国。1636年、2代太宗が国号を清と改称。都を瀋陽から北京に移した。康熙・乾隆両帝のとき全盛。19世紀に入って欧米列強の侵略や、太平天国などの農民反乱により衰退。1912年、辛亥革命によって滅亡した。
スイス 中部ヨーロッパにある連邦共和国。1648年神聖ローマ帝国から独立。永世中立国で、国際赤十字社・国際労働機関など多くの国際機関の本部がある。精密機械工業・牧畜・観光産業が発達。面積4万1000平方キロメートル。人口739万(2004)。首都ベルン。(Suisse)
ずい隋朝 581年~618年。北周の宰相、楊堅(在位581~604年)が建国。都は大興(長安)。南北朝を統一し中央集権国家を樹立したが、619年、唐の李淵に滅ぼされた。当時の日本である倭国からは遣隋使が送られた。
スエズ運河 エジプトの北東部、スエズ地峡に建設された、地中海と紅海とを連絡する水平式運河。アジアとヨーロッパとを結ぶ最短航路。フランス人レセップスが設計し、1869年開通。長くイギリスの支配下にあったが、1956年エジプトが国有化。長さ163キロメートル。国際運河。(Suez Canal)
スエズ戦争 スエズ運河の国有化をきっかけとして、1956年10月にイスラエル・英・仏とエジプトの間で勃発した戦争。第二次中東戦争。スエズ動乱。(Suez Crisis)
スエビ族 ゲルマン民族移動の時期、イベリア半島のガリシア(Galicia)地方に411年に定住し、ガリシア王国(409~ 585年)を築いた。419年アラン族とヴァンダル族を追放し、領土を拡大したが、585年、西ゴートに征服され滅亡した。スエヴィ族(Suebi)
スコットランド人 スコットランド国民、またはスコットランドを父祖の土地とする民族のこと。単にスコッツ(Scots)ともいう。歴史的に彼らはピクト人とゲール人の融合から生まれ、南を接していたブリトン人を組み込むだけでなく、アングロ・サクソン人やノース人のような侵入してきたゲルマン系の諸族を取り込んでいった。(Scottish)
スターリングラードの戦い 1942年6月~1943年2月、第二次世界大戦の独ソ戦において、ソビエト連邦領内のヴォルガ川西岸に広がる工業都市スターリングラード(現ヴォルゴグラード)を巡り繰り広げられた、ドイツ、ルーマニア、イタリア、ハンガリー、およびクロアチアからなる枢軸軍とソビエト赤軍の戦い。(Battle of Stalingrad)
ズデーテン進駐 第二次世界大戦直前の1938年、ナチス・ドイツによるチェコスロバキアのズデーテン地方の併合。大戦後再びチェコ領。その際、多数の居住ドイツ人が追放された。(Sudeten Crisis)
ステュアート朝 1371年から1714年まで続いたスコットランド起源の王朝。1603年以後はイングランド国王を兼ねて同君連合体制となり、1707年にグレートブリテン王国(イギリス)を成立させた。「ステュアート」は、スコットランド語の宮宰(Steward of Scotland)に由来する。メアリー女王のとき綴りを「Stewart」から「Stuart」に改めた。(House of Stuart)
ステンカラージンの乱 タタール人の首長ステンカ・ラージン(Stepan Razin)が、農奴強制化に反発し、1667年挙兵したが、ドン川河畔のシンビルスク(現在のウリヤノス)で政府軍に捕らえられ、モスクワで処刑された。(Stepan Razin Rebellion)
スパルタ ペロポネソス半島南部にあった都市国家。ペロポネソス同盟(Peloponnesian League)の盟主となり、アテネやテバイ(Thebai)などと覇権を争った。他のギリシア諸都市とは異なる国家制度を有しており、とくに軍事的教育制度は「スパルタ教育」として知られる。ペロポネソス戦争(BC431~BC404)でアテネを破ってギリシアの覇権を握ったが、BC371年、ボイオティア地方(Boiotia)のテバイに敗れ、以後は急速に衰えた。(Sparta)
スパルタクスの乱 BC73年からBC71年にかけて共和政ローマ期にイタリア半島で起きたローマ軍と剣闘士・奴隷による戦争。3度の奴隷戦争の中で最後にして最大規模のものであった。剣闘士らの指導者スパルタクスの名にちなむ。第3次奴隷戦争。(The War of Spartacus)
スペイン継承戦争 1701~1713年、スペイン王位の継承者を巡ってフランス、スペイン対オーストリア、イングランド、オランダ間で行われた戦争。1700年スペイン王カルロス2世の死により、スペイン・ハプスブルク家が断絶。新王にルイ14世の孫フィリップ(フェリペ5世)が即位すると、イングランド・オーストリア・オランダはフランス・ブルボン家の拡張に反対して同盟し、フランス・スペインに宣戦布告した。(War of the Spanish Succession)
スペイン人民戦線 1936年から1939年までスペインにて存続した社会主義連合政権。首班はマヌエル・アサーニャ。(Popular Front, Spain)
スペイン独立戦争 1808~1814年、スペイン民衆がナポレオンの支配に抗して行った戦争。1808年5月2日マドリード蜂起に端を発し、全国的にゲリラ戦を展開、ウェリントン指揮の英軍も来援して、フランス軍を一掃した。その間スペイン国会はフランス憲法に範をとった自由主義憲法を制定。半島戦争。(Peninsular War)
スペイン内戦 1936年から1939年まで第2共和政期のスペインで発生した内戦。反ファシズム陣営である人民戦線政府(共和派)をソビエト連邦が支援し、と、ファシズム陣営のフランコを中心とした右派の反乱軍(ナショナリスト派)をドイツ・イタリアが支持して争った。(Spanish Civil War)
スルタン イスラム王朝の君主の称号の1つ。オスマン帝国ではカリフを兼ねた。現在ではオマーン・マレーシア・ブルネイで用いられる。サルタン。スルターン。(権威の意)(Sultan)
スレイマン・モスク オスマン帝国の旧都イスタンブールにあるモスク。1557年完成で、オスマン建築(トルコ建築)の最高傑作のひとつと言われる。イスタンブールの旧市街にある7つの丘のひとつの頂上に位置する。スレイマニエ・モスク。(Suleymaniye Mosque)
スンニ派 イスラムの多数派。コーランとスンニおよび共同体の合意に重きを置く。ムハンマドの後継者として正統カリフ4人を認め、ハナフィー・マーリク・シャーフィイー・ハンバルの4つの法学派を認める。全ムスリムの約9割を占める。スンナ派。(Sunni Islam)
せいあん西安事件 1936年12月、対共産軍作戦督促のため西安に飛来した蒋介石を、内戦停止・抗日戦などを要求する張学良らが監禁した事件。周恩来の調停により?は釈放され、これを契機に第二次国共合作による抗日民族統一戦線が結成されたが、以後張は監禁状態となった。
せいきょうと清教徒革命 17世紀中、英、清教徒による市民革命。スチュアート家のチャールズ1世の専制政治に議会が反抗。1642年内乱勃発。クロムウェルらの率いる清教徒を中心とする議会軍が王軍を破り、49年王を処刑して共和制を樹立。のちクロムウェルが護国卿となり、軍事独裁。その死後、60年王政に復帰。ピューリタン革命。(Puritan Revolution)
せいしゅう西周  BC1046~BC770年。都は鎬京(こうけい 陝西省)。渭水盆地に定住し、殷(いん)の支配を受けていたが、のちにこれと対立、武王のとき殷の紂(ちゅう)王を滅ぼして建国。礼的秩序による封建的政治体制をしき、黄河流域から揚子江岸まで支配したが、BC770年、第13代平王のとき、犬戎(けんじゅう)の侵入を受けて東遷。以降を東周という。
せいしん西晋 265~316年。司馬炎(武帝 在位265~290年)が魏最後の元帝から禅譲を受けて建国。洛陽(河南省)を都とした。280年に呉を滅ぼして三国時代を終焉させ、天下統一を達成。しかし、司馬炎の死後、後継をめぐり、一族の内紛が発生したため国力が衰弱、316年、五胡の匈奴に華北を奪われ、西晋は滅亡した。
せいとう正統カリフ 632~661年。預言者ムハンマド没後、4人のカリフ、すなわちアブー・バクル、ウマル1世、ウスマーン、アリーによって治められた時代。正統カリフ時代は、第4代カリフのアリーが暗殺され終結をむかえた。(Rashidun)
せいねん青年イタリア党 1831年にジュゼッペ・マッツィーニが結成した政治結社である。カルボナリ党衰退後のイタリア統一運動の中心を担い、共和主義によるイタリア統一を企てて反乱を繰り返したが、弾圧を受けて凋落した。(Young Italy, historical)
せいねん青年トルコ革命 1908年、イスタンブルで青年を中心に結成された「統一と進歩委員会」を中核とするトルコの改革運動。アブデュルハミト2世の専制打倒と立憲制復活をめざした。一時は衰退したが、1908年青年トルコ革命に成功し、翌年政権獲得。 (Young Turk Revolution)
せいねん青年ボスニア 1911年に結成。ハプスブルグ帝国からのボスニア・ヘルツェゴヴィナの解放と南スラブの統一を目指す革命組織。主なメンバーは、ボスニア在住のセルビア人、クロアチア人。(Young Bosnia)
セイロン島 インド洋に浮かぶ島嶼の1つ。現在はスリランカの呼称を使う場合もある。 (Ceylon)
セヴァストポリ ウクライナ南部の港湾都市。クリミア半島南西部に位置し、黒海に面する。クリミア戦争および第二次大戦中の独ソ戦争の激戦地。古代ギリシアの植民都市ケルソネソスの遺跡がある。(Sevastopol)
セーブル条約 1920年連合国とオスマン帝国が結んだ第一次大戦の講和条約。オスマン帝国は領土の縮小、ダーダネルス海峡の国際化、治外法権などの不平等な条件を承諾した。(Treaty of Sevres)
セキビノラン赤眉の乱 前漢を倒した新朝の王莽(おうもう)の失政から起きた農民の反乱(18年)。参加した者は眉を朱で染めて目印とした。27年、後漢の光武帝に平定された。
せきへき赤壁の戦い 三国時代、孫権・劉備の連合軍と曹操の軍との戦い(208年)。呉の部将黄蓋の計により、曹操の兵船や陣営を焼き払い勝利を占めた。これにより江南の大部分は孫権に帰し、劉備は巴蜀を得て、天下3分の形勢が生ずる基となった。
セダンの戦い 普仏戦争における戦いの1つ。この戦いに参加したフランス軍の主力は全面降伏した上、最高司令官たるナポレオン3世が捕虜となったため、戦争の趨勢を定めた戦いとなった。セダンはスダンと表記することもある。(Battle of Sedan)
セポイの反乱 1857~59年、インドで発生した反乱。東インド会社のインド人傭兵セポイがイギリス支配に反抗して決起し、農民も各地で蜂起。反乱軍は一時デリーを占領したが失敗、インドの植民地化は決定的となり、イギリスの直接統治が始まる。(Mutiny of Sepoy)
セム族 西アジア・アラビア半島・北アフリカなどに分布し、セム語系の言語を用いる諸民族の総称。アラブ人・エチオピア人・ユダヤ人などのほか、古代のアッシリア人・フェニキア人などが含まれる。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を生んだ。(Semite)
セム語族  セム系の言語を話す民族の総称。「旧約聖書」ノアの子ハム・セム・ヤペテの一人セムの子孫を意味した。古代バビロニア語・アッシリア語・アラビア語・ヘブライ語・フェニキア語・アラム語・カナーン語・アッカド語・エチオピア語などがこれに属する。(Semites)
セルジュク朝 1038~1308年。トルコ系のイスラム王朝。族長セルジュクの孫トゥグリル・ベクが1038年に建国し、中央アジア・西南アジア一帯を領有。イラン・アラビア2文化の上に文芸・諸学が興隆したが、1157年以降の内紛により分裂、のち滅亡。セルジューク朝。(Seljuq dynasty)
セルビア王国 1882年から1918年にかけてバルカン半島に存在した国家。前身は1817年成立のセルビア公国。第一次世界大戦によるオーストリア・ハンガリー帝国の崩壊後、1918年成立のセルビア・クロアチア・スロベニア王国に発展する形で消滅した。首都はベオグラード。(Kingdom of Serbia)
セルビア公国 1817年から1882年にかけてバルカン半島に存在した国家。1878年まではオスマン帝国の宗主権下にあり、1882年に君主が正式に「国王」を宣言して王制に移行した。(Principality of Serbia)
セレウコス朝シリア BC312~BC64年。西南アジアを支配したヘレニズム時代の王朝。都はアンティオキア(Antiochia)。始祖セレウコス1世(Seleucus I Nicator 在位BC312~BC281)およびアンティオコス1世(Antiochus I Soter 在位BC281~BC261)によって領域のギリシア化が行われた。BC64年、共和政ローマのポンペイウスに敗北し滅亡。以後、全土は属州となる。(Seleucid Empire)
ぜんかん前漢 BC202~8年。秦滅亡後の楚漢戦争(項羽との争い)に勝利した劉邦(高祖)によって建てられ、長安を都とした。 7代武帝の時に全盛を迎え、その勢力は北は外蒙古・南はベトナム・東は朝鮮・西は敦煌まで及んだが、14代孺子嬰(じゅしえい)の時に重臣の王莽(おうもう)により簒奪され滅亡した。
せんごく戦国時代 BC403年~BC221年。BC403年、晋から韓・魏・趙の三国が独立し、諸侯に封ぜられてから、BC221年、秦の始皇帝の統一に至る時代。
せんていこう選帝侯 神聖ローマ帝国の皇帝選挙権をもった有力諸侯。特に、1356年に金印勅書で規定された3司教と4諸侯。選挙侯。(Prince-elector)
セント・へレナ島 南大西洋にある小さな火山島。イギリス領。ナポレオン1世の流刑地。(St. Helena)
そうさい総裁政府 フランス革命の動乱後、1795年成立したフランス政府。上下2院の立法部と総裁5名の構成する行政部とから成る。制限選挙にもとづく共和制であるため、左右両翼の攻撃を受けて次第に軍部の発言力が増大、99年ナポレオンのブリュメール18日のクーデターにより打倒。(Directoire)
そう宋朝 960年~1279年。趙匡胤(ちょうきょういん)が五代最後の後周から禅譲を受けて建国。開封(河南省)に都し、文治主義による官僚政治を樹立した。1127年、金に華北を奪われ江南に南遷した。これ以前を北宋、以後を南宋と呼び分ける。
ソグディアナ 現在のウズベキスタンにあたる古代地方名。BC1800年頃から、ペルシア系ソグド人(sogd)が居住し、中国、インド、西方を結ぶ交易商人として活躍した。その後ペルシア、マケドニア、シリア、イスラム、モンゴルなどの侵入があり、1370年、ティムール帝国(Timurid Empire)に平定された。(Sogdiana)
ソグド人 中央アジアのソグディアナ地方(Sogdiana 現在のウズベキスタン)のペルシア系住民。アケメネス朝ペルシアの頃から、オアシス灌漑農耕と牧畜を営む一方、中国、インド、西方を結ぶ交易商人として活躍した。(sogd)
ソビエト社会主義共和国連邦 1922~1991年。世界最初の社会主義国。1917年の二月革命で帝政ロシアが倒れたあと十月革命により建国。1922年複数の共和国からなる多民族国家として成立、1991年解体。首都モスクワ。計画経済により、地下資源の開発と工業生産が大規模に発展、農業もコルホーズ・ソフホーズで大規模に行われた。ソ連。USSR(Soviet Union)
ソンムの戦い 第一次世界大戦における会戦。1916年7月1日から同11月19日までフランス北部・ピカルディ地方を流れるソンム河畔の戦線において展開された。連合国側のイギリス軍・フランス軍が同盟国側のドイツ軍に対する大攻勢として開始し、最終的に両軍合わせて100万人以上の損害を出した。(Battle of the Somme)
だいいちじ第一次世界大戦 3国同盟(独・墺・伊)と3国協商(英・仏・露)との間の帝国主義的対立を背景とした戦争。1914年サラエボ事件が発端、独・墺・トルコ・ブルガリアなどの同盟国と、英・仏・露・日本・米および3国同盟を破棄したイタリアなどの連合国とが対戦。1918年独の降伏で同盟国側が敗北、翌年ベルサイユ条約が締結。(World War I )
たいせいよう大西洋憲章 1941年8月アメリカ大統領ルーズベルトとイギリス首相チャーチルが大西洋上で会見して発表した共同宣言。第二次大戦と戦後の基本方針を示し、領土不拡大・民族自決などの8か条の原則は国連憲章の基礎となった。(Atlantic Charter)
だいにじ第二次世界大戦 日・独・伊3国(枢軸国)と米・英・仏・ソなど連合国との間に起こった戦争。1939年9月ドイツのポーランド侵入、英・仏の対独宣戦により開始。41年12月太平洋戦争が起こり、戦域は拡大。43年スターリングラードにおけるドイツ軍の大敗、イタリアの降伏、45年5月ドイツの降伏、8月には日本の降伏で終了。(World War Ⅱ)
たいふつ対仏大同盟 フランス革命の波及とナポレオンの侵略に対してヨーロッパ諸国が結んだ同盟。イギリスを中心に、1793年から1815年までに7回(または5回)結成された。(Coalition Wars)
だいれん大連 中国、遼東半島南端の、渤海(ぼっかい)に臨む港湾都市。製鉄・造船・車両などの工業が発達。1898年ロシアが清から租借したが、日露戦争後日本の租借地となり、満州進出の拠点として発展。第二次大戦後中国に返還され、1950年旅順と合して旅大となったが、81年大連と改称。ターリエン。
たい太平天国の乱 清末、洪秀全の指導する上帝会を中心にした農村大衆の反清組織によって樹立された国。1851年広西省で挙兵し、湖南に進出、のち南京を占領して天京(てんけい)と改名し首都とした。キリスト教の影響を受け、政治・経済上の平等主義を掲げた。
だい第一インターナショナル 労働者階級の解放を目指した世界最初の国際組織。マルクスらの指導のもと1864年ロンドンで結成。次第にマルクス派とバクーニン派が対立、パリ・コミューン後は活動が停滞し、76年解散。国際労働者協会。(International Workingmen's Association)
だい第一次対仏大同盟戦争 1792~1797年、フランス革命を脅威と感じたヨーロッパ諸国同盟軍とフランス革命軍との戦争。フランス革命軍が勝利し、1797年10月17日のカンポ・フォルミオの和約(Treaty of Campo Formio)で、オーストリア領ネーデルラント(ベルギー諸州)、地中海のコルフ島・アドリア海の島々とロンバルディアなど多くの領土がフランスに譲渡された。 (War of the First Coalition)
だい第四次対仏大同盟 1806年10月~1807年7月。ナポレオンの覇権に対抗し、ヨーロッパ諸国が結成した同盟。同盟にはプロイセン、ロシア、ザクセン王国、スウェーデン、イギリスが参加した。プロイセンはイエナ・アウエルシュタットの戦い(Battle of Jena?Auerstedt)でナポレオンに敗れ、1807年ティルジットの和約で、同盟は解体された。(War of the Fourth Coalition)
ダキア ドナウ川下流北岸地方の古称。BC1000年頃から農耕民族ダキア人が居住していた。106年、ローマ帝国の属州となった。現在のほぼルーマニアに当たる。(Dacia)
タタール人 北アジアのモンゴル高原とシベリアとカザフステップから東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、ツングース系およびサモエード系民族。韃靼(だったん)人。 (Tatar)
ダマスクス シリア・アラブ共和国の首都。シリア砂漠の西縁に位し、アレッポとともに同国の交通・商業の中心地。メッカに至る巡礼路をなし、ウマイヤ朝の首都となって以降、イスラム建築が多い。世界最古の都市の1つ。旧市街の構造物は世界遺産。人口167万5千(2000)。アラビア語名ディマシュク。ダマスカス。(Damascus)
タラス河畔の戦い 751年5月から9月にかけて、中央アジアのタラス地方(現在のキルギス領)で唐とアッバース朝の間で中央アジアの覇権を巡って行われた天下分け目の戦闘である。製紙法が西方に伝播した戦いとして有名である。(Battle of Talas)
タリバン アフガニスタンにソ連軍が侵攻し、アフガン人の多くがパキスタンに逃れ難民キャンプを作った。ソ連撤退後、アフガン人どうしが内戦を起こしたので、難民キャンプで育った若者たちが内戦から祖国を救う運動を始めた。その運動が「タリバン」と呼ばれる。(Taliban)
ダルマティア クロアチアのアドリア海沿岸地域一帯のこと。中央クロアチア、ダルマティア地方、スラヴォニア地方、イストリア地方の4地方で、現在のクロアチア共和国の一部。ダルマティア(Dalmatia)
タレントゥム イタリア半島南端にあるギリシア人の植民都市。(現在のタラント)。BC272年にローマに服属し、ローマのeイタリア半島統一が完成した。(Tarentum)
ダンケルク フランス北部、ドーバー海峡に面する港湾都市。鉄鋼・造船などの工業が発達。第二次大戦初期の1940年、独軍に敗れた英仏軍がこの地からイギリスに撤退。 (Dunkerque)
