国名 中華人民共和国    
英語 People's Republic of China  
首都 北京  
民族 漢族92%、壮族1%、ウイグル族1%、チベット族1%  
主要言語 漢語(中国語)  
面積 959万6960km2  
人口 13億7930万2771人(2017推計)  
通貨単位  
宗教 道教、仏教、イスラム教、キリスト教  
主要産業 農業、牧畜、繊維、電気機器  








地理


アジア大陸の東部にある国。中国共産党が指導する社会主義国。
東はロシア境界を流れるアムール川(黒龍江)から、西はアジア大陸中部のパミール高原に及ぶ。

また北はモンゴル高原、南は東南アジアのベトナムやミャンマーに接する。

22省、5自治区と、北京直轄市、天津直轄市、上海直轄市、重慶直轄市の 4直轄市に分かれる。
台湾は中国国民党政府の統治下にある。

中国の地勢は西高東低で、階段状に海のほうへ傾斜している。
この地勢は海洋の湿潤な風が入り込みやすいと同時に、多くの大河が東へ向かって流れる原因となった。

山地、丘陵と高原は全陸地面積の65%を占める。
南西部を占めるチベット高原はユーラシア大陸の中央部に広がる世界最大級の高原で、平均標高は 4000mをこえる。

南境にはヒマラヤ山脈、北境にはクンルン山脈が走り、7,000から8,000メートル級の高峰が連なる。
タクラマカン砂漠は中央アジア、新疆ウイグル族自治区にある砂漠である。
サハラ砂漠に次ぐ世界2位の面積を持つ砂漠であり、タリム盆地の270,000km²をしめる。

北にテンシャン山脈、南にクンルン山脈と6000~7000m級の大山脈に挟まれているため非常に乾燥しており、降水量は年に数ミリ程度。
過去は海または湖だったとみられ、標高は非常に低く標高がマイナスの地域もあり、最低海抜はマイナス130メートル。

北西部にタリム盆地、東部に東北平原、中部に南北に並ぶ黄土高原、そして黄河の沖積地を中心とする華北平原があり、海岸には大小の三角州が連なっている。



年平均気温は熱帯の海南省では 25℃、亜寒帯の黒龍江省では-5℃である。
年降水量は南部の沿海では 1500mmをこえるが、内陸のタリム盆地では 50mm以下である。
冬季は南北の温度差が大きいが、季節風が卓越しているために夏季は全般に高温となり、降水も夏季に多い。

北京 -3℃(1月) 27℃(7月) 年降水量530mm
上海  5℃(1月) 29℃(7月) 年降水量1160mm

長江以北は小麦を中心とする畑作地域で、長江以南は水稲を中心とし、二期作や二毛作が普及している。
チベット高原は牧畜を主産業とし、タリム盆地では牧畜と灌漑農業が行なわれる。

地下資源の開発と工業化も進み、多くの省に重工業都市や総合工業都市が生まれ、
旧来の鉱山や新しく開発された鉱山を中心に新興工業都市も建設された。
また各県、各郷政府ごとに、農業の発展を支える小型工場や農畜産物の加工工場の建設が進んだ。

1978年に打ち出された改革と開放政策のもと、近代化と外資の導入がはかられ、
近年ではコンピュータや電気機器、衣服、化学などの工業が盛ん(社会主義市場経済)。
2010年には国内総生産 GDPが日本を上回り、アメリカ合衆国に次ぐ世界第2位の経済大国となった。

住民は 90%以上を占める漢民族と 50以上の少数民族からなる。
モンゴル族、回族、チベット族、ウイグル族、チワン族の自治区があるほか、
各省にも少数民族の自治州や自治県が設けられる。
仏教、キリスト教、イスラム教のほか、民間宗教や伝統信仰の信者がいるが、無宗教も多い。





月牙泉(げつがせん Crescent Lake)

かつてはシルクロードの分岐点として栄えた、ゴビ砂漠のオアシス都市・敦煌。
月牙泉は、その郊外にある三日月の形をした泉である。

砂漠の中にありながら、2000年以上もの間、水が枯れずに沸き続けている。

その横に立つ楼閣との対比が美しく、「砂漠の真珠」とも称されるシルクロードの
絶景スポットとなっている。アクセスは、敦煌市内から車で15分。





歴史

黄河文明(Huanghe Civilization BC5000-BC2000年)

黄河文明が黄河中流域で誕生したのは、BC5000年頃とされる。文明の前半は仰韶(ぎょうしょう)文化
(BC5000-BC3000年)後半は竜山(りゅうざん)文化(BC2500-BC2000年)と呼ばれる。

仰韶文化では、彩陶と呼ばれる土器が特徴。
竜山文化では、黒陶と呼ばれる土器が特徴で、見た目が真っ黒でろくろを使い、高温で焼き上げたもの。
薄手で固く、彩陶よりも高度なものとなっている。



仰韶時代の人々は、小さな集落をつくり、アワなどを栽培していた。
犬や豚を飼い、竪穴式住居に住んでいたとされる。

竜山時代には、稲作や、牛・馬の飼育が始まり、動物の骨を使った占いも行われていた。
人々は、高床式住居に住んでいたとされる。

小さな集落は城壁で囲まれた邑(ゆう)と呼ばれる集落に発展し、邑はやがて都市国家に成長していった。

中国の歴史書「史記」は、こうした都市国家を統合した夏(か)が最初の王朝(BC2070-BC1600年)を
開いたとしている。

しかし、夏が実在したと明らかに認められる考古学的な発見がないため、現在のところ、最初の王朝は、
河南省北西部を中心とした殷(いん)(BC1600-BC1046年)とされている。



