国名 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ||||
英語 | North Korea | ||||
首都 | 平壌(ピョンヤン) | ||||
独立年 | 1948.9(日本) | ||||
民族 | 朝鮮民族 | ||||
主要言語 | 朝鮮語 | ||||
面積 | 12万2762km2 | ||||
人口 | 2472万(2013推計) | ||||
通貨単位 | ウォン | ||||
宗教 | 仏教、キリスト教 | ||||
主要産業 | 農業、牧畜、養鶏、養蚕、肥料 |
地理
朝鮮民主主義人民共和国
国土の大部分は、中規模の山脈と丘陵による山岳地帯で構成される。
最高峰の白頭山(標高2750m)が中国との国境に位置する。また北部の鴨緑江、豆満江を境に中国、ロシアと接する。
北部を面積2万平方キロに及ぶ蓋馬(かいま)高原(平均高度1200m)が走る。
高原の南東は摩天嶺(まてんれい)山脈が走り、西部は南北に走る狼林山脈がある。南部には太白山脈が続く。
気候は寒暑の差が大きく、年降水量は 800〜1500mmである。
主作物は米、トウモロコシ、コムギ、オオムギ、ジャガイモ、サツマイモ、ダイズなど。沿岸の各港で漁業が盛んである。
中国、韓国、ロシア、日本、タイなどと、食品、燃料、衣料品などの輸入、家畜、農産物、衣料品などの輸出を行なっている。
大韓民国
対馬海峡をへだてて日本と向き合い、東は日本海に面し、西は黄海に面する。
日本海側を南北に太白山脈が走り、中央部を小白山脈がほぼ南北に走る。
山間に盆地や高原が開けているが、沖積平野は少ない。湖南平野が最大の穀倉地帯である。
温帯季節風気候で、年降水量は 1000〜1500mmである。
主作物は米、オオムギ、雑穀、サツマイモ、ジャガイモ。またチョウセンニンジンを特産する。
主産業である工業は、電子、自動車、機械、造船、鉄鋼、石油化学などの工業が基幹となっている。
歴史
「史記」によれば、BC1046年、殷の箕子(きし)が朝鮮国を建国したとされる。
伝説では、殷の紂王の暴虐を諫めたが用いられず、殷が滅ぶと朝鮮に入り、朝鮮王として人民教化に尽くしたと伝えられる。
BC195年、燕の衛満(えいまん)が、漢の高祖に追われて朝鮮に入り、箕子朝鮮を滅ぼし平壌に都した。
BC108年、衛氏朝鮮は、前漢の武帝によって滅ぼされる。
その後、朝鮮半島には、楽浪郡など朝鮮四郡が置かれ、中国に支配される。
その後、朝鮮半島南部では、多くの部族集団が群雄割拠し、馬韓、辰韓、弁韓と呼ばれる国(三韓)が成立した。
「日本書紀」によれば、200年、三韓は日本の神功皇后の遠征軍によって攻撃を受けている。
BC37年、遼寧省付近に朱蒙(しゅもう)が高句麗を建国した。高句麗は次第に四方に勢力を延ばし、313年楽浪郡を滅ぼした。
半島南部では、馬韓を百済が、辰韓を新羅が、弁韓を任那(にまな)が統一。
さらに任那が新羅によって滅ぶと、朝鮮半島は高句麗・新羅・百済が並び立つ三国時代となった。
391年に即位した高句麗の広開土王は遼東に勢力を伸ばし、満州南部から朝鮮半島の大半を領土とした。
589年、中国を統一した隋は、国境を接する高句麗の進出を恐れ、三度の高句麗遠征を行ったが、いずれも失敗して滅び、次の唐も高句麗遠征に失敗した。
新羅は、唐と結んで勢力を伸ばそうとした。660年、唐・新羅連合軍は百済を滅ぼし、663年には百済の遺臣とそれを支援する倭国軍を白村江で破った。
そして668年には、残った高句麗を滅し、新羅が朝鮮半島を統一した。
その後、新羅は内紛のため分裂状態となり、918年に開城地方の武将王建が高麗をたて、935年、新羅を滅ぼし朝鮮半島を統一した。
高麗は仏教を保護し、唐と宋の制度を取り入れて栄えた。
1231年からはモンゴルの侵入が始まった。1259年、高麗はモンゴル帝国に服属し、二度の日本侵攻(元寇)の前線基地となり、多大な負担を強いられた。
元が滅んで明の時代になると、倭寇や元との戦いで功績をあげた李成桂が立ち上がり、1392年に李氏朝鮮を興した。