タンネンベルクの戦い ポーランドがドイツ騎士団を打破した1410年の戦い。13世紀にバルト海沿岸北部を支配していたドイツ騎士団は、勢力拡張を図ってリトアニアを攻撃した。ウワディスワフ2世の率いるポーランド、リトアニア、ルーシ連合軍はこれを打破、ドイツ東進を食い止めた。(Battle of Grunwald)
タンネンベルクの戦い 第一次大戦初期の1914年8月、ドイツ東部国境、タンネンベルク付近でヒンデンブルクの指揮するドイツ軍が、サムソノフ率いるロシア軍を全滅させた戦い。(Battle of Tannenberg)
チェチェン紛争 チェチェン共和国とロシアとの間で行われた戦争。1991年独立宣言したチェチェンに対し、これを認めないロシアが1994年にチェチェンへ侵攻(第一次チェチェン戦争)。1999年、チェチェン武装勢力がロシア領内に侵攻したことを契機に、ロシア軍がチェチェン空爆を開始(第二次チェチェン戦争)。その後紛争は泥沼化している。(Chechen War)
チェック人 チェコを構成する西スラブ系民族。スラブ語西方群に属するチェコ語を話す。もともとエルベ川中流域に居住していた1民族の名にすぎなかったが、10世紀頃プシェミスル王家の行なった諸民族の統一の結果、ボヘミア (チェコ) 、モラビア地方の全スラブ人をチェコ人と呼ぶようになった。人口の半数以上がカトリック。ボヘミア人(Czech)
チャールキヤ朝 デカン高原及び南インドに興ったインド王朝。以下の三王朝に分けられる。(1)543~753年。前期チャールキヤ朝。首都バーダーミ(Badami)(2)630~970年。東チャールキヤ朝。首都ヴェーンギー(Vengi)(3)973~1189年。後期チャールキヤ朝。首都(Kalyani)(Chalukya)
チャガタイ・ハン国 1225~1680年。モンゴル帝国の4ハン国の1。1225年チンギス・カンの次男チャガタイ(Chagatai)が建国。都はアルマリク(Almaliq)。領土はイリ川(Ili)流域からチュー川(Chu)流域。1330年東西に分裂、西は1363年ティムールに奪われ滅亡、東は1680年ジュンガル・ハン国(Dzungar Khanate)に併合された。チャガタイ汗国(Chagatai Khanate)
ちゅうか中華人民共和国 中国革命の成功により1949年10月1日、毛沢東を主席として成立。中国共産党の指導の下で、土地改革、農業の集団化、数次の5か年計画などを遂行し、文化大革命による混乱を克服して「4つの現代化」を掲げ、社会主義国家建設を目指している。国家の最高機関は全国人民代表大会。首都、北京。
ちゅうか中華民国 1912年~1949年。辛亥革命の結果、中国に誕生した共和制の国。1912年孫文を臨時大総統として南京に政府が樹立。袁世凱が政権を奪って政府を北京に移した。のち、中国国民党は国民政府を樹立し、北伐をおこない全国を統一。日中戦争・内戦を経て、1949年中国共産党の中華人民共和国が成立。
ちゅうとう中東戦争 1948年のイスラエル建国を契機とする、イスラエルとアラブ諸国との一連の戦争。大規模戦闘は第一次(48年、パレスチナ戦争)、第二次(56年、スエズ戦争)、第3次(67年)、第4次(73年)がある。 (Arabvh・Israeli Conflict)
ちゅうとう中東和平会議 1991年10月30日から11月1日にかけてスペインの首都マドリードで開催された国際会議で、パレスチナ問題について討議した。(Madrid Conference of 1991)
ちゅうぶ中部フランク王国 843~855年。843年、ヴェルダン条約によりフランク王国が3分割された結果、ルートヴィヒ1世の長男であるロタール1世(在位843~855)が継承した王国。皇帝の称号を得てロタリンギア、プロヴァンスおよびイタリアを治めた。ノルマン人の侵入に悩まされ、855年、ロタール1世が没すると、870年メルセン条約で、それぞれ東フランク王国(国王ルートヴィヒ2世)、西フランク王国(国王シャルル2世)、イタリア王国(国王ロドヴィコ2世)に割譲された。(Middle Francia)
チューリンギア王国 460年ゲルマン系チューリンゲン族(Thuringii)の王ビシヌス(Bisinus)がドイツ中部(現在のチューリンゲン州)に建国。531年フランク王国に征服され、以後東フランク王国・神聖ローマ帝国の一部として方伯領が置かれた。(Thuringia 460~531)
チョーラ朝 848~1279年。南インドに興ったインド王朝。南インドのほぼ全域とスリランカ北部を支配した。(Chola)
チンショウ陳勝・呉広の乱 中国、秦末の農民、陳勝と呉広の起した反乱。BC209年、秦の二世皇帝の時、二人は漁陽の守備に徴発されたが期に遅れた。期を失すれば斬罪が秦の掟であったから、二人は意を決して農民を率いて挙兵した。秦軍の鎮圧で六ヶ月で壊滅したが、劉邦・項羽らの挙兵のきっかけとなった。
ち血の日曜日事件 1905年1月22日日曜日、ペテルブルクで皇帝への請願のため行進していた労働者とその家族に対して、軍隊が発砲した事件。死傷者は2千名にのぼり、民衆の不満は高まり、ロシア革命の発端となる。(Bloody Sunday)
ち地中海 ヨーロッパ・アジア・アフリカの3大陸に囲まれた、東西に細長い内海。ジブラルタル海峡で大西洋に、ダーダネルス・ボスポラス両海峡で黒海に、スエズ運河でインド洋に通じる公海。ヨーロッパとアジアとを結ぶ重要な航路。(Mediterranean Sea)
ち中世セルビア王国 1168年、セルビア王ステファン1世(StefanⅠ)が諸部族を統一して成立。14世紀中頃ドゥシャン王(Dusan)の時期にその版図はギリシアにまで及んだ。1459年、オスマン帝国により滅亡。その後、1804年と 1815年の 2度にわたるセルビア人蜂起を経て、1817年にセルビア公国が成立した。(Kingdom of Serbia medieval)
ち朝鮮戦争 朝鮮の独立・統一問題が米・ソの対立とからんで、1950年6月武力衝突に発展したもの。両国ともそれぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国人民義勇軍の支援を受けて1進1退を繰り返したが、北緯38度線付近で膠着状態となり、53年7月休戦となった。朝鮮動乱。 (Korean War)
ティグリス川 西アジアのメソポタミア地方を流れる大河。アルメニア高原に源を発し、イラクを貫流、下流でユーフラテス川と合流してペルシア湾に注ぐ。流域は古代文明発祥の地。全長約1900キロ。(Tigris)
デイジョン フランス中東部、ブルゴーニュ・フランシュ・コンテ地方の地方政府所在地。中世からの交通の要地で、鉄道の分岐点。歴史的建造物が残る。(Dijon)
ティニス エジプトのナイル川中流域の西岸アビドスの北方 20kmにある古代遺跡。BC3100年頃古代エジプトを初めて統一した第1王朝の初代王メネスとそれに続く第1、2王朝の諸王の出身地といわれ、ティニスの部族神である鷹神ホルスは、のちにファラオ (王) たちの祖先と考えられた。(Thinis)
ティベル川 イタリアで3番目に長い川。エミリア・ロマーニャ州のアペニン山脈からトスカーナ州、ウンブリア州を経由し、ラツィオ州でティレニア海に注いでいる。流域面積は17375km2でイタリアで2番目である。テヴェレ川。(Tiber)
ティムール帝国 1370~1507年。ティムールの建てた中央アジアのイスラム帝国。文学・細密画など、宮廷文化が栄えたが、ティムールの没後分裂し、シャイバーン朝に滅ぼされた。チムール帝国。(Timurid Empire)
ティルジット条約 ナポレオン軍に大敗したプロイセンとロシアが、1807年フランスと結んだ講和条約。ワルシャワ大公国が建設され、プロイセンは領土の大半を失い、ナポレオンの大陸制覇は頂点に達した。(Peace of Tilsit)
ティレニア海 地中海の海域の1つである。イタリア半島の西側に広がり、コルシカ島、サルデーニャ島、シチリア島に囲まれている。(Tyrrhenian Sea)
デートン和平合意 1995年12月、アメリカ主導の和平交渉で、ボシュニャク人とクロアチア人によるボスニア連邦と、セルビア人共和国との二つの政体からなる一つの国家を目指すこととなった。平和は一応実現したが、国連の監視は継続しており、予断を許さない状態が続いた。(Dayton Agreement)
テーベ エジプト、ナイル川中流の両岸にまたがる古代都市。エジプト中王国・新王国の首都で、東岸(現、ルクソル市)にカルナック神殿・ルクソル神殿があり、西岸に王家の谷などの遺跡がある。(Thebes, Egypt)
テッサリア ギリシア中部の地域名であり、ギリシア共和国の広域自治体であるペリフェリエス(地方)のひとつである。(Thessaly)
テッサロニケ BC315年、マケドニアのカッサンドロス(Kassandros)によって創建されたギリシア北部の都市。呼称は、妻テッサロニカ(Thessalonike)にちなむ。マケドニア第一の港として栄えたが、BC146年、共和政ローマの属州となる。(Thessaloniki)
てつ鉄のカーテン 第二次大戦後、ソ連と東欧の社会主義圏の諸国が、西欧の自由主義国との間に設けた厳しい封鎖線をたとえた語。1946年チャーチルが演説で用いた。(Iron Curtain)
テバイ アテネ北西のボイオティア(Boiotia)の都市。BC371年スパルタが衰退したのち、全ギリシアの覇権を握ったが、BC335年、アレクサンドロス大王に滅ぼされた。(Thebai)
デビアス 南ア共和国発祥で、英国ロンドンに本社を置くダイヤモンドの採掘・加工・販売会社。貴金属メジャーの一つ。セシル・ローズ (1853~1902) がロスチャイルド資本の支援で 1888年に設立。(De Beers)
テヘラン会談 第二次大戦中の1943年、アメリカ大統領ルーズベルト、イギリス首相チャーチル、ソ連首相スターリンがテヘランで行なった会談。3国の協力による戦争の遂行を宣言し、ヨーロッパ西部における共同戦線の形成などを決定した。(Tehran Conference)
テムズ河 イングランド南東部の川。コッツウォールド丘陵に発源、オックスフォードを過ぎ、ウィンザー城の傍らを経て、ロンドンを貫流、三角江をなして北海に注ぐ。長さ338km。(River Thames)
テューダー朝 1485年のヘンリー7世の即位から、1603年のエリザベス1世の死去まで5代続いたイギリス(イングランド)の王朝。イギリス絶対王政の最盛期にあたる。(Tudor dynasty)
テルアビブ イスラエルの地中海に臨む港湾都市。同国の政治・経済の中心。繊維・金属・機械などの工業が発達。 (Tel Aviv)
デルフォイ パルナッソス山(Parnassus)の南斜面の聖地。神託で有名なアポロンの神殿があった。多くのポリス(都市国家)がここに参じて、政治・外交の指針を神託に求めた。神託は神殿の中心部にある奥の院(アデュトン Adyton)で行われ、そこにピュティア(Pythia)と呼ばれる巫女が神懸り(トランス)状態となり、予言の神アポロンの言葉を語ったとされる。(Delphoi)
テルミドールの反動 1794年7月27日(テルミドール9日)、山岳党独裁の革命政府を指導していたロベスピエール一派がクーデターにより打倒されて恐怖政治が終わり、革命の高揚が衰え、反動期に入った。これを「テルミドールの反動」という。(Fall of Maximilien Robespierre)
デロス同盟 BC478年アテネを盟主として、古代ギリシアの諸ポリスが結成した対ペルシア海上同盟。デロス島に本部を置く。のちにアテネの覇権拡張に利用され、スパルタの反感を招き、ペロポネソス戦争に発展。(Delian League)
てんしん天津条約 ① アロー戦争の結果、1858年に清と英・仏・米・露との間に結ばれた条約。外交使節の北京常駐、内地旅行、開港場の増加、キリスト教の公認などを定めた。② 1871年に結ばれた日・清両国間の通商条約。
てんしん天津条約 ③ 朝鮮の甲申政変に関連し、1885年に日・清両国間で結ばれた協定。朝鮮からの日・清両軍の撤兵を約し、将来における朝鮮への出兵の条件を定めた。
てんしん天津条約 ④ 清仏戦争の結果、1885年に清・仏両国間に結ばれた条約。清は、ベトナムがフランスの保護国であることを承認。
テンプル騎士団 中世の3大宗教騎士団の1。フランスの騎士ユーグらにより創設され、各地に城塞を築き十字軍の主力として活躍。また団員の資産をもとに金融機関を運営し、フランス王家にも資金援助を行っていたが、フィリップ4世の弾圧により解体。(Knights Templar)
デンマーク戦争 1848~1852年、シュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国を巡って、デンマークとプロイセン王国および関係国の間で戦われた戦争。プロイセン側の勝利となり、両公国はプロイセンとオーストリア帝国の管理下に置かれ、後にプロイセンの州となった。シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争(Danish War)
てん天安門事件 ① 1976年4月5日天安門広場で起こった民衆騒乱事件。故周恩来首相を追悼する民衆が人民英雄記念碑に捧げた花輪を当局が撤去したことに抗議したもの。のち、革命的行動と評価された。4・5運動。
てん天安門事件 ② 1989年6月4日、民主化要求を掲げる学生や労働者・市民に占拠された天安門広場を奪回するため、戒厳軍が出動して多数の死傷者を出した事件。中国政府は動乱と規定して関係者を処罰した。
ドイツ関税同盟 ドイツ連邦諸国が結んだ関税同盟。1819年以来近隣諸国との関税合同を推進してきたプロイセンの主導下に、1834年三つの地域的関税同盟が統合されて発足。域内関税を撤廃、対外共通関税率を採用。後にオーストリアを除く全ドイツ諸国が参加、プロイセンによるドイツ統一を経済的に基礎づけた。(German Customs Union)
ドイツ騎士団 騎士修道会の一つ1。1190年の第3回十字軍で活躍。13世紀以降東方植民の先頭にたち領土の拡大に寄与。ドイツ騎士団領は、プロイセンの基礎となった。(Teutonic Order)
ドイツ帝国 1871年にドイツの22君主国と3自由市の統一により成立した連邦国家。プロイセン王が皇帝を、プロイセン首相が宰相を兼ねた。1918年、ドイツ革命により崩壊。神聖ローマ帝国に次ぐ帝国として、ドイツ第2帝国ともいう。(German Empire)
ドイツ農民戦争 1524年から25年のドイツの農民反乱。宗教改革を背景とし、農民は貢租軽減・農奴制廃止・教会改革などを主張。ミュンツァーを指導者に反乱を拡大したが、ルターの支持を得た領主連合に鎮圧された。(German Peasants' War)
ドイツ連邦 ウィーン会議の結果、1815年に構成されたドイツの連邦組織。オーストリアを中心に35君主国と4自由市から成る。普墺戦争により1866年崩壊。(German Confederation)
トゥール・ポアティエの戦い 732年フランク王国に侵入したイスラム軍を、カール・マルテルがフランス中部のトゥールとポワチエの中間付近で撃退した戦い。ツールポワチエ。(Battle of Tours)
トゥーロン包囲戦 フランス革命初期(1793年9月18日~12月18日)に、南フランスの港湾都市トゥーロンで発生した王党派の反乱に対して、共和派が勝利をおさめた戦い。砲兵部隊の活躍により、ナポレオンが初めて名を上げた戦いとして知られる。(Siege of Toulon)
トゥグルク朝 1320~1414年。北インドに興ったイスラム系インド王朝。首都はデリー(Delhi)。北インドのほかデカン高原、南インドを支配した。(Tughluq)
とうしゅう東周 BC770~BC256年。BC770年、第13代平王が洛邑(河南省洛陽市)に遷都し、即位した後を東周という。東周期は春秋戦国時代で、王の実権はなくなり、BC256年、第37代赧王(たんおう)のとき秦(戦国)の昭王に滅ぼされた。
とうしん東晋 317~420年。司馬睿(しばえい 在位317~322年)が、建康(江蘇省南京)に東晋を建国。しかし皇族の権力は弱く、家臣である将軍たちの専横と政権争奪が続き、420年、将軍の劉裕(りゅうゆう)が最後の恭帝から禅譲を受ける形で帝位(武帝)につき、宋(南朝)を建国した。
どうじ同時多発テロ 2001年9月11日、乗っ取られた4機の米国民間航空機のうち2機がニューヨークの貿易センタービル2棟に、1機がアーリントンの国防総省本庁舎に突っ込み、爆発炎上した事件。死者総数は推定で約3000人。犯人はオサマ・ビンラディン率いるテロ組織アルカイダとされる。911事件。(September 11 attacks)
とうぶ東部戦線 第一次世界大戦時、ドイツ・オーストリアとロシアとが戦った戦線。(Eastern Front)
とうへん陶片追放 古代アテネで、僭主(tyrant 独裁者)の出現を防ぐために、市民がその恐れのある人物を投票により国外追放にした制度。BC5世紀頃から施行され、市民は陶片 (Ostrakon) に追放すべき者の名を刻み、アゴラ (広場) で投票した。 (Ostracism)
とうりょう統領政府 総裁政府の後をうけ、1799年ナポレオンによるブリュメール18日のクーデターから第1帝政の成立まで存続したフランス政府の称。初め臨時の、次いで任期10年の3統領を置き、その中の第一統領ナポレオンが終身統領を経て1804年皇帝に即位。執政政府。(Consulat)
トゥルーズ フランスの南西部に位置するコミューンで、オクシタニー地域圏の首府、オート・ガロンヌ県の県庁所在地である。(Toulouse)
とう唐朝 618年~907年。李淵が隋を滅ぼして建国。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた。首都は長安に置かれた。
とう東学党の乱 朝鮮で1894年(甲午の年)東学の信徒が主導した農民戦争。地方官の悪政に反対した全羅道の農民が蜂起したのに始まる。朝鮮王朝政府は鎮圧のため清(しん)に出兵を求め、清に対抗して日本も出兵、日清戦争の契機となった。甲午こうご農民戦争。
とう東南アジア諸国連合(ASEAN) 1967年、タイ・マレーシア・フィリピン・インドネシア・シンガポール5か国が結成した地域協力機構。決定機関である外相会議の下に常設の事務局、経済閣僚会議などを有する。84年ブルネイ、95年ベトナム、97年ラオス・ミャンマー、99年カンボジアが参加、ASEAN 10 が実現した。アセアン。(Association of South‐East Asian Nations)
ドーズ案 第一次大戦のドイツ賠償問題の解決案。アメリカのドーズ(Dawes 1865~1951)を長とする委員会が立案、1924年に採択。支払い期限の延長とアメリカ資本の導入を骨子とする。(Dawes Plan)
ドーバー海峡 イギリスとフランスを隔てる海峡。イギリス海峡の北端に位置して北海と連続、最狭部34キロメートル。イギリス側にドーバー・フォークストン、フランス側にカレーなどの港湾都市がある。フォークストン・カレー間に英仏海峡トンネルがある。英仏海峡。(Strait of Dover)
どくさい独裁官 共和政ローマの非常時の最高官職。元老院において執政官(Consul)から指名され軍事、国政の大権を掌握した。任期は6ヵ月に限られ、当面の職務が遂行されれば辞職した。BC44年、シーザーが終身独裁官(Dictator Perpetuo)となり、帝政への道が開かれた。(Dictator)
どく独立国家共同体(CIS) 1991年12月ソビエト連邦の解体後、連邦を構成していた12か国によって結成された、ゆるやかな国家連合体。加盟国は、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・モルドバ・アルメニア・アゼルバイジャン・グルジア・カザフスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン・タジキスタン・キルギス。(Commonwealth of Independent States)
トスカナ イタリア半島中部、アペニン山脈西側のリグリア海・ティレニア海に面する州。州都はフィレンツェ。古代のエトルリアの大部分を占める地方。15世紀にメディチ家が支配し、ルネサンス文化の1大中心地となった。トスカーナ(Toscana)
ドナウ川 ドイツ南西部シュヴァルツヴァルトの東部に発し、オーストリア・ハンガリー・バルカン諸国を流れて黒海に注ぐ大河。長さ2860キロメートル。水上交通が発達し、マイン川と運河で連絡、北海へも通ずる。沿岸にウィーン・ブダペスト・ベオグラードなどの諸都市がある。英語名ダニューブ。(Donau)
ドネツク ウクライナ東部の工業都市。ドネツ炭田の中心で、鉄鋼業が盛ん。人口100万7千(2001)。旧称スターリノ。(Donetsk)
トプカプ宮殿 イスタンブールにある宮殿。オスマン帝国のメフメト2世により15世紀後半に創設。現在は国立博物館として使用。トプカプは城壁の「大砲の門」に由来。(Topkapu Palace)
ドラヴィダ人 南インドに居住しタミル語(Tamil)を話す民族。BC3500年地中海沿岸からインダス川流域に定住し、インダス文明の担い手となった。BC1500年、黒海沿岸からやってきたアーリア人の勢力によって、インド南部に追いやられた。(Dravidian)
