国名 モロッコ王国   
英語 Kingdom of Morocco
首都 ラバト(Rabat)
独立年 1956.3(フランス)
主要言語 アラビア語
面積 44万6550km2
人口 3398万6655人
通貨単位 ディルハム
宗教 イスラム教99%
主要産業 機械、衣類、自動車




地理

アフリカの北西端に位置する立憲君主国。
南部から東部はアルジェリア、南西部は西サハラと接し、北は地中海、西は大西洋に臨む。

地中海岸のメリリャとセウタはスペイン領に属する。
国土中央部の大西洋岸から東部にかけてアトラス山脈が南西から北東に走る。
最高峰トゥブカル山(4165m)

アトラス山脈からは大小の河川が流出し、下流の大西洋岸地域は肥沃な農業地帯を形成する。

山脈の南と東は乾燥地帯でサハラ砂漠に続く。
気候は北部で地中海性気候を示すが、南部は砂漠気候。



産業は農業、手工業などの伝統産業と、プランテーション、鉱工業などの近代産業の二重構造を示す。
リン鉱石は埋蔵量世界1位。

工業製品、食料品を輸入し、野菜、果実、ワイン、小麦、魚缶詰やリン鉱石などを輸出する。
主要港はカサブランカ、サフィ。公用語はアラビア語。



歴史

古来北アフリカの先住民族ベルベル人が多く居住する。
BC12世紀テュロスのフェニキア人がリクソス(現ララシュ)に町を建設、
次いでカルタゴが海岸地方に基地をつくり、カルタゴの没落後はローマ帝国の勢力下に入った。

7世紀にイスラム教徒のアラブが侵攻し、8世紀初頭には支配下に入った。
11〜12世紀にはベルベル人のイスラム文化は絶頂期を迎えた。

19世紀に入るとフランスのアルジェリア占領とともに侵略を受け、
1912年若干のスペイン権益 (のち保護領) を除いて、全土がフランスの保護領となった。

第2次世界大戦頃から独立運動が起こり、1956年3月独立。
1957年、ムハンマド5世が国王になり、国名をモロッコ王国とする。

専制君主制をとったが、1962年立憲君主国となる。
1976年モーリタニアとともに旧スペイン領サハラ(西サハラ)を分割合併。

1979年、モーリタニアがサハラ領有を放棄したため、モロッコは全域占領へ踏み切ったものの、
ゲリラの抵抗と国際的非難を招いて孤立を深めている。


7世紀 アラブ人の進出
1912年3月 フェズ条約によりフランスの保護領となる
1956年3月 フランスより独立
1957年 ムハンマド5世即位、国名をモロッコ王国と定める
1961年2月 ムハンマド5世逝去、ハッサン2世国王即位
1962年12月 憲法発布
1970年7月 憲法改正。二院制廃止
1972年3月 憲法改正
1975年11月 西サハラ非武装越境大行進(緑の行進)
1989年2月 アラブ・マグレブ連合条約調印
1991年9月 西サハラ「停戦」成立
1992年9月 憲法改正




カサブランカ  (Casablanca)


舞台は第二次大戦中のフランス領モロッコ・カサブランカ。

当時、宗主国フランスはナチスに占領されていた。

カサブランカには、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人たちが押し寄せていた。
彼らは、アメリカへ渡る亡命ビザを求めてやってきたのだった。

ハンフリー・ボガート演じる主人公は、カサブランカで酒場を経営している。
実は彼は、酒場経営のかたわら、ビザの闇取引も行っていたのである。



モロッコ政府の役人も、街の住民も、すべて親ドイツ派を装っている。
だが裏にまわれば、ナチスへの憎しみをあからさまにするのだった。


この映画は、1942年の戦時中に公開された反ナチスドイツ映画である。

主演は、ボガードとイングリッド・バーグマン。
だが主演の二人以外は、ほとんどユダヤ系の俳優が演じている。

監督のマイケル・カーティスも、ハンガリーからの亡命ユダヤ人だった。
脚本も未完成で、毎日細切れのシーンを片端から撮影する方法が採用された。

主演の二人は、映画の結末を知らずに演じていた。
反ナチス映画と悟られて、二人の口から、その筋に情報がもれては困るからだった。

あくまでもラブ・ロマンスをメインとした娯楽映画という建前だった。
ようやく撮影が終了し、この映画に込められた真の意味が明らかになった。

だが完成した作品は、予想を超えて大ヒット。
時代を超えた第一級の名作として多くのファンを獲得したのである。


カサブランカ (Casablanca) 1942年(アメリカ)
監督:マイケル・カーティス (Michael Curtiz)

出演:ハンフリー・ボガート (Humphrey Bogart) リック、
イングリッド・バーグマン (Ingrid Bergman) イルザ

1944年、第16回アカデミー賞、監督賞、脚色賞の3部門を受賞