国名 | アルゼンチン共和国 | ![]() |
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英語 | Argentine Republic | |||
首都 | ブエノスアイレス(Buenos Aires) | |||
独立年 | 1816年7月(スペイン) | |||
主要言語 | スペイン語 | |||
面積 | 276万6890km2 | |||
人口 | 4429万3293人(2017年推計) | |||
通貨単位 | アルゼンチン・ペソ | |||
宗教 | カトリック70% | |||
主要産業 | 大豆、油粕、自動車 |
地理
南アメリカ南部の大部分を占める連邦制共和国。
南回帰線付近から南極大陸に向かってしだいに幅をせばめながら 3500km以上にわたって細長く延び、
西はチリ、北はボリビアとパラグアイ、北東はブラジルとウルグアイに国境を接し、南東は大西洋に臨む。
地形はチリとの国境に連なるアンデス山脈とその東に広がる平地に大別され、
北部のアンデス山脈中にはその最高峰アコンカグア山(6960m)をはじめとする 6000m級の高峰がそびえる。
南部の峰は 3000m級に低下するが、山頂には広く氷河や氷床が発達。
平地部は、草原と低木林に覆われた北部のグランチャコ、同国の心臓部をなす中部の肥沃な温帯草原パンパ、
南部の乾燥したパタゴニア台地からなる。
北半はほぼ全域ラプラタ川水系に属し、パラナ川、ウルグアイ川、パラグアイ川、サラド川などの川が流れる。
南半はアンデス山脈に発して大西洋に注ぐコロラド川、ネグロ川などの川により排水される。
ほぼ全域が温帯気候区に属するが、国土が南北に細長いため、北部には亜熱帯の地域を、
南部には夏季でも平均気温 10℃以下の冷涼、寒冷な地域を含む。
降水量は全体に少なく、特に西部およびパタゴニア台地は半砂漠・砂漠気候となっている。
先住民であるラテンアメリカインディアン(インディオ)や混血がきわめて少なく、住民のほとんどはスペイン系、
イタリア系を中心とした白人であり、スペイン語が公用語、キリスト教のカトリックが国教に定められている。
豊かな天然資源に恵まれているが、政情不安や慢性的インフレーションなどに悩まされ、経済全体の発展は緩慢。
鉱物資源は石油、天然ガス以外は大部分未開発。
石油は国営石油公社のもとに南部を中心に大規模に開発が進められ、今日、原油や石油製品はほぼ自給できる。
パイプライン網も発達。国内総生産に占める農林漁業の割合はしだいに減少したが伝統的な農牧国であり、
輸出面では依然として農畜産物に大きく依存し、特に牛肉とコムギ、トウモロコシを中心とした穀物が輸出総額の約 30%を占める。
ほかにサトウキビ、ブドウ、柑橘類、そのほかの果樹などの栽培や牧羊も盛ん。
工業は第2次世界大戦後に自動車、金属、化学などの部門で急速に発展。しかし急激な工業化は対外債務によるもので、
1989年に累積債務は 656億ドルと国家予算の 2分の1に上り、インフレ率は 6000%と経済的危機に陥った。
1990年国際通貨基金 IMFの融資再開と国営企業の民営化などの行政改革、1992年のデノミネーション(1万アウストラルを 1ペソ)
などによってインフレは沈静化、2001年末にはデフォルトに陥ったが、再建。陸上交通網はよく発達している。
海運も盛んで、大西洋岸にはブエノスアイレス港のほか、ラプラタ港港などの大港湾があり、対外貿易の大半を取り扱う。
歴史
もとインカ帝国の一部であったが、1536年スペインの植民地となった。
19世紀初頭から独立運動が高まり、1810年自治政府が樹立され、1816年にスペインからの独立を果たした。
1853年連邦制の憲法を制定。1862年アルゼンチン共和国が成立した。
1868年ドミンゴ・サルミエント大統領のもとでは経済的、文化的進歩がみられ、ヨーロッパ移民と外国資本の導入によって
農畜産品輸出国として発展する基礎が築かれた。
しかし、一次産品輸出に依存していたアルゼンチンの経済は、世界恐慌の影響を強く受け、経済成長は落ち込み、失業者が増大した。
1946年からペロン大統領の独裁政権が継続したが、1974年ペロンの死後、あとを継いだペロン夫人イザベルのもとでのインフレ抑止策が失敗し、
1976年にクーデタで軍事政権が誕生した。
その後軍事政権を引き継いだガルチェリ大統領は、国民のインフレの進行などの経済的不満を外に逸らすため、
1982年、イギリスが実効支配しているフォークランド諸島に侵攻。(フォークランド紛争)
戦争はイギリスのサッチャーの強硬姿勢のために敗北し、ガルチェリ大統領は辞任した。
1983年に大統領選挙が行われ、軍人ではないアルフォンシンが当選し、7年ぶりに民政が復活した。
1536年 | スペインの植民地となる |
1816年 | スペインから独立 |
1853年 | 憲法制定 |
1862年 | アルゼンチン共和国の成立 |
1982年4月〜6月 | フォークランド紛争 |
フォークランド紛争 (Falklands War)
フォークランド諸島の領有をめぐりイギリスとアルゼンチンの間で勃発した武力衝突。
イギリスの勝利のうちに終結した。
フォークランド諸島は、南太西洋のアルゼンチン沖に浮かぶ島々である。
750以上の島で構成され、総面積は北アイルランドとほぼ同じ(12,173平方Km)
1833年から英国が実効支配していたが、1982年4月2日、アルゼンチン軍が突如、
部隊を派遣して交戦になった。
戦闘終結は約2カ月後。アルゼンチン軍が降服して停戦となったが、
アルゼンチン兵655人、英兵255人が戦死した。
(フォークランド諸島の領土問題)
1816年、アルゼンチンはスペインからの独立を宣言し、当時スペイン領であったフォークランド諸島
も相続したというのがアルゼンチンの主張である。
フォークランド諸島がスペイン領であることは、1713年のユトレヒト条約(Treaty of Utrecht)により、
国際的に承認されている。
一方、フォークランド諸島の実効支配は、1833年にイギリス軍がアルゼンチン兵士26名を諸島から
追い出して、諸島の領有を主張したことで始まった。
イギリス政府によると、英国探検家デイヴィス(John Davis)によるフォークランド諸島の発見は、
1592年のことであり、これが現在のイギリスの領有権主張の根拠となっている。
なお、近海に油田があるとされ、これも領土問題の一因となっている。
A media luz (Edgardo Donato)
タンゴ (Tango)
タンゴは音楽、歌、踊りの総称。
今から100年ほど前にブエノスアイレスの港町で生まれたとされる。
アルゼンチン・タンゴの魅力は、あの歯切れよいスタカートのリズム。
それを生み出す楽器がタンゴの華 「バンドネオン」(Bandoneon) である。
曲の中間や終わりの部分のバンドネオン変奏はタンゴの醍醐味と言える。
タンゴは、本場アルゼンチンで発達したアルゼンチン・タンゴのほか、
ヨーロッパで発達したコンチネンタル・タンゴがある。
コンチネンタル・タンゴの特徴は、よりクラシックに近く、
ダンスホールで踊るために、大編成のビッグバンドで演奏される。
タンゴは、一旦好きになると中々離れられない不思議な魅力を持った音楽。
それどころかだんだんと深みにはまり込んでゆく、一種の麻薬みたいな魔力さえ備えている。
それだけにタンゴは幅が広く、奥行きのある音楽と言えるのだろう。