李成桂は明から朝鮮王に封ぜられ、漢陽(ソウル)に都を置き、国号を朝鮮とした。
1592年〜1597年、豊臣秀吉による文禄・慶長の役が発生し国土は焦土と化した。1599年に秀吉が死去すると、日本軍は撤退した。
中国では明が衰え、1616年、満州に後金が独立した。1627年、後金は明と同盟関係にある朝鮮に侵攻してきた。
朝鮮軍は敗北を重ね、皇帝は江華島へ避難した。その後、後金に服従することで講和が成立、後金軍は撤退した。
1894年の日清戦争後に日本と清国との間で結ばれた下関条約によって李氏朝鮮は清の属国から離脱し、近代国家としての独立や実質的な地位を得た。
これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国と改め、以後日本の影響下に置かれた。
1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1910年の日韓併合で日本の植民地となった。
しかし日本の植民地支配に対しては義兵闘争が起こり、また 1919年には三・一運動という全民族的独立要求運動が起こった。
1945年、日本の敗戦によって植民地支配から解放されたが、アメリカ合衆国、ソビエト連邦の対立によって 38度線で分断された。
1948年、南には大韓民国が、北には朝鮮民主主義人民共和国が成立した。
1950年には朝鮮戦争が発生したが 1953年休戦協定が成立、分断は固定化して今日にいたっている。
朝鮮史 | ||
BC1046年 | 殷の箕子が朝鮮国を建国(箕子朝鮮) | |
BC195年 | 燕の衛満が朝鮮国を建国(衛氏朝鮮) | |
BC108年 | 前漢、朝鮮半島に四郡を置く | |
BC100年 | 朝鮮半島南部に三韓(馬韓、辰韓、弁韓)が成立 | |
BC37年 | 朝鮮半島北部に高句麗興る | |
200年 | 日本、神功皇后の遠征軍が三韓を攻撃 | |
313年 | 高句麗、楽浪郡を併合 | |
346年 | 百済成立(〜663) | |
356年 | 新羅成立(〜935) | |
369年 | 任那成立。日本、朝鮮半島南部に大規模出兵 | |
372年 | 百済王、倭王に七枝刀を贈る | |
391年 | 高句麗、広開土王(好太王)即位 | |
391年 | 倭軍、朝鮮に出兵。百済、新羅を破る | |
397年 | 高句麗軍5万、朝鮮半島を南下。倭軍を破り、任那の地にいたる | |
404年 | 倭軍、朝鮮帯方郡に出兵。高句麗軍と戦い敗退する | |
512年 | 大伴金村、任那の4県を百済に割譲 | |
513年 | 百済、日本に五経博士を献じる | |
520年 | 新羅、律令公布 | |
540年 | 新羅、真興王即位「国史」を編纂 | |
552年 | 百済の聖王が仏像と経論を献じ、日本に仏教公伝 | |
554年 | 百済、聖王死す | |
562年 | 任那、新羅の真興王に滅ぼされる | |
589年 | 隋、中国を統一 | |
602年 | 百済の僧観勒、暦を伝える | |
610年 | 高句麗僧曇徴、絵具・紙を伝える | |
618年 | 唐、中国を統一 | |
663年 | 白村江の戦い。日本軍敗れる | |
663年 | 唐と新羅、百済を滅ぼす | |
668年 | 唐と新羅、高句麗を滅ぼす | |
676年 | 新羅、朝鮮半島を統一 | |
698年 | 大祚栄、渤海国を建てる(〜926) | |
802年 | カンボジアにアンコール朝興る(〜1432) | |
821年 | 唐、吐蕃(チベット)と同盟 | |
901年 | 南詔滅びる | |
916年 | 契丹の耶律阿保機、皇帝を称する | |
918年 | 王建、朝鮮に高麗を建国(〜1392) | |
926年 | 遼、渤海国を滅ぼす | |
935年 | 新羅、高麗に降伏し滅亡 | |
936年 | 高麗、後百済を滅ぼし、朝鮮を統一 | |
937年 | 雲南に大理国(南詔の後身)興る(〜1253) | |
