国名 | スリランカ民主社会主義共和国 | ||||
英語 | Democratic Socialist Republic of Sri Lanka | ||||
首都 | スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(Kotte) | ||||
独立年 | 1948.02(イギリス) | ||||
民族 | シンハラ人 82%、タミル人 9% | ||||
その他 | |||||
主要言語 | シンハラ語、タミル語 | ||||
面積 | 6万5610km2 | ||||
人口 | 2240万9381人(2013推計) | ||||
通貨単位 | スリランカ・ルピー | ||||
宗教 | 仏教 70%、ヒンドゥー教 15% | ||||
主要産業 | 紅茶、魚介類、ゴム製品、衣類 | ||||
地理
インド半島の南東、インド洋上の島国。旧称セイロン Ceylon。
長径438km、最大幅225kmの島で、かつては陸続きであったとみられる。
中南部にピドゥルタラガラ山(2524m)を最高峰とする山地があり、周辺に平野が開ける。
モンスーンの影響で南西部は雨が多く、北東部は乾燥地帯となる。
古来シナモン、宝石、ビンロウジ (ビンロウの果実) の輸出が盛んであった。
1840年代はコーヒー、1880年代から茶、ゴムの生産が経済的支柱となり、
コロンボは国際的寄港地として発展。
現在は茶、宝石、ココナッツ製品が輸出の大半を占める。
良質の黒鉛を産するほか石灰石、チタン、宝石類などの地下資源がある。
工業は食品加工、繊維など軽工業の段階で、国家収入の半分以上は農業に頼る。
このほか漁業も盛んで、観光にも力を入れている。
歴史
BC483年、北インドからアーリア系シンハラ人が渡来し、シンハラ王国(Sinhala Kingdom)を築いた。
BC250年、北インドのマウリア朝から仏教伝来。首都アヌラダプラは仏教の中心地として隆盛を極めた。
この時期、南インドからヒンドゥー教を信仰するドラビダ系タミル人が渡来した。
1802年、イギリスの植民地となる。
1948年、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。
1972年、スリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となる。
1978年、現在の国名(スリランカ民主社会主義共和国)となった。
BC483年 | アーリア系シンハラ人が渡来。シンハラ王国建設。 | |
1802年 | イギリス植民地となる。 | |
1948年 | 英連邦内の自治領セイロンとして独立。 | |
1972年 | 国名をスリランカ共和国に改称。 | |
1978年 | 国名をスリランカ民主社会主義共和国に改称。 |
シーギリヤ・ロック(Sigiriya Rock)(世界遺産)
コロンボ(Colombo)から車で4時間、垂直に切り立った岩山に築かれた巨大な宮殿跡がある。
5世紀、父親を殺害し王位を奪ったカッサパ王(Kashyapa I)が復讐を恐れ、難攻不落といわれた
絶壁の頂上に要塞化した宮殿を建てた。
しかしその後の戦いに敗れ、彼は自害、わずか11年しかこの宮殿に住めなかったという。
その後この宮殿は、19世紀に英国の探検家が発見するまで1300年間ジャングルに閉ざされていた。
シーギリヤ・ロックは、1200段の階段を持ち、地上200mの高さを誇る一枚岩。
岩山の中腹には、シーギリヤ・レディとよばれる色鮮やかな女性像が描かれている。
かつては多くの女性像があったというが、長年の風雨にさらされたため、現在は18体が残るのみ。
宮殿への登り口には巨大なライオンの前足があり、ここを通って宮殿へ向かう。
(住所:Sigiriya,Rock Front,Sri Lanka)