国名 | キューバ共和国 | ||||
英語 | Republic of Cuba | ||||
首都 | ハバナ(La Habana) | ||||
独立年 | |||||
主要言語 | スペイン語 | ||||
面積 | 11万0860km2 | ||||
人口 | 1114万7407人 | ||||
通貨単位 | キューバ・ペソ | ||||
宗教 | カトリック | ||||
主要産業 | 砂糖、化学工業品、鉱物 |
地理
西インド諸島西部にある共和国。社会主義国家。
大アンティル諸島西端にあるキューバ島、その西部南岸沖のフベントゥ島、
および周辺に連なる無数の小島や岩礁などからなる。
カリブ海の北西縁に細長く延びるキューバ島は、西インド諸島最大の島で、
西にあるメキシコ湾の入口をふさぐかたちで位置し、ウインドワード海峡によって
東のイスパニオラ島と隔てられる。
大部分はゆるやかに起伏する丘陵、平地で、中央平野は東部のカウト川流域から
西に延び、ほぼ全島を貫いている。
山地は全島の約 4分の1を占めるが、各地に散在し、西部にオルガノス山脈、
中部にトリニダード山脈、東部にマエストラ山脈などがある。
最高峰はマエストラ山脈のトゥルキノ山(1994m)。
熱帯気候区に属するが、その北限にあって海洋に囲まれ、また貿易風の影響下にあるため、比較的しのぎやすい。
年平均気温 26℃で、年較差は 5〜6℃。年降水量約 1380mm。5〜10月が雨季で、しばしばハリケーンに襲われる。
スペイン植民地時代初期にほぼ絶滅したラテンアメリカインディアン(インディオ)に代わって労働力として導入された
アフリカの黒人(黒人奴隷)の子孫が、混血も含めると、今日の住民の約 30%を占め、残りは大部分がスペイン系白人。
ほかに中国人を中心としたアジア系住民が少数いる。
公用語はスペイン語で、広く用いられる。
サトウキビ栽培を主体とする農業に極端に依存した経済を是正するため、1959年のキューバ革命で
発足したカストロ政権は農地改革を実施するとともに、工業化に重点をおいた。
その結果国民経済を支える砂糖生産が激減したため、あらためて砂糖の増産をはかり、
1970年には粗糖生産がキューバ史上、また世界でも最高の 853万tに達した。
その後一時 400万t台に減少したが、1970年代末には 800万t近くに回復。
サトウキビに次ぐ換金作物はタバコで、ほかにイネ、トマト、柑橘類、バナナ、ジャガイモなどが栽培される。
農業の重要部門をなす牧牛を中心とした畜産も増加。また漁業も大量の政府投資を得て、漁獲量が激増。
石炭資源こそないが、ニッケル、コバルト、鉄、銅をはじめとする非常に多種の鉱産資源に恵まれ、
特にニッケルは世界有数の産出国で、重要な輸出品目となっている。
主要工業は製糖のほか、セメント、機械(特に農業用)、食品、たばこ、製紙、肥料、繊維など。
革命前は輸入の 70%はアメリカ合衆国からであったが、1970年代半ばには貿易総額の 70〜80%は社会主義諸国が占めた。
革命後憲法が停止され、国家基本法がこれに代わっていたが、1976年2月国民投票を経て
キューバ初の社会主義憲法が施行され、これに伴って地方行政区も従来の 6州から 14州に改編された。
1990年代初め以降、輸出入とも 60%以上を占めたソビエト連邦の崩壊に伴い貿易が激減、
経済的苦境に陥り、在外キューバ人からの送金が経済を支えた。
2008年にラウル・カストロが政権を引き継いでから、従来の計画経済が若干緩和された。
歴史
1492年コロンブスが来島し、1511年スペインに征服された。
18世紀末から大規模なサトウキビ農園が開発された。
1898年の米西戦争の結果、米軍政下におかれ、1902年独立した。
だが1934年まで事実上米国の保護国であった。
1959年カストロらのキューバ革命が成功、土地改革、産業の国有化など社会主義国の建設が開始された。
1962年10月、ソ連の中距離ミサイルが持ち込まれたことから、米国がキューバを海上封鎖し、
「キューバ危機」に発展したが、ソ連のミサイル撤去で戦争の危機は回避された。
1976年新憲法が公布、国家評議会と人民権力全国会議が設置され、カストロが国家評議会議長(国家元首)兼閣僚評議会議長(首相)に就任。