殷朝(Shang dynasty BC1600-BC1046年)

殷の第19代王、盤庚(ばんこう)以降の都とされる殷墟では、宮殿跡や多数の陵墓が発見されており、
これらは、殷が強大な権力をもった王朝であったことを証明している。

また、この時代には、精緻な青銅器や占いに使用された甲骨文字(亀甲や獣骨などに刻まれた文字)が
発明されている。



殷の王は、政治など諸事を亀甲や獣骨を火であぶる占いによって決定していた。

占いの結果を文字で刻んだ骨片は、すでも10万片も発掘されており、漢字の基になった甲骨文字が
確認されている。

この王朝最後の王は、暴虐の限りを尽くした紂王(ちゅうおう 在位BC1082-BC1046年)で、彼を
討ったのが、周の武王(ぶおう 在位BC1046-BC1043年)である。



周朝(Zhou dynasty BC1046年-BC256年)西周(BC1046-BC771年) 東周(BC770-BC256年)

周の武王は、軍師・太公望とともに立ち上がり、紂王を牧野の戦い(Battle of Muye)で破って周王朝を開いた。
彼は西安郊外の鎬京(こうけい)を都とし、華北平原(中原)を中心に発展していった。

しかし、周王朝が単独でこのエリアを統治することはできず、多くの豪族に国を建てる見返りに貢物や軍隊の
提供を義務づける封建制度という社会的ピラミッドの頂点に立つことで、どうにか支配力を及ぼすことに成功した。

しかし、周の繁栄は異民族の犬戎(けんじゅう)など、外敵の侵攻により陰り始め、ついにBC770年に都を
今の洛陽に遷都せざるを得なかった。(これ以前を西周、以降を東周と区分する)

社会的な頂点であった周の衰退により、春秋五覇(秦の穆公、楚の荘王、斉の桓公、晋の文公、宋の襄公)や
戦国の七雄(秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙)と呼ばれる有力諸侯が覇権を争う時代に突入していった。

春秋時代(BC770-BC403年)
BC770年、周の東遷からBC403年、晋から韓・魏・趙の三国独立に至る約360年間をいう。
周室は次第に衰えてその権威を失い、諸侯は互いに併呑を事として戦争が絶えず、弱肉強食の状を呈した。
  
春秋五覇
秦(BC778-BC206年)の穆公(在位BC659-BC621年)
楚(BC1100-BC223年)の荘王(在位BC614-BC591年)
斉(BC1046-BC221年)の桓公(在位BC685-BC643年)
宋(BC1100年-BC286年)の襄公(在位BC651-BC637年)
晋(BC1100-BC376年)の文公(在位BC636-BC628年)
BC403年、下剋上により、晋から韓・魏・趙 の三国が独立。
  
   
戦国時代(BC403-BC221年)
BC403年、晋から韓・魏・趙の三国が独立し、諸侯に封ぜられてから、
BC221年、秦の始皇帝の統一に至る時代をいう。
  
戦国七雄
秦(BC778-BC206年)
楚(BC1100-BC223年)
斉(BC1046-BC221年)
燕(BC1100-BC222年)
韓(BC403-BC230年)
魏(BC403-BC225年)
趙(BC403-BC228年)
 
 

戦国の七雄のうち、最も西方に位置した秦は、諸子百家のなかから、法家の思想(法を重んじ、
君主に権力を集中して国を治める考え方)を取り入れ、急速に発展を遂げた。

BC256年、周を滅亡させ、BC221年、最後に残った斉を破って、中国を統一した。



秦朝(Qin dynasty BC221年-BC206年)

時の秦王、政(せい)は、自らを始皇帝(在位BC221-BC210年)と名乗り、咸陽(かんよう)を
都とする秦王朝を開いた。


始皇帝はまず天下を郡と県に分け、その長官を中央から派遣し、地方を中央の支配下におき、
政治の中央集権化を進めた。(郡県制)

さらに、それまで諸国で異なっていた文字や通貨、度量衡なども統一し、まったく新しい
社会体制の構築に取り組んだ。

この結果、生まれた仕組みは、秦以降の中国王朝の基盤として受け継がれることとなった。

また、秦は万里の長城などの土木工事、法家思想による思想統制、焚書坑儒(書物を集めて
焼き捨て、儒者を大勢穴埋めにして殺害した)と呼ばれる思想弾圧も行った。

これは法治国家(厳罰主義)を目指した始皇帝の体制を、儒者たちが批判したためであった。
これらの急激かつ過激な変革は、人々に多大な労役を与え、反感を買うことになった。

それは始皇帝の死後、一気に噴き出し、各地で反乱が勃発。
わずか15年で、秦王朝は滅亡してしまった。



漢朝(Han dynasty BC206年-220年)
前漢(西漢)(BC206-25年) 新(9-23年) 後漢(東漢)(25-220年)


秦の滅亡後、覇権を争ったのは、項羽と劉邦の二大勢力だった。

最初、有力だったのは項羽のほうだったが、やがて劉邦の巻き返しに遭い、
垓下(がいか)の戦い(BC202年 安徽省霊璧県郊外)で滅亡。

勝利した劉邦は長安を都とする漢王朝を建て、漢の高祖(在位BC202-BC195年)
として即位し、新たな中央集権体制を確立した。

漢は第3代皇帝、武帝(在位BC141-BC87年)のときに最盛期を迎えた。

領土の面では、東は朝鮮半島から南はベトナム北部までを支配下におき、北と西では
異民族の匈奴を追い払って西域までも傘下に収め、この地にローマとつながる、
いわゆるシルクロード(絹に代表される交易路)を開拓した。

