国名 | バングラデシュ人民共和国 | |||
英語 | People's Republic of Bangladesh | |||
首都 | ダッカ(Dhaka) | |||
独立年 | 1971.12(パキスタン) | |||
主要言語 | ベンガル語 | |||
面積 | 14万4000km2 | |||
人口 | 1億5782万6578人 | |||
通貨単位 | タカ | |||
宗教 | イスラム教90% | |||
主要産業 | 衣類、魚介類 |
地理
インド亜大陸北東部の国。バングラデシュは「ベンガル人の国」の意。
南東はミャンマー、東、北、西はインドと国境を接し、南はベンガル湾に臨む。
国土は世界最大のデルタ地帯(三角州)、ガンジス・ブラマプトラ川デルタの大半を占め、
メグナ川をはじめ支流、分流が網の目のように走る。
全体に平坦で、わずかにミャンマーとの国境付近に丘陵地帯がある。
年平均気温 27〜30℃。6〜9月が雨季で、年降水量は少ないところで 1000mm、多いところでは 6000mmにも達する。
大洪水やサイクロンによる高潮の被害を受けることが多く、1991年のサイクロンでは 14万人近い死者を出した。
豊かな植生に恵まれ、タケが多く、マンゴー、ヤシ類、ベンガルボダイジュなどが卓越。
住民の大部分はベンガル人で、南東部のチッタゴン丘陵地帯にはチャクマ族などの少数民族が住む。
住民の 9割近くがスンニ派のイスラム教徒。公用語はベンガル語。
国土の 60%以上が農地で、土壌は肥沃。
米の三期作が可能なほか、商品作物としてデルタでは、全世界の約 40%の生産量を占めるジュート、
北部ではサトウキビ、タバコ、コムギ、北東部では茶を産する。
工業では繊維工業が主であり、輸出総額においても衣類の輸出額が大半を占める。
地下資源は乏しいが近年天然ガスが発見され、化学肥料、製鉄をはじめ各種重工業の発展がはかられている。
歴史
1947年にイギリスのインド支配が終わり、英領インド地域は宗教を基にしてヒンドゥー地域はインド、
イスラム地域はパキスタンに分割された。
インドを挟んで東西に存在したイスラム地域は西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタン(現バングラデシュ)とし、
それをもって一つのパキスタンとして独立した。
しかし西パキスタンによる政治・経済面での圧迫に反発が高まり独立運動へと発展。
1971年3月26日、西パキスタンからの独立を宣言し、バングラデシュ人民共和国となった。
その後西パキスタンの弾圧を受けたが、多くの流血の犠牲のうえに1971年12月16日、
インド軍の援助でパキスタン軍を全面降伏させ完全独立をかちとった。
1947年 | パキスタン・イスラム共和国の一部(東パキスタン州)として独立 |
1971年 | バングラデシュ人民共和国として独立 |
1974年 | 国際連合加盟 |
世界一の人口密度
バングラデシュは、2度独立を経験している。
1947年に「英領インド」が独立したとき、ヒンドゥー教徒の多い
地域がインド、イスラム教徒の多い地域がパキスタンになった。
当時のパキスタンは、インドを挟んで1000km以上離れた西パキスタンと
東パキスタン(現在のバングラデシュ)からなる国だった。
だが、西パキスタンは、イラン系パンジャブ人が多数を占め、
東パキスタンはモンゴル系ベンガル人が多数だった。
宗教は同じでも、民族が異なり、話す言葉も違うため、同一国民としての自覚は薄かった。
1971年、パキスタンとの独立戦争を経て、東パキスタンは独立を果たす。
国名のバングラデシュは「ベンガル人の国」という意味だ。
建国当初は、アジアで最も貧しい国のひとつだった。人口密度も高い。
日本の4割ほどの国土に、1億5000万人も住んでいる。
通勤時の満員電車の様子は、バングラデシュを代表する風物詩の一つだ。
なんと電車の屋根まで超満員となっている。
だが人口が多く、人々も貧しいということは、労働力が豊富であり、
賃金コストも安いということだ。
近年では、海外の大手企業がバングラデシュに工場移転するようになった。
特にアパレル産業の発展が目覚ましく、2000年代から毎年6%の経済成長を続けている。
世界のファッションブランドの工場が建ち並ぶバングラデシュは、
今や中国に次いで、世界第二位の衣料品輸出国となっている。