国名 メキシコ合衆国  
英語 United Mexican States
首都 メキシコシティ(Mexico City)
独立年 1821.9(スペイン)
主要言語 スペイン語
面積 197万2550km2
人口 1億2457万4795人
通貨単位 メキシコ・ペソ
宗教 キリスト教92%
主要産業 機械、自動車、石油






地理

北アメリカ大陸最南部を占める連邦共和国。

北はアメリカ合衆国、南東はグアテマラ、ベリーズと国境を接し、東はメキシコ湾とカリブ海、西と南は太平洋に面する。

ユカタン半島とメキシコ湾岸低地を除くと、国土の大半は山地と高原からなり、
東シエラマドレ山脈と西シエラマドレ山脈に挟まれたメキシコ高原がその中核をなす。

同高原の南縁には北緯 19°の線にほぼ沿って火山帯が連なり、ここにメキシコの
最高峰オリサバ山(5700m)をはじめとする火山、高峰がそびえる。

全体に標高が高いため、緯度のわりに熱帯気候に属する地域は少なく、ユカタン半島、海岸低地などにかぎられる。

北東貿易風とハリケーンの影響下にあり、その風上にあたる東部から南部にかけての沿岸低地
および海に面した山地斜面では雨が多く、一部に熱帯雨林が繁茂するが、国土の半分は年降水量 600mm以下の乾燥地で、
メキシコ高原北部、バハカリフォルニア半島は砂漠気候となっている。

先住民ラテンアメリカインディアン(インディオ)と征服者スペイン人が民族的、文化的に融合して
今日のメキシコを形成しており、住民のおよそ 3分の2が両者の混血メスティーソである。

そのほかインディオが約 20%、白人が約 15%。
公用語はスペイン語。住民の約 90%がキリスト教のカトリック。

20世紀初頭のメキシコ革命後、新体制のもとにきわめて安定した政情が続き、
農地改革が進展、豊かな資源と相まって経済が急速に発展した。

第2次世界大戦後の人口の増加は著しく、1950〜90年で 3倍以上となった。
農業は第2次世界大戦後、国内総生産 GDPに占める割合が急速に減少したが、依然として基幹産業である。

主要作物は国内消費用のトウモロコシ、コムギ、マメ類、イネ、輸出用のサトウキビ、コーヒー、綿花、果物、ヘネケン(繊維植物)など。
牧畜も盛ん。鉱業は植民地時代以来の重要産業で、なかでも銀の生産量は世界最多。

このほか蛍石、ビスマス、硫黄、石墨の世界有数の生産国であり、銅、鉛、亜鉛、金、水銀、鉄、マンガンなども産する。
またラテンアメリカではベネズエラと並ぶ産油国で、石油も重要な輸出品。

工業は近年著しく発展。主要工業は石油化学、食品加工、化学、自動車、電機、印刷、製紙、衣料、金属、鉄鋼など。
工業発展に伴い消費財の輸入は減少したが、生産財の輸入と人口増加に伴う食糧の輸入が近年増加し、輸入超過が続いている。

テオティワカン遺跡やアステカ帝国の遺跡、またカンクンやアカプルコなど世界的に有名なリゾート地があるため、観光も重要な産業になっている。
鉄道網、道路網ともよく発達。近年は乗客、貨物とも道路輸送が主力となってきている。山がちのため空運も盛ん。




歴史

メキシコ最古の文明は、紀元前10世紀頃からメキシコ湾岸のラ・ベンダに栄えたオルメカ文明で、
巨石人頭像などユニークな遺物を残している。

紀元前2世紀には、ユカタン半島にマヤ文明が栄え、チチェンイッツァ、ウシュマルなど
古代メキシコを代表する建造物が次々と造られた。

中央高原には、10世紀にトルテカ文明が栄え、その後13世紀末に北方から侵入したアステカ民族が
1325年テノチティトラン(Tenochtitlan のちのメキシコシティー)に都を建設して統一国家をつくった。

1521年アステカ帝国はコルテスの率いるスペイン軍に征服され、以後300年間スペイン植民地として統治された。
アステカの神殿は、徹底的に破壊され、先住民にもキリスト教やスペイン文化が否応なしに押し付けられた。

