国名 ジャマイカ                        
英語 Jamaica    
首都 キングストン(Kingston)    
独立年 1962.8(イギリス)    
主要言語 英語    
面積 1万0991km2    
人口 299万0561人    
通貨単位 ジャマイカ・ドル    
宗教 キリスト教66%    
主要産業 アルミナ、石油製品    




地理

島の中央部を東西に脊梁山脈が延び、最高峰は東部のブルーマウンテン峰 (2256m)
沿岸、特に南岸には海岸平野が発達。

熱帯海洋性気候に属し、年変化が少ないが、脊梁山脈の影響で地域差が大きく、
年間を通して吹く北東貿易風の風上にあたる北東斜面では年降水量 5000mm以上
に達するのに対し、風下の南西部は乾燥し、半砂漠性の植生がみられる。

先住民はインディオのアラワク族であったが、スペイン人植民者に絶滅され、
現在の住民の大半はアフリカ系黒人とムラット (黒人と白人の混血) である。

ほかに少数のヨーロッパ系、アジア系の住民がいる。公用語は英語。

世界有数のボーキサイト産出国で、その輸出はアルミナを含めるとジャマイカの総輸出高の半分以上を占める。
しかしサトウキビ、バナナの栽培を中心とする農業は依然として経済の基盤で、就業人口の約4分の1が農業に従事している。

また 1960年代に観光業が次第に発展し、現在ボーキサイトを上回る収入源となっている。
工業も重要な産業部門となりつつあり、主要工業はアルミナ、食品加工、金属加工、繊維、化学、建設資材など。

道路網が発達し、鉄道はキングストンを中心に北西岸、北東岸へ通じている。
カリブ海諸島をはじめ世界各地と海路、空路で連絡。





歴史

1494年コロンブスが来航し、領有を宣言したが、金を産しなかったため、スペイン人はもっぱら補給基地として利用。
1655年イギリス軍が侵入、1670年までにスペイン人は島外へ撤退。

このとき山中に逃げ込んだ奴隷がやがて組織され、マルーンと呼ばれる武装集団となり、その後約 150年にわたりイギリス支配に抵抗。
イギリス領時代には奴隷労働によりサトウキビ栽培を中心としたプランテーションが発展。

1807年奴隷貿易が廃止され、1838年奴隷が解放されると、中国人、インド人などが労働者として導入されたが、プランテーション経済は次第に崩壊。
1938年植民地制度に対する不満と世界的経済不況が相まって暴動が続発、自治要求が高まり、1944年普通選挙制導入。

1957年完全内政自治権獲得。 1962年8月6日独立し、イギリス連邦の構成国となった。


1494年 コロンブスによるジャマイカ島発見
1670年 英領植民地
1944年 選挙による議会設置
1957年 英国自治領となる
1962年 ジャマイカとして独立




レゲエ (Reggae)


カリブ海に浮かぶ島国、ジャマイカの南東部に位置する首都キングストン。
この地はレゲエの発祥地で、街にはレゲエサウンドが至るところで流れている。

レゲエは、ジャマイカの民謡「スカ」(ska)がリズム&ブルースの影響を受け成立した音楽。
4拍子のパターンに裏打ちのアクセントがあり、独特のゆったりとしたタメが特徴。

市内にはレゲエの神様と呼ばれ、レゲエを世界に広めたボブ・マリーの像や博物館がある。

ジャマイカ住民の多くはイギリスの植民地時代に奴隷として連れてこられたアフリカ人の子孫。

レゲエの独特のリズムを生み出したジャマイカは、アフリカ的な色彩が強く残り、
豊かな自然とパワフルなアフリカン・スピリッツが感じられる国である。

ジャマイカ旅行に来て、レゲエショーやダンスイベントに行かないのはもったいない。
キングストンでは、レゲエ歌手が気楽に遊びに来るパーティが毎晩のように開催されている。

入場はフリー。オシャレした人々が陽気に音楽やダンスを楽しんでいる。
ジャマイカンスピリッツを思う存分体感できること間違いない。

(ジャマイカへの交通)
日本からマイアミまで14時間、キングストンのノーマン・マンレー(Norman Manley)国際空港まで1時間40分。

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