武帝の死後、漢王朝は、外戚の王莽(おうもう)により、15年間権力を奪われた。



王莽は第11代皇帝・成帝の外戚(皇帝の妃の親族)にあたる。
彼は外戚の立場を利用し、政治に介入することが多くなっていた。

その王莽が13代目の皇帝・平帝(14歳)を毒殺。皇太子、劉嬰(2歳)を無理やり
14代目に据えて傀儡とした挙句、AD9年、帝位を奪って「新」という国家を建国した。

だが、王莽の栄華は長く続かず、漢の皇室の血をひく劉秀(光武帝)に攻められ、
AD25年、新は15年足らずで滅亡した。

即位した光武帝によって漢が再興(都は洛陽)されると、漢王朝は前後合わせて
400年という、中国史上最も長命な王朝となった。










黄河の中流域から興った農耕民族としての中国人は、歴史時代の王朝殷(BC1600年~BC1046年)に始まる。

次の周(BC1046年~BC770年)に及んで中国独自の文化を開き、周辺の異民族に対して華夷思想をいだき、
みずからを中華、中国と誇示した。
春秋時代(BC770年~BC403年)※01、戦国時代(BC403年~BC221年)※01 を経て、秦(BC221年~BC206年)、
漢(BC202年~220年)による中国全土の統一に発展した。

しかし、再び三国時代(220年~280年)、晋朝(265年~420年)、南北朝(420年~589年)※02 
の分裂期を経て隋(581年~618年)の統一。
さらに唐(618年~907年)の世界帝国を形成。

次いで五代十国(907年~960年)※03 の混乱期のあと、宋(960年~1279年)の建国となるが、
北方民族の侵入により征服王朝としての遼、金 ※04 と対立。
やがて元(1271年~1368年)に征服される。

その間、中国の経済や文化の中心は、従来の華北から華中、華南へと発展した。
次の明(1368年~1644年)は漢族王朝として初めて華中から興って中国全土を統一した。

しかし、明末の農民反乱を契機に、満州から興った清(1616年~1912年)に再び征服される。
これまでの中国史は、農耕の漢民族と遊牧の北方民族との対立が強かった。

しかし、明末以来のヨーロッパ勢力の中国進出により、その形勢は一変するとともに、
中国人の民族的自覚がしだいに高まった。

そして、1911年の辛亥革命により中国の主権は回復され、数千年にわたる専制君主体制に終止符が打たれ、1912年共和制の中華民国が成立。
次いで 1919年の五・四運動を契機に新民主主義の機運はいっそう高まり、1949年、中国共産党の発展による中華人民共和国(中国)の成立となって今日に及んでいる。


※01
春秋時代(BC770年~BC403年)
BC770年、周の東遷からBC403年、晋から韓・魏・趙の三国独立に至る約360年間。
周室は次第に衰えてその権威を失い、諸侯は互いに併呑を事として戦争が絶えず、弱肉強食の状を呈した。
洛邑が都になった BC770年以後を東周と呼ぶ事から、東周時代とも別称される。

戦国時代(BC403~BC221年)
BC403年、晋から韓・魏・趙の三国が独立し、諸侯に封ぜられてから、BC221年、秦の始皇帝の統一に至る時代。

  春秋十二列侯 春秋五覇 戦国七雄
  秦(BC778~BC206年) 秦の穆公(在位BC659~BC621年) 秦(BC778~BC206年)
  楚(BC1100~BC223年) 楚の荘王(在位BC614~BC591年) 楚(BC1100~BC223年)
  斉(BC1046~BC221年) 斉の桓公(在位BC685~BC643年) 斉(BC1046~BC221年)
  晋(BC1100~BC376年) 晋の文公(在位BC636~BC628年) 燕(BC1100~BC222年)
  宋(BC1100年~BC286年) 宋の襄公(在位BC651~BC637年) 韓(BC403~BC230年)
  呉(BC585~BC473年) 魏(BC403~BC225年)
  魯(BC1055~BC249年) 趙(BC403~BC228年)
  衛(BC1100~BC209年)
  鄭(BC806~BC375年)
  陳(BC1046~BC478年)
  蔡(BC1046~BC447年)
  曹(BC1046~BC487年)




※02 南北朝時代(420年~589年)漢民族の南朝と鮮卑族を中心とした北朝とが対立した時代。
南朝は420年成立の宋から斉・梁(りょう)・陳(ちん)、北朝は439年華北を統一した北魏(ほくぎ)から東魏・西魏・北斉・北周の諸王朝。
589年隋により統一。

   北朝   「北魏」(439~534年)     南朝  「宋」(420~479年)
      「東魏」(534~550年)       「斉」(479~502年)
      「西魏」(535~556年)       「梁」(502~557年)
      「北斉」(550~577年)       「陳」(558~589年)
      「北周」(556~581年)      

南朝は、建業に都をおいた三国時代の東呉(222~280年)、東晋(317~420年)をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも称する。



※03 五代十国時代(907~960年)唐と宋の間に割拠興亡した五代王朝と十国の併称。

   五代   「後梁」(907~923年)   十国    「呉」(902~937年)
      「後唐」(923~936年)       「南唐」(937~975年)
      「後晋」(936~946年)       「前蜀」(907~925年)
      「後漢」(947~950年)       「後蜀」(934~965年)
      「後周」(951~960年)       「荊南」(907~963年)
            「楚」(907~951年)
            「呉越」(907~978年)
            「閩(びん)」(909~945年)
            「南漢」(909~971年)
            「北漢」(951~979年)