そしてメキシコ先住民の風俗や伝統に、スペインの文化が交じりあって、独特の混血文化が形成されていった。

18世紀末になると、アメリカの独立などに刺激されて、メキシコでも独立運動が活発化していった。

1810年9月16日に、独立運動が勃発する。
その火ぶたを切ったのは、イエズス会の司祭ミゲル・イダルゴ(Miguel Hidalgo)だった。

イダルゴは教会の鐘を鳴らし会衆を集め、すべてのスペイン人の追放を訴え、原住民ととも植民地支配に対する独立戦争を開始。
この日は現在、独立記念日となっている。

奴隷制廃止を訴え、反乱軍を一気に首都に進撃させるかに見えたが、イダルゴは逮捕され処刑。
しかしこの運動が、メキシコ独立運動の端緒となった。

その後イダルゴの後継者たちによって独立運動は継続され、10年後の1821年に終結、メキシコはようやくスペインから独立を果たした。



1824年10月4日、新憲法が採択され、連邦共和制のメキシコ合衆国が成立した。

連邦共和制の下で、国の体制の整備が進められたが、新憲法の下でアメリカ人の入植を
認めたことが、後の米墨戦争(1846〜1848年)につながった。

その後、アメリカ合衆国が勢力を伸張させ、メキシコ領であったテキサスや
カリフォルニアへの進出を図った。

メキシコ領テキサスに入植したアメリカ人は1836年にテキサス共和国を独立させ、
次いで1845年にアメリカ政府はそれを併合した。

メキシコは抗議したが、1846年米墨戦争に発展。敗れたメキシコは、
1848年の講和条約で国土の約半分を失った。

現在のアメリカのカリフォルニア州、アリゾナ州、ニュー・メキシコ州、
テキサス州はこのときにメキシコが失った領土であり、
この事実はメキシコ人の根強い反米感情の大きな原因となっている。


1876年、クーデターによって就任したディアス大統領による独裁政権が始まり、25年近く続いた。

メキシコ史上における初の長期安定政権であり、外資を積極的に受け入れて経済発展を遂げたものの、
強権的な政治に各地で不満が高まった。

1910年、民主化を求める勢力が蜂起し「メキシコ革命」が勃発。
ディアス大統領は国外へ亡命し、革命、反革命勢力が主導権を奪い合う動乱期となった。

やがて、革命勢力が労働者や農民を率いて勢力を拡大し、1917年に新憲法(現行憲法)が発布され革命は終結となった。


メキシコ革命後は政治・社会改革が急速に推し進められた。
1934年ラサロ・カルデナスが大統領に就任し、農地改革を強化するとともに、1938年には外国資本に支配されていた石油産業を国有化した。

1994年北米自由貿易協定 NAFTA、経済協力開発機構 OECDの加盟国となり、メキシコは国際的にも新しい段階に踏み出した。




1519年 コルテスの率いるスペイン人が侵入
1810年 メキシコ独立運動の開始
1821年 スペインから独立。
1824年  憲法制定。メキシコ合衆国の成立
1846年 米墨戦争(〜1848年。国土の半分近くを米国に割譲)
1910年 メキシコ革命勃発
1917年 現行憲法公布
1934年 ラサロ・カルデナス大統領就任
1938年 石油産業の国有化
1982年 債務危機発生
1986年 GATT加盟
1993年 APEC参加
1994年 北米自由貿易協定(NAFTA)発効、OECD加盟、通貨危機発生
2000年 フォックス大統領就任(71年続いた制度的革命党(PRI)政権の終焉)
2006年 カルデロン大統領就任(第65代大統領)
2012年 ペニャ・ニエト大統領就任(第66代大統領)(PRIが政権に復帰)
2018年 ロペス・オブラドール大統領就任(第67代大統領)
2020年 米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)発効





マヤ遺跡  (Chichen Itza)


チチェン・イッツァは、ユカタン半島にあるマヤ文化の都市遺跡。

巨大なピラミッド「エル・カスティーリョ」(El Castillo)や天文台など、
当時の高度な知識と技術を物語る遺跡が多く現存している。

チチェン・イッツァに都市が築かれたのは、7世紀ごろのこと。
最盛期には、3万5千人もの人々が暮らしていたという。

「エル・カスティーリョ」、別名「ククルカン神殿」(Kukulcan)は、底辺四方 55m、高さ 30m。

春分と秋分の日に太陽がピラミッドの階段を照らすと、できた影が、階段を下りてくる白蛇(ククルカン)
のように見えるよう設計されている。
神殿の春秋分の影まで計算して一年を測定していたと思われる。


戦士の神殿 (Templp los Guerreros)

神殿の前に、マヤの雨神、「チャクモール像」(Chacmool)がある。
お腹の皿の上に生贄の心臓を載せたと言われている。


古代マヤ人は、数学、天文学が異常に発達していた。
0(ゼロ)という概念を最初に発見したのがマヤ人とも言われている。

建築施工技術も謎たが、それ以上に設計・計算・測量などが古代に
どうやってここまで正確に出来たのか、大きな謎となっている。


また、マヤ文明で使用された文字は非常に特徴的なものだ。

マヤ文字は人物や動物をかたどった絵文字であり、日本語の漢字と同じく
表意文字としてだけでなく表音文字としても使われていた。

たとえば「こんにちは」という表音文字は、次のようになる。




(チチェン・イッツァまでの交通) 
日本から直行便でメキシコシティまで15時間。

国内便でユカタン半島のメリダ(Merida)まで2時間。
メリダから車でチチェン・イッツァまで3時間。