990年 | 遼、中国と高麗に遠征 | |
1004年 | せん淵の盟約。北宋、遼と和する | |
1010年 | 遼、高麗に侵入 | |
1032年 | 李元昊、西夏を建国(〜1227)。以後、北宋に侵攻 | |
1044年 | 北宋、西夏と講和 | |
1049年 | 遼の興宗、西夏を討つ | |
1115年 | 女真のワンヤンアクダ(完顔阿骨打)、金を建国(〜1234) | |
1119年 | 金、女真文字を創製 | |
1125年 | 金、遼を滅ぼす | |
1127年 | 靖康の変。金、北宋を滅ぼす | |
1142年 | 南宋の高宗、金と講和 | |
1170年 | 高麗で庚寅の乱起こる | |
1231年 | オゴデイ、高麗に侵入 | |
1234年 | モンゴル帝国、金を滅ぼす | |
1259年 | 高麗、モンゴルに服属 | |
1271年 | フビライ・ハン、国号を「大元」とする(〜1368) | |
1274年 | 元軍、日本遠征に失敗(文永の役) | |
1275年 | 南宋の文天祥、反元義勇軍を起こす | |
1279年 | 元、克Rで南宋を滅ぼし、中国を統一 | |
1281年 | 元軍、日本再遠征に失敗(弘安の役) | |
1350年 | 高麗に庚寅の倭寇 | |
1359年 | 紅巾軍、高麗に入寇(〜1362) | |
1364年 | 高麗の李成桂、女真を討つ | |
1368年 | 朱元璋(洪武帝)、元を破り明を建国。元、モンゴルに逃れ、北元成立(〜1634) | |
1377年 | 高麗の李成桂、キョンサン(慶尚)道とチリ(智異)山の倭寇を撃退する | |
1392年 | 李成桂、高麗を滅ぼし、朝鮮王朝(李氏朝鮮)を興す | |
1396年 | ソウル南大門創建 | |
1406年 | 明、ベトナム(安南)を征服(〜1428) | |
1410年 | 明、永楽帝のモンゴル親征(1414、1422、1423、1424) | |
1443年 | 朝鮮でハングル創製(1446公布) | |
1510年 | 朝鮮で三浦の乱起こり、日朝国交断絶 | |
1512年 | 対馬の宗氏、朝鮮と壬申条約を結ぶ | |
1520年 | タタール(モンゴル)、明に侵入 | |
1545年 | 朝鮮で乙巳の士禍 | |
1555年 | 倭寇、南京に攻め入る | |
1575年 | 朝鮮、党争始まる(東西分裂) | |
1583年 | 女真のヌルハチ(奴児哈赤)挙兵 | |
1592年 | 豊臣秀吉、朝鮮出兵(文禄・慶長の役) | |
1603年 | 女真のヌルハチ(奴児哈赤)、ヘト・アラ(赫図阿拉)を都とする | |
1609年 | 対馬藩、朝鮮と己酉(きゆう)条約締結。宗氏、朝鮮貿易の特権確保 | |
1616年 | 女真のヌルハチ(奴児哈赤)、ハン位につき、後金成立 | |
1619年 | ヌルハチ(奴児哈赤)、明を破る(サルフの戦い) | |
1623年 | 朝鮮、仁祖の粛清 | |
1627年 | 後金、朝鮮に侵入 | |
1636年 | 後金、国号を清と改める(〜1912) | |
1636年 | 清、朝鮮に侵入 | |
1637年 | 朝鮮、清に服属。清の年号を使う | |
1680年 | 朝鮮、庚申の大獄始まる | |
1725年 | 朝鮮、英祖、党争融和をはかる | |
1752年 | 朝鮮、均役法施行 | |
1784年 | 朝鮮に天主教流行 | |
1801年 | 朝鮮、辛酉の獄、キリスト教徒大弾圧 | |
1811年 | 朝鮮、洪景来、農民の反乱を指導(〜1812) | |
1866年 | 朝鮮、キリスト教大弾圧 | |
1871年 | アメリカ艦、朝鮮軍と江華島で交戦 | |
1876年 | 朝鮮と日本の間に江華条約調印。朝鮮開国 | |
1882年 | 朝鮮、壬午の変起こる | |
1884年 | 朝鮮、甲申の変 | |
1885年 | 日清間で朝鮮に関して天津条約締結 | |
1894年 | 朝鮮、甲午農民戦争。甲午の改革断行 | |