※04 金朝(1115~1234年)は、ツングース系の女真族が遼を滅ぼし、満州に建国した王朝。

始祖は金の太祖・完顔阿骨打(わんやんあぐだ)(在位 1115~1123年)
都は会寧(ハルビン)に置かれ、のち、1153年に燕京(北京)に遷都した。

1123年、チベット系の西夏を服属させ、1127年、北宋を滅ぼし、南宋と対峙したが、
1234年、モンゴル帝国に滅ぼされた。



  中国史
  BC5000年 黄河流域に仰韶(彩陶)文化始まる
  BC2500年 黄河流域に竜山(黒陶)文化始まる
  夏朝(BC2070年~BC1600年)
  BC2070年 黄河を治水した禹が夏王朝を興す。
  殷朝(BC1600年~BC1046年)
  BC1600年 殷興る。甲骨文字使用
  周朝(BC1046年~BC256年)  西周(BC1046~BC771年)  東周(BC770~BC256年)
  BC1046年 周興り、殷滅亡
  春秋時代(BC770年~BC403年)
  BC770年 春秋時代始まる
  BC479年 孔子死去
  戦国時代(BC403年~BC221年)
  BC403年 戦国時代始まる
  BC400年 「論語」成立。諸子百家の活躍。鉄製農具の使用
  BC350年 鄒衍(すうえん)の五行説
  秦朝(BC221年~BC206年)
  BC221年 秦の始皇帝、中国を統一
  BC214年 秦の始皇帝、万里の長城増改築
  BC210年 秦の始皇帝死去(始皇陵)
  BC209年 匈奴の冒頓単于即位
  漢朝(BC206年~220年)  前漢(BC206~25年)  新(9~23年)  後漢(25~220年)
  BC202年 劉邦(高祖)、漢(前漢)を建国(~25)
  BC154年 呉楚七国の乱
  BC141年 前漢の武帝即位
  BC139年 前漢の張騫、長安を出発、西域へ向かう
  BC136年 儒教、前漢の官学となる
  BC119年 前漢、武帝による塩・鉄の専売制
  BC110年 前漢、武帝による均輸・平準法施行
  BC108年 前漢、朝鮮半島に漢四郡を置く(朝鮮史)
  BC98年 前漢、武帝による酒の専売
  BC93年 司馬遷「史記」
  BC59年 前漢、タリム盆地に西域都護府を置く
  9年 王莽が新を建国(~23)
  18年 赤眉の乱(~27)
  25年 光武帝即位、後漢(漢)成立
  48年 匈奴、南北に分裂
  65年 仏教が中国に伝わる
  97年 後漢の班超、部下甘英を大秦国(ローマ)に派遣
  105年 後漢の宦官蔡倫が製紙法発明(伝説)
  150年 鮮卑、モンゴル高原に勢力
  166年 党錮の獄始まる
  184年 黄巾の乱起こる
  三国時代(220年~265年)
  220年 後漢滅亡。曹操死去。曹丕、魏を建国(~265)。三国時代始まる(~280)
  221年 劉備、蜀漢を建国(~263)
  222年 孫権、呉を建国(~285)。魏、呉、蜀の三国鼎立が確立
  234年 五丈原の戦い。諸葛亮死去
  晋朝(265年~420年)  西晋(265~316年)  東晋(317~420年)
  265年 司馬炎(武帝)が晋(西晋)を建国(~316)
  285年 「三国志」
  291年 八王の乱始まる(~306)
  304年 五胡十六国時代(~439)
  317年 司馬睿が東晋(晋)を建国(~420)
  366年 敦煌莫高窟(千仏洞)開掘(一説 353)
  386年 拓跋珪(道武帝)、北魏建国(~534)
  400年 柔然、モンゴル高原を支配
  400年 鳩摩羅什、長安で訳経
  405年 陶淵明「帰去来辞」
  南北朝時代(420年~589年)
  420年 東晋滅亡。宋(南朝)成立(~479)。南北朝時代始まる(~589)
  439年 北魏、北涼を滅ぼし華北統一(北朝)
  442年 北魏の寇謙之、道教を国教化
  460年 雲崗石窟開掘
  479年 宋滅び、斉(南斉)成立(~502)
  485年 北魏、均田制を実施
  493年 北魏、平城から洛陽に遷都
  502年 斉滅び、梁成立(~557)
  531年 梁の昭明太子死去
  552年 中央アジア、チュルク族の突厥が柔然から独立
  557年 梁滅び、陳成立(~589)
  隋朝(581年~618年)
  581年 楊堅(文帝)が隋を建国(~618)
  589年 隋、中国を統一。南北朝時代終わる
  604年 隋、煬帝即位。大運河建設進む
  唐朝(618年~907年)
  618年 隋滅びる。李淵(高祖)即位し、唐建国(~907)
  624年 唐、均田法と租・庸・調法を制定
  626年 唐、李世民(太宗)即位(貞観の治)
  629年 唐の玄奘、教典を求めてインドへ出発(645帰国。大唐西域記)
  635年 イラン人阿羅本、中国に景教を伝える
  660年 唐と新羅、百済を滅ぼす
  660年 木版印刷始まる
  668年 唐と新羅、高句麗を滅ぼす
  671年 唐の義浄、インドへ出発(695帰国。南海寄帰内法伝)
  690年 唐の則天武后、実権を握り、国号を周とする(~705)
  694年 マニ教伝わる
  698年 大祚栄、渤海国を建てる(~926)
  712年 唐、玄宗即位(開元・天宝の治)
  751年 タラス川の。唐、アッバース朝軍に敗北。製紙法、イスラムに伝わる
  755年 唐、安史の乱(~763)
  756年 唐の玄宗、蜀に亡命。楊貴妃殺害
  762年 唐の李白死去
  764年 唐、青苗銭を実施
  770年 唐の杜甫死去
  780年 唐、両税法を施行
  781年 唐、長安に大秦景教流行中国碑を建設(景教)
  819年 唐の柳宗元死去
  821年 唐、吐蕃(チベット)と同盟(唐蕃会盟碑)
  824年 唐の韓愈死去
  845年 唐で仏教弾圧(会昌の廃仏)
  846年 唐の白居易死去
  875年 唐で黄巣の乱(~884)
  901年 南詔滅びる
  五代(907年~960年)
  907年 朱全忠、唐を滅ぼし五代後梁(~923)建国。五代十国時代始まる(~960)
  907年 朱全忠、唐を滅ぼし五代後梁(~923)建国。五代十国時代始まる(~960)
  916年 契丹の耶律阿保機、皇帝を称する(遼)