トラキア BC1000年頃、バルカン半島の南東、ドナウ川南岸地方に農耕牧畜民族トラキア人(Thracians)が居住していた。BC512年、アケメネス朝ペルシアに征服されるが、ペルシア戦争でペルシアが敗退すると、BC480年、トラキア人の部族オドリュサイ族(Odrysian)のテレス(Teres I 在位BC480~BC430)がオドリュサイ王国(Odrysian kingdom)を建国し、ギリシアの影響を受け、独自の高度な文化を築いた。BC342年にマケドニアに征服されて衰退するが、BC323年、アレクサンドロス大王の死後、マケドニアが衰退すると、BC320年、セウテス3世(Seuthes III 在位BC341~BC300)が勢力を持ち、セウトポリス(Seuthopolis 現在のブルガリア中央部)を建都し繁栄を誇った。46年にローマ帝国に征服されオドリュサイ王国は滅亡、トラキアはローマ属州となった。(Thracia)
トラファルガーの海戦 ナポレオン戦争時代の1805年10月21日、スペインのトラファルガー岬沖でネルソンの指揮するイギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊を撃破した海戦。ネルソンは戦死したが、ナポレオンの英本土上陸の野望を砕いた。(Battle of Trafalgar)
トランスヴァール共和国 1852年、ボーア人(Boer)が現在の南アフリカ共和国内に建てた国。1886年、金鉱が発見されると英国の介入が強まり、1899年からのボーア戦争に敗れ、1902年英国に併合された。1910年には南アフリカ連邦の一州となった。金のほかにウラン・ダイヤモンドの世界的産地である。(Transvaal Republic/South African Republic)
トリアノン条約 第一次世界大戦の敗戦国となったハンガリー王国と連合国が結んだ講和条約。1920年6月4日にベルサイユのトリアノン離宮で調印された。ハンガリーはルーマニア、チェコスロバキア、ユーゴに領土割譲を強制され国力を失った。(Treaty of Trianon)
トリエステ イタリア北東部の港湾都市。アドリア海北岸にあり、工業が盛ん。トリエステ地方は14世紀以来オーストリア領。第一次大戦後イタリア領となり、第二次大戦後、1954年にロンドン協定で、北部と港はイタリア領、南部のイストリア半島はユーゴスラビア(現スロベニア共和国)領となった。(Trieste)
トリノ イタリア北西部、アルプス山脈南麓の都市。フランスに通じる交通の要地。自動車工業が発達。 (Torino)
トリポリ ① レバノン北西部、地中海に面する港湾都市。イラクのキルクークからの油送管の終点で、石油の積み出し港。タラブルス。 ② リビアの首都。地中海に臨む港湾都市。内陸への隊商貿易の基地。古代フェニキア以来の都市で、遺跡に富む。(Tripoli)
トルーマン・ドクトリン 1947年3月、トルーマンが議会でギリシア・トルコ両国に対する軍事援助を要請した際に宣言した外交政策の新原則。自由主義諸国に対する共産主義の脅威に対して、力でもって対抗する意思を明らかにしたもの。 (Truman Doctrine)
トルコ革命 ケマル・パシャ(Kemal Pasha)の指導下オスマン朝を倒して1923年トルコ共和国を建てた革命。イスラム圏で最初の政教分離国家ができ、近代化政策を推進。(Turkish War of Independence)
どれい奴隷王朝 1206~1290年。北インドに興ったイスラム系インド王朝。首都はデリー(Delhi)。スルタン(Sultan)に奴隷出身者が多いことから、奴隷王朝と呼ばれた。(Mamluk)
ドレフュス事件 フランスの世論を2分した裁判事件。1894年軍法廷がユダヤ人将校ドレフュス(A. Dreyfus1859~1935)にドイツのスパイ容疑で終身刑を科したことをめぐり、軍の不正を弾劾する作家ゾラらの人権擁護派と軍部・右翼が激しく対立し、第3共和制は一時危機に瀕した。ドレフュスは1906年無罪。(Dreyfus affair)
トロイ 小アジアの北西部、トルコのヒッサルリクの丘の遺跡。ホメロスの叙事詩「イリアス」で有名。1871年以来、シュリーマンその他の発掘によりトロイ文明が発見され、この地に9層の住居址が重なっていたことが究明された。エーゲ文明の中心地の1つ。トロイア。トロヤ。(Troia)
トロイ戦争 ホメロスの詩「イリアス」が語る、古代ギリシアの半ば伝説的な戦争。スパルタの王妃ヘレネがトロイの王子パリスに誘拐されたことに原因し、王妃を奪還するため、アガメムノンを総大将とするギリシアの王侯が10年間の攻囲の後、木馬に兵を潜ませる奇計を用いてトロイを破壊したという。(Trojan War)
トロイ文明 BC2600~BC1200に小アジアのトロイで栄えた青銅器文明。敵対するミケーネ・ギリシアとの争いが多く、ミケーネの最盛期のBC1300年頃の争いがホメロスの叙事詩に記されて、これを信じたドイツの考古学者シュリーマン(Heinrich Schliemann)が発掘した。(Trojan civilization)
ドンレミ村 フランス北東部シャンパーニュ州にあるジャンヌ・ダルクの生誕地。ジャンヌ・ダルクの生家 は、フランスの歴史的建造物に指定されている。(Domremy)
ナゴルノ・カラバフ戦争 アルメニアとアゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ自治州を巡る争い。ナゴルノ・カラバフ紛争と呼ばれることもある。戦争は泥沼化し、現在は事実上アルメニア人の占領下にある。(Nagorno-Karabakh War)
ナスル朝  1232~1492年。スペインの最後のイスラム王朝。創始者ムハンマド1世 (在位1232~1373) 首都グラナダのアルハンブラ宮殿はイスラム建築の粋とうたわれる。1492年グラナダがついにキリスト教徒の手におち、最後の君主がモロッコに亡命して同朝は滅亡した。(Nasrid dynasty)
ナチス 国家社会主義ドイツ労働者党の通称。第一次大戦後、ヒトラーを党首としてドイツに台頭したファシズム政党。1919年結成。33年政権を掌握し、統制経済、再軍備、ユダヤ人や共産主義者への虐待など独裁政治を断行。ヨーロッパ征服をめざして軍備拡張を行い、第二次大戦を起こしたが敗れ、45年崩壊。ナチ。 (Nazis)
ナバラ王国 820~1512年。中世のイベリア半島北東部パンプローナより興った王国。11世紀サンチョ3世(大王)のもとに全盛期を迎え、カスティリャを征服した。大王の死後、王国からカスティリャ、アラゴンが独立して王国を築いた。1076年アラゴンに併合、1134年再び自立したが、1512年カスティリャ王国に併合された。(Kingdom of Navarre)
ナポリ イタリア南部の都市。ナポリ湾に臨み、ローマの南東約220キロメートル。古代ギリシア・ローマ以来栄え、1282年以後ナポリ王国を形成、ルネサンス文化の1中心。南東方にヴェスヴィオ火山がそびえ、風光明媚。カーポディモンテの王宮や古城などがある。人口99万8千(2004)。英語名ネープルズ。(Napoli)
ナポリ王国 1282~1816年。ナポリを中心とする南イタリア全体を含む王国。フランスのアンジュー家が1282年のシチリア住民の反乱でシチリア島を放棄した結果、イタリア半島南部で成立した。1442年アンジュー家が絶え、アラゴン王アルフォンソ1世がシチリアと併せてこれを支配。1816年スペイン・ブルボン家による両シチリア王国の成立をもって消滅した。(Kingdom of Naples)
ナロードニキ 19世紀後半の帝政ロシアで「人民の中へ(ブ・ナロード)」をスローガンに革命運動を行なったインテリゲンチャ。農民共同体(ミール)を基盤に、資本主義を経ずに人民革命で社会主義が実現できると考えた。人民主義者。(Narodniks)
なんきん南京条約 アヘン戦争の結果、1842年に南京で清とイギリスとの間に締結された条約。公行の廃止、香港の割譲、広東・上海など5港の開港、賠償金支払いなどが定められた。(Treaty of Nanjing)
なんそう南宋 1127~1279年。北宋の滅亡後、徽宗(きそう)の第九子、高宗(在位1127~1162年)が臨安(浙江省杭州)に都して建国。金と講和し、江南の開発に力を入れて南宋の基礎を築いたが、1279年元に滅ぼされた。(Southern Song)
ナンダ朝 BC413~BC317年。北インドに興った古代インド王朝。アレクサンドロス3世 (大王)のインド侵入当時 (BC327~BC325) ガンジス川流域一帯を支配していた。強大な軍隊で知られたが、BC317年、マウリア朝に滅ぼされた。(Nanda)
ナントの勅令 1598年、フランス王アンリ4世がナントで発した勅令。カルヴァン派プロテスタントであるユグノー教徒に対し、信仰の自由とカトリック教徒と同等の政治的権利を認めたもの。これによりユグノー戦争は終結した。ナントの王令。(Edict of Nantes)
なんぼく南北戦争 合衆国の南北両地域間に起こった内戦。奴隷制拡大をめぐり対立が深化。1860年共和党のリンカーンが大統領に当選すると南部諸州が翌年合衆国から離脱、アメリカ連合(南部連合)を結成して北軍を攻撃。1865年北部の勝利で合衆国の統一が維持され、奴隷制廃止も達成された。(American Civil War)
なん南北朝時代 420年~589年。中国で漢民族の南朝と鮮卑族を中心とした北朝とが対立した時代。南朝は420年成立の宋から斉・梁(りょう)・陳(ちん)、北朝は439年華北を統一した北魏(ほくぎ)から東魏・西魏・北斉・北周の諸王朝。589年隋により統一。 (Southern and Northern Dynasties)
ニカイア公会議 325年にニカイアで開かれたキリスト教最初の世界会議(第1回ニカイア公会議)。アリウス派を異端とし、ニカイア信条を採択。コンスタンチヌス皇帝自らが会議を召集したため、のちに皇帝権力の教会への介入を招く端緒となった。(Council of Nicaea)
にがつ二月革命 ① 1848年2月、パリに起こった革命。1830年の七月革命以来王位についていたルイ・フィリップを追放し、第二共和制を成立させた。これを契機としてヨーロッパ諸国に自由主義革命運動が勃発、ウィーンやベルリンで三月革命が起こり、ウィーン体制は崩壊。(February Revolution)
にがつ二月革命  ② 1917年3月12日(ロシア暦2月27日)ロシアの労働者・兵士らがツァーリの専制政治を打倒した革命。これによりロマノフ王朝が倒れ、ケレンスキー首班の臨時政府が成立。別称、三月革命。(February Revolution)
ニカの乱 532年、東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の治世に、首都コンスタンティノープルで勃発した重税に反対する市民の反乱。軍隊を総動員し、反乱派の市民約3万人の犠牲の末、ようやく鎮圧した。反乱による放火などでアヤソフィア寺院が破壊されるなど深刻な被害をもたらした。現在のアヤソフィアはユスティニアヌス1世が537年に再建したものである。(Nika riots)
にしご西ゴート 東ゲルマンの一部族。フン族の西進による圧迫を逃れ、376年ドナウ川北岸の定住地からローマ帝国領内に移住、民族大移動の発端をつくる。移住阻止をねらうローマ軍と各地で衝突した後、イベリア半島に西ゴート王国(415~711)を建国。711年ウマイヤ朝に滅ぼされた。 (Visigothic Kingdom)
にし西フランク王国 843~987年。843年、ヴェルダン条約によりフランク王国が3分割された結果、ルートヴィヒ1世の四男であるシャルル2世(在位843~877年)が継承した王国。870年、メルセン条約により領土を拡大。小国に分裂し、ノルマンの侵入に苦しんだ。ノルマン人族長ロロがセーヌ河口を荒し、855年パリを包囲したため、西フランク王シャルル3世(在位893~923年)は、彼を 911年ノルマンディー公に封じた。 987年カロリング家の王朝が絶え、カペー朝となり、西フランク王国は形式上消滅し、フランス王国となった。(West Francia)
にし西ローマ帝国 ①古代ローマ帝国の末、テオドシウス大帝の死(395年)後、帝の次子ホノリウスがその西半を領した国。首府はローマ。476年ゲルマン人オドアケルに滅ぼされた。②800年、フランク族のカール大帝が中部ヨーロッパ・フランス・イタリア北部にまたがって建てた国。孫の代に3分割されたが、その伝統は神聖ローマ帝国に継承。(Western Roman Empire)
ニスタット条約 1721年9月、フィンランドの西海岸にあるニスタットで結ばれた北方戦争の講和条約。ピョートル1世がスウェーデンとの間に結んだもので、ロシアはバルト海東岸の地を得てバルト海進出の目的を達し、ヨーロッパにおける強国としての地位を確立した。逆に、スウェーデンは三十年戦争で確立した強国の地位からすべり落ちた。(Treaty of Nystad)
ニハーヴァンドの戦い 642年にニハーヴァンド(現在のテヘラン南方)でササン朝と正統カリフ時代のイスラム勢力(アラブ軍)との間に起こった戦い。皇帝ヤズデギルド3世のササン朝軍はアラブ軍に敗退し、ササン朝は事実上滅亡した。この戦いは、イスラム教徒の間では「勝利の中の勝利」と呼ばれている。 (Battle of Nahavand)
ニュー・ディール政策 (新規まき直しの意)1933年以降、ルーズベルト大統領が大恐慌による不況の克服を目的として実施した一連の社会経済政策。農業調整法・全国産業復興法・社会保障法などの制定・施行、テネシー渓谷開発事業など。(New Deal)
ヌイイ条約 第一次世界大戦後、1919年11月27日に連合国側とブルガリア王国の間で結ばれた条約。パリ近郊の都市ヌイイ・シュル・セーヌで結ばれた。ブルガリアの領土縮小、陸海軍兵力の制限、賠償金の支払いなどが定められた。(Treaty of Neuilly)
ネイズビーの戦い 1645年6月14日に発生した、清教徒革命(イングランド内戦)の帰趨を決定づけた王党派と議会派の戦闘である。この戦いによって形勢は議会派に大きく傾き、イングランド内戦は議会派の優勢で終結に向かった。(Battle of Naseby)
ネーデルラント連邦共和国 16世紀から18世紀にかけて現在のオランダおよびベルギー北部(フランデレン地域)に存在した国家。現在のオランダ王国の原型であり、そのことからオランダ共和国などと呼ばれることもある。 (Dutch Republic)
ネルチンスク条約 1689年に康熙帝時代の清朝とピョートル1世(ロマノフ朝)との間で結ばれた、両国の境界線などについて定めた条約。国境を黒竜江・外興安嶺(スタノヴォイ山脈)の線に定めるというもの。(Treaty of Nerchinsk)
ノートルダム大聖堂 我らの貴婦人の意、聖母マリアを指す。12世紀に聖母マリア崇拝の気運が高まり、各地に建立された旧教寺院。パリのシテ島にあるものが最も名高く、1163年起工、1245年頃完成。ゴシック建築の代表作。(Notre Dame)
ノブゴロド王国 862~1478年。ノルマン人の一派が首長リューリク(Rurik)に率いられて建てた国家。先住民のスラブ人が彼らをルス(Russ)と呼んだことから、ロシアの名称が生まれた。1478年モスクワ大公国に併合。(Novgorod)
ノルマン・コンクェスト ノルマンディー公ギヨーム2世によるイングランドの征服を指す。コンクェストを日本語にし、ノルマン征服ともいう。1066年のヘイスティングズの戦いに勝利したギヨーム2世はウィリアム1世としてノルマン朝を開いた。これによりイングランドはノルマン人により支配されることとなった。(Norman Conquest)
ノルマンディー公国 911年ノルマン人の首長ロロ(Rollo)が、フランス王から封地を得てノルマンディー地方に建てた公国。(Duchy of Normandy)
ノルマンディー上陸作戦 第二次世界大戦中の1944年6月6日に連合軍によって行われたドイツ占領下の北西ヨーロッパへの侵攻作戦。正式作戦名「ネプチューン作戦」(Invasion of Normandy)
ノルマン人 デンマーク・スカンディナビア原住の北ゲルマン人。8世紀頃からバイキングとしてヨーロッパ各地に渡来・定住し、ノルマンディー公国・両シチリア王国・ノブゴロド公国などを建国。 (Norman)
ノルマン朝 ノルマンディー公ウィリアム(ギヨーム)がイングランドを征服(ノルマン・コンクェスト)して開いたイギリスの王朝(1066~1154)。征服王朝であるため、封建制に立脚するが王権は強く、地方にまで及んだ。(Norman dynasty)
ハーグ オランダ西部の都市。旧王宮と政府機関の所在地で、事実上の首都。国際的政治都市で、平和宮・国際司法裁判所がある。人口46万4千(2003)。正式名称ス・フラーフェンハーヘ。英語名ヘーグ。(Den Haag)
バース党 アラブ民族主義の政党。アラブ民族の復興(バース)を目標とし、「自由・統一・社会主義」がスローガン。1940年代にシリア人が結党、アラブ諸国に支部建設。1963年以降のシリア、1968~2003年のイラクで政権を握る。アラブ社会主義復興党。バアス党(Ba'ath Party)
パーニーパットの戦い ムガル帝国の創始者であるバーブルとローディー朝との間で行なわれた戦い。少数兵力ながら鉄砲や大砲という火器を有効に用いたバーブル軍が勝利をおさめ、バーブルによるムガル帝国が建国されるきっかけとなった。(Battle of Panipat)
ハーレム 歴代のスルタンが愛妾を住まわせた後宮。出身地や民族を問わず、様々な女性がここへ連れてこられ、スルタンの相手をさせられた。彼女らの運命はひとえにスルタンの息子を生めるか否かにかかっていた。息子を生めば、次のスルタンの母として地位と権力とを約束されたからである。オスマン帝国のトプカプ宮殿に代表される。(Harem)
パーンディヤ朝 590~920年。南インドに興ったインド王朝。前期590~920年、後期1216~1345年の二期に渡り南インドで繁栄した。(Pandya)
バイエルン ドイツ南東部にある同国最大の州。州都ミュンヘン。1806年神聖ローマ帝国の解体により王国となる。71年ドイツ帝国に加入するが、独立性は保持。1949年ドイツ連邦共和国の1州となる。機械・自動車産業が盛ん。(Bayern)
バイカル湖 ロシア連邦、シベリア南部にある世界最大の淡水湖。世界最深の湖。最大深度1620メートル。冬季には結氷。アンガラ川の水源。面積約3万平方キロメートル。 (Baikal)
ハイドゥの乱 ハイドゥ(~1301)は、オゴタイ・ハン国の君主。モンゴル帝国のハン位継承に不満を抱き、1260年フビライ即位に際して反乱を起こし、40年余にわたり元朝と抗争(Khaidu)。
ハギア・ソフィア大聖堂 トルコのイスタンブールにあるビザンチン建築最高の記念的大聖堂。名は「聖なる叡知」の意でキリストをいう。360年にコンスタンティウス2世が建築、532年ニカの反乱で破壊され、537年再建。1543年トルコの手中に落ちイスラムのモスクとなり、1935年博物館になった。 聖ソフィア聖堂、アヤ・ソフィア聖堂。(Hagia Sophia)
バグダッド イラクの首都で同国最大の都市。また、バグダッド県の県都でもある。アッバース朝によって建設された古都であり、中東諸国ではイスタンブール、テヘランに次ぐ大都市である。2005年の人口はおよそ590.4万人。バクダット(Baghdad)。
バグダッド鉄道 トルコのハイダル・パシャからバグダッドをへてペルシア湾に近いバスラに至る鉄道。支線を含めて総延長3225km。中東への進出を図るドイツは、1888年オスマン・トルコ政府から利権を得てアナトリア鉄道の建設に着手。1902年、これに続きコニヤ以遠のバグダッド鉄道建設の利権を獲得した。(Baghdad Railway)
バクトリア 現在のウズベキスタン南部からアフガニスタン北部にあたる古代地方名。BC1800年頃から、ペルシア系ソグド人(sogd)が居住し、中国、インド、西方を結ぶ交易商人として活躍した。その後ペルシア、マケドニア、シリア、イスラム、モンゴルなどの侵入があり、1370年、ティムール帝国(Timurid Empire)に平定された。(Bactria)
ハザール 7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北からコーカサス、黒海沿いに栄えた遊牧民族およびその国家。支配者層はテュルク系民族とされる。交易活動を通じて繁栄した。(Khazar)
バスチーユ 中世フランスの城塞。特に、14世紀後半、百年戦争の際パリ防衛のためサンタントワーヌ郊外に築かれたものをさす。17世紀以来国事犯の牢獄に転用。1789年7月14日、圧制の象徴としてパリ市民に襲撃・破壊され、フランス革命の発端となった。バスティーユ。(Bastille)
バチスタ政権 バチスタ・キューバ大統領は、1934年反革命を成功させ、キューバの実力者として君臨するとともに彼とその軍隊は米国による支配の支柱となった。カストロの率いる反バチスタ闘争を厳しく弾圧。のち政権の座を追われ、亡命。バティスタ(Batista)
