| 国名 | カンボジア王国 | |
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| 英語 | Kingdom of Cambodia | ||||
| 首都 | プノンペン(Phnom Penh) | ||||
| 独立年 | 1953年11月(フランス) | ||||
| 民族 | クメール人85% | ||||
| 主要言語 | カンボジア語(クメール語) | ||||
| 面積 | 18万1040km2 | ||||
| 人口 | 1620万4486人(2017推計) | ||||
| 通貨単位 | リエル | ||||
| 宗教 | 仏教97% | ||||
| 主要産業 | 農業25%、工業33%、サービス業42% |

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地理
カンボジアは、アンナン山脈などの低い山脈に囲まれて広がる
中央平野が国土の約 4分の3を占め、その東部寄りを北から南へメコン川が貫流する。
西部にはトンレサップ川によってメコン川と結ばれたトンレサップ湖が
横たわり、メコン川の洪水を制御する天然の調節池の役割を果たしている。
プノンペンはメコン川の河港都市で、トンレサップ川が合流し、
バサック川が分流する地点に位置する。
全土が熱帯気候で、年中高温が続く。モンスーンの影響が強く、特に5-9月の南西モンスーンは多量の雨をもたらす。
11-4月の北東モンスーンの時期は降雨が少なく乾季となる。
ブノンペン 25.6℃(1月) 28.9℃(7月) 年降水量1300mm
メコン川がもたらす肥沃な土壌に恵まれた農業国で、イネを中心に、トウモロコシ、ワタ、タバコ、ゴム、コショウなどが栽培される。
メコン川、トンレサップ湖では漁業が盛ん。世界遺産のアンコール遺跡が重要な観光収入となっている。
歴史
扶南国(ふなんこく Funan 100−628年)
カンボジアの歴史は、メコン川流域の肥沃な土地と豊かな自然に恵まれた環境から始まった。
AD100年、この地に「扶南国」と呼ばれる、東南アジアにおける初期の交易の中心地が形成された。
扶南国は、インドとの交易ルートの要衝に位置し、インド文化の影響を強く受けた。
ヒンドゥー教が伝来し、独自の文化が発展した。 扶南国は、交易を通じて繁栄を築き、
東南アジアにおける重要な勢力となった。
しかし、6世紀、カンボジア北部に、クメール人の国家である真臘(しんろう)が台頭し、
扶南国と激しく戦い、628年、扶南国は滅ぼされてしまった。商業国家の扶南国は、軍備を疎かにし、
国家が団結しておらず、北方の農耕勢力の団結に屈することになったのである。
真臘(しんろう Chenla 500−802年)
真臘は、扶南国のヒンドゥー教文化をそのまま継承した。扶南国は滅ぼされたが、
そのインド的文化はクメール人により受け継がれ、さらに発展していった。
とりわけ、寺院建築や彫刻、文学などの分野で独自の文化を育んだ。
9世紀初頭、真臘が発展しクメール王朝が形成された。
クメール王朝(Khmer Empire 802−1431年)
クメール王朝は、9世紀から15世紀にかけて、カンボジアを支配した。この王朝は、東南アジアに
おける最も強力な王朝の一つであり、その文化と建築は、世界的に知られることになった。
アンコール・ワット(Angkor Wat 1150年)を築いたクメール王朝の勢力圏は、
現在のベトナム南部からラオス、タイにまで及んだ。
しかし、13世紀以降、タイやベトナムの攻撃を受けるようになり、クメール王朝は衰退する。
15世紀、タイのアユタヤ王朝によってクメール王朝は滅ぼされてしまった。
アンコール・ワットは、19世紀後半、フランス人学者が発見するまで、ジャングルの奥深くで
放置されていた。
ジャングルの中から現れた巨大遺跡は、「世紀の大発見」として世間を驚かせることになった。
「アンコール遺跡群」には大小合わせて600の寺院や王宮などの建造物が存在し、初期はヒンドゥー教、
後期は仏教と、2つの宗教が交錯する痕跡を残している。
カンボジア王国(Kingdom of Cambodia 1953−1970年)
1887年、カンボジアはフランスの植民地となるが、1953年にカンボジア王国として独立を果たした。
だがここから先、カンボジアの苦難が始まる。
クメール共和国(Khmer Republic 1970−1975年)
1965年、隣国でベトナム戦争が勃発。北ベトナムは、南ベトナムの解放戦線を支援するため、
カンボジアの領内を通って物資を輸送した。
そこでアメリカは、カンボジアが北ベトナムを支援しているとみなし、カンボジアの軍人ロン・ノル
(Lon Nol)を扇動し、クーデターを起こさせた。
1970年、ロン・ノル将軍のクーデターによって、王政は覆され、クメール共和国が成立する。
カンボジアを追われた元国王シハヌーク(Sihanouk)は、中国に亡命した。
その後、シアヌークは、共産主義者ポル・ポト(Pol Pot)と組んで反ロン・ノル運動を展開、
以後、カンボジア国内は内戦に突入。
民主カンプチア(Democratic Kampuchea 1975−1979年)
内戦に勝利したのは、ポル・ポト率いる反政府勢力のクメール・ルージュ(Khmer Rouge)
であった。一方、シアヌークは王宮に幽閉されてしまった。