  926年 遼、渤海国を滅ぼす
  937年 雲南に大理国(南詔の後身)興る(~1253)
  宋朝(960年~1279年)  北宋(960~1127年)  南宋(1127~1279年)
  960年 趙匡胤、皇帝となり(太祖)、宋建国(北宋。~1126)
  969年 火箭法発明
  979年 北宋(宋)、北漢を滅ぼして中国を統一
  990年 遼、中国と高麗に遠征
  1004年 淵の盟約。北宋(宋)、遼と和する
  1010年 遼、高麗に侵入
  1032年 李元昊、西夏を建国(~1227)。以後、北宋(宋)に侵攻
  1044年 北宋(宋)、西夏と講和
  1049年 遼の興宗、西夏を討つ
  1069年 北宋(宋)、王安石の改革始まる(王安石の新法)
  1076年 北宋(宋)、王安石失脚
  1084年 北宋、司馬光「資治通鑑」
  1086年 北宋(宋)、司馬光、宰相となり王安石の新法を廃するも死去
  1101年 北宋の蘇軾死去
  1115年 女真のワンヤンアクダ(完顔阿骨打)、金を建国(~1234)
  1119年 金、女真文字を創製
  1125年 金、遼を滅ぼす
  1127年 靖康の変。金、北宋を滅ぼす
  1127年 高宗即位し、南宋(宋)興る(~1279)
  1131年 南宋(宋)の秦檜、宰相となる
  1142年 南宋(宋)の高宗、金と講和
  1200年 南宋の朱子死去(朱子学)
  1206年 テムジン、モンゴルを統一。チンギス・ハンと称する(モンゴル帝国)
  1211年 チンギス・ハン、金に遠征
  1219年 チンギス・ハン、ホラズム・シャー朝攻略のため西征(~1225)
  1225年 チンギス・ハン、帝国を分封
  (オゴタイ・ハン国、キプチャク・ハン国、チャガタイ・ハン国)
  1227年 チンギス・ハン、西夏を滅ぼしたのち、六盤山で死去
  1229年 モンゴル帝国、オゴタイ(太宗)が大ハンに即位
  1231年 オゴタイ、高麗に侵入
  1234年 モンゴル帝国、金を滅ぼす
  1235年 オゴタイ、カラコルム(和林)に首都を建設
  1246年 教皇の使節カルピニ、モンゴル帝国を旅行(~1247)
  1251年 モンゴル帝国、モンケ(蒙哥)が大ハンに即位
  1254年 フランシスコ会修道士リュブリュキ、カラコルム到着
  1259年 高麗、モンゴルに服属
  1260年 モンゴル帝国、フビライが大ハン即位(フビライ・ハン)
  1269年 フビライ・ハン、パスパ文字を国字に採用
  元朝(1271年~1368年)
  1271年 フビライ・ハン、国号を「大元」(元)とする(~1368)
  1274年 マルコ・ポーロ、フビライ・ハンと会見
  1274年 (文永11)元軍、日本遠征に失敗(文永の役。元寇)
  1275年 南宋の文天祥、反元義勇軍を起こす
  1279年 元、厓山で南宋を滅ぼし、中国を統一
  1281年 (弘安4)元軍、日本再遠征に失敗(弘安の役。元寇)
  1294年 教皇の使節モンテ・コルビーノ、元の首都大都に入り伝道開始
  1346年 イブン・バットゥータ、元の首都大都訪問
  1351年 元で紅巾軍蜂起
  1353年 朱元璋(洪武帝)、紅巾軍に呼応して挙兵
  1359年 紅巾軍、高麗に入寇(~1362)
  明朝(1368年~1644年)
  1368年 朱元璋(洪武帝)元を破り明建国(~1644)。元モンゴルに逃れ北元成立(~1634)
  1381年 明、里甲制を定める
  1392年 明、景徳鎮に官窯を置く(景徳鎮窯)
  1397年 明、大明律頒布
  1399年 明で靖難の変(燕王挙兵。~1402)
  1401年 (応永8)足利義満、明に使者を派遣
  1402年 明、永楽帝(成祖)即位
  1404年 (応永11)足利義満、明と勘合貿易始める
  1405年 明、鄭和の南海遠征(~1433、前後7回)
  1406年 明、ベトナム(安南)を征服(~1428)
  1407年 明、「永楽大典」
  1410年 明、永楽帝のモンゴル親征(1414、1422、1423、1424)
  1421年 明、北平を北京と改め遷都
  1449年 明にオイラート(瓦剌)軍侵攻、正統帝を捕える(土木の変)
  1487年 北元のダヤン・ハン(達延汗)即位
  1502年 明、「大明会典」
  1520年 タタール(モンゴル)、明に侵入
  1521年 明の嘉靖帝(世宗)即位
  1522年 明、モンゴルと倭寇の脅威に悩む(北虜南倭)
  1526年 明で王陽明が陽明学を創始
  1550年 タタール(モンゴル)のアルタン(俺答)、明に侵入、北京を包囲(庚戌の変)
  1552年 ザビエル、中国で死去
  1557年 海寇の首領王直、明に捕われる(1559斬首)
  1557年 明、ポルトガル人のマカオ居住を許す(広東貿易)
  1563年 明の戚継光ら、福建で倭寇を破る
  1571年 明、タタール(モンゴル)のアルタン(俺答)と和議成立
  1573年 明、張居正の改革始まる(~1582)
  1575年 明で一条鞭法広まる
  1578年 李時珍「本草綱目」
  1583年 イエズス会宣教師マテオ・リッチ、広東の肇慶に定住し、中国布教開始
  1583年 女真のヌルハチ(奴児哈赤)挙兵
  1592年 明でボバイの乱
  1597年 明で楊応龍の反乱(~1600。播州の乱)
  1598年 イエズス会宣教師マテオ・リッチ、北京に入る
  1602年 マテオ・リッチ「坤輿万国全図」刊
  1603年 女真のヌルハチ(奴児哈赤)、ヘト・アラ(赫図阿拉)を都とする
  1604年 明、顧憲成ら、無錫に東林書院を設立
  清朝(1616年~1912年)
  1616年 女真のヌルハチ(奴児哈赤)、ハン位につき、後金成立
  1619年 ヌルハチ(奴児哈赤)、明を破る(サルフの戦い)
  1624年 オランダ、タイナン(台南)に貿易根拠地建設(~1661)
  1627年 後金、朝鮮に侵入(丁卯胡乱)
  1628年 明で李自成の乱(~1644)
  1632年 満州文字創製
  1636年 後金、国号を清と改める(~1912)
  1636年 清、朝鮮に侵入(丙子胡乱)
  1637年 朝鮮、清に服属。清の年号を使う