パッサロヴィッツ条約 1718年7月21日にパッサロヴィッツ(現セルビア)で、オスマン帝国とオーストリア・ベネチアの間に結ばれた条約。オスマン帝国は、ワラキアをオーストリアに割譲した。(Treaty of Passarowitz)
ハノーヴァー朝 イギリスの王朝。1714年スチュアート朝断絶後、ドイツのハノーヴァー家からジョージ1世が即位して始まった。1917年ウィンザー朝と改称。 (Hannover Dynasty)
ハバロフスク ロシア連邦、アムール川とウスリー川の合流点にある沿海州地方の河港都市。中国との国境に近く、シベリア鉄道に沿う。機械・化学・木工などの工業が発達。(Khabarovsk)
バビロニア 西アジアのティグリス・ユーフラテス川の下流地方。楔形(くさびがた)文字・天文学・法典など、文明の発祥地。BC3500~BC536年、アッカド王国・ウル第3王朝・バビロン第1王朝・新バビロニア王国などが興亡。(Babylonia)
バビロニア王国 BC2017~BC627年。アムル人イシュビ(Ishbi-Erra)がイシン第1王朝(IsinⅠ)を建国。バビロン第1王朝のハンムラビ王(在位BC1792~BC1750)の時、全バビロニアを支配し極盛期に達した。バビロン第10王朝のカンダラヌ王(Kandalanu)の時、宗主国アッシリアを滅ぼし、新バビロニアを建国したナボポラッサル(Nabopolassar)に譲位した。(Babylonia)
バビロン バグダッドの南、ユーフラテス河畔にあった古代都市。BC2500頃建設され、アッカド・ウル・バビロニアなどの首都となり、古代メソポタミア文明の中心として栄えた。(Babylon)
バビロン第1王朝 BC1900~BC1595年。頃古代メソポタミアの都市バビロンを首都とするアムル人(Amorite)王朝 。6代目ハンムラビ王(在位BC1792~BC1750)のとき、全バビロニアを支配し極盛期に達した。BC1595年タウロス山中から襲来したヒッタイト人とフルリ人に敗れ、王朝の幕を閉じた。(Babylon 1st Dynasty)
バビロン捕囚 新バビロニア王国のネブカドネザル2世がユダ王国を滅ぼした際、イスラエル人をバビロンに連行・移住させた事件。第1回はBC597年、第2回はBC586年に行われた。BC538年、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの王キュロスによって帰還を許された。(Babylonian captivity)
バフェウスの戦い 1302年7月27日、オスマン帝国とビザンツ帝国との戦い。戦いはオスマンが大勝利をおさめ、その後ビザンツ帝国が支配していた地域を次々と獲得することになる。(Battle of Bapheus)
ハプスブルク家 神聖ローマ帝国およびオーストリアの王家。10世紀なかば南ドイツに興り、13世紀以降しばしばドイツ国王に選ばれ、1438年から1806年まで神聖ローマ皇帝、また1918年までオーストリア皇帝を占め、その間1516年から1700年までスペイン王、1867年以降はハンガリー国王を兼ねた。(Habsburg)
パフラヴィー朝 1925~1979年。イランの王朝。1925年、ガージャール朝に代わってレザー・シャーが創始。1935年に国号をイランと定めた。1941年に王子モハンマドが即位、米国の援助のもとで強力な改革を行ったが、1979年にホメイニ師らによるイスラム革命で打倒された。パーレビ朝。パフラビー朝。パフレヴィー朝(Pahlavi dynasty)
パフラゴニア BC305~BC64年。小アジア北部、黒海沿岸の古代地方名。西はビテュニア、東はポントス、南はガラティアに囲まれていた。BC64年、共和政ローマに服属。(Paphlagonia)
ハマース パレスチナのイスラム原理主義政党。1987年設立。イスラエルの存在を否定し、武装闘争を展開する。2006年、穏健派のファタハ党と一時連立するが、2007年、ハマースのガザ地区の武力占拠によって崩壊。2011年、ハマースとファタハは和解し、再び連立政権を作って総選挙を行うことで合意。ハマス。(Hamas)
ハム語族  ハム系の言語を話す民族の総称。「旧約聖書」ノアの子ハム・セム・ヤペテの一人ハムの子孫を意味した。古代エジプト語・コプト語・北アフリカのベルベル語・クシュ語・ハウサ語・チャド語などがこれに属する。(Hamites)
バラモン教 古代インドの民族宗教。BC800年頃、リグ・ヴェーダ(Rigveda)を根本聖典としてアーリア人(Aryan)によって成立。司祭階級であるバラモン(Brahmin)をカースト(Caste)の最上位に置き、王族(Kshatriya クシャトリヤ)農工商人 (Vaishya ヴァイシャ)被征服民の奴隷 (Shudra シュードラ)の順に厳格な身分制度を確立した。のちのヒンドゥー教に影響を与えた。(Brahmanism)
バラ戦争 1455~85年英、ランカスター家とヨーク家との王位争奪を中心とする封建貴族間の内乱。前者は紅バラ、後者は白バラを徽章として闘ったのでいう。ランカスター派のヘンリー・テューダーが大勝を得て王位に上り(ヘンリー7世)、ヨーク家のエリザベスを妃とする。封建貴族の勢力が衰え、テューダー絶対王政の時代が始まった。(Wars of the Roses)
パリ・コミューン 普仏戦争後のティエール政権に対抗して、1871年3月18日から72日間、普通選挙によってパリに成立した労働者の革命自治政府。プロイセンの支援を得た政府軍の「血の1週間」と呼ばれる虐殺により崩壊。 (Paris Commune)
パリ講和会議 1919年パリで開かれた戦勝国による第一次大戦終結のための講和会議。米・英・仏の3国が主導権を握り、ドイツとベルサイユ条約を調印。(Paris Peace Conference)
パリ条約 ① 1763年、7年戦争終結の際にイギリスとフランス・スペインが結んだ条約。イギリスがカナダ・フロリダなどを獲得し、海外進出の優位を確立した。(Treaty of Paris)
パリ条約 ② 1783年、アメリカ独立革命を終結させた条約。イギリスがアメリカ独立を承認。(Treaty of Paris)
パリ条約 ③ ナポレオン戦争後に、フランスと対仏大同盟諸国との間に締結された条約。1814年に第一次条約、ナポレオン百日天下後の15年に第二次条約が結ばれた。(Treaty of Paris)
パリ条約 ④ 1856年、クリミア戦争を終結させた条約。オスマン帝国の領土保全をはじめ、ロシアの南下を阻止するための取り決めが行われた。(Treaty of Paris)
パリ条約 ⑤ 1898年、アメリカ・スペイン戦争を終結させた条約。スペインはキューバ独立を承認、アメリカはフィリピン・グアム島などを獲得した。(Treaty of Paris)
バルカン戦争 1912年と13年の2回バルカン半島で起こった戦争。第一次(1912年10月~1913年5月)では、オスマン帝国がバルカン同盟に敗れ、半島部の領土を割譲。→ロンドン条約。第二次(1913年6月~1913年8月)では、この割譲で過大な領土を得たブルガリアが他の同盟3国とルーマニア・トルコに大敗し、領土の大半を失った。(Balkan Wars)→ブカレスト条約
バルカン同盟 1912年ロシアの指導下に結成された、ブルガリア・セルビア・ギリシア・モンテネグロによる対オスマン帝国同盟。第二次バルカン戦争により崩壊。(Balkan League)
バルカン半島 ヨーロッパ南東部、地中海と黒海との間に突き出た半島。一般にドナウ川下流域と、その支流のサバ川以南の地域をさす。この半島にあるギリシア・ブルガリア・アルバニア・セルビア・モンテネグロ・ルーマニア・スロベニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビナ・マケドニア旧ユーゴスラビアなどをバルカン諸国という。 (Balkan Peninsula)
ハルジー朝 1290~1320年。北インドに興ったイスラム系インド王朝。首都はデリー(Delhi)。(Khalji)
パルティア BC247~226年。古代西アジアの王国。イラン系遊牧民の族長アルサケス(Arsaces I)が、BC247年、セレウコス朝シリアの衰微に乗じて、カスピ海の南東岸地方に拠って独立。226年ササン朝ペルシアに滅ぼされた。中国の史書では、安息国と記す。アルサケス朝。パルチア。(Parthia)
バルト海 スカンディナビア半島とヨーロッパ大陸とに囲まれた北ヨーロッパの内海。カテガット海峡で大西洋に通じる公海。湾奥のボスニア湾とフィンランド湾は冬季結氷。バルチック海。古称、東海。(Baltic Sea)
バルフォア宣言 第一次世界大戦中の1917年11月2日に、英外務大臣バルフォアが、英のユダヤ系貴族院議員である第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ロスチャイルドに対して送った書簡で表明された、英政府のシオニズム支持表明。この宣言をシオニスト連盟に伝えるようロスチャイルド卿に依頼した。 (Balfour Declaration)
パレスチナ ① ヨルダン川と死海を結ぶ線の西側の地域。第一次大戦後にイギリスの委任統治領パレスチナとなった、をいうことが多い。第二次大戦後、国連がユダヤ人・アラブ人両国家に分割することを決議したがアラブ人が拒否、1948年にユダヤ人がイスラエルを建国。(Palestina)
パレスチナ ② 西アジア、ヨルダン川西岸地区と地中海東岸に臨むガザ地区からなるアラブ人の自治区。1967年の第3次中東戦争以来イスラエルの占領下にあったが、94年に暫定自治が開始された。政庁所在地、ラマラ。 (Palestina)
パレスチナ解放機構(PLO) パレスチナ解放機構。反イスラエル解放組織の統合機関として結成、1974 年アラブ首脳会議でパレスチナ人を代表する唯一の政治機構と公認され、国連オブザーバーの資格を得た。(Palestine Liberation Organization)
パレスチナ人 パレスチナに住むアラブ系住民、および、かつてパレスチナに居住していたアラブ系住民(難民)とその子孫。(Palestinians)
パレスチナ問題 パレスチナをめぐるアラブ勢力とイスラエルの間の紛争。1947年、国連は英国委任統治領だったパレスチナにユダヤ国家とアラブ国家を樹立する「パレスチナ分割決議」を採択。それを受けイスラエルが1948年に建国を宣言。反発したアラブ諸国との間で戦争が相次いだ。(Israeli–Palestinian conflict)
バロック音楽 16世紀末から18世紀半ばに栄えた音楽の様式。互いに独立した複数声部の対立と、それを支える和声的低音の組み合わせがつくる強い緊張感、激しい情緒表現などを特徴とする。主たる曲種はオペラ・カンタータ・ソナタ・コンチェルト・オルガン音楽など。 (Baroque music)
ハンガリー王国 1000年、マジャール人のイシュットヴァーン1世がカルパティア盆地に建国。14~15世紀に東ヨーロッパの強国となるが、1526年オスマン帝国に敗れた後、1699年ハプスブルグ帝国の支配下に入った。(Kingdom of Hungary)
ハンザ同盟 13世紀以降、リューベック・ハンブルク・ブレーメンなどの北ドイツ商業都市が貿易の独占と保護を目的として結んだ都市連合体。北海、バルト海沿岸に商業圏を広げ、14世紀後半に最盛期を迎え、17世紀後半に消滅。 (Hanseatic League)
ピエモンテ イタリア北西部の8県から成る州。州都はトリノ。北はスイスおよびバレ・ダオスタ州との境、西はフランスとの国境をなす標高3000~4000mの険しいアルプス山脈、南はリグリア州との境をつくる標高500~1500mのアペニン山脈と、三方を山々に囲まれる。(Piemonte)
ひがし東ゴート王国 493~553年。東ゴート族テオドリック(Theodoric)によって建国。首都はラヴェンナ(Ravenna)。東ローマ皇帝ゼノン(Zeno)との同盟により、西ローマ滅亡後の493年、オドアケル王国を滅ぼしてイタリアのほぼ全域を支配下においた。553年、東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世に滅ぼされた。(Ostrogothic Kingdom)
ひがし東フランク王国 843~962年。843年、ヴェルダン条約によりフランク王国が3分割された結果、ルートヴィヒ1世の三男であるルートヴィヒ2世(在位843~876)が継承した王国。870年のメルセン条約で西へ拡大。911年、ルートヴィヒ4世(Louis the Child 在位893~911)の死によりカロリング朝は断絶、以後諸部族の王朝であるフランケン朝、ザクセン朝の王が東フランク王を称し、962年、ザクセン朝のオットー1世の戴冠により神聖ローマ帝国が成立。(East Francia)
ひがし東ローマ帝国 テオドシウス大帝の死(395年)後、その子がローマ帝国を東西に両分し、東方部すなわちエジプト・小アジア・シリア・ギリシアの地を支配した国。長子アルカディウスが継承してコンスタンティノープルに都した。建国以来千余年で1453年オスマン帝国に滅ぼされた。(Byzantine Empire)
ヒスパニア イベリア半島(現在のスペインとポルトガルや、アンドラ・ジブラルタルの領域)の古名である。なお、スペインの現代語での名称は全てこのヒスパニアを語源とする。(Hispania)
ヒズボラ レバノンのシーア派イスラム原理主義組織。1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻時にイランから送り込まれた「イラン革命防衛隊」によって組織され、現在、首都ベイルート南部に多数の民兵を擁している。イスラエルに対する武力攻撃を行なう一方、1992年以降はレバノン国内で合法的政治活動も展開。(Hizbollah)
ヒッタイト BC1680~BC1178年。小アジア(アナトリア)におこり、西アジアを支配したインド・ヨーロッパ語を用いた民族。馬と鉄器を使用し、BC14世紀にはエジプト・アッシリア間に大帝国を建設。BC1595年バビロン第1王朝を滅ぼしたしたが、BC12世紀に入って急速に衰退。その楔形文字はすでに解読され、象形文字も残存する。(Hittite)
ヒッティーンの戦い 1187年7月4日、エルサレム王国とアイユーブ朝のサラディン率いるイスラム勢力の間に起こった戦い。この戦いに勝利したサラディンは進軍を継続して同年10月に聖地エルサレムの奪回に成功し、エルサレム王国を崩壊寸前まで追い込んだ。ハッティンの戦い(Battle of Hattin)
ビテュニア BC297~BC74年。トラキア人のジポイテス1世(ZipoetesⅠ)が建国。BC74年、共和政ローマの属領となる。1325年、オスマン帝国よって征服された。領土は、小アジアの北西にあたり、マルマラ海、トラキア、ボスポラス海峡および黒海に接する。ビテュニア王国(Bithynia)
ひゃくねん百年戦争 フランスの王位継承問題、羊毛工業地帯フランドルの主導権争いなどが原因となり、1337~1453年の間、断続的に戦われた英仏間の戦争。前半、英国が優勢だったが、ジャンヌ・ダルクのオルレアン解放などにより形勢は逆転し、カレーを除く全フランスから英軍が撤退して終結。(Hundred Years' War)
ピューリタン(清教徒) 16世紀後半、エリザベス朝時代に、イングランド国教会に残っていたカトリック的要素にあきたらず、カルヴァン主義の立場から信仰と生活の清純を保とうとした人びと。長老派・独立組合教会派・バプテスト派などを含む。その一部は17世紀前半にニュー・イングランド植民地に移住。(Puritans)
ヒュダスペス河畔の戦い BC326年、アレクサンドロス3世率いるマケドニアとインド諸侯の連合軍戦い。両者相当数の戦死者をだし、マケドニアが勝利した。しかし、マケドニア軍の損害は大きく、また兵士たちの望郷の念も大きくなり、これ以上の東進の継続を断念。BC323年、バビロンまで帰還した。(Battle of the Hydaspes River)
ピルグリム・ファーザーズ 1620年、スチュアート朝の宗教的圧迫からのがれ、信仰の自由を求めて、メーフラワー号でイギリスから北アメリカに移住し、プリマスに植民地を建設したピューリタンの1団(102名)。巡礼父祖。(Pilgrim Fathers)
ピレネー山脈 フランスとスペインとの国境をなす山脈。長さ約400キロメートル、主峰はアネト山(標高3404メートル)(Pyrenes)
ファーティマ朝 北アフリカのイスラム王朝(909~1171)。チュニジアを本拠としたが、969年エジプトを征服、アッバース朝から完全に独立し、973年カイロを建てて遷都。シリア・アラビアにも版図を拡大し、地中海・北アフリカ貿易を独占した。また、アッバース朝や後ウマイヤ朝と対抗し、シーア派イスラム文化の中心となったが、アイユーブ朝の創始者サラディンに滅ぼされた。(Fatimid Islamic Caliphate)
ファシスト党 イタリアの政党。ムッソリーニが1919年に組織した反革命団体をもとに21年正式に設立。翌年政権を獲得し、国家機構と合体。他党の非合法化などにより独裁制を確立。民主主義を否定し、全体主義と愛国主義を唱えた。43年ムッソリーニの失脚後、解散。 (National Fascist Party)
ファショダ事件 アフリカ分割をめぐり、1898年イギリス・フランス両軍がスーダン南部のファショダ(Fashoda)で対峙した事件。外交交渉によりスーダンはイギリスの支配下におかれた。 (Fashoda Incident)
ファタハ 1957年、パレスチナ独立を目標としてPLOのアラファットによって設立された政治政党。イスラム原理主義政党のハマースに対して「穏健派」とよばれる。2007年にハマースがガザ地区を武力制圧し、ファタハが統治するヨルダン川西岸地区とに分断されたが、2011年、両組織は和解した。(Fatah)
ファルサルスの戦い BC48年8月9日に、ポンペイウスらの元老院派とシーザー(ユリウス・カエサル)率いるシーザー派の間で行われた戦いである。ローマ内戦中の最大の激戦となった戦闘であり、シーザー派が元老院派を破った結果、シーザーはローマの覇権確立へ大きく前進した。(Battle of Pharsalus)
ファルツ・ボヘミア戦争 1688年から1697年にかけて、フランス王ルイ14世がファルツ選帝侯領の継承権を主張して起こした戦争。ドイツ諸邦・英国・スペイン・オランダなどが反仏戦線を結成して戦い、ルイ14世の意図は阻止された。アウグスブルク同盟戦争。ファルツ継承戦争。(War of the League of Augsburg)
フィリッピの戦い BC42年10月、ブルータスらが率いる共和派(Liberatores)の軍とアントニウスとオクタヴィアヌスが率いる第2回3頭政治の軍の戦い。共和派ブルータスらが敗北。(Battle of Philippi)
フィレンツェ イタリア中部の都市。トスカーナ地方の重要都市で、ルネサンス文化の中心地。有名な建築物・美術品が多く、風光にもすぐれる。人口36万8千(2004)。英語名フローレンス。(Firenze)
ふう封じ込め政策 1949~52年にアメリカがとった対ソ政策。自由主義諸国の団結により、共産主義勢力を既存勢力範囲に封じ込めておこうとしたもの。(Containment)
フェニキア レバノン山脈の西、シリア地方の地中海沿岸に沿う狭長な地域の古代の称。また、そこにセム系のフェニキア人がBC3000年頃に建てた、シドン・ティルスなど都市国家の総称。航海にすぐれ、BC13世紀から海上貿易を営み、西は地中海から大西洋まで進出、東はペルシア・セイロンに至る。ギリシアの台頭によって次第に衰え、BC64年、共和政ローマに併合。(Phoenicia)
フェニキア人 セム族に属する一民族、カナン人のギリシア名。BC3000~BC2000年、地中海東岸中部に多数の都市国家や植民市を建設。航海に長じて海上交易に従事、その活動範囲は大西洋やインド洋に及び、各地にオリエント文明を伝えた。(Phoenician)
フェビアン協会 イギリスの社会主義団体。1884年バーナード・ショー・ウェッブ夫妻らが創立。社会福祉の充実による漸進的な社会主義改革をめざす。慎重で漸進的戦術をとった古代ローマの名将ファビウスの名にちなむ。 (Fabian Society)
ふおう普墺戦争 1866年、ドイツ統一の主導権をめぐって起こったプロイセンとオーストリアの戦争。7週間でプロイセンが大勝し、オーストリアを除外したドイツ統一の大勢が決定した。プラハ条約(1866年)が結ばれ、ドイツ連邦の解体とプロイセンの北ドイツ連邦組織の承認、ドイツ統一におけるオーストリアの不干渉、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン両公国のプロイセンへの帰属などが定められ、プロイセンは事実上ドイツの中心となった。プロイセン・オーストリア戦争。(Austro-Prussian War)
フォークランド紛争 フォークランド諸島の領有をめぐりイギリスとアルゼンチンの間で1982年に勃発した武力衝突。イギリスの勝利のうちに終結。(Falklands War)
