国名 | ミャンマー連邦共和国 | |||
英語 | Republic of the Union of Myanmar | |||
首都 | ネーピードー | |||
独立年 | 1948.1(イギリス) | |||
民族 | ビルマ族(約70%)その他多くの少数民族 | |||
その他 | ||||
主要言語 | ミャンマー語 | |||
面積 | 67万6577km2 | |||
人口 | 5228万(2015推計) | |||
通貨単位 | チャット(Kyat) | |||
宗教 | 仏教(90%)キリスト教、イスラム教等 | |||
その他 | ||||
主要産業 | 農業、天然ガス、製造業 |
地理
国土の中央部をにエーヤワディ川が南下し、広大な沖積平野を形成。
ベンガル湾に面した南部は熱帯気候で、年間を通して高温多湿。
内陸部に入るにつれて気温も低下し、温帯気候となる。
住民の約 70%が農業に従事し、特にエーヤワディ川デルタは大米作地帯。
畑ではマメ類やサトウキビ、野菜、果物、ゴマなどが栽培されている。
1990年代までは米が最大の輸出品だったが、近年は天然ガスやマメ類、チークなどの木材が中心となっている。
ビルマ人(全人口の約 56%)はおもに平地に住み、カレン族、シャン族、モン族などの少数民族は
周辺山地にそれぞれの州を形成。
仏教徒が人口の 70%以上を占め、仏教は生活にも深く浸透している。
公用語はビルマ語。
歴史
1044年、ビルマ民族が最初の統一国家パガン王朝を建設。
1287年、中国元朝の侵攻により、パガン王朝は滅亡。
その後タウングー王朝、コンバウン王朝と転変。
1886年、英領インドの一州となり、王政は消滅。
1948年、英連邦を離脱、ビルマ連邦として独立。
1962年、軍事政権が成立し、社会主義路線を進めた。
1988年、主要都市で民主化を求めるゼネストが発生し全土に拡大。
これに対して軍がクーデターで実権を掌握。軍と市民らの衝突で多数の死者が出た。
1989年、国名をミャンマー連邦に改称。
1990年5月、30年ぶりに実施された選挙でアウン・サン・スー・チー率いる最大野党の国民民主連盟 NLDが圧勝した。
だが軍政府は選挙結果を無視して、スー・チーを軟禁、独裁体制を強化した。
軍事政権は、国際的な非難と経済封鎖が続くなか、2010年にアウン・サン・スー・チーの自宅軟禁を解除した。
アウン・サン・スー・チーは政治活動を再開。
2015年の総選挙で国民民主連盟(NLD)が圧勝した。
ミャンマー史 | ||
1044年 | パガン(蒲甘)朝興る(〜1287) | |
1531年 | タウングー朝成立(〜1752) | |
1752年 | コンバウン朝(アラウンパヤー朝)興る(〜1885) | |
1767年 | ビルマ軍、タイのアユタヤ朝を滅ぼす | |
1790年 | 清、ビルマを属国とする | |
1824年 | 第一次ビルマ戦争(〜1826) | |
1852年 | 第二次ビルマ戦争 | |
1885年 | 第三次ビルマ戦争(11月)(〜1886)。コンバウン朝滅亡 | |
1886年 | イギリス、ビルマ全土を併合し、イギリス領インドに編入(1月1日) | |
1937年 | イギリス、ビルマを英領インドから分離。バ・モー、首相就任(4月1日) | |
1943年 | バ・モー政権下で独立宣言(8月1日) | |
1948年 | ビルマ連邦共和国独立(1月4日) | |
1962年 | ネ・ウィンが軍事クーデターにより実権掌握(3月2日) | |
1967年 | 東南アジア諸国連合 ASEAN結成(8月8日) | |
1988年 | ソー・マウンによる軍事クーデター(9月18日) | |
1988年 | 反政府派、国民民主連盟(NLD)を設立。書記長スー・チー女史 | |
1989年 | 国名をミャンマーに変更(6月18日) | |
1990年 | 総選挙で国民民主連盟(NLD)が圧勝。(政府は政権移譲を拒否) | |
1991年 | スー・チー女史ノ−ベル平和賞受賞 | |
1997年 | ASEANに加盟 | |
2010年 | ミャンマー、20年ぶりに議会選挙(11月7日) | |
2010年 | スー・チー女史を自宅軟禁から解放(11月13日) | |
2015年 | 総選挙でNLDが単独過半数の議席を獲得(11月8日) | |
2016年 | NLD党員のティン・チョウ氏を大統領とする新政権が発足(3月31日) |
ビルマの竪琴 (The Burmese Harp)
「ビルマの竪琴」は、太平洋戦争末期のビルマ(現在のミャンマー)で
戦闘を続ける日本軍部隊が敗戦を知り、復員するまでを描いた日本映画。
題名にもあるように、音楽が物語に大きな比重を占めている。
映画の中盤、英軍に包囲された日本兵たちが「埴生の宿」を合唱して逃走しようとすると、
英軍が「Home Sweet Home」と英語で歌い、両軍の合唱となって、無血で敗戦を知るくだりは
感動的なシーンとなっている。
この映画は、音楽のもつヒューマニズムを表現した作品として、1956年ベネチア国際映画祭で
芸術賞を受賞するなど国際的にも好評を博した。
その後、現地のミャンマーでも上映しようという計画があったのだが、結局上映されずじまいに終わった。
理由はおそらく、映画の中にミャンマーの宗教的な戒律に触れる場面があったため、
現地では反感を買ってしまう恐れがあったためだと思われる。
ミャンマーは敬けんな仏教国である。仏教徒の男性は、一生のうち一定の期間を、
僧侶として過ごさなくてはならないとされる。
映画の中で、出家僧になった主人公の水島上等兵が竪琴を奏でる場面があるが、
現地の上座部仏教では、僧侶が歌舞音曲に触れることは禁じられている。
また出家僧は喜捨を受けても在家信徒に対して合掌する事はないという。
映画はフィクションであり、ドラマ的な面白さが求められるのであるが、
フィクションだからこそ風俗や宗教といった現地考証が大切だということだろう。
ビルマの竪琴(1956年日活作品)
原作「竹山道雄」監督「市川崑」
主演「安井昌二」(水島上等兵)「三国連太郎」(井上隊長)