1897年 | 朝鮮、国号を大韓帝国と改める(〜1910) | |
1904年 | 日韓議定書、日韓協約調印 | |
1905年 | 第2次日韓協約調印(乙巳保護条約)。韓国統監府設置 | |
1910年 | (明治43)日韓併合、朝鮮総督府を設置 | |
1919年 | 朝鮮で、日本統治に反対する三・一運動起こる | |
1945年 | 朝鮮、38度線を境に南北に分立 | |
1948年 | 大韓民国(韓国)成立 | |
1948年 | 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)成立 | |
1950年 | 朝鮮戦争始まる(〜1953) | |
1953年 | パンムンジョム(板門店)で朝鮮戦争休戦協定調印 | |
1960年 | 韓国、四・一九学生革命、イ・スンマン(李承晩)大統領辞任 | |
1961年 | 韓国、軍事クーデター。パク・チョンヒ(朴正煕)による軍事政権樹立 | |
1963年 | 韓国、民政復帰。パク・チョンヒ(朴正煕)大統領就任(〜1979) | |
1965年 | (昭和40)日韓条約調印(国交正常化) | |
1972年 | 北朝鮮、キム・イルソン(金日成)国家主席就任 | |
1973年 | (昭和48)キム・デジュン(金大中)誘拐事件 | |
1979年 | 韓国、パク・チョンヒ(朴正煕)大統領暗殺 | |
1979年 | 韓国で粛軍クーデター、チョン・ドファン(全斗煥)権力掌握 | |
1980年 | 韓国、光州事件 | |
1987年 | 大韓航空機爆破事件 | |
1987年 | 韓国、大統領直接選挙でノ・テウ(盧泰愚)当選 | |
1992年 | 中国と韓国、国交樹立 | |
1993年 | 韓国、32年ぶりの文民大統領にキム・ヨンサム(金泳三)就任 | |
1994年 | 北朝鮮、キム・イルソン(金日成)主席死去 | |
1998年 | 韓国、キム・デジュン(金大中)大統領就任 | |
2000年 | キム・デジュン(金大中)、キム・ジョンイル(金正日)の南北首脳会談 | |
2002年 | 日朝平壌宣言(国交正常化) | |
2006年 | 北朝鮮、核実験成功を発表 |
核ミサイル (Nuclear missile)
核兵器は、運搬手段がなければ武器にならない。
広島・長崎に投下された原爆は、B29が日本上空まで運んで投下した。
戦後には、遠くの目標に核兵器を、より早く、より正確に到達
させるために、核を搭載したミサイル技術が競って研究されてきた。
北朝鮮は、1991年のソ連崩壊で失業した核ミサイル技術者を雇い、
多大な技術力を確保した。
1998年8月、北朝鮮は人工衛星打ち上げという名目で、第一回目の
長距離ミサイル「テポドン」の発射実験を行った。
このときは、日本上空を越えて太平洋に落下してしまい失敗だった。
その後、数多くの実験を重ね、2017年には大陸間弾道ミサイル
(ICBM)の開発に成功した。
現在、北朝鮮のミサイルは、主として三段階の射程距離を設定している。
一つは、韓国ソウル攻撃、二つ目は沖縄の米軍基地、そして三つ目は
アメリカ本土への攻撃である。
2017年11月、キム・ジョンウンは政府声明で「ミサイル強国の偉業が
達成された」と宣言した。
このような宣言は「核保有国」であるからこそ、アメリカと対等の
交渉力を得られるという北朝鮮の認識の反映なのだ。
1945年の日本敗戦で、朝鮮半島は、北がソ連、南がアメリカの支配下
に置かれてしまった。
さらに1950年には朝鮮戦争が勃発し、38度線で実質的に分断されてしまった。
弱小国の悲哀さを、身に染みて体験してきたのが北朝鮮である。
1968年には国連で「核拡散防止条約」が結ばれ、常任理事国の5か国のみが
核兵器を保有できることが明確にされた。
だが北朝鮮などの弱小第3国にとっては、これらの常任理事国5か国は、
危険な暴力団のボスと写っていたのである。
その後インドやパキスタン、北朝鮮が核開発を進めるなど、核保有国が
拡大していったのは、当然と言えば、当然のことであった。