フォントネー修道院 ブルゴーニュ地方コート・ドール県モンバール市内にある修道院。サン・ベルナール渓谷とフォントネー川の合流点にあたる森の中で静かにたたずむ最古のシトー会修道院で、外観・内装とも華美な装飾性を一切排している。(Abbey of Fontenay)
プガチョフの乱 エカチェリーナ2世統治下のロシアで、1773~1775年に起こった大農民反乱。ドン・コサック(Don Cossack 農民武装集団)出身のプガチョフ(Pugachyov 1742~1775)が地主打倒・農奴解放を唱えて蜂起。各地に波及したが政府軍に敗れ、プガチョフは処刑された。(Pugachev's Rebellion)
ブカレスト条約 ①1913年、第二次バルカン戦争 (1913年) の結果、ブルガリアとセルビア、ギリシア、ルーマニア、モンテネグロ、トルコ間で締結された条約。ルーマニアはドブルジャ地方北部を領有、セルビア、ギリシアがマケドニアに進出した。(Treaty of Bucharest)
ブカレスト条約 ②1812年締結された第九次露土戦争(1806~1812)の講和条約。ロシアはオスマン帝国よりベッサラビア地方の領有権を獲得した(Treaty of Bucharest)
フス戦争 1419~36年フス派が起こした反乱。ジギスムントによる5回の十字軍は失敗し、36年に和約が成立。(Hussite Wars)
フセイン・マクマホン協定 1915年10月、メッカの太守フセインがイギリスのエジプト高等弁務官マクマホンと交わした往復書簡での合意。その内容は、第一次大戦後のアラブ王国の独立承認の約束と引替えに、フセインがオスマン帝国に対して反乱を起こすというもの。(McMahon-Hussein Correspondence)
プトレマイオス朝エジプト BC305~BC30年。アレクサンドロス大王の死後、部将プトレマイオス1世(Ptolemy I Soter 在位BC305~BC282)がエジプトに建てた王朝。首都アレクサンドリアはヘレニズム文化の中心地として栄えたが、クレオパトラ7世の死をもって断絶。ラゴス朝。(Ptolemaic dynasty)
ブハラ・ハン国 1561~1920年。シャイバーン朝、アストラハン朝(1599~1782)、マンギット朝(1753~1920)に対する総称。ブハラを首都として西トルキスタンを支配。1868年にロシア軍に敗れ、ロシアの保護国となった。(Khanate of Bukhara)
ふふつ普仏戦争 1870~1871年、ドイツの統一をめざすプロイセンと、隣国に強大な統一国家の出現を恐れるフランスとの間に行われた戦争。フランス側にとっては、ナポレオン3世の対外膨張策がメキシコ遠征の失敗以来破綻をきたしており、その威信回復のためにも戦争を必要とした。一方、プロイセン側にとっては、普墺戦争の勝利でドイツ統一の実現に大きく前進したが、それを嫌うフランスの領土干渉に対し、これを排除する必要があった。この戦争はプロイセンが勝利し、1871年、敗戦国フランスのヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝戴冠式が行われ「ドイツ帝国」(German Empire 1871~1918年)が誕生した。(Franco-Prussian War)
プラタイアの戦い クセルクセス1世の遠征後のBC479年8月、ペルシア残存勢力とペルシア側についたギリシアの諸ポリスに対して、スパルタ、コリントス、アテネなどのギリシア連合軍が出撃し、これを撃退した戦いである。右翼についたスパルタ軍だけで大半のペルシア兵を討ち取り、それが直接的な勝因に繋がった。 (Battle of Plataea)
プラッシーの戦い 1757年、インド、ベンガル地方のプラッシーで行われた、イギリス東インド会社軍と、フランス・ベンガル連合軍との戦い。クライブの指揮するイギリス軍が圧勝し、インドにおける優位を確立した。(Battle of Plassey)
フランクフルト国民議会 1848年、ドイツ三月革命後、フランクフルトで開かれたドイツ初の全国的議会。49年3月、立憲君主制を採用したドイツ憲法を成立させたが、推戴されたプロイセン王が即位を拒否したため、憲法実現に至らず、同年解散。 (Frankfurt Parliament)
フランク王国 481~987年。ゲルマンの部族。民族大移動の頃、今のフランス北部・ベルギーに勢力を持ち、481年、フランク王国を建て、6世紀初頭にはガリア一円を統治。のち、さらに東に領土を拡張し、800年に西ローマ帝国と称したが、843年、3分割されて独・仏・伊3国の起源をなした。(Francia)
フランコ政権 スペイン内戦により第2共和政が崩壊した後、政権を握ったフランコが国家元首となった1939年から、1975年のフランコの死によってカルロス1世が国王となるまでの間のフランコ体制をいう。(Francoist dictatorship)
フランス革命 1789~99年、ブルボン王朝の圧制下にあった市民が起こしたブルジョア革命。バスチーユ襲撃に始まり、人権宣言の公布、立憲君主制の成立を経て、92年に第1共和制を樹立し、翌年ルイ16世を処刑。ジャコバン派による恐怖政治、テルミドール反動後の総裁政府の時代を経て、ナポレオンの政権掌握により終結。 (French Revolution)
プランタジネット朝 中世イングランド王国の王朝。フランスの貴族であったアンジュー伯アンリが1154年にイングランド王ヘンリー2世となり、1399年にリチャード2世が廃されるまで続いた。ただし、その後に続くランカスター朝、ヨーク朝ともプランタジネット家の男系の傍系であるため、広義ではプランタジネット朝に含まれる。(Plantagenet Dynasty)
ブランデンブルク ドイツ北東部、エルベ川とオーデル川との間の地域。12世紀以来辺境伯領。15世紀初頭ホーエンツォレルン家が辺境伯に封じられ、ベルリンを中心に後のプロイセン王国の中核を形成。(Brandenburg)
ブランデンブルク辺境伯領 神聖ローマ帝国の選帝侯の1人であるブランデンブルク辺境伯の所領の領地。現在のブランデンブルク州の大部分とベルリン、およびポーランドの一部に相当する。ブランデンブルク選帝侯。(Markgrafschaft Brandenburg)
フランドル ベルギー西部からフランス北端にかけて、アルトワ丘陵とスヘルデ川下流との間にあって北海に沿う低地地方。中世以来毛織物業が興隆、文化が繁栄した。オランダ語名フランデレン。英語名フランダース。(Flandre)
フリギア BC1200~BC133年。アナトリア(小アジア)の中央高地西部にあった古代国家。インド・ヨーロッパ語族に属するフリギア人が、トラキア地方から西アナトリア、中央アナトリアへと移動して建国した。BC133年共和政ローマに併合。(Phrygia)
ブリタニア イギリスのグレート・ブリテン島、特にその南部地方のローマ時代の呼称。1世紀半ばから5世紀初めまでローマの属州。当時住んでいたケルト系のブリトン人に由来する名。 (Britannia)
ブリュッセル ベルギー王国の首都。同国中央部に位置し、市街は美しく大広場(グラン・プラス)は世界遺産。EUやNATOの本部の所在地。人口96万4千(2000)。英語名ブラッセル。(Bruxelles)
ブリュメール18日クーデター ナポレオンが1799年11月9日にクーデターにより総裁政府を倒し、統領(執政)政府を樹立し、自ら第1統領(執政)となって、軍事独裁を開始した事件。(Coup d'etat of 18 Brumaire)
プリンキパトゥス 古代ローマの共和精神を加味した帝政。アウグストゥスから3世紀に至る時代の政治制度で、専制政治とは区別される。元首政治。(Principatus)
ブルージュ ベルギー西フランドル州の都市。人口11万8000(1981)。レース製作、金属・食品工業などが盛ん。9世紀ごろに築かれたフランドル伯の居城を中心とした商人・手工業者の町に起源を持ち、1127年自治権を得る。中世を通じて、フランドル伯領の首都であり、文化的にも経済的にも繁栄した。(Bruges)
ブルガリア バルカン半島南東部にある共和国。6世紀にスラヴ族、ついでトルコ系ブルガル族に征服され、1014年東ローマの、14世紀末トルコの支配下に入った。1878年公国、1908年独立。第二次大戦後、人民共和国となり、90年共和国。(Bulgaria)
ブルグント王国 411~534年。オーデル川下流域にいたゲルマン人の一部族ブルグント族が、ゲルマン大移動の中で、406年にライン川を超え、ガリアに侵入、ライン川中流域から東ガリアにブルグルト王国を建設した。437年にフン人と戦って敗れたが、後にサヴォイア地方(Savoy フランス南東部)に王国を再建、フランス東南部からスイスに及ぶ地域を支配した。534年フランク王国に征服され滅亡した。ブルグルト王国のあった地域が後のブルゴーニュ地方である。(Kingdom of Burgundy) 
ブルグント族 443~534年。ゲルマン人の一部族で、スカンジナビア半島を故地とし、300年以後マイン川両岸流域に定住。406年ローマ帝国の領内に侵入。413年ローマの同盟者としてライン川西方地域に植民。436年西方に勢力を伸ばそうと企てるも、フン族の援軍の力を借りたローマの将軍アエティウスのために壊滅的打撃を被る。(Burgund)
ブルゴーニュ フランス東部のソーヌ川流域を中心とする地方。ワインの産地として有名。中心都市ディジョン。英語名バーガンディ。(Bourgogne)
ブルゴーニュ公国 1032~1477年。ヴァロワ朝ブルゴーニュ家の支配領域。1032年カペー朝ロベール2世の子ロベール(在位1032~1076)がブルゴーニュ公に封ぜられ、12代目のフィリップ1世(在位1349~1361)で男系が断絶、ヴァロワ王家領に吸収。その後ヴァロワ朝シャルル5世の弟フィリップ2世(在位1363~1404)がブルゴーニュ公に封ぜられ、1384年フランドル伯ルイ2世の娘マルグリット3世との婚姻によりフランドル伯領をフランス王から受封。1474年シャルル公(在位1467~1477)ブルゴーニュ公がアルザス・ロレーヌをめぐりフランスとブルゴーニュ戦争を起こし1477年に戦死。その娘マリーがハプスブルク家のマクシミリアン1世と結婚したため、オーストリアに併合された。(Duchy of Burgundy)
ブルターニュ フランス北西部、ブルターニュ半島を中心とする地方。住民はブルトン人(Bretons)と呼ばれ、古くからの習俗・言語など、特異なケルト文化を伝える。(Bretagne)
ブルボン朝 フランス絶対主義期の王朝(1589~1830)。ヴァロア朝断絶後のアンリ4世の即位に始まり、フランス革命で一時中断したが、王政復古で再興し七月革命まで続いた。(Bourbon Dynasty)
プレヴェザの海戦 1538年オスマン帝国艦隊(スレイマン1世)と、スペイン・ベチチア・ローマ教皇の連合艦隊がイオニア海で戦った海戦。オスマン艦隊が勝利し地中海の制海権を握った。(Battle of Preveza)
ブレトン・ウッズ体制 金ドル本位制と固定相場制とを柱とする第二次大戦後の国際通貨制度。1944年ブレトン・ウッズ会議で成立。1971年の金ドル交換停止(ニクソンショック)と1973年の変動相場制移行によって崩壊。(Bretton Woods system)
フレンチ・インディアン戦争 1754~1763年。フランス・インディアン連合軍とイギリスとの英仏植民地戦争。北ヨーロッパにおける七年戦争と連動。米植民地で戦われ、イギリスが圧勝。敗れたフランスはパリ条約により、北米植民地のすべてを失った。(French and Indian War)
プロイセン王国 1618年ブランデンブルク選帝侯国(首都ベルリン)とプロイセン公国とが合同してブランデンブルク・プロイセン公国が成立。1701年にプロイセン王国と改称。18世紀後半にフリードリヒ2世が絶対主義体制を確立して強国になった。のち普墺戦争・普仏戦争に勝ち、1671年ドイツ帝国を建設。(Kingdom of Prussia)
プロイセン公国 1525年から1701年まで、現在のドイツ北東部、ロシア領カリーニングラード州およびポーランド北部に存在した国家。プロシア公国とも。 (Duchy of Prussia)
プロイセン人 バルト海の南東岸の、およそヴィスワ川とクロニアン (Curonian) 湖周辺に居住している、近隣のスラブ民族とは異なる中世バルト族(バルト人)から成る民族グループ。 (Prussians)
プロポンティス海 現在のトルコ北西部の内海であるマルマラ海(Marmara)の古称。ボスポラス海峡(Bosporus)とヘレスポントス (Hellespontos 現在のダーダネルス海峡)に挟まれた小内海で、ヘレスポントスでエーゲ海に、ボスポラス海峡で黒海に通じる。(Propontis)
フロンドの乱 1648年から1653年にかけてのフランスで、宰相マザラン(Jules Mazarin)の王権強化政策に反発する貴族たちが起こした反乱。内部分裂により鎮圧され、フランス絶対王政が確立された。 (Fronde)
ブワイフ朝 932~1062年。イランからイラクの地を支配したイラン系のシーア派イスラム王朝。932年にイランに政権を確立。946年にはバグダッドを制し、アッバース朝カリフの実権を奪ったが、1062年、セルジュク朝に滅ぼされた。(Buyid dynasty)
ぶんか文化大革命 1966年中国内の思想・政治闘争。毛沢東・林彪らは紅衛兵や軍を動員し、劉少奇国家主席ら党や行政の幹部の実権を奪い、多数の粛清者を出した。しかし全国で混乱がつづき、林彪失脚など内部対立はやまず、76年には天安門事件が起こるに及び、毛の死後、77年終結が宣言された。プロ文革。文革。 (Cultural Revolution)
フン族 モンゴル・トルコ系の騎馬遊牧民族。4世紀後半にヨーロッパに侵入し東・西ゴート族を圧迫、民族大移動の原因をつくった。人種的には匈奴と同族ともいう。(Hun)
べいえい米英戦争 1812~1815年。ナポレオン戦争中に起こったアメリカとイギリスの戦争。イギリスがアメリカとフランスの貿易を妨害したことなどに対するアメリカの反発から起こった。戦闘はアメリカ国内で行われたが勝敗はつかず、ヨーロッパでナポレオンが没落したことを受け、1914年に講和した。(War of 1812)
へイスティングスの戦い ノルマンディー公ウィリアムのイングランド征服 の際の戦闘。 1066年10月14日現在のイーストサセックス県ヘイスティングズ北郊で、王位継承を主張するウィリアムの率いる騎兵隊が、イングランド王ハロルド2世のアングロ・サクソン軍を破り、ハロルドを敗死させた。 12月ウィリアム1世として即位し、ここにアングロ・サクソン時代は終りを告げた。 (Battle of Hastings)
べいせい米西戦争 1898年、スペイン領キューバの独立戦争に介入した米国とスペインの戦争。米国が勝利を収め、キューバは独立。スペイン領のプエルトリコ・グアム・フィリピンは米国領となった。(Spanish American War)
べいぼく米墨戦争 1846~1848年米国・メキシコ間の戦争。米国は国境紛争を利用し、メキシコを挑発して開戦。米国の軍事的勝利によりメキシコはテキサスを放棄、ニューメキシコとカリフォルニアを1500万ドルで譲渡した。これによりアラスカを除く米国の大陸領土はほぼ完成した。アメリカ・メキシコ戦争(Mexican–American War)
へいみん平民会 共和政ローマの民会の一つ。BC494年設置。議長は護民官。立法と執政官(Consul)の選挙を行った。この民会の議決は、当初国法と認められなかったが、BC287年のホルテンシウス法によって、貴族も構成員に加えられ、国家の最高立法機関となった。(Comitia Plebis Tributa)
ぺきん北京条約 中国清末に、北京で清が諸外国と結んだ条約の通称。特に次のものをさす。① 1860年にイギリス・フランスと結んだアロー戦争の講和条約。58年の天津条約を確認し、天津の開港、イギリスへの九龍半島の割譲などを追加した。② ① の講和を調停したロシアと1860年結んだ条約。ロシアにウスリー川以東の沿海州を割譲した。(Convention of Peking)
ベッサラビア 東ヨーロッパ、ドニエストル川・プルート川・黒海に囲まれた地域。古くからロシア・オスマン帝国・ルーマニアの係争地。現在、モルドバ共和国に属する。(Bessarabia)
ペテルブルク バルト海東部のフィンランド湾最東端に面するネヴァ川河口デルタに位置するロシア西部の都市、レニングラード州の州都。1917年までロシア帝国の首都であった。サンクトペテルブルク。(Peterburg)
ベトナム戦争 1965~1975年。ベトナムの統一をめぐる戦争。1960年北ベトナムの支援のもとに結成された南ベトナム解放民族戦線が、1961年、南ベトナム政府に対して本格的な抗争を開始。その間、1963年米国が全面的に軍事介入。1973年和平協定により撤退。1975年サイゴンが陥落して南ベトナム政府は崩壊。1976年南北ベトナムの統一が実現。第二次インドシナ戦争(Vietnam War)
べトナム独立同盟(ベトミン) 1941年、ホー・チミンの提唱によりインドシナ共産党を中心として結成された民族統一戦線。第二次大戦中は抗日闘争を展開、1945年の終戦直後にベトナム民主共和国を成立させた。その後、植民地再建に乗り出したフランスとインドシナ戦争を戦い、フランス撤退後の1955年に解散を宣言した。越盟。(Vietminh)
ベネヴェント公国 中世におけるイタリア最南端のランゴバルド系公国で、南イタリアを中心としていた。1077年ノルマン人の傭兵ロベルト・グイスカルド(Robert Guiscard)により征服された。その後1130年にルッジェーロ2世(Roger II of Sicily)のもとシチリア王国が成立した。(Duchy of Benevento 571~1077年)
ベネチア イタリア北東部、アドリア海に面する港湾都市。サン・マルコ聖堂などの史跡が多く、ゴンドラなどの風物で世界的観光地として有名。7世紀末、地中海貿易を独占し、共和国を樹立。15、6世紀芸術の中心地となり、1866年イタリア王国に統合。ベネティア。ヴェネティア。ベニス。(Venezia)
ペルガモン BC261~BC133年。小アジア北西部ミュシア(Mysia)地方にあった古都。現在のトルコのベルガマ(Bergama)。ヘレニズム文化の一中心地。BC133年、共和政ローマに服属。(Pergamon)
ベルギー王国 19世紀にネーデルラント連合王国から独立。フラマン語が公用語の北部フランデレン地域と、フランス語が公用語の南部ワロン地域とにほぼ2分される。建国以来、オランダ語系住民とフランス語系住民の対立(言語戦争)が続いたため、1993年にフランデレン地域とワロン地域とブリュッセル首都圏の区分を主とする連邦制に移行。 (Kingdom of Belgium)
ベルサイユ宮殿 ベルサイユにある宮殿。主要部はルイ14世時代に作られ、数次にわたり増改築。室内装飾・庭園に至るまで近世の各国宮殿の範とされた。宮殿内の「鏡の間」でドイツ帝国創立式典、第一次大戦後の講和条約調印式などが行われた。(Palais de Versailles)
ベルサイユ条約 第一次大戦の戦後処理のため、1919年ベルサイユ宮殿で調印された連合国とドイツとの講和条約。ドイツの領土割譲、海外植民地の放棄、賠償支払い、軍備制限などについて定め、国際連盟を設立した。 (Treaty of Versailles)
ペルシア戦争 BC500年~BC449年、アケメネス朝ペルシア帝国のギリシア遠征。一時ペルシアはアテネを占領したが、BC480年のサラミスの海戦、翌年のプラタイアの戦で敗北。最終的な平和条約はBC449年に結ばれた。(Greco-Persian War)
ペルシア湾 アラビア半島とイランに囲まれた湾。東はホルムズ海峡でオマーン湾・アラビア海に通じる。湾岸および海底は石油・天然ガスに富む。(Persian Gulf)
ペルセポリス イラン中南部にあったアケメネス朝ペルシアの王都。BC6世紀ダレイオス1世が建設。アレクサンドロス大王の侵入で破壊。遺跡が発掘されている。(Persepolis)
ベルベル人 北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族である。形質的にはコーカソイド(Caucasoid 白色人種)で、宗教はイスラム教を信じる。 (Berber)
ベルリン ドイツ連邦共和国の北東部に位置する首都。プロイセン王国・ドイツ帝国・ドイツ共和国・ナチス時代などの首都。第二次大戦後の1948年東西に分割され、東ベルリンは東ドイツ(ドイツ民主共和国)の首都、西ベルリンは西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の1州となったが、90年ドイツの統一により、東西のベルリンも統一された。(Berlin)
ベルリン・ローマ枢軸 1936年成立したナチス・ドイツとファシスト・イタリアとの協力体制。ムッソリーニが両国関係を「枢軸」と述べたことによる。 (The Berlin-Rome Axis)