  1644年 明、李自成の軍により滅亡。清、李自成を滅ぼし、北京遷都(李自成の乱)
  1644年 清、薙髪令
  1645年 チベット、ポタラ宮殿の造営開始
  1646年 清律成立
  1650年 鄭成功、金門、アモイ(厦門)を奪い、根拠地とする
  1661年 清、康煕帝即位。遷界令発布(~1684)
  1661年 鄭成功、台湾を占領
  1662年 清、文字の獄(~1795)
  1669年 イエズス会宣教師フェルビースト、清の欽天監監副となる
  1673年 清、三藩の乱(~1681)
  1683年 清、鄭氏勢力を滅ぼし、台湾を領有
  1684年 清、遷界令解除、翌年海関設置
  1684年 清、アムール川北岸のアルバジン城でロシアと衝突(チェルニゴフスキー)
  1688年 モンゴル族ハルハ(哈爾哈)部、ガルダン(爾丹)に敗れ、清に助けを求める
  1689年 清とロシア、ネルチンスク条約締結。国境を定める
  1690年 清、「大清会典」
  1696年 清、ジュンガルのガルダン(爾丹)を大破。外モンゴルを支配
  1699年 教皇インノケンチウス12世、典礼問題調査会設置
  1705年 清で典礼問題激化。康煕帝、教皇クレメンス11世の使者に国外退去命令
  1712年 清、盛世滋生人丁を定める(1713実施)
  1716年 清、「康煕字典」
  1717年 清、「皇輿全覧図」
  1722年 清で地丁銀制広く実施
  1722年 清、康熙帝没。1723雍正帝即位
  1723年 清、キリスト教禁止。宣教師をマカオに追放(典礼問題)
  1725年 清、「古今図書集成」
  1727年 清とロシア、キャフタ(恰克図)条約締結
  1735年 清、乾隆帝即位
  1739年 清、「明史」
  1743年 清、「大清一統志」
  1747年 清、金川土司の乱(~1749)
  1757年 清、ジュンガルを平定
  1757年 清、外国貿易を広東 1港に制限(広東貿易)
  1759年 清、東トルキスタンのウイグル人を平定。その地方を新疆と呼ぶ
  1762年 清、イリ(伊犂)将軍を設置、新疆地区を統治させる
  1772年 清、「四庫全書」(~1781)
  1790年 清、ビルマを属国とする
  1793年 イギリス使節マッカートニー(伯)、北京を訪問
  1796年 清、白蓮教徒の乱(~1804。白蓮教)
  1807年 イギリス人宣教師モリソン、広東に来る
  1816年 イギリス、アマーストを使節として清に派遣
  1833年 イギリス東インド会社の対中国貿易独占権廃止
  1839年 清、林則徐を欽差大臣として広州に派遣。イギリス船のアヘンを没収
  1840年 アヘン戦争(~1842)
  1842年 南京条約締結。清が 5港を開き、ホンコン(香港)をイギリスに割譲
  1843年 清、イギリスと虎門寨追加条約締結
  1844年 清、アメリカと望厦条約、フランスと黄埔条約を締桔
  1851年 太平天国の乱(~1864)。洪秀全、国名を太平天国とし天王を称する
  1853年 太平天国、南京を占領。天京と改める
  1856年 太平天国に内紛、楊秀清ら殺される
  1856年 清でアロー号事件(アロー戦争)
  1857年 英仏連合軍、広東占領(アロー戦争)
  1858年 英仏連合軍、華北侵略(天津条約)
  1858年 清、ロシアと愛琿条約締結
  1860年 英仏連合軍が北京占領。円明園、頤和園焼失。北京条約締結(アロー戦争)
  1860年 清、ロシアにウスリー川以東を割譲(北京条約)
  1861年 清、総理衙門設立
  1861年 同治帝即位。生母西太后摂政となり、政治の実権を握る
  1862年 清、北京に外国語学校同文館開校。洋務運動活発化(洋務派)
  1864年 洪秀全死去。太平天国滅ぶ
  1864年 清、新疆地方でドゥンガン(東干)の乱(~1877)
  1868年 清とアメリカ、バーリンゲーム条約締結
  1871年 ロシア、清のイリ地方を占領(イリ〈伊犂〉条約 )
  1871年 (明治4)日清修好条規調印
  1874年 (明治7)台湾出兵(征台の役)
  1875年 清、光緒帝即位(~1908)、伯母の西太后摂政となる
  1877年 清、左宗棠がヤクブ・ベクを破り、新疆地方を平定
  1881年 ロシア、清にイリ地方返還(イリ〈伊犂〉条約)
  1882年 清、ロシアとカシュガル(喀什爾)界約締結
  1884年 清仏戦争(~1885)
  1885年 (明治18)日本と清、朝鮮に関して天津条約締結
  1888年 清、アメリカと移民制限条約案に調印
  1894年 (明治27)日清戦争始まる(~1895)
  1895年 (明治28)下関条約(日清講和)調印
  1895年 孫文ら率いる興中会、広州で蜂起
  1896年 清とロシア、東支鉄道敷設に関する対日本密約(日露戦争)
  1898年 ドイツ、清からチヤオチョウ(膠州)湾を租借
  1898年 ロシア、清からリュイシュン(旅順)とターリエン(大連)を租借
  1898年 清、康有為ら戊戌の変法を断行(変法自彊運動)
  1898年 イギリス、清から威海衛と九竜半島を租借
  1899年 フランス、清から広州湾を租借
  1899年 アメリカ、列強に対し中国進出に関する門戸開放政策を宣言
  1900年 清、列強に宣戦(義和団事変)
  1901年 清、義和団事変の最終議定書締結(辛丑条約)
  1902年 清、ロシア軍の満州撤兵に関する条約(満州還付条約)をロシアと締結
  1905年 清、科挙制廃止
  1905年 孫文、中国革命同盟会を東京で結成
  1906年 (明治39)リュイシュン(旅順)に関東都督府を設置(関東軍)
  1906年 (明治39)南満州鉄道株式会社設立
  1908年 清、憲法大綱公布
  1911年 辛亥革命起こる(武昌起義)
  中華民国(1912年~1949年)
  1912年 中華民国成立。清朝滅亡
  1912年 中華民国成立。清朝滅亡
  1912年 中国革命同盟会、国民党に改組
  1913年 中国、第二革命失敗。袁世凱、中華民国大総統に就任。国民党に解散命令布告
  1914年 孫文、東京で中華革命党結成
