国名 クウェート国              
英語 State of Kuwait  
首都 クウェート  
独立年 1961.6(イギリス)  
民族 アラブ人  
その他  
主要言語 アラビア語  
面積 1万7818km2  
人口 403万9000(2014推計)  
通貨単位 クウェート・ディナール(KD)  
宗教 イスラム教(国教)  
その他  
主要産業 石油  




地理

ペルシア湾北西に位置する首長国。
北と西はイラク、東はペルシア湾、南はサウジアラビアに接する。

ファイラカ島やブビヤン島など、沖合いの 9島も含む。

クウェートは、国土のほとんどが不毛の砂漠であり、常時水が流れる川や湖はない。

飲料水は不足し、大部分を海水からの蒸留水と、イラクのシャトル・アラブ川からの
引き水に依存する。

夏季は高温となるが湿度は低い。
降水量は少なく、大部分は冬季に集中する。冬季は気温が下がり比較的快適である。

6〜7月にはシャマール(Shamal)と呼ばれる北西風が吹き、砂嵐を巻き起こす。

住民の約 30%がクウェート人で、労働力をほかのアラブ人、南アジア人に依存している。
公用語はアラビア語。イスラム教が国教となっている。

国富のほとんどは石油に依存、油田は南部のブルガン油田(Burgan field)、
マグワ油田(Magwa)、アフマディ油田(Ahmadi)が有名。

多額の石油収入により、教育の無料化と医療設備の整備に力を入れている。
1959年、クウェート市に隣接するシュワイフに港が完成し、また、毎日 2万7000tの水を供給できる海水淡水化工場も建設された。

近代的道路網が整備され、国営航空会社をはじめ他国の航空会社も定期便を開いている。

湾岸戦争の際、イラク軍により多数の油井が破壊されたが、1992年半ばに侵攻前の石油産出水準に回復。



歴史

7世紀からイスラム諸王朝の支配を受け、1536年からはオスマン帝国の支配下に入る。
1899年イギリスの保護領となり、1961年に独立。
1963年5月国際連合加盟。
1990年8月イラク軍が侵攻、クウェートの併合を宣言した。
これに対し1991年1月、アメリカ軍を中心とする多国籍軍がイラク軍を攻撃(湾岸戦争)、2月にクウェートを解放した。



  クウェート史
  BC4000年 シュメール人がクウェートの地に定住
  BC600年 新バビロニア人による地中海貿易の物資集散港として栄える
  BC538年 アケメネス朝ペルシアの支配下に入る
  BC330年 マケドニアの支配下に入る
  BC300年 セレウコス朝シリアの支配下に入る
  BC143年 パルティアの支配下に入る
  227年 ササン朝ペルシアの支配下に入る
  642年 イスラム帝国(正統カリフ)の支配下に入る
  1536年 オスマン帝国の支配下に入る
  1756年 サバーハ家 (Al-Sabah) が、オスマン帝国の下に統治を始める
  1792年 イギリス東インド会社の植民地となり、港湾都市として栄える
  1899年 イギリス保護下に入る
  1961年 クウェート独立。クウェート国の成立
  1963年 国際連合加盟
  1990年 イラク、クウェート侵攻
  1991年 湾岸戦争。イラク軍クウェートから撤退




湾岸戦争(Gulf War)


もともとイラクとクウェートは、オスマン帝国の属州として同じ地域にあった。

第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北すると、この地域はイギリス領となった。

だが1932年、イラクがイギリスから独立したとき、クウェートの地は
イラクから切り離されてしまった。

その後1938年、クウェートに巨大油田が発見され、以降クウェートは
石油産業が主要な産業となった。

1961年、クウェートがイギリスから独立。

このとき、イラク政府が、クウェートはもともとイラクの領土であり、
イギリスによって不当に分離された旨を内外へ発信した。

そして、ついに1990年8月、イラクのフセイン大統領はクウェートに侵攻し併合した。

これに対して、国連から非難決議が出され、アメリカを中心とする多国籍軍が
イラクに侵攻、1991年1月、湾岸戦争が勃発。

石油資源の下で発展を遂げていたクウェートの都市が戦場になった光景は、
世界に衝撃を与えた。

1991年2月、イラクの敗北により湾岸戦争は終結。

クウェートの油田は大きな被害を受けたが、1992年半ばまでに侵攻前の石油産出水準
に回復。その後のクウェートは、戦前をはるかに上回る発展を遂げている。

2011年3月に発生した東日本大震災の際には、湾岸戦争時の多国籍軍への日本の資金援助
の礼として、500万バレル(450億円相当)の原油無償援助で話題となった。