ベルリンの壁 もと東ドイツ(ドイツ民主共和国)領内にあった西ベルリンを取り囲むコンクリートの壁。高さ4メートル、長さ165キロメートル。西側諸国への亡命を防ぐため1961年に東ドイツ政府が構築。89年に東欧の解放が進む中で市民により破壊された。 (Berlin Wall)
ベルリン会議 ① 1878年、ベルリンで開かれた欧州諸国の国際会議。露土戦争に勝ったロシアのバルカン進出を恐れるイギリス・オーストリアとロシアとの利害対立をビスマルクが調停にあたったもの。ルーマニア、セルビア、モンテネグロは独立を認められ、ボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリアの統治下となった。(Congress of Berlin)
ベルリン会議 ② 1884~85年に開催され、欧米列強諸国によるアフリカ分割が定められた会議。(Congress of Berlin)
ベルリン封鎖  1948年、分割占領中のドイツで、米英仏の占領地区からベルリンにいたる交通路をソ連が封鎖した事件。翌年、封鎖は解除されたが、ドイツの東西分裂が決定づけられた。ソ連はベルリンの三国占領地区(西ドイツ)の屈服を計ったが、アメリカの空輸による物資供給で失敗。(Berlin blockade)
ペレストロイカ 建て直しの意。旧ソ連のゴルバチョフ政権で進められた改革の総称。(Perestroika)
ヘレスポントス ヨーロッパとアジアの間、エーゲ海とマルマラ海を結ぶダーダネルス海峡の古称。(Hellespontos)
ヘレニズム 東方文化と融合したギリシア文明。歴史的にはアレクサンドロス大王の東征(BC334年)または没年(BC323年)からローマのエジプト併合(BC30年)まで、地理的にはギリシア・マケドニアのほか、アレクサンドロスの東征区域を含む。(Hellenism)
ペロポネソス戦争 BC431年からBC404年まで、アテネとスパルタがギリシア世界を2分して覇権を争った戦争。スパルタの勝利に終わったが、ギリシア全体の衰退への転機となった。(Peloponnesian War)
ペロポネソス同盟 古代ギリシアのスパルタを盟主とするペロポネソス半島の諸ポリスからなる同盟。(BC6C~BC366)スパルタは同盟会議を招集、主宰し、戦争期間中は軍事指揮権をもった。アテネ中心のデロス同盟と対立し、ペロポネソス戦争に発展した。スパルタは戦争の勝者とはなったものの、BC371年、レウクトラの戦い(Battle of Leuctra)でテバイ(Thebai)に敗れ、ほどなく同盟は解体した。(Peloponnesian League)
ポエニ戦争 第1回(BC264~BC241)はシチリアを主戦場、シチリアはローマ属領となる。第2回(BC218~BC201)ガリア、アルプスから侵入したハンニバルのカルタゴ軍がカンネーなどで連勝後、ローマ軍が挽回、北アフリカのザマで大スキピオがハンニバルを破る。第3回(BC149~BC146)ローマ遠征軍がカルタゴ壊滅。(Punic Wars)
ボーア人 アフリカ南部に居住する白人のうち、ケープ植民地を形成したオランダ系移民を主体に、フランスのユグノー、ドイツ系プロテスタント教徒など、宗教的自由を求めてヨーロッパからアフリカに入植した人々が合流して形成された民族集団。アフリカーナー (Boer)
ボーア戦争 1899~1902年、英国と、アフリカ南部のオランダ系住民(ボーア人 Boer)の国トランスバール共和国(Transvaal Republic)およびオレンジ自由国(Orange Free State)との間で行われた戦争。英国が両国に侵入して植民地とし、1910年に南アフリカ連邦を成立させた。南アフリカ戦争。(Boer Wars)
ホーエンシュタウフェン朝 神聖ローマ帝国の王朝。シュタウフェン朝およびシュタウファー朝とも呼ばれる。シュヴァーベン大公でもあった。家名はシュヴァーベンのシュタウフェン城を発祥とする。イタリアではシチリア王国を支配し、1266年まで続いた。(Hohenstaufen)
ホーエンツォレルン家 ドイツの王家。15世紀よりブランデンブルク選帝侯。1701年よりプロイセン王を称し、1871~1918年ドイツ帝国の帝位にあった。(Hohenzollern)
ポーランド・リトアニア共和国 ポーランド王国とリトアニア大公国の制度的国家合同(ルブリン合同 Union of Lublin)によって1569年から1795年まで存在した複合君主制国家。これにより両国は、共通の君主と2院制議会を有し、共同で外交政策を決定することになった。(Polish-Lithuanian Commonwealth)
ポーランド王国 966年、ピアスト家の当主ミェシュコ1世(Mieszko I)が部族を取りまとめ、ポーランド公として、ポーランド公国ピアスト朝(Piast dynasty)を創始した。1025年、ボレスワフ1世(Bolesław I)の時、ローマ法王ヨハネス19世によってポーランド公国は王国として認知され、ポーランド王国となった。(Kingdom of Poland)
ポーランド分割 ① 18世紀末にプロイセン・ロシア・オーストリアが3回にわたり行なったポーランドの分割。1795年の第3次分割によりポーランドは消滅。② 第二次大戦開始直後の1939年にドイツとソ連により行われたポーランドの分割。(Partitions of Poland)
ほくそう北宋 960~1127年。五代最後の後周の将軍趙匡胤(在位960~976年)が建国。開封(河南省)に都し、文治主義による官僚政治を樹立したが、外は遼・西夏の侵入に悩まされ、内は財政の窮迫に苦しみ、1127年、金の侵入により9代で江南に逃れた。これまでを北宋という。
ボストン茶会事件 1773年、英本国が紅茶に課した重税に抗議して、住民が起こした抵抗事件。ボストン湾に停泊していた英貨物船を襲い、積み荷の紅茶を海に投げ捨てた。米独立戦争のきっかけになった。(Boston Tea Party)
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 1992年3月、ボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立を宣言。反対派のセルビアとモンテネグロは同月ボスニア・ヘルツェゴビナ侵攻を行った。内戦は長期化したが、アメリカが調停に乗り出し、1995年 12月ボスニア和平協定 (デートン和平合意 Dayton Agreement) が成立した。(Bosnian War)
ボスポラス海峡 トラキア(現在のトルコのヨーロッパ部分)と小アジアをを隔てる海峡。(Bosporus)
ボスポロス王国 BC438~370年。クリミア半島を中心にギリシア人の植民者と現地人らによって形成された国家。黒海交易の中心として古代世界で繁栄を誇った。370年、フン族の制圧により滅亡した。(Bosporan Kingdom)
ポツダム会談 1945年(昭和20)7月17日から8月2日まで、ポツダムで行われた、米・英・ソの首脳トルーマン・チャーチル(中途でアトリーに代わる)・スターリンの会談。第二次大戦後のヨーロッパの処理、日本の降伏条件などを決定した。(Potsdam Conference)
ほっぽう北方戦争 1700~21年バルト海支配をめぐりスウェーデンとロシア・ポーランド・デンマークなどが行なった戦争。はじめスウェーデンが優勢だったが、1709年のポルタバでの戦いにピョートル1世が大勝。優位に立ったロシアはバルト海沿岸に進出しペテルブルクを建設した。(Northern War)
ボヘミア チェコの中心部。第一次大戦後チェコスロヴァキア共和国の一部となる。地味は肥沃でジャガイモ・テンサイ・ホップなどの産多く、また、ガラス・機械類の工業も盛ん。中心都市プラハ。ドイツ語名ベーメン。(Bohemia)
ホラズム・シャー朝 1077~1231年。セルジュク朝のホラズムの太守アヌシュ・テギン (在位1077~1097) の子孫が樹立した中央アジアの王朝。ジャラール・ウッディーンのとき、チンギス・ハン (成吉思汗) に滅ぼされた。(Khwarazmian dynasty)
ボリショイ劇場 モスクワにある国立劇場の通称。1780年設立。バレエ団・オペラ・管弦楽団・付属学校などをもつ。 (Bolshoi Theatre)
ポリス 古代ギリシアの都市国家。(BC800頃~BC146)神殿(アクロ・ポリス)を中心にアゴラと呼ばれる広場をもつ城壁に囲まれた都市部と、郊外の農村とからなる。人口規模はアテネとスパルタ(約20~30万人)を例外として数千ないし数万程度。その数はギリシア本土だけで150を数え、海外植民地を加えると1000にも及んだ。ポリスは自由と自治を理想とし、市民は国家共同体の一員として政務、軍務にたずさわった。各ポリスは政治的に統合されることはなかったが、オリンポス十二神の信仰、オリンピア競技会、デルフォイの神託、ギリシア語、ホメロスの詩などを通して一体性を有していた。BC146年、ギリシアはローマ属領となり、ポリスは消滅した。(Polis)
ボルシェビキ ロシア社会民主労働党の左派。レーニンを指導者とし、マルトフらのメンシェビキと対立。三月革命後の臨時政府を支持せず、10月革命を起こしプロレタリア独裁を樹立。1918年ロシア共産党と改称。(Bolsheviks)
ホルテンシウス法 BC287年、ローマの独裁官ホルテンシウス(Quintus Hortensius)が成立させた法。平民会の決議がローマ市民全員を拘束することを定め、貴族と平民の身分闘争を終結させた。(Lex Hortensia)
ボルドー フランス南西部、ガロンヌ川に沿う港市。葡萄ぶどう酒の集散地。また、砂糖・ブランデー・綿織物などを産出する。人口21万5千(1999)(Bordeaux)
ホルムズ海峡 ペルシア湾とオマーン湾とを結ぶ海峡。北岸はイラン、南岸はオマーン国。原油輸送の要衝。(Hormuz)
ポワティエ フランス南西部、ヌーベル・アキテーヌ地方、ビエンヌ県の都市。同県の県都で、クラン川沿いに位置する。古くからポアツー地方の行政、文化、商業の中心として発展。8世紀にフランク王国がイスラム勢力を破ったトゥール・ポアチエの戦いや、14世紀の百年戦争においてイギリス軍がフランス軍を破ったポアチエの戦いなどで知られる。ポアチエ(Poitiers)
ポントス BC305~BC64年。ペルシア系貴族のミトリダテス(Mithridates I of Pontus)がセレウコス朝シリアの支配から逃れて、黒海南岸・小アジア北東部のポントス地方に建てた王国。黒海を利用した商業・交易の中心でもあり、主要都市にアマセイア(Amaseia)、王都シノペ(Sinope)、アミソス(Amisos)などがあった。BC64年、共和政ローマに服属。(Pontos)
ほ北米自由貿易協定(NAFTA) アメリカ合衆国、カナダ、メキシコの3カ国間における市場開放協定。特許、著作権等の知的所有権の権利の内容や、権利行使等に関する規定が含まれている。(North American Free Trade Agreement)
マーシャル・プラン 第二次大戦後、マーシャルの提案に基づき1948年から実施された、アメリカのヨーロッパ経済復興計画。西ヨーロッパ16か国が OEEC を組織し、これを受け入れた。ヨーロッパ復興計画。 (Marshall Plan)
マーストリヒト オランダ南端、マース川沿岸にある都市。人口12万2千(2003)。(Maastricht)
マーストリヒト条約 1991年マーストリヒトで開かれたEC(欧州共同体)首脳会議で合意され、93年に発効したEU(欧州連合)の設立条約。(Treaty of Maastricht)
マインツ ドイツ西部、ライン川中流西岸の河港都市。ローマ時代に建設された古都。ワインの取引が盛ん。グーテンベルクの生地で印刷業も発達。(Mainz)
マウリア朝 BC317~BC180年。北インドに興った古代インド王朝。古代インドで栄えたマガダ国(Magadha)に興った王朝。BC317年、チャンドラグプタ(Chandragupta)によって建国。第3代アショーカ王(Ashoka the Great)の時に全盛期を迎え、南端部分を除くインド亜大陸全域を統一した。アショーカ王の死後国家は分裂、BC180年、シュンガ朝(Shunga)の勃興により滅亡。(Maurya Empire)
マガダ国 BC544~BC367年。北インドに興った古代インド王朝。首都はラージャグリハ(Rajgir)BC500年、西北インドの強国コーサラ(Kosala)を破ってガンジス流域の覇権を握った。(Magadha)
マグナ カルタ 1215年、イギリスの封建諸侯が国王ジョンに迫り、王権の制限と諸侯の権利を確認させた文書。のちに国王の専制から国民の権利・自由を守るための典拠として取り上げられ、権利請願・権利章典とともにイギリス立憲制の支柱とされる。大憲章。(Magna Carta)
マクハー アラビア語でコーヒー店の意。コーヒーは15世紀に、原産地イエメンからエジプトのカイロに伝わった。その後1517年、オスマントルコのエジプト征服によってアラビア全土にもたらされた。フランスのカフェは1654年、トルコからマルセイユを経て普及したものである。(maqha)
マケドニア王国 BC700~BC168年。バルカン半島のエーゲ海に面する地方にペルディッカス1世 (Perdiccas I 在位BC700~BC678)によって建国。BC327年アレクサンドロス3世(大王)の東方遠征により、その版図はギリシアから小アジア、エジプト、シリア・メソポタミア・イラン・インダス川流域に及び、地中海世界とオリエントを含む、広大なものとなった。BC168年、共和政ローマとのマケドニア戦争で敗れ、マケドニア王国は滅亡。BC146年、マケドニア全土は共和政ローマの属州の一つとなった。(Macedonia)
マケドニア戦争 共和政ローマとアンティゴノス朝マケドニアとの戦争。第1回(BC215~BC205)はマケドニア王フィリッポス5世(Philip V)がハンニバルと同盟して戦った。第2回(BC200~BC197)は将軍フラミニヌス(Titus Quinctius Flamininus)の活躍でローマが勝利を得た。第3回(BC171~BC168)で、マケドニア王ペルセウス(Perseus)が敗れて捕らえられ、マケドニア王国は滅亡。第4回(BC149~BC148年)のローマとマケドニア軍残党の戦いの後、BC146年、マケドニア全土はローマの属州となった。(Macedonian War)
マケドニア紛争 マケドニア人優先の政治に、人口の3割を占めるアルバニア人が反発。2001年2月、衝突が発生したが、北大西洋条約機構 NATOなどの仲介によって、2001年8月、憲法の改正やアルバニア語の公用語化などアルバニア人の権利拡大が認られ、対立を克服した。(Macedonia conflict)
マジャール人 ハンガリー人の自称。原住地はウラル山脈中・南部とされる。9世紀末南ロシアから現在の地に移住。(Magyar)
マドリード スペインの首都。国のほぼ中央、カスティリア地方の高原に位置し、マンサナレス川が市中を貫流。王宮・プラド美術館・大闘牛場などがあり、市街の美麗なことで知られる。人口291万3千(2001)。英語名マドリッド。(Madrid)
マムルーク朝 1250~1517年。奴隷出身のトルコ人アッドウッル(Al-Durr 在位1250年)がアイユーブ朝を倒して建国。1291年エルサレム王国の拠点都市アッコン(Acre)を陥落させ、エルサレム王国を滅亡させた。首都カイロは、東西通商で大いに栄えたが、1517年オスマン帝国の侵入により滅亡した(Mamluk Sultanate of Egypt)
マラトンの戦い BC490年にギリシアのアッティカ半島東部のマラトンで、アテネ・プラタイア連合軍がアケメネス朝ペルシアの遠征軍を迎え撃ち、連合軍が勝利を収めた戦いである。 (Battle of Marathon)
マルセイユ フランス南部、地中海に面する港湾都市。フランス最大の貿易港。化学・石油精製・アルミニウム・航空機などの工業が発達。ワイン・オリーブ油などの輸出も盛ん。BC600年頃、ギリシア人の植民によって建設された。古称、マッシリア。マルセーユ。(Marseille)
マルタ島 地中海の中央、マルタ共和国内の島であり、同国内で最も大きな島である。 (Malta)
マルヌの戦い 第一次大戦初期の1914年9月、北フランスに進入したドイツ軍を、パリ東方マルヌ川付近でフランス軍が撃退した戦い。これにより戦争は長期戦にはいった。(Battle of the Marne)
マルボルク ポーランド北部、ポモルスキェ県の工業都市。グダニスク南東約 40km、ウィスワ川支流のノガト川沿いに位置。 13世紀にドイツ騎士団の城塞を中心に発達し、南北の貿易の基地として栄えた。 1466年ポーランド王国に編入、1772年プロシア領、第二次世界大戦後ポーランド領。繊維、機械工業が盛ん。 人口3万 8747 (2002) 。(Malbork)
マルボルク城 中世にドイツ騎士団がプロイセン(現ポーランド、マルボルク市、ドイツ名:マリーエンブルク)に建設した城。1997年世界遺産の文化遺産に登録。 (Malbork Castle)
マルマラ海 トルコ北西部、バルカン半島と小アジアとの間にある内海。ボスポラス海峡で黒海と、ダーダネルス海峡でエーゲ海と結ばれる。(Marmara)
マンジケルトの戦い 1071年にセルジュク朝軍が東ローマ帝国軍を破った戦い。セルジュク朝によるアナトリア半島征服の端緒となった。マラズギルトの戦い(Battle of Manzikert)
ミケーネ ギリシア、ペロポネソス半島北東部、アルゴリス地方(Argolis)にある古代都市。ミケーネ文明の中心。ミュケナイ。(Mycenae)
ミケーネ文明 BC1600~BC1200にギリシア本土に発達した青銅器文明。エーゲ文明後期の中心で、ミノア文明のあとをうけてペロポネソス半島のアルゴリス地方(Argolis)に成立。遺跡としては、ミケーネのアトレウスの宝庫(Treasury of Atreus)、獅子の門を含む城塞跡などが有名。この文明は長らく忘れられていたが、19世紀末ドイツの考古学者シュリーマン(Heinrich Schliemann)の発掘によってトロイ文明とともに再発見された。ミュケナイ文明。(Mycenaean civilization)
ミズーリ協定 1820年、アメリカ合衆国の自由州と奴隷州の均衡を図るために定められた協定。ミズーリ州を奴隷州とする代わりに、自由州のメイン州をつくってバランスを取り、事後は北緯36度30分以北には奴隷州をおかないこととした。1854年のカンザス・ネブラスカ法で否定される。(Missouri Compromise)
ミタンニ BC1590~BC1341年。インドヨーロッパ語族が先住のフルリ人を支配してメソポタミア北部に建国。都はワシュガンニ。東隣のアッシリアをも支配下に置き、オリエントで最強の国家となったが、BC1341年、ヒッタイトに滅ぼされた。(Mitanni)
ミドハト憲法 1876年に発布されたオスマン帝国における成文憲法。1861年に公布されたフサイン朝チュニジアの憲法に次いでイスラム世界2番目の憲法典である。一説にはベルギーの憲法を参考にしたといわれる。しかし1878年に憲法停止となり、1908年まで30年間専制政治に復することになった。オスマン帝国憲法。(Midhat)
みなみ南チロル オーストリア西部からイタリア北東部にわたるアルプスの地方。保養地・観光地・スキー場として知られる。中心都市インスブルック。イタリア領チロルは1919年オーストリアから割譲され南チロルと呼ばれる。 (Tyrol)
みなみ南ネーデルラント継承戦争 1667~1668年、フランスとスペイン間のネーデルラントの南部にあたるフランドル地方を巡る戦争。現在のベルギー・ルクセンブルクに当たる南ネーデルラントは当時スペイン領であったが、1665年にスペイン王フェリペ4世の死後、ルイ14世は王妃マリー・テレーズがフェリペ4世の王女だったことから継承権を主張し、1667年5月に南ネーデルラントに侵攻した。1668年アーヘン和約でフランドルの一部を獲得するにとどまった。ルイ14世が起こした最初の侵略戦争であり、フランドル戦争ともいう。(War of Devolution)
ミノア文明 BC2000~BC1400にクレタ島で栄えた青銅器文明。名称はクレタの伝説上の王名ミノスにちなむ。ギリシア本土にも影響を及ぼし、ミケーネ文明興隆の一因となった。1900年、イギリスの考古学者エヴァンズ(Sir Arthur John Evans)によるクノッソス宮殿(Knossos)の発掘でその存在が知られた。クレタ文明とも言う。(Minoa civilization)
ミュシア BC1200~BC129年。古代小アジア北西部プロポンティス海(Propontis 現マルマラ海 Marmara)に臨む地域にあった古都。トロイ地方、ペルガモン地方などを含む。BC3世紀の詩人アポロニオスの「アルゴ船遠征譚」(Argonautika by Apollonius of Rhodes)で、アルゴ号の寄港地として知られる。リディア、アケメネス朝ペルシア、セレウコス朝シリア、ペルガモン王国などの諸王国の支配を経て、BC129年、共和政ローマの属州となった。(Mysia)