クメール・ルージュによる民主カンプチア政府は、1975年から1979年までカンボジアを統治した。
このわずか4年ほどのクメール・ルージュ支配下、国内では大量虐殺が続いた。
毛沢東の改革思想に傾倒するポル・ポトは、原始共産主義という思想に基づき、これまでの社会を真っ向から否定した。
ポル・ポトは内戦で荒廃した国を再建するため、都市の住民を農村に移住させ、ダム建設や米作りなどの重労働を課した。
だが人々はおかゆしか与えられず、飢餓や重労働で死亡した人数は、およそ300万人にのぼると言われる。
一方、資産家や知識人は排除され、次々と処刑された。
ポル・ポトは差別のない社会を目指していた。資本主義においては、個人が資産を築くことは自由であるが、
原始共産主義では、頭を使って富を築くのは自分勝手で堕落した人間の象徴として扱われたのである。
カンプチア人民共和国(People's Republic of Kampuchea 1979−1989年)
カンボジア国(State of Cambodia 1989−1993年)
1979年、ポル・ポト政権の幹部だったヘン・サムリン(Heng Samrin)がベトナムに助けを求め、
カンボジアにベトナム軍が侵攻した。ポル・ポトのクメール・ルージュが崩壊した後、プノンペンに
カンプチア人民共和国(ヘン・サムリン政権)が成立。
その後、ベトナム軍の撤退とともにカンボジア国と改称した。
国際連合カンボジア暫定統治機構(United Nations Transitional Authority in Cambodia 1992−1993年)
カンボジア王国(Kingdom of Cambodia 1993−)
ベトナム軍撤退の後、UNCTAC(国連カンボジア暫定機構)の統治が始まった。
1993年にはUNCTAC監視下で、ポル・ポト派抜きの民主選挙が行われ、シアヌーク派が第一党となり、
シアヌーク国王が即位し、王制が復活した。
| 100年 | メコン川下流域に扶南国成立(〜628年) | |
| 500年 | カンボジア北部にクメール人の国家、真臘(しんろう)成立(〜802年) | |
| 802年 | カンボジア、ジャヤーヴァルマン2世即位。クメール王朝興る(〜1431年) | |
| 1113年 | クメール王朝、スーリヤヴァルマン2世即位。アンコール・ワットを建設 | |
| 1353年 | タイのアユタヤ王朝のアンコール攻略始まる | |
| 1431年 | 首都アンコール陥落。クメール王朝の滅亡。 | |
| 1863年 | フランス、カンボジアを保護領とする | |
| 1887年 | フランス領インドシナ連邦成立(〜1945年) | |
| 1940年 | (昭和15) 日本軍、フランス領インドシナに進駐(9月23日)(北部仏印進駐) | |
| 1953年 | カンボジア王国として独立。元首シアヌーク | |
| 1967年 | 東南アジア諸国連合 ASEAN結成(8月8日) | |
| 1970年 | ロン・ノル親米派クーデター。シアヌーク国家元首を解任、共和制に移行。クメール共和国の成立(3月18日) | |
| 1975年 | カンボジア民族統一戦線(クメール・ルージュ)がプノンペン占領。内戦終結(4月17日) | |
| 1975年 | 民主カンプチア政府(ポル・ポト政権)成立(4月13日) | |
| 1979年 | ベトナム軍、カンボジア侵攻。ヘン・サムリン政権、カンプチア人民共和国を樹立(1月11日) | |
| 1982年 | ポル・ポト派残党とサムリン政権との間で内戦が始まる(6月22日) | |
| 1991年 | パリ和平協定調印(10月23日) | |
| 1993年 | カンボジア総選挙(5月23日)カンボジア王国成立。元首シアヌーク |

アンコール・ワット(Angkor Wat)
クメールの微笑み(Smiling Stone Faces)
クメールの微笑みと呼ばれる人面像は、寺院の中に49体置かれている。
これらの像は、観音菩薩を模しているとされ、国中の人々に慈悲の心が届くように
顔は東西南北全ての面に彫られている。
石像は一枚岩ではなく、近くで見ると大きな砂岩を積み重ねて作られていることが良く分かる。
これらの砂岩は、数十キロ先から象によって運ばれてきたという。
タ・プローム(Ta Prohm)
タ・プロームは、かつてヒンドゥー教の僧侶たちが暮らしていた寺院跡である。
往時には、僧侶5000人、舞姫600人が住んでいたという。
ガジュマルの木による浸食が激しく、今にも崩壊してしまいそうな姿が印象的だ。
クメール王国は、最盛期にはインドシナ半島の大部分とマレー半島の一部
までを領土とした大帝国であった。
アンコール遺跡は、9世紀から600年間、カンボジアに君臨したクメール王国の栄華を極めた
建造物だったが、戦乱によって人々は離散し、廃墟と化してしまった。
相次ぐ大寺院の建設が国民の力を使い果たし、国力を衰えさせてしまい、
領土を守りきれなくなったのだろう。
巨大に成長したガジュマルに押しつぶされながらも、かろうじて体裁を保っている寺院や、
苔むした石像は、長い歴史における一国の興亡、一族の栄枯盛衰を如実に物語っている。
(住所:Angkor Thom Angkor Archeological Park, Krong Siem Reap, Cambodia)