国名 | エチオピア連邦民主共和国 | ![]() |
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英語 | Federal Democratic Republic of Ethiopia | |||
首都 | アディスアベバ(Addis Ababa) | |||
民族 | セム系アムハラ族37%、ハム系オロモ族35% | |||
セム系ティグレ族8% | ||||
主要言語 | アムハラ語、英語 | |||
面積 | 112万7127km2 | |||
人口 | 1億0535万0020人(2017年推計) | |||
通貨単位 | ブル | |||
宗教 | エチオピア正教44%、イスラム教40% | |||
主要産業 | コーヒー、金、皮革 |
地理
国土の大半が標高 2000〜3500mのエチオピア高原。
気候は高原性で快適。6〜8月が雨季。
年平均気温はアディスアベバで 16℃、海岸部で 31℃。
降水量は高原部に多く年平均 1270mm、草原や耕地が発達。
低地は乾燥が激しく、北東部にはダナキル砂漠が広がる。
住民は、アラビア半島から移住してきたセム系(アラブ系諸族)とハム系
(エジプト系諸族)とに大別され、セム系のアムハラ族が古くから支配層を形成。
住民の大部分は 4世紀からのコプト派キリスト教徒。
農業、牧畜を主とし、コーヒー、皮革が主要輸出品。ほかに自給用として穀類、トウモロコシなどを産する。
銅、プラチナの鉱床があるが本格的な開発は行なわれておらず、国民総生産 GNPではアフリカ諸国の平均を下回る。
言語の種類は 100をこえるがセム語系が最も広く用いられ、そのなかのアムハラ語が事実上の公用語。
エリトリア地方はイスラム教徒が多く、分離・独立運動が続いていたが、1991年の政変に伴い、
1993年に独立を問う住民投票の結果、独立した。
首都アディスアベバは、エチオピア高原の標高約 2400mの高地に位置する。年平均気温 16℃。
1887年メネリク2世(Menelik II)が建設を開始、1889年エチオピア帝国の首都となった。
1936年イタリアが占領、イタリア領東アフリカの首都となったが、第2次世界大戦中の 1941年に連合国軍が奪回した。
戦後、近代化が進み、特に 1960年以降急速に発展した。
アディスアベバ大学、教員養成大学、工科大学、オペラハウスなど文化施設も整い、政治、経済、文化の中心地をなす。
工業は、織物、製靴、食品加工、プラスチック、化学製品などの工場があり、
金融・保険サービス、マス・コミュニケーションの中心を担っている。
コーヒー貿易の中心地で、外港であるジブチ港への鉄道の起点、また国内の輸送網の中心地である。
近郊に国際空港がある。国際連合のアフリカ経済委員会、アフリカ連合の本部所在地。人口 297万3000(2006推計)。
歴史
AD100年、エチオピア北部の高地を拠点とする統一国家「アクスム王国」が成立。
3世紀から6世紀にかけて、金、象牙、香料などアラビア半島との交易で栄えた。
4世紀にはキリスト教が導入され、現在でも多くのエチオピア人が正教会を信仰している。
しかし7世紀以降、イスラム勢力がアラビア半島に勃興すると交易ルートをたたれ、
アクスム王国は次第に衰退した。
王国の衰退後、様々な地域勢力が台頭し、エチオピアは断続的な政治的変動を経験した。
1270年、エチオピア帝国が成立。帝国はキリスト教正教会の影響を強く受け、
独自の文化的・宗教的アイデンティティを形成し、中央集権的な国家として成長した。
19世紀末、エチオピアはアフリカ分割においてヨーロッパ列強による植民地化の圧力に直面した。
しかし1896年、アドワの戦い(Battle of Adwa)でイタリア軍を撃退し、独立を保持することに成功。
この勝利は、アフリカ全土での反植民地主義運動に影響を与え、エチオピアを象徴的な存在にした。
20世紀に入り、ハイレ・セラシエ1世の統治下で、エチオピアは近代国家として成長。
彼の政策により、教育、医療、インフラの整備が進められ、国内の社会経済的基盤が強化された。
しかし、エチオピアの独立は、1935年から1936年にかけての第二次伊土戦争によって再び試された。
イタリアはムッソリーニの指導のもと、再度エチオピアに侵攻。
エチオピアは苛烈な抵抗を続けたものの、1936年から1941年の間、イタリアの支配下に置かれた。
1939年、第二次世界大戦が勃発。
エチオピアは連合国の一員として戦い、戦後の世界において、再び独立と主権を確立した。
この経験は、エチオピアの国家アイデンティティと独立への意志を強固にし、後のアフリカ諸国の
独立運動に影響を与えることとなった。
1952年、エリトリア(旧イタリア領)と連邦を結成し、1962年、これを併合した。
1974年、軍事政権によるクーデターが発生し、社会主義を宣言、帝政が廃止された。
1987年、憲法を改正し、エチオピア人民民主共和国が成立。
1991年、軍事政権が崩壊し、多民族連邦制となった。
1993年、エリトリアが臨時政府樹立を宣言し、エチオピアから分離独立した。
1995年、国名をエチオピア連邦民主共和国に改称した。
100年 | アクスム王国の成立 | |
1270年 | エチオピア帝国の成立 | |
1936年 | イタリアに占領される(〜1941年) | |
1952年 | エリトリアを併合 | |
1974年 | 皇帝ハイレ・セラシエ1世が軍部により廃位された | |
1987年 | エチオピア人民民主共和国が成立 | |
1991年 | エチオピア人民革命民主戦線が軍事を打倒、連邦制を導入 | |
1993年 | エリトリアが独立 | |
1995年 | 国名をエチオピア連邦民主共和国に改称 |
ダロル火山(Dallol volcano)
エチオピア北部、ダナキル砂漠に位置するダロル火山は、海抜マイナス50メートル、
世界でただひとつ、海面より低い場所に火口がある硫黄火山である。
湧き出す硫黄や鉱塩が、地球上のものとは思えない色彩と造形を生み出している。
夏は気温が50℃に達することがあり、冬でも40℃を超えるという灼熱地帯。
「人類が住む世界で最も過酷な場所」としてギネスに登録されているほどだ。
塩水が多く噴き出す一帯には、巨大な塩干潟ができ、現地人による塩の採掘が
行なわれており、ラクダの隊列で運ぶ様子も見られる。
(アクセス)
アディスアベバから国内線で、メケレ空港まで 1時間30分、メケレ空港から
ダロル火山まで車で3時間30分。
11〜2月が比較的涼しくベストシーズン。
なお、メケレ発 3泊4日のツアーを利用するのが一般的となっている。