ミュンヘン会談 1938年、チェコスロバキア領ズデーテン地方のドイツ併合問題をめぐり、独・英・仏・伊の首脳がミュンヘンで行なった会談。ヒトラーの要求が承認され、ナチスの侵略外交を増長させる結果となった。(Munich Conference)
ミラノ イタリア北部の都市。古代ローマ帝国第1の商業地。現在も重要な商工業都市。市内に宗教上の建物が多く、宮殿・図書館・劇場(スカラ座)なども有名。人口128万6千(2004)。英語名ミラン。(Milano)
ミラノ公国 1395年から1535年(断続あり)までイタリア北部の都市ミラノを首都として存在した公国である。(Duchy of Milan)
ミレトス トルコの西端部、エーゲ海に臨むイオニア地方の古代ギリシアの都市国家。ペルシア戦争の発端となるイオニア諸市の反乱の中心となった。(Miletos)
ミンスク合意 2014年9月および2015年2月に、ウクライナ政府と同国内の親ロシア派間で交わされた停戦合意協定。名称は、ベラルーシの首都ミンスクで調印されたことから。ミンスク和平合意。(Minsk Protocol)
みん明朝 1368年~1644年。朱元璋(太祖)が他の群雄を倒し、元を北に追い払って建国。成祖の時、国都を南京から北京に遷し、南海諸国を経略、その勢威はアフリカ東岸にまで及んだ。中期以後、宦官の権力増大、北虜南倭に悩まされ、農民反乱が続発し、李自成に北京を占領され滅亡した。
み南べトナム解放民族戦線 1960年に南ベトナムで、北ベトナムの指導のもと結成された南ベトナム解放民族戦線の俗称。南ベトナム政府軍・アメリカ軍・韓国軍などとベトナム戦争を戦って勝利。南北統一後はベトナム軍に吸収された。 ベトコン。(Vietcong)
ムガル帝国 1526~1858年。北インドに興ったイスラム系インド王朝。ティムールの子孫バーブル(Babur)が北インドを攻略して建国。その孫アクバル(Akbar)はアグラ(Agra)に都し、帝国の基礎を固めた。18世紀初めまでが全盛で、以後分裂状態となった。セポイの反乱(Mutiny of Sepoy)を理由に、1858年イギリスにより最後の皇帝が退位させられ、滅亡。ムガール帝国。(Mughal Empire)
ムスリム同胞団 スンニ派イスラム原理主義組織。1928年にエジプトで創設され、一時最大の政治団体となったが、ナセル狙撃事件を機に1954年に解体。その後、1970年代に組織を再建し、シリア・ヨルダン・パレスチナ・湾岸諸国などにも広がり、イスラム社会の確立を目指している。(Muslim Brotherhood)
むてき無敵艦隊 1588年スペイン王フェリーペ2世が、オランダの独立を支持するイギリスへ向けて派遣した130隻の大艦隊。英仏海峡でイギリス艦隊の機動作戦と暴風のため壊滅的打撃を受けて北方へ逃れ、かろうじて半数以下が帰国。この敗北でスペインの制海権は失墜、オランダは事実上独立。アルマダ。(Armada)
ムラービト朝 西サハラに興ったベルベル人のイスラム王朝。ガーナ帝国を滅ぼし、モロッコのマラケシュを都とする。アルジェリア・イベリア半島にも進出したが、ムワッヒド朝に滅ぼされた。(1056~1147)(al-Murabit)
ムワッヒド朝 ベルベル人のイスラム改革運動を基盤として建設されたイスラム王朝(1130年~1269年)。首都はマラケシュ。(al-Muwahhid)
めいよ名誉革命 1688~89年、カトリック国教化をはかるジェームズ2世の専制に対し、議会がオランダからオレンジ公ウィリアムを招請。孤立したジェームズは国外に逃亡、熱心なプロテスタントであるウィリアムが妻メアリ2世とともに王位につき、権利章典が定められ立憲君主制の基礎が確立。無血のうちに達成されたことを評価しての命名。 (Glorious Revolution)
メキシコ革命 1910~1917年メキシコで起きた革命。政治の民主化、農地改革、外国資本による経済支配からの脱却を求める市民勢力が蜂起。翌1911年にディアス独裁政権を打倒。内戦を経て、1917年に民主的民族的な新憲法が成立した。(Mexican Revolution)
メソポタミア 西アジアのティグリス川とユーフラテス川の流域地方。大部分がイラクに属する。バグダッド付近を境に、北部の台地はアッシリア、南部の平野はバビロニアと呼ばれる。メソポタミア文明(BC7000~BC330)の発祥地。(Mesopotamia)
メッカ サウジ・アラビア西部、ヘジャズ地方の都市。ムハンマドの出生地で、カーバ神殿があり、イスラム第1の聖地として多数の巡礼者が訪れる。人口95万2千(1992)。アラビア語名マッカ。(Mecca)
メディア BC710~BC550年。古代メソポタミアのカスピ海西南方に建てられた王国。メディア人が、BC710年に王国を建て、第3代キュアクサレス王の時アッシリアを滅ぼして広大な領土を支配。BC550年ペルシアのキュロス二世に滅ぼされた。(Media)
メディチ家 フィレンツェの門閥貴族。商業・金融で勃興。ルネサンスの学問・芸術の保護者。14世紀に台頭、15世紀に全盛。ローマ法王・フランス王妃各2名が輩出。1530年フィレンツェ共和制没落後、18世紀前半までトスカーナ大公。1737年断絶。(Medici)
メディナ サウジ・アラビア西部、ヘジャズ地方の都市。イスラムの祖ムハンマドが622年メッカから聖遷した地で、そのモスクと墓廟があり、巡礼者が多い。人口60万9千(1992)。アラビア語名マディーナ。メジナ。(町の意)(Medina)
メルセン条約 870年、アーヘン北西のメルセン(Mersen)で、東フランク王ルートヴィヒ(ルイ)と西フランク王シャルル(カール)とが結んだ条約。2人の兄ロタールの死に伴い、その領土中部フランクの分割を約したもの。これによりドイツ・フランス両国の輪郭がほぼ定まった。(Traite de Mersen)
メロビング朝 フランク族のクロービス(Clovis)を始祖とする王朝。ゲルマニアおよびガリアに君臨。(481~751)(Merowinger)
メンシェビキ ロシア社会民主労働党でボルシェビキと対立した、マルトフ(L. Martov)・プレハーノフらを中心とする一派。大衆政党・ブルジョア革命を主張、三月革命後の臨時政府を支持。ソビエト政権樹立後、弾圧され消滅。(Mensheviks)
モスクワ公国 1263~1325年。モスクワを都とする中世ロシア国家。ダニール公(Daniel of Moscow)が建国。(Duchy of Moscow)
モスクワ大公国 1325~1598年。1263年に成立したモスクワ公国の後身で、モスクワ大公が治める統一ロシア国家の母体。イヴァン1世の時、大公国となった。1480年、タタールのくびき(キプチャク・ハン国の間接支配)から脱出した、1581年国土を統一。(Grand Duchy of Moscow)
モハーチの戦い ①1526年8月29日にハンガリーのモハーチ平原で行われた、ハンガリー王国軍とオスマン帝国軍(スレイマン1世)による会戦。オスマン帝国が勝利し、以後ハンガリー中央部を150年間支配した。(Battle of Mohacs)
モハーチの戦い ②1687年8月12日、オスマン帝国の大宰相スレイマン・パシャ(Suleyman Pasha)率いるオスマン軍とロレーヌ公シャルル5世率いる神聖ローマ帝国軍の間の戦闘。結果はオスマン軍の大敗。この結果、クロアチアとトランシルヴァニアの大半が神聖ローマ帝国領となった(Second Battle of Mohacs)
もはん模範議会 1295年イングランド王エドワード1世が対外遠征費調達の必要から召集した議会。大貴族のほか、各州および各都市からそれぞれ市民の代表を加えて開いた。後の英国議会構成の模範とされたのでこの名がある。(Model Parliament)
モルガン財閥 アメリカ合衆国の四大財閥の一つ。ヨーロッパのロスチャイルド家と並び称される。宗主J.P.モルガンおよび彼の組織したモルガン商会は、ウォール街を牛耳り、その強力な産業支配を通じて、ロックフェラーと並んで、ニューディール前のアメリカの影の支配者として時の政権も動かすほどの力をもって君臨した。(Morgan)
モロッコ事件 モロッコ支配をめぐり生じた2回(1905年と1911年)にわたる外交危機。支配強化を進めるフランスに対してドイツが干渉。軍事衝突の危機を招いたが、イギリスのフランス支持により回避され、フランスの支配が確立した。 (Moroccan Crisis)
モンゴル帝国 1206~1635年。1206年チンギス・ハンがモンゴルを統一して建国。統一後、チャガタイ・オゴタイ・キプチャク・イルの4ハン国が分立。モンゴル高原を中心に東は中国東北地方、西はロシアに至る広大な領域を支配した。第5代フビライ・ハンのとき元朝(1271~1368年)を建て、南宋を滅ぼして全中国を統一。1368年明の朱元璋に敗れ、中国を追われ北元(1368~1635年)と改称。1635年清朝に敗れ北元は滅亡した。(Mongol Empire)
モンロー主義 1823年、モンロー米大統領が、植民地主義と、ラテンアメリカ諸国の独立に対する欧州諸国の干渉に反対して、教書の中で行った宣言に基づく。以後、米国外交の基本となった。(Monroe Doctrine)
ヤゲウォ朝 ポーランド、リトアニア、ボヘミアおよびハンガリーの王朝。1386年、リトアニア大公ヨガイラは、ポーランド女王ヤドヴィガと結婚。名をヤゲウォと改め、リトアニア・ポーランド王国ヤゲウォ朝が成立した。ヤギェウォ朝。(Jagiellonowie)
ヤシ条約 1792年締結された第八次露土戦争(1787~1792)の講和条約。ロシアはオスマン帝国よりクリミア半島を得て黒海の制海権を握った。ヤッシーの講和(Treaty of Jassy)
ヤヌコーヴィチ政権 2010年に発足した、ウクライナ第4代大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチの政権。ロシアとの関係を重視する外交スタンスなどで知られる。2013年親ロシア政権の腐敗に対する批判が強まり、大規模反政府デモが発生。ロシアに亡命した。(ウクライナ騒乱)。(Yanukovych)
ヤルタ会談 第二次大戦末期の1945年2月、ヤルタで開かれた、ルーズベルト・チャーチル・スターリンによる首脳会談。ドイツの戦後処理、国際連合設立などについて協定したほか、秘密協定も結ばれた。(Yalta Conference)
ヤング案 1930年に採択された第一次大戦のドイツ賠償問題の解決案。アメリカ代表ヤングを長とする委員会がドーズ案を修正し立案。賠償額の軽減や年賦支払い方式を定めたが、世界恐慌により実行不能となった。(Young plan)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 1963年から1992年まで存続したユーゴスラビアの社会主義国家。スロベニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・セルビア・モンテネグロ・マケドニア・コソボ(セルビアの自治州)で構成された。1980年代末より東ヨーロッパ諸国で民主化が進むなか、1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニアが、1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが相次いで独立を宣言。1992年4月セルビアとモンテネグロは新たにユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴスラビア)を形成した。(Socialist Federal Republic of Yugoslavia)
ユーゴスラビア紛争 1991年6月のスロベニア、クロアチアの独立宣言をきっかけに始まったユーゴスラビア内戦。紛争の過程でボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニアも独立を宣言。1992年4月にはセルビアとモンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国の創設を宣言して、6共和国と2自治州で構成されていた従来のユーゴスラビア連邦は完全に崩壊した。(Yugoslav Wars)
ユーゴスラビア連邦共和国 1992年から2003年まで存続したバルカン半島中部の連邦国家。旧ユーゴ崩壊後、セルビアとモンテネグロによって結成。2003年に国家を再編し、国家連合セルビア・モンテネグロ(Serbia and Montenegro 2003~2006)に移行。2006年には両国はともに独立国となった。(Federal Republic of Yugoslavia)
ユーゴスラビア連邦人民共和国 第二次大戦後の1945年から1963年まで存続したユーゴスラビアの社会主義国家。スロベニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・セルビア・モンテネグロ・マケドニア・コソボ(セルビアの自治州)で構成された。1963年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国と改称した。(Federal People's Republic of Yugoslavia)
ユーフラテス川 西アジアを流れる大河。アルメニア高原に源を発し、西流ののち南流してシリアに入り、イラク南部でティグリス川と合流してペルシア湾に注ぐ。長さ2800キロ。下流域のメソポタミア地方は古代文明発祥の地。(Euphrates)
ユグノー 16~18世紀フランスのカルヴァン派新教徒の通称。政府の弾圧や旧教徒との衝突の結果、ユグノー(宗教)戦争(1562~98年、前後8回)をひき起こした。1598年アンリ4世のナントの勅令で信仰の自由が認められたが、1685年ルイ14世がこれを撤回したので多数がドイツなどに亡命、1789年の革命によって旧教徒との同権を獲得した。(Huguenot)
ユグノー戦争 1562~1598年のフランスの宗教戦争。新旧両教徒の対立が貴族の勢力争いと結びつき内乱に発展。他国の干渉も招いて陰惨な事件が続いたが、アンリ4世がナントの勅令を発し終結。(French Wars of Religion)
ユダヤ人 ユダヤ教徒を、キリスト教の側から別人種と見なして呼ぶ称。現在イスラエルでは「ユダヤ人を母とする者またはユダヤ教徒」と規定している。十字軍時代以降、ヨーロッパのキリスト教徒の迫害を受けた。近世、資本主義の勃興とともに実力を蓄え、学術・思想・音楽方面にも活躍。(Jew)
ユトランド半島 デンマーク、北海とバルト海との間に突き出た半島。(Jutland Peninsula)
ユトレヒト条約 1713年、スペイン王位継承戦争の講和条約。イギリスはフランスのスペイン王位を認める代わりに、仏領アメリカ植民地の一部を獲得。(Treaty of Utrecht)
ユトレヒト同盟 ネーデルラント連邦共和国建国の元となった、1579年の対スペイン軍事同盟。80年戦争中の1579年1月23日、ネーデルラント北部7州が、ユトレヒト州の首都ユトレヒトにて、対スペインの軍事同盟を結ぶ協定に調印した。この協定では、各州に自治権があることに合意し、また信仰の自由を原則とした。(Union of Utrecht)
ユリウス暦 太陽暦の1種。シーザー(ユリウス・カエサル)がBC46年頃ギリシアの天文学者・数学者ソシゲネス(Sosigenes)に改正させた暦。365日6時をもって1年とし、4年ごとに1日の閏うるうを置く。後に数度の改訂を経て、1582年グレゴリウス暦がこれに代わって現行の太陽暦となった。ジュリアン暦。ケーザル暦。(Julian calendar)
ヨーク朝 1461年から1485年まで続いたイングランド王国の王朝。広義ではプランタジネット朝に含まれる。(House of York)
ヨーロッパ経済共同体(EEC) 関税同盟を結成し、加盟国間の経済政策を調整して広域経済圏を形成することを目的とする。ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)を土台として同じ 6 か国(フランス・西ドイツ・イタリア・ベネルクス3国)で、1957 年に発足した。(European Economic Community)
ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体 冷戦期に欧州6か国が設立し、歴史を経て欧州連合となった国際機関。(ECSC)(European Coal and Steel Community)
ヨーロッパ連合(EU) 経済・通貨統合の実現、共通の外交・安全保障政策の設定、国家主権の一部移譲などを中心とする、ヨーロッパの地域統合体。1991年のマーストリヒト条約で設立が合意され、93年発足。欧州連合。(European Union)
ヨハネ騎士団 中世の3大宗教騎士団の1。巡礼者の救護所として創設され、第2回十字軍よりエルサレムで軍事・救護活動を行う。14世紀ロードス島に本拠を移してロードス騎士団、16世紀マルタ島に移りマルタ騎士団と称する。1834年より本部をローマに移し現在も存続。聖ヨハネ騎士団。(Johanniterorden)
ヨルダン アラビア半島北西部の王国。第一次大戦後オスマン帝国領からイギリス委任統治領、1923年トランス・ヨルダン首長国となり、46年独立。48年ヨルダン川西岸地域を併合し、翌年ヨルダン・ハシェミット王国と改称。67年中東戦争後、イスラエルが西岸地域を占領。住民は主にイスラム教徒で、アラビア語を使用。首都アンマン。(Jordan)
ヨルダン川 西アジア、パレスチナにある川。シリアのヘルモン山の西斜面に発源、南流して死海に注ぐ。長さ約320キロメートル。イエスがここで洗礼を受けた。(Jordan)
ヨルダン川西岸地区 1948年の第一次中東戦争でヨルダン、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領され、1993年のオスロ合意によりパレスチナ人による暫定自治が認められた。和平交渉の進展により、イスラエルからパレスチナ自治政府に権限を移行することになった。(West Bank of the Jordan River)
よん4か国条約 1921年(大正10)、ワシントン会議において日米英仏の4か国により調印された条約。太平洋の島嶼(とうしよ)に対する権利の相互尊重と紛争の処理方法について約定。日英同盟は、この条約の発効とともに消滅。(Four Powers Pacific Treaty)
ライプツィヒの戦い 1813年、ナポレオン戦争における最大規模の戦闘。諸国民の戦いとも呼ばれる。ドイツ東部のライプツィヒ(当時のザクセン王国領)で、ナポレオン1世麾下のフランス軍19万と、プロイセン・ロシア帝国・オーストリア帝国・スウェーデンの連合軍36万の間で戦いが行われた。(Battle of Leipzig)
ラインラント ドイツ西部、ライン川中下流両岸地方の総称。狭義には旧プロイセン領ライン州をいう。北部はルール工業地帯。中心都市はデュッセルドルフ。 (Rheinland)
ライン川 ヨーロッパの大河。スイスのアルプスに源を発し、ドイツとフランスの国境を流れたあとドイツに入り、マイン川・モーゼル川を合わせてオランダに入り、北海に注ぐ。中流部ではライン峡谷を形成。西ヨーロッパで最も重要な内陸水路。長さ約1320キロメートル。(Rhein)
ライン都市同盟 1254年2月にマインツとヴォルムスの間で結ばれた同盟を起源としてラインラントを中心にヴェストファーレンやリューベックなどエルベ川沿岸にまで達したオーストリア、ベーメンを除く地域に存在した都市同盟のひとつ。(Rheinischer Stadtebund)
ライン同盟 1806年7月~1813年ナポレオン1世がプロイセン・オーストリアと対抗するために結成させた西南ドイツ諸邦の同盟。これにより神聖ローマ帝国は完全に解体。1813年ナポレオンの没落とともに崩壊した。ライン連邦。(Rheinbund)
ラヴェンナ イタリア北東部の都市。石油化学・セメントなどの工業が盛ん。ビザンチン様式の古建築が多い。(Ravenna)
ラシュタット条約 1714年、スペイン王位継承戦争の講和条約。オーストリアは、スペイン領ネーデルラント・ミラノ・ナポリ・サルデーニャの領有を認められた。(Treaty of Rastatt )
ラティフンディウム 古代ローマ時代に特有の大土地所有制で、BC2世紀頃から普及。有力者への土地集中と奴隷使役とによって中小農民の没落に拍車をかけた。(Latifundium)
ラテン人 インド・ヨーロッパ語族のラテン語を話した民族。BC1000年、中部イタリアに定住し、BC753年、ティベル河畔(Tiber)にローマ(Roma)を建国した。(Latini)
ランカスター朝 中世イングランドの王朝。1399年プランタジネット朝のリチャード2世を廃したランカスター家のヘンリー4世が初代の王。(1399~1461)。ばら戦争中の1461年ヘンリー6世がヨーク朝のエドワード4世に廃され、1470年いったん復位したが(1470~1471)翌年殺されて、この王朝の支配は終わった。(Lancaster)
