国名 チャド共和国
英語 Republic of Chad
首都 ンジャメナ(N’Djamena)
独立年 1960年8月(フランス)
主要言語 アラビア語、フランス語(公用語)
面積 128万4000km2
人口 1207万5985人(2017年推計)
通貨単位 CFAフラン
宗教 イスラム教57%、伝統信仰19%
主要産業 綿花、落花生





地理


アフリカ大陸北中部の内陸国。北部はサハラ砂漠に含まれ標高 3000mを越えるティベスティ山地、
東部は高原状の砂漠地、西部はチャド湖周辺の沼沢地、南部はサバナである。

北部は熱帯性の砂漠気候、中部はステップ気候である。南部はサバナ気候で、5~10月の雨季にまとまった降水がある。
ンジャメナ 22.9℃(1月) 27.9℃(7月) 年降水量530mm

労働人口の8割以上は自給的な農牧業を営んでいる。主産物は南部で栽培される綿花、落花生、トウモロコシなどの農産物。
北部では遊牧がおこなわれる。チャド湖では水産業がおこなわれていたが漁獲は激減している。

地下資源では、石油、ウラン、金などが少量発見されているが内戦のため未開発。工業は食品加工業程度。


チャド湖 (Lake Chad)
チャド、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンの4ヶ国にまたがるアフリカ大陸中央部の湖。

チャドの西部に位置し、ニジェール東北部との国境をなす。南部からシャリ川、ロゴヌ川が流れこんでいる。
かつてアフリカ最大の淡水湖として3000万人の生活を潤していた。

しかし、砂漠化の進行や農業用水の過度の使用等により、湖面が急速に縮小し、1870年に
2万8000km2だった湖水面積は、2010年には約1700km2にまで激減してしまった。


歴史
チャド湖周辺はサハラ交易の要地で、古くから地中海と南方のサバナ・森林地帯の接点であった。
この地に8世紀頃からカネム・ボルヌー帝国(Kanem–Bornu Empire 700年-1902年)が栄えた。

イスラムを国教とし、チャド湖から現在のニジェール、ナイジェリアに至るまでを支配、
その交易路はトリポリ、エジプトまで達し、塩、銅、馬を受け取り、南方から入手した象牙や
奴隷と交換した。

だが18世紀頃より遊牧民の攻撃を受け、1902年帝国は崩壊した。
(帝国の領土は現在、チャド、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンに分割されている)

19世紀末のアフリカは、ヨーロッパ列強のアフリカ分割が最終段階に入っていた。
1900年にフランスがこの地域に進出、南部を中心に植民地開発を行った。

1910年フランス領赤道アフリカ植民地の行政単位の一つとなった。
1958年フランス共同体内の自治共和国となり、1960年8月独立を宣言した。


1910年  フランス領赤道アフリカ・チャド州に
1958年   フランス共同体内の自治国に 
1960年8月  チャド共和国として独立







競駝 (Camel Racing)

チャドには、競馬ならぬ「競駝 けいだ」(ラクダのレース)がある。

チャド北東部のエネディ州アムジャラス(Amdjarass)で、毎年春に開催される
サハラ文化国際フェスティバル(International Festival of Saharan Cultures)では、
ラクダレースが呼び物の一つとなっている。


200頭ものラクダがスタートラインにつくと、ロープが落ち全騎が出走する。

馬のようにスタートからダッシュがきかない。徐々にスピードをあげてゆく。
ひとこぶラクダはかなり足が速く、馬並みの時速60キロにも達するという。

着順が決まっても、賭けている人は誰もいない。駝主の名誉を競うのだ。

フェスティバルではそのほか、各民族グループが伝統的な衣装を身にまとい、
パレードをしたり、楽器の音に合わせて歌や踊りを披露したりする。

こうしたイベントは、サハラ地域の伝統文化を強化する上で重要な役割を果たしており、
観光振興にも大いに寄与している。