1991年のソ連崩壊以降、旧共産圏との関係が疎遠になるとともに、ソ連に強く依存していたキューバ経済は衰微した。
2008年カストロが国家評議会議長兼閣僚評議会議長を辞任し、実弟ラウル・カストロが同職を後継。
2015年4月ラウル・カストロ議長とアメリカのバラク・オバマ大統領が首脳会談を行ない、
同 2015年7月、相互の首都に大使館が設置されて 54年ぶりにアメリカとの国交が回復した。
1898年 | 米西戦争 |
1902年 | キューバ共和国として独立 |
1959年 | フィデル・カストロ政権成立(キューバ革命) |
1961年 | 米国と外交関係断絶、ピッグズ湾事件 |
1962年 | キューバ危機 |
米州機構(OAS)が対キューバ制裁決議(除名) | |
1965年 | キューバ共産党結成 |
1975年 | 第1回共産党大会、アンゴラ派兵本格化 |
1976年 | 新憲法制定、人民権力全国議会発足、カストロ国家評議会議長就任 |
1979年 | 非同盟運動諸国首脳会議開催(ハバナ) |
1980年 | マリエル事件(12万5千人のキューバ難民発生) |
1991年 | アンゴラ撤兵完了 |
1992年 | 憲法改正、米トリチェリ法成立 |
1994年 | 米・キューバ移民協議 |
1996年 | 米民間機(反カストロ亡命キューバ人団体)撃墜事件 |
米ヘルムズ・バートン法成立 | |
1998年 | ローマ法王キューバ訪問 |
1999年 | 第9回イベロアメリカ・サミット開催(ハバナ) |
エリアン少年事件 | |
2000年 | 第1回南サミット(G77諸国)開催(ハバナ) |
2001年 | 米国からの食糧購入開始 |
2002年 | カーター米元大統領キューバ訪問 |
2006年 | フィデル・カストロ議長がラウル・カストロ国家評議会第一副議長に権限を暫定委譲 |
非同盟運動諸国首脳会議開催(ハバナ) | |
2008年 | フィデル・カストロ議長が国家評議会議長職を辞す意向を表明 |
ラウル・カストロ国家評議会議長就任 | |
2009年 | オバマ米政権による対キューバ制裁緩和 |
2011年 | 第6回共産党大会、フィデル・カストロ前議長が共産党第一書記退任、ラウル・カストロ議長が同第一書記就任 |
2012年 | ローマ法王キューバ訪問 |
2014年 | ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)首脳会合開催(ハバナ) |
米国との外交関係再構築に向けた議論開始を発表 | |
2015年 | 米国・キューバ首脳会談(パナマ、米州首脳会合) |
米国との外交関係再開、相互に大使館を設置 | |
ローマ法王キューバ訪問 | |
2016年 | オバマ米大統領キューバ訪問 |
フィデル・カストロ前国家評議会議長逝去 | |
2018年 | ディアスカネル国家評議会議長就任 |
2019年 | 新憲法制定 |
ディアスカネル大統領就任 |
ルンバ (Rhumba)
キューバの首都ハバナで、週末に公園などに行ってみると、
コンガ、ボンゴ、マラカスなどの打楽器を車から持ち出して、
ルンバで楽しんでるおっさん達(ルンベーロ=ミュージシャン)がいる。
この「ダンボール」的感覚が常にキューバの音楽には見え隠れしている。
ルンバは、19世紀の初め、キューバのアフリカ系移民の間でおこった舞踊音楽。
大きさの異なる3つのコンガ(Conga)が、それぞれが異なるリズムを奏で
複雑なリズムを作りあげている。
16世紀、カリブ諸国最大の島キューバの原住民カリブ族は、スペインによって絶滅。
18世紀、キューバの広大な砂糖きびプランテーションの労働力をまかなうために
アフリカから多くの奴隷が送り込まれた。
19世紀、アフリカ黒人のリズムとスペインのメロディとの融合の結果、ルンバが生まれる。
20世紀、アメリカやヨーロッパに紹介されたルンバは、より都会的に洗練され、
競技ダンスの正式種目に認定された。
アフリカ音楽に起源をもつ高揚感あふれる複雑なリズムと、スペイン音楽の美しいメロディーが
絶妙に融合したルンバは、情熱的な男女の愛の葛藤を表現する踊りとされ、多くの人達を惹き付けてやまない。
Quizas, quizas, quizas (Osvaldo Farres)