ランゴバルド王国 568~774年。北イタリアに建国されたゲルマン系のランゴバルド族による王国。イタリア語からの音訳でともいう。首都はパヴィア(Pavia)に置かれ、774年にカール大帝によって滅ぼされた。王国の支配領域であるポー川流域一帯はランゴバルド人の土地と言う意味で、現在のロンバルディア州の語源になった。ロンバルト王国(Kingdom of the Lombards)
ランス フランス北東部の商工業都市。歴代国王の即位式を行なったゴシック式大聖堂と聖レミ教会は世界遺産。人口18万7千(1999)(Reims)
リキニウス法 共和政ローマの法。BC367年、護民官のリキニウス(Licinius)とセクスティウス(Sextius)の提案で制定。三つの法からなり、執政官の一人を平民から選出すると定め、公有地所有面積を制限して大土地所有制出現を抑制するなどにより、平民の身分と権利の保護をもたらした。(Lex Licinia Sextia)
リグ・ヴェーダ 全10巻、1028篇の宗教的讃歌から成り、BC1200年頃、アーリア人(Aryan)によって成立し、サンスクリット語(Sanskrit)で記されている。内容は、天地創造に関する記述、戦勝の歌など多岐にわたり、古代インドの社会、生活、思想、歴史などを断片的に伝えている。(Rigveda)
リスボン ポルトガル共和国の首都。タホ川河口の港湾都市。1256年コインブラより遷都。旧王宮・美術博物館などがある。人口53万5千(2004)。ポルトガル語名リジュボア。(Lisbon)
リディア BC685~BC547年。小アジア西部の古代王国。インド・ヨーロッパ語系のリディア人がアッシリア帝国の崩壊後独立して建国。都はサルデス。BC546年ペルシアに滅ぼされる。リュディア。(Lydia)
リトアニア・ポーランド王国 1386年、リトアニア大公ヨガイラは、ドイツ騎士団に対抗するために、ポーランド女王ヤドヴィガと結婚。名をヤゲウォと改め、リトアニア・ポーランド王国ヤゲウォ朝(Jagiellonian dynasty)が成立した。ヤゲウォ朝は、1410年にタンネンベルクの戦い(Battle of Tannenberg)でドイツ騎士団を破り、臣下とすることに成功している。(The personal union between the Kingdom of Poland and the Grand Duchy of Lithuania)
リトアニア大公国 中世のリトアニア人の国。1236年、ミンダウガス(Mindaugas 在位1236~1263)の時に大公国と称し、リトアニアの諸部族をひとつにまとめ上げてリトアニアを統一した。1253年6月6日、東方キリスト教会により、リトアニア国王として戴冠。この日はリトアニアの祝日となっている。(The Grand Duchy of Lithuania)
リバプール イギリス、イングランド北西部の、アイリッシュ海に臨む港湾都市。ロンドンに次ぐ貿易港。ビートルズの出身地。 (Liverpool)
リューリク朝 862~1598年。ロシア建国者リューリクの子孫をもって形成されたノブゴロド王国からモスクワ大公国にいたる王朝。最後のツァーリであるフョードル1世の死(1598年)をもってこの王朝は断絶し、以後15年間にわたる混乱を経て、ロマノフ朝が成立した。(Rurik dynasty)
リューリク朝 リューリクを高祖とする公家で、9世紀から16世紀半ばにかけてキエフ大公国、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国、モスクワ大公国などの東欧諸国を統治した君主の公朝である。 (Ryurik Dynasty)
りょうとう遼東半島 中国、遼寧省の渤海と黄海の間に突き出た半島。南端に旅順がある。1905年(明治38)日露戦争の結果、この半島の南端部は日本の租借地になり、関東州とよばれた。45年(昭和20)中国に返還。
りょう両シチリア王国 12世紀にノルマン人が南イタリアのナポリ地方とシチリア島とを征服して建てた国。13世紀以来、王位はドイツ・フランス・スペインの王家を転々とした。1860年イタリア王国に統一・編入。(Kingdom of the Two Sicilies)
りょじゅん旅順 中国、遼寧省大連市の1地区。遼東半島南端にあり、黄海に臨む港湾地区。海軍基地。清代は北洋艦隊の軍港。日露戦争後、日本が租借し中国進出の拠点とした。
ルーヴル美術館 パリのセーヌ川右岸にあるフランスの旧王宮。13世紀初めの城塞を起源とし、1546年にはフランソワ1世の命で改築が始まり、19世紀後半の第2帝政時代に完成。1793年以来国立美術館として使用され、古代エジプト・古代ギリシア・エトルリア・ローマ・古代西アジア・イスラム美術・絵画・彫刻・工芸・グラフィック・アートの8部門にわたる大蒐集品を収蔵。(Musee du Louvre)
ルーム・セルジュク朝 1077~1308年、アナトリアに存在したトルコ系王朝。王朝の始祖となったスライマン・ブン・クタルムシュ(~1086)は、アナトリアへ入り、二ケアを都としてセルジュク朝国家を創建した。(Anatolia Seljuk)
ルール ドイツ西部、ルール川・リッペ川・ライン川に囲まれたヨーロッパ最大の鉱工業地帯。ルール炭田を背景に重化学工業が発達し、エッセン・ドルトムントほか多くの都市が集中する。1923~25年、第一次大戦の賠償問題を理由にフランスが占領。(Ruhr)
ルガンツク ウクライナ東部の都市。ドネツ炭田北部の重工業の中心で、機関車、採炭用機械、鋼管、織物、製靴などの工業が行われる。42万7187人(2012)。ルガンスク(Lugansk)
ルクセンブルク ドイツ・ベルギー・フランスに囲まれた立憲公国。1867年以降永世中立国、第一次・第二次大戦にドイツ軍に占領され、1948年永世中立を放棄。面積2586平方キロメートル。人口45万3千(2004)。アルツェッテ河畔に同名の首都がある。フランス語名リュクサンブール。(Luxemburg)
ルクソール エジプト、ナイル川中流東岸にある観光都市。古代テーベの東部にあたり、ナイル川の東岸にルクソール神殿やカルナック神殿、西岸に王家の谷などがある。(Luxor)
ルター派教会 ルターの宗教改革・信条に共鳴する信徒の教会。アウクスブルク信仰告白に基づき発展し、今日のプロテスタントの最大教派。ルーテル教会。(Lutheran Church)
ルビコン川 共和政ローマ末期にイタリア本土と属州ガリア・キサルピナ(Gallia・Cisalpina 共和政ローマの属州名)の境界になっていた川。アリミヌム(Ariminum 現在のリミニ Rimini)の北、ラウェンナ(ラヴェンナ Ravenna)との間でアドリア海に注いでいた。ローマ内戦開戦時のユリウス・カエサルの故事にちなむ「ルビコン川を渡る」という成語は、その時のカエサルの「賽は投げられた」という言葉とともに知られている。 (Rubicon)
ルブリン合同 1569年7月1日に成立した制度的同君連合である。これにより、ポーランド王国とリトアニア大公国はポーランド・リトアニア共和国に統合された。実質的には、ポーランドによるリトアニアの併合であった。ポーランド東部のルブリン城で調印されたことによる。(Union of Lublin)
レウクトラの戦い BC371年、ギリシアの盟主を目指したテバイ(Thebai)を中心とするボイオティア軍(Boiotia)が、スパルタを中核とするペロポネソス同盟の軍勢を破り、テバイが覇権を握る契機となった戦い。(Battle of Leuctra)
レオン王国 910~1037年。中世のイベリア半島北部の小王国。国土回復戦争(レコンキスタ)の前進基地で、910年レオンを主都として成立。1037年カスティリャ王国に併合された。(Kingdom of Leon)
レコンキスタ イスラム教徒に占領されたイベリア半島をキリスト教徒の手に奪回する運動。711年のイスラム侵入後から、1492年のグラナダ開城まで続いた。この過程でポルトガル・スペイン両国家が成立した。国土回復運動。(Reconquista)
レバノン アジアの地中海に面する共和国。フランスの委任統治領から1944年完全独立。住民はアラブ人で、キリスト教諸派が人口の約3割、イスラム教諸派が約7割。面積1万平方キロメートル。人口350万(2000)。首都ベイルート。(Lebanon)
レバノン戦争 1982年6月に始まるイスラエルのレバノン侵攻。イスラエルは自国と接するレバノン南部に拠点をおくPLO(パレスチナ解放機構)とレバノン内戦以来レバノンに駐留するシリア勢力の追放を図って、レバノンに侵攻した。猛爆により、一般住民を含む多数の被害を出した。(Lebanon War)
レバノン内戦 1975~1990年。1970年ヨルダンを追われたPLOが、レバノンのイスラム教徒の支援を受け、レバノン南部に拠点を築いたが、1975年イスラム教と対立するマロン派キリスト教徒が、PLOを襲撃。大規模な内戦へと発展した。その後シリア軍の進駐、イスラエル軍の介入などもあり収拾のつかない状態に陥った。(Lebanese Civil War)
レパントの海戦 1571年ギリシア西岸のレパント(Lepanto)沖で、スペイン・ローマ法王・ベネチアの連合艦隊がオスマン帝国海軍を撃破した戦い。オスマン帝国は地中海の覇権を失った。(Battle of Lepanto)
レンテンマルク紙幣 1923年、悪化したインフレをおさめるため、ドイツのレンテン銀行が発行した紙幣。土地などを担保とし、通貨を安定させた。(German Rentenmark)
ロアール川 フランス中部の川。中央高地に発源、大西洋ビスケー湾に注ぐ。長さ約1000キロメートル。中流域にはルネサンス期建造の名城が点在。(Loire)
ローザンヌ条約 1923年トルコと連合国がセーブル条約に代わって結んだ第一次大戦の講和条約。治外法権の撤廃などが認められ、トルコの独立が回復した。またこの条約により近代トルコ国境が決定した。(Treaty of Lausanne)
ローディー朝 1451~1526年。北インドに興ったイスラム系インド王朝。首都はデリー(Delhi)。(Lodi)
ロードス島 古代ギリシア時代に繁栄したエーゲ海東方にある島。BC408年ロードス市が建設された。ヘレニズム時代(BC334~BC30)には独立の貿易国として繁栄したほか、学問研究の中心地の一つとなり、世界七不思議の一つである巨像が造られた。14世紀にも東方貿易の根拠地として栄え、1522年にはオスマン帝国領となった。第二次世界大戦後の1947年よりギリシアに帰属。(Rhodos)
ローマ水道橋 C312年から3世紀にかけて古代ローマで建築されたコンクリート製の水道管を連ねた橋。山中の水源から遠隔の都市へ水を引くために造られたもので、最も長いもので140㎞の長さがあった。ローマ市内は上下水道が完備され、トレビの泉などに大量の水を供給していた。市内いたるところにあった公共トイレも水洗式で、汚物は下水道に流されていた。(Roman Aqueduct)
ローマ帝国 BC27~1453年。BC753年テヴェレ河口の都市国家に発し、王政(BC753~BC509)、共和政(BC509~BC27)、第一次(BC60~BC53)・第二次(BC43~BC33)三頭政治を経て、BC27年オクタヴィアヌスが統一、帝政時代(BC27~476)、五賢帝時代(96~180)に版図最大。395年東西に分裂。476年西ローマ帝国滅亡。(Roman Empire)
ローマ法大全 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の勅令によって編纂されたローマ法の集大成および同皇帝が発布した新勅法の総括的な名称。「勅法彙集」「学説彙集」「法学提要」「新勅法集」から成る。このうち「勅法彙集」はしばしば「ユスティニアヌス法典 Codex Iustinianus」と呼ばれる。(Corpus Iuris Civilis)
ロカルノ条約 1925年スイス南部の保養地ロカルノで、イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・ベルギー・ポーランド・チェコスロバキアの間で締結された中部ヨーロッパの安全保障に関する条約。ドイツ国境の現状維持、相互不可侵、仲裁裁判などを規定し、第一次大戦後のヨーロッパの安定を図った。1936年ナチス・ドイツにより破棄された。 (Pact of Locarno)
ろこう盧溝橋事件 盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)は、1937年(昭和12年)7月7日に北京(北平)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍との衝突事件である。中国では一般的に七七事変と呼ばれる。(Marco Polo Bridge Incident)
ロシア・ソビエト社会主義共和国 1917~1991年。1917年の十月革命後、レーニン主導で結成された世界初の社会主義国家。また、複数の自治共和国、自治州、自治管区や、その他の地方区画から構成されていた連邦国家でもある。1922年以降は、ソビエト社会主義共和国連邦の構成国のひとつとなった。(Russian Soviet Federative Socialist Republic)
ロシア遠征 1812年のナポレオン1世によるモスクワ攻撃。大陸封鎖令にそむいたロシア制裁のためモスクワを占領したがその直後大火にあって退却、ロシア軍と農民ゲリラの追撃にあって惨敗した。モスクワ遠征。(French invasion of Russia)
ロシア革命 1917年にロシアに起こった革命。同年3月、ロマノフ王朝の専制政治が倒壊し、ソビエトの支持のもとに臨時政府が成立、次いで11月、ボリシェヴィキによりソビエト政権が樹立。(Russian Revolution)
ロシア帝国 1721~1917年。帝政ロシアの正式な名称。 1721年、北方戦争にロシアがスウェーデンに勝利したあと、ピョートル1世 (大帝)が元老院から「インペラートル (皇帝) 」の称号を贈られたが、これとともに国名をロシア帝国と定めた。 1917年、ニコライ2世が退位するまでこの名称が用いられた。(Russian Empire)
ロシア連邦 ユーラシア北部を占める連邦国。首都モスクワ。多くの少数民族を含み、共和国、自治管区などさまざまな構成主体からなる連邦形式をとる。1922年ソビエト社会主義共和国連邦を構成する共和国の一として成立、ロシア・ソビエト社会主義連邦共和国と称した。1991年、ソ連邦の解体により独立、改称。(Russian Federation)
ロスチャイルド家 ヨーロッパの財閥。ロマノフ家と3度にわたる結婚を介して家族関係にある。モルガン家やゴールドシュミット・ファミリーとも親密であり、広範なビジネスコネクションをもつ。アメリカについては、、実業家時代のドナルド・トランプを支援した。(Rothschild)
ロゼッタストーン エジプト文字解読の鍵となった石碑。1799年ナポレオンのエジプト遠征時にナイル川河口のロゼッタで発見された。1822年シャンポリオンがヒエログリフを解読。大英博物館蔵。ロゼッタ石。(Rosetta Stone)
ロッテルダム オランダ南西部の都市。ライン川の3角洲上に位置するヨーロッパ有数の貿易港。石油化学・機械などの工業が発達。エラスムスの生地。人口60万(2003)。(Rotterdam)
ろど露土戦争 17世紀末から 19世紀末にかけてロシアとオスマン帝国との間で繰り返された戦争。ロシア=トルコ戦争とも呼ばれる。この戦争でロシアは徐々に東方へ領域を拡大した。①1676~1681、②1687、③1689、④1695~1696、⑤1710~1712、⑥1735~1739、⑦1768~1774、⑧1787~1792、⑨1806~1812、⑩1828~1829、⑪1853~1856(クリミア戦争)、⑫1877~1878と 12回行なわれた。最終戦争となった1877~1878年、バルカン半島進出を目ざすロシアが、トルコ領内のキリスト教徒保護を名目に開戦し、オスマン帝国を破った。(Russo-Turkish War)→ サンステファノ条約。(Russo-Turkish Wars)
ロベン島 南アフリカ共和国西ケープ州ケープタウンから約12km沖合のテーブル湾にある島。周囲は海流が強く、脱出が困難なところを見いだされ、17世紀の終わりから島の大部分は刑務所として使われた。ユネスコの世界遺産に登録されている。(Robben Island)
ロマノフ朝 1613~1917年。ロシアの王朝。ミハイル・ロマノフ(Mikhail Romanov 1596~1645)を始祖とし、ピョートル1世・エカテリーナ2世時代に専制政治体制を確立、ロシア革命により崩壊。(Romanov Dynasty)
ロンドン海軍軍縮会議 1930年(昭和5)1月から4月までロンドンで開かれた、海軍軍備縮小に関する国際会議。補助艦艇保有制限を主目的として、英・米・日・仏・伊が参加。浜口内閣は海軍の反対を押し切って調印に踏み切り、統帥権干犯問題に発展した。(London Naval Treaty)
ロンドン条約 1913年、バルカン同盟諸国とトルコとの間に結ばれたもの。第一次バルカン戦争に終結を与えた講和条約で、これによって、トルコはエーゲ海のエノスから黒海のミディアを結ぶ線以西のバルカン半島の領土およびクレタ島を放棄し、コンスタンティノープル周辺の小地域のほかは、ヨーロッパにおける領土を失った。(Treaty of London)
ロンドン塔 ロンドンのテムズ河畔にある城砦。1078年頃からウィリアム1世の命によりロチェスターの司教グンドルフ(Gundulf)が造営、その後拡張。のち牢獄に転用、王族・貴族などの国事犯が幽閉された。世界遺産。(Tower of London)
ロンドン秘密協定 第一次世界大戦中の1915年4月26日、イギリス、フランス、ロシア、イタリアの間に結ばれた秘密条約。これによって、イタリアは戦勝の場合に南チロル、トリエステ、ダルマティア地方などの領土獲得を約され、翌月イギリス、フランス側にたって参戦した。(Treaty of London)
ロンバルディア イタリア北部、ポー川の中流北岸に広がる平原。肥沃な農業地帯。酪農と米作が盛ん。ミラノを中心に重化学工業も発達。 (Lombardia)
ロンバルディア同盟 12~13世紀に神聖ローマ皇帝のイタリア支配に対抗して結成された北イタリア諸都市の2度にわたる同盟。皇帝権の衰退やイタリア都市国家分立の契機となった。(Lega Lombardo)
ロンバルト王国 568~774年。北イタリアに建国されたゲルマン系のロンバルト族による王国である。首都はパヴィア(Pavia)に置かれ、774年にカール大帝によって滅ぼされた。王国の支配領域であるポー川流域一帯はロンバルト人の土地と言う意味で、現在のロンバルディア州の語源になった。ランゴバルド王国。(Kingdom of the Lombards)
ワーテルローの戦い 1815年ワーテルローでイギリス・プロイセン軍が百日天下を樹立したナポレオン1世のフランス軍を破った戦い。 (Battle of Waterloo)
ワシントン会議 1921(大正10)~22年、アメリカの主唱により第一次大戦後の太平洋・極東問題、海軍軍縮問題に関して開かれた国際会議。米・英・日・仏・伊・オランダ・ベルギー・ポルトガル・中国が参加。9か国条約・4か国条約・海軍軍縮条約が成立し、アジアにおける列強の勢力関係(ワシントン体制)が定まった。(Washington Conference)
ワットタイラーの乱 1381年イギリスで、人頭税徴収など抑圧を強める領主に抵抗して農民が起こした反乱。指導者のワット・タイラー(Wat Tyler)はロンドンを占領、王と会見して、農奴制廃止などを認めさせたが、2度目の会見の時に殺害され、反乱は急速に衰退。(Wat Tyler's Rebellion)
ワラキア公国 ワラキアは古代のダキアの一部で、2世紀以後ローマの支配下に入り、6世紀にはスラブ族が定住。1324年ワラキア公国が成立、16~19世紀はトルコの支配下にあった。1859年モルドバと合同、1881年ルーマニア王国が成立した。(Principality of Walachia)
ワルシャワ ポーランド共和国の首都。同国の中部、ウィスラ川中流にある。工業・学術・文化の中心地。鉄鋼・自動車・機械などの工業が発達。英語名ワルソー。(Warsaw)
ワルシャワ公国 ナポレオン・ボナパルトによって作られた公国である。1807年のティルジット条約に基づき、プロイセン王国からの領土割譲によって作られた。ナポレオンが1812年にロシア遠征に失敗した後、公国はプロイセンとロシアに占領され、1815年のウィーン会議の結果2つの国に分割された。ワルシャワ大公国(Duchy of Warsaw)
ワルシャワ条約機構 1955年、ソ連・東ヨーロッパの社会主義国がワルシャワで結んだ友好・協力・相互援助条約(ワルシャワ条約)に基づいて結成した集団防衛機構。ナトー(NATO)に対抗するもので、加盟国はソ連のほかチェコスロバキア・ハンガリー・東ドイツ・ブルガリア・ポーランド・ルーマニア・アルバニアであったが、チェコ事件を理由に68年アルバニアが脱退。91年解体。 (Warsaw Treaty Organization)