  1914年 (大正3)日本、ドイツに宣戦、第1次世界大戦に参戦
  1914年 (大正3)日本、チンタオ(青島)占領
  1915年 (大正4)日本、中国に二十一ヵ条要求
  1915年 袁世凱の帝制復活計画に対し、第三革命起こる
  1916年 袁世凱、帝位につくが断念し死去
  1917年 胡適・陳独秀ら文学革命を提唱
  1917年 広東政府成立
  1917年 (大正6)石井=ランシング協定(~1923)
  1918年 南北軍閥の抗争始まる(~1928)
  1919年 五・四運動(排日運動)始まる
  1921年 中国共産党成立
  1921年 魯迅「阿Q正伝」
  1922年 (大正11)九ヵ国条約調印
  1923年 孫文=ヨッフェ共同宣言発表
  1924年 第1次国共合作成立
  1925年 五・三〇事件
  1925年 広州で国民政府成立
  1926年 蒋介石が北伐を開始(~1928)
  1927年 蒋介石が上海クーデター(四・一二クーデター)決行、国共分離。南京で国民政府成立
  1927年 (昭和2)第1次山東出兵
  1927年 毛沢東、チンカン(井崗)山に根拠地建設
  1928年 (昭和3)第2次山東出兵、済南事件
  1928年 (昭和3)関東軍、張作霖を爆殺(張作霖爆死事件)
  1928年 蒋介石、北京入城(北伐完了)
  1931年 (昭和6)柳条湖事件(満州事変、~1933)
  1931年 中国共産党、江西省瑞金で中華ソビエト共和国臨時中央政府樹立
  1932年 (昭和7)第1次上海事変
  1932年 (昭和7)満州国建国宣言。溥儀、執政に就任
  1932年 (昭和7)日満議定書調印(満州国承認)
  1932年 (昭和7)リットン調査団、満州問題の現地調査報告書発表
  1934年 (昭和9)満州国、溥儀を皇帝に帝政施行
  1934年 中国共産党、長征(~1936)
  1935年 中国共産党中央、八・一宣言(陳紹禹)
  1936年 西安事件
  1937年 (昭和12)盧溝橋事件、日中戦争始まる
  1937年 (昭和12)第2次上海事変
  1937年 中ソ不可侵条約成立
  1937年 第2次国共合作成立。抗日民族統一戦線結成
  1937年 (昭和12)日本軍、南京占領。南京大虐殺事件
  1938年 中国国民政府、重慶に遷都(~1945。重慶政府)
  1940年 汪兆銘が南京に国民政府樹立
  1940年 (昭和15)華北地方で中国共産党軍の八路軍と日本軍が戦闘(百団大戦)
  1940年 毛沢東「新民主主義論」(新民主主義)
  1941年 国民政府軍が新四軍を攻撃(皖南事変)
  1943年 カイロ会談、カイロ宣言発表
  1944年 ダンバートンオークス提案公表
  1945年 毛沢東「連合政府論」
  1945年 アメリカ、イギリス、中国がポツダム宣言
  1945年 中ソ友好同盟条約調印
  1945年 第2次世界大戦、太平洋戦争終わる
  1945年 国際連合設立
  1945年 モスクワ協定成立
  1946年 第1回国連総会、安全保障理事会成立
  1946年 中国国民党と中国共産党、全面内戦に突入(~1949)
  1947年 連合国と旧枢軸国、パリ条約調印
  1947年 台湾で二・二八事件
  中華人民共和国(1949年~)
  1949年 中華人民共和国成立(中国)
  1949年 中国国民政府、首都を台北に移転(タイワン〈台湾〉)
  1950年 中ソ友好同盟相互援助条約締結
  1950年 朝鮮戦争勃発(~1953)
  1952年 (昭和27)日華平和条約調印
  1954年 周恩来・ネルー会談、平和五原則声明
  1958年 中国共産党、人民公社運動の推進を採択(大躍進)
  1959年 劉少奇、国家主席就任(~1968)
  1960年 フルシチョフ、在中国ソ連人専門家召還(中ソ対立)
  1962年 中国軍とインド軍、国境地帯で大規模な衝突(中印国境紛争)
  1962年 (昭和37)中国とのLT貿易始まる(~1968)
  1964年 初の核爆発実験に成功
  1965年 文化大革命始まる(~1977。姚文元)
  1968年 中国共産党、劉少奇を除名
  1969年 珍宝島事件(中ソ国境紛争)
  1969年 中国共産党、林彪を毛沢東の後継者とする新党規約を採択
  1971年 林彪、毛沢東暗殺のクーデター失敗(林彪事件)
  1971年 中国の国連代表権、台湾政府から北京政府に移る
  1972年 ニクソン訪中
  1972年 (昭和47)日中共同声明調印(国交正常化)
  1975年 台湾、蒋介石国民政府総統死去
  1976年 天安門事件
  1976年 唐山地震
  1976年 毛沢東死去
  1976年 江青ら四人組逮捕。華国鋒、中国共産党主席就任(~1981)
  1977年 中国共産党、文化大革命終結宣言
  1978年 中国共産党、「四つの現代化」路線採択
  1978年 (昭和53)日中平和友好条約調印
  1979年 米中国交回復(対台湾関係法)
  1979年 中国軍、ベトナム国境侵攻(中越戦争)
  1979年 中ソ友好同盟相互援助条約破棄
  1981年 胡耀邦が中国共産党主席就任(1982総書記)
  1987年 胡耀邦総書記、学生の民主化デモで引責辞任。代行に趙紫陽
  1987年 台湾、戒厳令解除
  1988年 台湾、蒋経国総統死去。後任に本省人の李登輝
  1989年 天安門事件。趙紫陽総書記解任。後任に江沢民(~2002。1993~2003主席)
  1992年 中国と韓国、国交樹立(中韓関係)
  1993年 憲法に社会主義市場経済論
  1996年 台湾初の総統直接選挙で李登輝当選
  1997年 イギリス、中国にホンコン返還(ホンコン基本法)
  1999年 台湾大地震(集集地震)
  1999年 マカオ、中国に返還
  2000年 台湾初の政権交代。総統選挙で民主進歩党の陳水扁が当選
  2003年 中国国家主席に胡錦濤
  2003年 世界で 3ヵ国目の有人宇宙飛行に成功
  2008年 チベット自治区で大規模暴動
  2009年 シンチヤン(新疆)ウイグル(維吾爾)自治区で暴動
  2012年 習近平が総書記に就任





黄山 (Huang Shan)
  

奇岩で世に知られる黄山は、中国安微省の南部に位置する。
黄山の名は、唐の玄宗皇帝が 747 年に命名したとされる。

この山で修行を積み、仙人になった伝説の王「黄帝」にちなんだものという。
峰と雲、そして岩が織り成す風景は、まさに仙人が住む「仙境」を彷彿とさせる。

その独特の景観から、古来より多くの文人が訪れ、水墨画、漢詩などの題材となった。
写真は、雲海の隙間から現れた黄山三主峰のひとつ、光明頂(海抜1840m)。

数億年に及ぶ地殻変動が作り上げた黄山は、かつて海の底にあった。
それが隆起した後、浸食や風化により、独特の形の岩が作られたという。


光明頂の飛来石は、高さ12m、重さ600tの巨石。
その形がまるで空から飛んできたように見えることからこの名がついた。

実はかつて、孫悟空が放り投げた石が突き刺さったという伝承がある。
とにかく絶妙なバランスで危なげに立っている。


(黄山へのアクセス)
成田から北京国際空港まで4時間。北京から合肥国際空港まで2時間。
合肥から黄山空港まで一時間。黄山から黄山風景区まで車で一時間半。

(中国安徽省黄山風景区)





絶景ホテル(黄山風景区)


黄山玉屏楼賓館(こうざんぎょくへいろうひんかん)(Jade Screen Tower Hotel)

標高1680mの断崖絶壁に建っているホテル。

黄山の二大主峰である蓮花峰と天都峰の間に位置するこのホテルは、
朝焼けや雲海などの絶景を楽しめる好スポットである。

このホテルに到達するには約三時間の登山をするか、体力に自信のない人は、
登山口からロープウェイを利用することもできる。